So-net無料ブログ作成

心身の健康があってこその音楽の愉しみ [雑感・出来事]

 2月22日の朝方、背中の左側の激痛で目が覚める。痛みと痺れのために、起き上がるのもやっと。通勤は自転車だが、左手でハンドルを持つこともままならない。
 痛みは左肩から腕へと戦線拡大し、椅子に座っているだけでも苦痛に感じる状態になる。
 駆け込んだ整形外科でレントゲン、3日後にMRIを撮影しての診断結果は『頚椎椎間板ヘルニア』。
 というわけで、2月28日の佐渡&反田&日本センチュリー響@岡山シンフォニーホール、3月2日の堤剛&萩原麻未@大原美術館、3月10日の岡山フィル定期、3月13日のシェレンベルガー&ヌニェス@岡大Jホール・・・と立て続けに欠席と相成りました。
 岡山フィル定期は無理してでも行こうと思ったんですが、痛みや痺れのため同じ姿勢を続けることが困難で、ゴソゴソすると周りの迷惑になるし、(夜中の疼痛により)睡眠が充分に取れていないため心身ともに疲弊してしまって、正直、「何が何でも聞きに行くぞ」という意欲が持てなくなっていました。
 コンサート鑑賞は椅子に座っているだけだから、少々の病気や加齢でも続けられる趣味だと思っていましたが、やっぱり心身ともに健康であればこそ楽しめるものだと実感。
 幸い、3度の神経ブロック注射が奏功してきたようで、多少はマシにはなっていますが、当分はコンサートは自粛ですなァ。根治は難しいため、復帰はいつのことになるやら・・・という感じです。ルネスホールやJホールの椅子(ソファ・タイプではなく、仮設の可動椅子)での鑑賞は、当分は無理だろうなあ。岡山シンフォニーホールなら姿勢矯正のためのクッションがあればなんとかなりそうだが、そもそもクッション類を持ち込み可能かどうか、今度聞いてみようかな。

nice!(1)  コメント(7) 
共通テーマ:音楽

広島交響楽団第25回福山定期演奏会 指揮:小泉和裕 Pf:小川典子 [コンサート感想]

広島交響楽団第25回福山定期演奏会
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
指揮:小泉和裕
ピアノ独奏:小川典子

コンサートマスター:佐久間聡一

2019年2月17日 福山リーデンローズ大ホール
Scan20190217213852_001.jpg

 広響の福山「定期会員」になってからの初めて自分の「定期会員席」で聞くコンサート。天井桟敷ではなく、1階のど真ん中の席で聴く。来年度からは4200円のこの席を3500円で聴けるようになる。お客さんの入りは、2、3階席の様子は把握できていないが、恐らく6割ぐらいの入りだろうか。

 ブログには何度も書いてるが、岡山シンフォニーホールでのコンサートにもチラシを配ったらどうだろうか?公立ホールで県域の違うお客さんに広報するのが難しいのかもしれないが、今回のコンサートには岡山フィルの3月定期のチラシは入っている訳で、その逆が出来ないのは、ちょっと解せない。


 オーケストラの編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型ストコフスキー配置。


 1曲目のドン・ジョヴァンニ序曲。広響がこのホールで演奏する時の1曲目の演奏の際によく感じるのだが、普段は極めデッドなホールを本拠地にしていることもあるのか、残響に手こずっているような、フォーカスが微妙に合わない感じのある演奏。もっとも、このリーデンローズの残響豊富な音響に聴き手の自分が慣れるのに時間がかかることもあるだろう。


 リストのピアノ協奏曲は実は苦手。ピアノ独奏部分は魅力的だが、オーケストラ・パートが(リスト愛好家の方々には申し訳ないが)どうにもイモっぽいというか、こんなに魅力的なピアノ独奏を書けるのに、このオーケストレーションはなんなんだ?との思いを持ってしまう。

 リストのコンチェルトのソリストは小川典子さんで、前回聴いたのが10年ぐらい前の京響と共演した、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディ。その時の感想は『まさに円熟のピアニズム。脂の乗り切った演奏を大いに堪能した』という趣旨のことを書いていたが、その時の印象よりも、ますます表現の円熟味を堪能させてもらった。

 小泉さんの指揮は、ソリストへ挑んだり煽ったり、ということは無く、ときどきそれが物足りないと思うこともあるのだが、今回の演奏は、小泉さんの職人芸と小川さんの会場を巻き込むような存在感と、グイグイと音楽を手動する力が相まって、指揮者・ソリスト・オーケストラの関係性の妙を堪能できた。「ああ、リストのコンチェルトって、こういう風に聞くととても面白い」という説得力に満ちた演奏だった。

 協奏曲、というよりもオーケストラ伴奏付きの「ピアノ組曲」なのだろうな、この曲は。オーケストラ伴奏のバレエ組曲のような、そんな構成になっているのだろう。

Scan20190217214012_001.jpg

 後半はブラームスの交響曲第1番。これはもう小泉さんの『誰がなんと言おうと、これが普遍的なブラームスの世界なんだ』という確信に満ち満ちた演奏になった。今の時期、コンサートゴーアーの間で話題沸騰中のクルレンツィス&ムジカ・エテルナなどが、革命的な演奏を世に問うているが、僕はこの小泉さんが描く世界にも抗いがたい魅力を感じる。

 どっしりとした低音の上に音楽を構築的に積み上げていく重厚で浪漫あふれる演奏。テンポは速めだが、歌うところではじっくりしっとりと歌わせる。それでいて弛緩するところのない筋肉質で充実した音楽だった。

 第1楽章や第4楽章での、各パートが呼応しながら音楽が盛り上がっていく場面では、「そうそう、こういうブラームスが、僕は聞きたかったんだ」と、何度も頷首しながら聴き応えのある音楽を堪能したが、特筆すべきなのは第2楽章。これほど雄大な景色が目に浮かぶような、泣けるほど美しくどこまでも広がるヴィジョンを作り出せる指揮者が、今、どれほど居るだろうか?天井を見上げながらその世界に耽溺した。第2楽章でのコンマスの佐久間さんのソロ、第4楽章の中間部の倉持さんのホルンや岡本さんのフルートなど、どれも素晴らしく、他にも聴きどころはたくさんあったが、この日のコンサートはなんといっても小泉さんの音楽美学の中での出来事、という感が強く、楽団員さんの思いも恐らく同じだったようで、終演後のカーテンコールでは、3回目ぐらいの指揮者を称える「お約束」よりも前に、すでに楽団員が小泉マエストロを称える様子(特に、ヴィオラの安保さんの讃え方がカッコイイ)が印象に残った。広響のこういう雰囲気、僕は好きです。


 アンコールがなかったのも小泉さんらしい。このブラームスのあとに、余計な音楽は不要ということ。15時開演で終演は16時40分。福山駅からビミョーに距離のあるリーデンローズまでは、行きも帰りもあーと屋さんの車に乗せていただき、色々とお話も出来て感謝です。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019
20190201qbt.jpg

J.S.バッハ/3つの主題による4声のフーガ
  〃  /コラール「我が心の切なる願い」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調「ハープ」
 〜 休 憩 〜
シューベルト/弦楽四重奏曲第15番ト長調

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
 Vn:守屋剛志
 Vn:ディミトリ・パヴロフ
 Va:グレゴール・フラーバー
 Vc:松本瑠衣子

2019年2月1日 日本キリスト教団岡山教会

 一流の技術を持った4人が、アンサンブルを磨きに磨き上げ、そして燃焼度100%の本気の演奏をしたら、こんな凄い音楽になる・・・・。守屋さんが倉敷のご出身(しかも真備だったんですね、去年の災害時は心を痛めておられたでしょうね)という縁で、こんなハイレベルのクァルテットの演奏で、室内楽の主要レパートリーを毎年のように聽かせてもらえる。そのことを教会の十字架を目の前にして、文字通り神に感謝した演奏でした。本当に、神々しいサウンドでした。

 今回の会場は日本キリスト教団岡山教会。天満屋のすぐ北というとても便利が良い場所だ。初めて中に入ったのだが、間口に比べて意外に奥行きがあり、建物2階にある礼拝堂のキャパは180人ぐらいか。ヴァイオリンの守屋さんも初めて演奏する会場とのことだった。

 

 会場は満席のうえに丸椅子の補助席まで出る状態で、220人ぐらいは入っていたと思う。舞台右手にはパイプオルガンがあり、オルガンコンサートも行われているとの事。教会と言っても躯体はコンクリートのビルなので残響は少ない。しかし、音は結構芳醇に響き、舞台と客席が近く一体感がある。ただ、空調は普通の業務用エアコンなので演奏中は空調を切らざるを得ず、足元からの冷えが少し堪える(笑)皆さんコートを足に掛けて聴いていた。

 

 カルテットの配置はヴァイオリンが向かい合う対向配置で、これまでのQBTとはヴィオラとセカンドヴァイオリンの位置を入れ替えた感じ。そして、前回、僕が聴いたときとヴィオラのメンバーが変わっていて、そのグレゴール・フラーバーさんは開演前の時間に、客席側と舞台背後でアクションカメラを入念にセッティングをセッティングをされていたのだが、その時の雰囲気がとても気さくそうな印象。


 バッハ2曲はノンヴィヴラートでの演奏。透明感のある純度の高い音が響き合いながら重なり合い、ますます輝きを増していく。まるでクリスタル細工のような、そんな輝きを放っていた。『3つの主題による4声のフーガ』は未完の作品で、バッハ特有の対位法やフーガの幾何学的な音の万華鏡が、突然終わってしまう。これは人間の死、そのもののように感じる。

 それを慰撫するように、アタッカ気味にはじまったコラール「我が心の切なる願い」の美しさと安らぎに心を完全に持って行かれる。


 死と魂の救済を感じさせる演奏の後に演奏された、ベートーヴェンの「ハープ」も素晴らしかった。

 この曲が作曲されたのは交響曲第5番や第6番「田園」、あるいはピアノ協奏曲第5番「皇帝」が作曲さされた、いわゆる「傑作の森」の時期の真っただ中で、やはりこの曲も、この時期のベートーヴェン特有の強い意志と躍動感を感じさせる曲で、バッハの2曲や後半のシューベルトの作品に感じる死の影を「死など何するものぞ」と吹き飛ばすような楽曲に感じた。

 QBTの演奏はダイナミクスの切り返しがとても鮮やかであると同時に、磨き抜かれた美しさやしなやかさを感じさせてくれ、生命力あふれる演奏だった。特に第3楽章の推進力には圧倒された。ベートーヴェンはやはり当時の最先端の音楽だったことを感じさせる


 後半のシューベルトは、輪をかけて熱気のある演奏になった。この曲、45分も要する大曲で第1楽章だけで20分近くのボリュームがあるのだが、全く長く感じない。音のダイナミクスの付け方の鮮やかさ、特に弱音部分での表現の多彩さは、神業としか思えない。それでいてとても芳醇な音楽が聞こえてくる。微に入り細に入り作りこまれていて、これはやはり世界レベルのカルテットだからこそ聴けるのだと思う。

 シューベルトの晩年(といっても30代の、そうそう、ちょうど守屋さんが「シューベルトが亡くなった年齢に、僕も達してしまった」とプレトークでお話されていました)の曲には死の影を感じる曲が多く、この曲も孤独や死の雰囲気は多分に感じるのだが、このQBTの演奏は暗い死のイメージではなく、浄化と救済のイメージに重なる。

 第3楽章のスケルツオからタランテラのリズムが印象的な第4楽章への燃焼度の高い演奏は凄いとしか言い様がないぐらいに圧倒された。決してノリや勢いだけなく、音の重なりや掛け合いすべてに計算しつくされ作りこまれた土台の上に、その場の聴衆も巻き込んで「創造」されていく。冒頭にも述べたとおり、岡山でこんなコンサートが聴けることを感謝したひとときだった。


nice!(1)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

佐渡裕&日本センチュリー響のコンサート [コンサート情報]

 今年の岡山シンフォニーホールでの公演は、ほぼ毎月、岡山フィルを中心にしたオーケストラ公演が楽しめるラインナップになっていますが、次に楽しみなのが来月の佐渡裕指揮、日本センチュリー交響楽団の公演です。
 この公演の注目点は指揮の佐渡さんと、ピアノの反田恭平さん、というのが一般的な認識だろうと思いますが、僕は、日本センチュリー交響楽団の演奏に期待をしています。
 関西にはプロ・オーケストラが6つありますが、センチュリー交響楽団は京都市交響楽団と並んで、西日本でトップのアンサンブルを誇るオーケストラだと思っています。 
 この3年間、僕が聞きに行った日本センチュリー交響楽団のコンサートの感想一覧です。
 こうして列挙してみると、自分でも驚くぐらい足繁く聴きに行ってたんですねぇ・・。読み返していてもポジティブな感想ばかりで、時間がたった今でも、センチュリーの緻密で透明感があって、かつノーブルで心地よいサウンドをはっきりと思い出すことができます。ファンの中では『西の超高機能オーケストラ』と表現する向きもあり、まさにそのとおりだと僕も思います。
 聴いたコンサートの中でも、現在も継続中のハイドン・マラソンとシトコヴェツキーとのシューマンは素晴らしかった!ハイドン・マラソンでは、シェレンベルガーさんとの共演もありましたが、とても気持ちよく演奏していて、シェレンベルガーさんからの仕掛けに対して、オーケストラが素早く反応し、その掛け合いの中から音楽が泉のように生まれてくるのを心から楽しんでいる様子を見て、「岡山フィルをこういう風に育てたいんだろうな」と思ったのを覚えています。
 来月の岡山でのこのコンサートは2月19日からの12日間で国内11都市を回るツアーの9公演目で、マンネリ化や疲れが心配されますが、佐渡さんは若手の頃にセンチュリー交響楽団の首席客演指揮者だったこともあり、気心は知れているでしょうから大丈夫でしょう。
 センチュリー響の実力通りの演奏が出来れば、ここ数年の海外から岡山に来てくれたオーケストラと比較しても、アンサンブル能力は頭2つ3つ抜けています。本当に楽しみです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岡山フィル第58回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 柴山昌宣・森野美咲ほか [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第58回定期演奏会 ニュー・イヤー・コンサート
〜きらめく、モーツァルトの響き〜
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
 〜 休 憩 〜
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」ハイライト
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
コンサートマスター:高畑壮平
歌劇キャスト
 アルマヴィーヴァ伯爵:片桐直樹
 伯爵夫人:柳くるみ
 フィガロ:柴山昌宣
 スザンナ:森野美咲
 ケルビーノ:川崎泰子
 マルチェリーナ:脇本恵子
 バルトロ:渡邉寛智
 バジリオ/ドン・クルツィオ:松本敏雄
構成・演出:柾木和敬
2019年1月20日 岡山シンフォニーホール
Scan20190123211744_001 - Edited.jpg
 「フィガロの結婚」は舞台美術はなく、いわゆる「演奏会形式」でのハイライトだったが、構成・演出を担当した柾木さんのアナウンスに沿ってとてもわかり易く、しかも作品の肝は押さえた見応えのある舞台になった。
 まずもって地元出身の森野さんのスザンナがとにもかくにも素晴らしい!!フィガロの柴山さん、伯爵の片桐さんらトップクラスの名歌手のため息が出るようなバリトンも堪能。
 前半のジュピターは、シェレンベルガーさんと楽団員が一体となり、理想のモーツァルトのジュピターを作ろうという気概に燃えた演奏で、アーティキュレーションや強弱の徹底、そしてフォルテへ向かうときのドイツ語の破裂音のアクセントのような切れ味は、聴いていて胸がすく思いだった。第一楽章冒頭の提示部が鳴った瞬間、これもドイツ語の巻き舌の発音が聞こえてきたようで「やっぱりシェレンベルガーのモーツァルトは違う!」と思った。
 アンサンブルの完成度や精度は、いま一つの部分もあったけれど、安易に妥協せず、貪欲に理想の音を追求した岡フィルの演奏に胸が熱くなった。最終楽章は見事だった。
 客席はほぼ満員で3階奥に少し空席があるのみ。相変わらず客足は絶好調。
 当日は気温14度まで上がり、「大寒」とは思えない寒の緩みだったが ときおり突風が吹きすさぶ天候で、自転車ごと飛ばされそうになった。今から思えばシェレンベルガー&岡山フィルの疾風怒濤のジュピターを暗示していたのかも知れない(笑)

 プレトークで事前のチラシに書いてあった曲順を入れ替え、前半にジュピター交響曲を演奏し、後半に「フィガロの結婚」を持ってくる旨、シェレンベルガーさんから直接発表される。去年は職場から抜けられずに、魔笛の途中から入ったが、今日は余裕を持って到着できたから全く問題ない。

 編成は舞台下手から順に1stVn8、2ndVn6、Va4、Vc4、上手奥にCb3の8型2管編成のストコフスキー配置。このぐらいの編成が岡山フィルの本来のサイズだと思う。弦のメンバーを見ても精鋭が揃った感じで、シェレンベルガーも楽団員も思い切ったことが出来る。

 ジュピターの演奏は、これまで岡山フィルで聴いたどのモーツァルト演奏よりも素晴らしく、エキサイティングだった。冒頭にも書いたとおり、エッジの立ったアーティキュレーションや、ジェットコスターのような強弱の徹底。最も印象に残ったのは、ピアノからフォルテへ向かう瞬間の、突風が吹き抜けるようなアタックの強さ。まさに疾風怒濤の演奏で、この曲が作曲された18世紀末の激動の中欧の雰囲気を伝えてくれた。もし、この日、はじめてモーツァルトの生演奏に触れた人が会場にいたとしたら、世間一般に流布されている「癒やしの音楽、モーツァルト」とのギャップに、さぞかし驚いたことだろう。
 僕も冒頭の主題の提示から驚いた。編成は小型なのにブルルンと腹の底から響いてくる、弦のドイツ式のグリッサンドに痺れた。そして、まるでオペラのテノールとソプラノの二重唱を思わせるような掛け合いから、全パートが有機的に連携して壮麗な世界が拡がってゆく。疾風怒濤の激しさの中にも、シェレンベルガー&岡山フィルらしい、止め・はね・払いが徹底された形式感のある演奏だった。

 ティンパニは木のマレットでバロックティンパニのような音。弦楽器はヴィヴラートを抑え、全体的にはピリオド系の要素を取り入れた演奏。トランペットは普通のドイツ式なのに、古楽器のようなパリッとしたテイストの音を奏でていた。今回は首席の小林さんは乗っておらず、テレマン室内にもおられた横田さんがトップだったが、さすがの音色だと思った。

 第1楽章はアンサンブルが整いきれない部分もあったが、理想のモーツァルトを演奏しようという火の玉のような情熱が舞台から伝わってくる演奏に聴き手の気持ちも昂ぶってくる。岡山フィル定期演奏会でのモーツァルトのシンフォニーが取り上げられたのは、前回(10年ほど前?)のシェレンベルガーとの初顔合わせの共演以来だと思うが、そのときよりもオーケストラが数段ステージの高い音楽づくりに挑戦していて、一瞬たりとも目が離せないのだ。
 第2楽章も速いテンポで進む。ピアニッシモは「弱い音」ではなく、ちゃんと芯のある弱音が聴こえてくるのが凄い。木管は盤石だった。殆どが30代以下の若い奏者だが、味わい深い音を聽かせてくれて、とりわけファゴットは首席が決まっていないため客演首席の方だったが、(後半のフィガロの結婚も含め)とても良かった。この楽章はロマン的にゆったりと聞かせる演奏が好きだったはずが、この日の岡フィルの演奏で、「こういう弛緩することのない、それでいて優美な演奏もたまらなく美しいなあ」と思った。
 第3楽章でも木管はやはり盤石で、弦楽器の音も一層艶が出てきたところで、アタッカ気味に第4楽章へ突入した。この楽章では、それまでシェレンベルガーの細かいタクトに従って動いてきたオーケストラが、指揮者の描く酵航路図にそって自分たちで新しい世界を拓いている瞬間のように感じた。まさに光り輝く瞬間の連続で、海外のオーケストラの演奏も含め、この水準の演奏のモーツァルトをこのホールで聴いた記憶がない。ちょっと褒めすぎ?いや、でもこういう魂のこもった演奏は、地元オーケストラが命を懸けて演奏するから聴けるのだ。どんな海外の一流オーケストラであっても、強行日程のスケジュールの中でのツアー公演では、こんな演奏はなかなか聽かせてくれない。

 シェレンベルガーは、定期演奏会で一通りモーツァルト後期交響曲をやると思うが、10年後ぐらいにもう一度後期交響曲ツィクルスをやって欲しい。10年前からこれほど進化するのだ。10年後には世界に出せるようなモーツァルトを聽かせてくれるようになると思う。

 後半のフィガロの結婚は、ステージには小道具のみで勝負。
 今回の歌手陣は本当に充実していて、冒頭述べたスザンナ役の森野美咲さんの歌声に聞き惚れた。第一幕のフィガロ(柴山昌宣さん)とスザンナの二重奏からして、「おお、これは凄い!」と圧倒された。「ハイライト」と銘打ちながら、全曲75分のボリュームが有り、重要なシーンはほとんど入っている。昨年の魔笛は、オペラ・アリア集といった趣きが強かったが、今回はほとんどオペラの舞台を堪能した気分。
 僕は管弦楽や室内楽作品に比べるとオペラは本当に見る習慣がないので、舞台美術のある専用劇場での大掛かりなステージとは比べる基準は無いのだが、歌手の方々の歌と演技、そしてオーケストラの美しい伴奏だけで充分に堪能した。
 自らも地元を代表するテノール歌手であり、今回は演出・構成に回った柾木さんの、絶妙のナレーションも良かった。岡山で数多くのステージに立っている経験からか、岡山の聴衆にはどこまでナレーションで説明すれば良いのか、そして客席の反応はどうなのか?独特の残響の岡山シンフォニーホールでのナレーターはどうあるべきなのか。計算しつくされていたように感じた。

 このモーツァルトのオペラを見て思う。人生は当人たちにとっては大真面目に苦しくしんどい、欲望やプライド・メンツに縛られ、偽善や露悪に翻弄され大切なものを見失ってしまう。でも少し離れた視点で人生を見つめてみると、何事も喜劇に思えてくる。
 モーツァルトは、そんな人生喜劇を涙がでるほど美しい音楽で抱擁してしまった。そこにはモーツァルトの人間に対する暖かい眼差しがあり、この日の演奏者たちの演奏からも、その暖かさが伝わってきた。大切なものや大切な人の存在に気づいた者は幸福だ。僕にとって大切なものは、家族との時間と、こうしてこのホールで生の音楽を聞きながら過ごす時間だ。

 これまで岡山フィルは、開館記念の目玉事業のワカヒメを筆頭に、僕が思いつくだけでも結構オペラの演奏の蓄積があって、そこへシェレンベルガーが継続的に関わるようになって、ニューイヤー・コンサートでのオペラのハイライト公演が定着しつつある。今回のキャストも岡山のオペラ公演を支えてこられた方々が出演・演出に関わっていて(池田尚子さんが急病で降板されたのは残念だったけれど)、これまでの蓄積が花開いている感がある。
 来年のニューイヤーコンサートは「カルメン」を取り上げる由。こうして、岡山の「オペラ・ニュー・イヤー・コンサート」が定着したら20年後には、岡山の聴衆はオペラの主要レパートリーを一通り聴くことになる。ぜひ定着してほしい。
 なかなか記事を書く時間も取れないので、文章をシンプルにしようとは思うのだけれど、いざキーボードを叩き始めると、書き残しておきたいことがどんどんと湧いて出てくる。それだけ充実した時間だったということか。

 当日の夜には賛助会員向けのレセプションが開催されたが、今回は遠慮させてもらった。子供がまだ小さい中でコンサートには行かせてもらっているので、終わったらさっさと帰らないと行けません。出席メンバーが地元政財界の重鎮の方が多いと思うので(自分の雇い主の偉いさんも来られそうだし)、シモジモの私はビビってしまいます。しがらみの無い地元以外のこういうレセプションには図々しく出ていくんですけどね(笑)

nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

2018年に足を運んだコンサートのデータ [コンサート感想]

 年末にその年に足を運んだコンサートデータのまとめを記事にしていましたが、2018年は「そんなに足を運べていないし、まとめるほどでもないかな」と思っておりました。

 ところが、年末年始の休みに散乱していたプログラムなどをファイリングしていたら、25回もコンサートに行っていたことが判り(笑)それなら・・・というわけで、今更ながらまとめ記事をエントリーします。

2017年のまとめ
2016年のまとめ
2015年のまとめ
2014年のまとめ

 2017年に足を運んだコンサートは25回。年間のチケット代総額は66,360円、1回あたり平均2,654円でした。
 今年は県外(電車で45分の福山は県外に含めず)に2公演しか行っておらず、今後も当分はこんな感じなので、浮いたお金を岡山フィルの賛助会員会費に充てています。

◎ジャンル別
 オーケストラ12回、室内楽7回、器楽ソロ5回、ピアノ・ソロ1回
WS000002.JPG

◎オーケストラの楽団別
WS000003.JPG
 
岡山フィルハーモニック管弦楽団:4回
他はすべて1回
 シュトゥットガルト室内管弦楽団、ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル、ポーランド放送室内合奏団、釜山フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、NHK交響楽団、広島交響楽団、アマチュアオケ:1回(岡山交響楽団)

◎指揮者別
 ハンスイェルク・シェレンベルガー:2回
 以下、1回(おもな指揮者のみ)・・・準・メルクル、ステファン・ブルニエ、秋山和慶、飯森範親、高原守、村上寿明

◎ソリスト・アーティスト
2回:福田廉之介(Vn)、柾木和敬(T)、
 以下、すべて1回(おもな奏者のみ)
 内田光子/上原彩子/松本和将/梅村知世(Pf)、三浦文彰/シン・ヒョンス/戸澤采紀/福田廉之介/岸本萌乃香/(Vn)、、ワルター・アウアー(Fl)、西崎智子/橋本杏奈(Cl)、阪本清香/塚村紫/池田尚子/川崎泰子(S)、岡村彬子(A)、渡邉寛智/鳥山浩詩/山田大智(B)

室内楽団体:カルテット・ベルリン=トゥキョウ

◎プログラム曲目別
 2018年は集計せず

◎コンサートホール別
WS000004.JPG

◎会場の市町村別
WS000005.JPG

以上


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

今年もよろしくお願いいたします [自己紹介]

 遅ればせながら新年のご挨拶をさせていただきます。クリスマスに続いてまたまた他人のふんどしで相撲を取ります(笑)
2019oka-phil nenga.jpg
 岡山フィルからの年賀状です。こういうラフな感じの写真はいいですよね。「気軽に私たちの音楽を聴きに来てよ!!」という感じがあると、聴きに来たことが無い人の心理的ハードルが下がるでしょう。どんどん宣材に使っていくべきだと思います。
 それでは、この機会にこのブログの今後について書いておきます。 
コンサートのチラシやプログラムの表紙をそのまま掲載することにしました
 このブログでは昨年の途中まで、著作権・肖像権の問題のため、コンサートのチラシや演奏者の写真をなるべく掲載しないようにしてきましたが、あるSNSで「クラシックのコンサートの情報はただでさえ露出が少ない。チラシを配る方もなるべく多くの人に知って欲しい、と思って作るのだから誹謗中傷とかネガティブキャンペーンでない限りはネットに上げても良いのではないか」という意見を見て、「なるほどその通りだな」と思い。12月からチラシをボカシなしで掲載するようにしました。もちろん、アーティストや内容によっては掲載しないこともあります。


ブログの題名を昔使っていたものに戻しました
 コンサート以外の、例えば旅行などの写真を掲載するつもりでしたが、旅行の写真はほとんどアクセスが付かず(コンサート感想記事の1/5程度)、更新する時間も無いので馴染んでいた名前に戻しました。
言葉遣いについて
 「地方オーケストラ」という表現を止め、「諸都市オーケストラ」という言葉を使うようにします。ある諸都市オーケストラの常任指揮者の方も主張しておられますが、「地方オーケストラ」という表現は、中央(=東京)に対する地方という対比意識が根底にあり、ややもすると中央より少し遅れている・劣っているもの、という評価を内包する恐れがある。
 各都市で活動しているオーケストラはその都市において独自の文化を作り上げているわけですから、「地方オーケストラ」という呼称はなじまないと考えます。
 東京のオーケストラを指す「在東京オーケストラ」という表現も、京都のオーケストラとの区別を明確にするため、引き続き使用します。

岡山の街の話題についても触れていきたいです
 今年こそ「岡山フィル発展への研究」シリーズの完結を目指していますが、調べれば調べるほど、岡山の街がどのような街になっていけばいいのか?について考えさせられています。中心は岡山フィルの話題ですが、岡山芸術創造劇場の建設、現市民会館と石山公園周辺と旭川の一体的な水辺空間整備、路面電車の駅前乗り入れ、相次ぐ市街地再開発の動き、市役所の建て替えと跡地のアリーナ建設計画など、岡山の街がダイナミックに動いています。街づくりに関しては全くの素人ですが、文化や芸術に関心がある街づくりの素人ゆえに書けるものもあるかも知れません。
 仕事や子育てで全体的なブログの更新回数は減って来ていますが、幸いなことにアクセス数は以前とほとんど変わらず。岡山の街についてエントリーした記事はアクセス数がむしろ多いです。今後も気晴らしに書いていこうと思いますので、よろしくお付き合いください。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》 準・メルクル 指揮 [コンサート感想]

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》
Scan20181229212517_001.jpg
細川俊夫/瞑想―3月11日の津波の犠牲者に捧げる―
メシアン/輝ける墓
 ~ 休 憩 ~
ストラヴィンスキー/バレエ「火の鳥」(1910年版 全曲)
指揮:準・メルクル
コンサートマスター:佐久間 聡一
 この公演は7月7日に開催される筈で、メルクルさんもお嬢さんを伴って広島に滞在、リハーサルも進んでいたところの7月6日に襲った西日本豪雨により中止にせざるを得なかった。

yearbook hirokyo.jpg
※広響の2018年イヤーブックより
 準・メルクルさんは、祖父が生まれた街であるこの広島(初めて知りました!)のために日程を開けて、再び来広。
 会場はマスコミの取材などがあり、いつもとは違う雰囲気。
Scan20181229212105_001.jpg
 楽団員は燃えていたなあ・・・。メルクルさんはいつも通りの力みの無い颯爽と、そして流麗ながら打点が明晰な指揮。オーケストラもその鮮やかなタクト捌きに導かれ、変幻自在の気品あふれる美しい音楽を奏でました。
 これほどの心に強く残る演奏を聴かせてくれた広響にブラボー!いやー本当に広島まで聴きに来て良かった!
カープに負けず劣らず、広響も黄金時代に入った感があります。
DSC_1017.JPG
 当日は新幹線で広島に向かうが関が原での大雪により40分遅れの開演1時間15分前に広島到着。せっかく広島に来たのだから、お好み焼きを食って、クラシック音楽喫茶で少しゆっくりして会場入りしようと思ったものの。駅で昼食を取ることに。しかし駅も大変な混雑で・・・続きは感想のあとに。
 会場は一見8割5分ぐらい席が埋まっているように見えるが、そこかしこに歯抜けのような空席があり、実際には7割5分ぐらいといったところだったろう。振替公演ということもあり都合がつかなかった人が多数いたようだ
 しかし、SNSやブログの感想を見ると、結構東京や関西から聴きに来られていたようだ(熱烈にスタンディング・オベーションをしていた方が、よく関西のコンサートでお見かけする方だったし)、音楽評論家の東条碩夫さんや奥田佳道さんも来られていたそうだ。
 この年末休み時期はどこもかしこも第九だらけなので(第九を演奏する良さは確かにありますが)、こういうプログラムを好んで結構当日券が売れたのではないだろうか?
DSC_1020.JPG
※開演前に撮影
 編成は14型のストコフスキー配置(ステレオ配置)4管編成で、広いこの多目的ホールのステージいっぱいに配置されている。ヴィオラがアウト、チェロがイン。広響を聴くときはほとんどヴィオラが外側の配置だ。
 細川俊夫の楽曲は、同じメルクルさんの指揮によるリヨン国立管弦楽団との「循環する海」を聴いている。この「瞑想ー」は一神教ではない日本の精神世界を表すように、創造主の存在感は皆無。お鈴のような鐘の音と弦・木管が奏でる魂が浮遊するようなモチーフの展開の中で、『宇宙の鼓動』(作曲者解説による)を表す大太鼓の律動が規則的に表れる。中間部の尺八のようなバス・フルートの旋律を聴いたとき、私の心の中の何かのスイッチが押された感覚になり、本当は3.11の地震・津波の犠牲者への追悼の曲なのだが、私には今年の広島・岡山・愛媛を襲った西日本豪雨の犠牲者の追悼の曲としてしか受け止められなかった。浮遊する魂が慰撫されるように、最後は消え入るように終わる。リヨン管の時にも思ったのだけれど、やはり日本人の血が入っていることが大きいのか、メルクルさんは日本の宗教観や死生観というものに深い共感を持っていると感じた。この静かな鎮魂は四十九日やお盆の送り火の時期の街の静けさや、人々の静かな心持ちを思い起こさせてくれる。作曲者も客席にいらっしゃって、盛大な拍手を受けておられた。
 2曲目はメシアンの「輝ける墓」。戦前の作品で、トゥーランガリラ交響曲などのまばゆいばかりの色彩と比べると、この戦前の(1931年)の作品は思ったよりコンサバティブでプリミティブな印象を受ける。中低音域で執拗に繰り返される3音の音型はショスタコーヴィチを想起させるし、トゥッティーでの響きはストラヴィンスキーの影響を感じさせる。トゥッティーのあとにパウゼがある場面が多いが、いかんせんこのホールでは残響を楽しむというわけにはいかない。細川作品では思わなかったが、この曲に関しては「もう少し音のいいホールで聴きたいな」と思った。
 リズムが非常に複雑で錯綜しており、相当難しい曲だと思うが、メルクルの明晰なタクトの元、広響の演奏は緊張感の中にも安定感があり、一つの生き物のような表現に舌を巻いた。1年の最後の最後に、ハイレベルなオーケストラの凄い演奏を聴いて、前半終了時点ですでに興奮気味だった。 
DSC_1019.JPG
※2階ロビーからの風景
 「火の鳥」は、ダイジェスト版とも言える1945年版が演奏されることが圧倒的に多いけれど、1910年版でしか味わえない感興がある。全曲盤をオーケストラのみでの演奏を「冗長」だと言い切ってしまうのは、このメルクルの魔法のようなタクトと愛すべき広響の情熱的な演奏を聴いてしまうと。『それは早計だ!』と言ってしまいたくなる。
 特に中間部分の「王女たちのロンド」から「夜明け」「イワン王子、カッチェイ城に突入」「不死の魔王カッチェイの登場」などを経て「イワン王子とカッチェイの対決」「火の鳥の出現」「カッチェイたちの凶悪な踊り」に至るまでの部分は、誠に息詰まり手に汗握る一大スペクタクルで、1945年版だと、「王女たちのロンドから」「カッチェイたちの凶悪な踊り」にまで一気に飛んでしまうのは、ほとんどおいしい部分をすっとばしている、ということが今回のコンサートを聴いて認識を新たにした。
 メルクルは時折ステップを踏みながら、流れる様な指揮の合間にも指揮棒の先をチョンと動かすだけで、あら不思議、オーケストラから色々なニュアンスの音が湧き出してくる。オーケストラ側もとてもポジティブかつ主体的に音楽を奏でていく。「火の鳥の踊り」や「魔法にかけられた13人の王女たち」では、「いったい、メルクルが指揮しているのはオーケストラだけなのか?ステージにはバレエ団が躍っていて、僕にだけその姿が見えていないだけじゃないのか?」そう思ってしまうほどに表情豊かで生き生きとした表現だった。
 中間部分に差し掛かり「カッチェイの登場」から、オーケストラは鳴りに鳴っているが、これはまだ序の口で、音楽はぐんぐんと熱を帯びて盛り上がっていき、「カッチェイたちの凶悪な踊り」の最後の方のブラスの下降音階の場面では、自分も奈落の底へ落ちていくような感覚になり、手が汗ばむような興奮があった。
 フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」でのホルンのテーマを聴いた瞬間、ちょっと目がウルウルと来た。最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもボリューム感のある弦のトレモロに鳥肌が立った。国内のプロ・オーケストラの本拠地の中で最も音響の良くないホールにも関わらず、広響がこういう演奏をしてしまうもんだから、「ああ、これだけのものが聴ければ充分だ」ということになり広島にいいホールが出来ないのでは?という逆説的な原因も考えてしまう(笑)
 今後はそうそうは県外のコンサートには行けないんだけれど、年に1回は広響を聴きに来ないと!と思ったコンサートだった。
 広響の充実ぶりはなかなか拙文では伝えきれないため、シュトイデさんの弾き振りの動画を張り付けておきます。メルクルさんとは音楽の作り方は全く違いますが、広響の積極性や音楽への感受性と表現力がよく伝わる動画だと思います。
 以下は余談。
 戦術の通り、2時間前に広島に到着するはずが、1時間15分前にずれ込み、市街地でお好み焼きを食べ、2軒ある名曲喫茶のいずれかに行って・・・などという計画が飛んでしまった。HBGホールまでは路面電車と徒歩で40分、開演15分前には着きたいので20分程度で昼食を取る必要がある。
 「新幹線名店街」へ行こうと新幹線改札口を降りてビックリ、広島駅が全面改装されていて「ekie」という、岡山の「さんステ」の3倍はあろうかという巨大駅ナカ施設に変貌している。で、お好み焼き屋街へ向かうとご覧の通りの大混雑。
DSC_1013.JPG
 以前の新幹線名店街は新幹線利用者しか行けない穴倉みたいなところだったのが、どうやら南北自由通路が出来たことで人の流れが変わったらしい。南口の駅ビルのお好み焼き屋街の混雑状況が解らなかったので、とりあえずアンデルセンでパンを買っておき(久しぶりのアンデルセンのデニッシュを帰りの新幹線で食べた)、南口の駅ビルに行くと、大丈夫、混んでいませんでした。広島まで来てお好み焼きを食べられないなんてさみし過ぎますから。
 あと、備忘として書くと、お好み焼き屋さんの勧めで路面電車ではなくバスに乗っていったら、なんと15分もかからずに開演40分前にホールの玄関前に着き、周辺を散策する余裕がありました(笑)以後、HBGホールに行くにはバスを使うことにしましょう(笑)
DSC_1016.JPG
※天気は良いですが、気温は低く寒かったです
DSC_1014.JPG
※駅ナカのEKIEにはもみじ饅頭の製造工場が見れます。焼きたてが食べられます。

nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究【番外編(上):岡山フィル支援の機運の盛り上がりの背景】 [オーケストラ研究]

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究【番外編(上):岡山フィル支援の機運の盛り上がりの背景】
 岡山フィルの将来について勝手に語るシリーズ。今回はちょっと脱線する。
 前回の(その6)で予告していたように、今回は岡山フィルの経営の展望について触れるつもりで財源や体制整備について他のオーケストラの事例を踏まえながら途中まで書いていたのだが、昨今の岡山フィル支援に関する活発な動きを見て、掲載するのを記事にエントリーするのを保留にしていた。
DSC01452.JPG
※岡山シンフォニーホールと城下交差点の夜景
この1年間の岡山フィルの体制整備に関するニュースは大きなものだけでも3つあり、
 ①市当局の支援強化の方針表明
 ②10月に地元行政・財界・オーケストラの支援者らが「育てる会」を発足
 ③山陽放送など地元マスコミでの露出の劇的な増加、
 などがそうだ。加えて2019/2020シーズンには定期・特別演奏会が年に6回となり、プロのオーケストラとしてのプログラムの充実も着々と進められている。今、ここで筆者が下手なことを書くのではなく、しばらくは事態の進展を見守ることに決めた。
 今回は岡山フィルの今の取り組みに最大の敬意を払いつつ、ではなぜ今、事態がこれほど急速に進展しているのか?そのことについて筆者が思う背景を整理しておきたい。
過去の失敗に学んだ岡山フィルの体制整備
 今年発足した岡山フィルを支援する民間組織である「岡山フィルを育てる会」は過去にも存在し、2005年ごろには小泉和裕氏をミュージック・アドヴァイザーとして招聘し、年間5回の定期演奏会を組むなどの体制充実を行っていたが、筆者の記憶では、個々のコンサートでは大いに盛り上がることはあっても、現在ほど岡山の街全体を巻き込まんとするような盛り上がりは無かったように思う。
 今から思えば、定期演奏会を一気に5回に増やすための聴衆層が形成されていなかったし、楽団は在東京や在阪のオーケストラからの助っ人に頼っていて、コンサートマスターをはじめ首席奏者のメンバーが演奏会ごとに変わり、いわば「岡山フィルの看板」を背負って立つ人が居なかった。ここが失敗の原因だったと考えられる。 
シェレンベルガーが岡山フィルのディレクターで居てくれることの奇跡
 現在の盛り上がりの起爆剤がシェレンベルガー氏の岡山フィル首席指揮者就任なのは間違いない。その衝撃は例えばサッカーでいえば、ジネディーヌ・ジダンやフランチェスコ・トッティーがJ2ファジアーノ岡山の監督に就任するようなものだ。
 シェレンベルガーが就任して岡山フィルの音はたった5年で激変した。自らも世界屈指のオーボエ奏者として名を馳せ、古稀を超えた現在でもその技術を維持し、岡山の聴衆を魅了する器楽奏者であると同時に優れたオーケストラビルダーでもある。スポーツで言えばプレイングマネージャーを見事にこなしていて、音楽づくりも着実に成果を上げる・・・よくこんな凄い人が岡山に来てくれたと思う。これは奇跡としか言いようがない。
 楽団員のモチベーションも非常に高く、定期演奏会での演奏内容が回を追うごとに充実していったことで、観客が増加し、定期・特別演奏会の回数は3倍に増加したにもかかわらず、毎回8割5分以上は客席が埋まる盛況だ。
 演奏面だけでなく首席コンサートマスターの就任、楽団専属の首席奏者の採用、それを受けての日本オーケストラ連盟に準会員として加盟し、名実ともにプロフェッショナルのオーケストラとしてのスタートを切った。
 以前ブログにおいて「日本オーケストラ連盟に加入し、行政を巻き込む」との提案を行ったのが2015年の8月だった。3年後に岡山フィルがここまで発展しているとは、筆者は思いもしていなかった。
 この背景には資金面での充実も大きい。常設オーケストラへの道は険しいが、岡山フィルのホームページには協賛企業のロゴでビッシリと埋まり、個人の賛助会員も倍増した。この岡山フィルの体制充実の背景に、何が起こっているのだろうか?
 私は2つの組織に注目をした。一つ目は「育てる会」の幹事企業であり、地元経済会のけん引役である中国銀行。もう一つは 岡山シンフォニーホールと連携協定を結び、学内のホールでコンサートシリーズを展開している岡山大学だ。
 この番外編(上)では、中国銀行を中心とした地元財界について考えてみたい。

背景に存在する『人口減少社会の中で岡山という街が生き残っていけるのか?』という危機感
 「人口減少社会の中での岡山の街の生き残り」というテーマは、一見岡山フィルとは関係の無いように見えるが、岡山フィルの未来と岡山地域の未来は一蓮托生。人口が減るということは若者が減り、働く現役世代(生産年齢人口)も減る。当然、県内GDPも減少し、ありとあらゆる業界で需要が減少する。これはたいへんな時代であり、大阪の為政者がヒステリックに叫んでいた「オーケストラじゃあ飯は食えない」という論調がますます力を持ってくる。岡山フィルは人口減少と、それに伴う経済衰退の時代にどのように存在意義を発揮できるか?が強く問われることになる。

 少し前の新聞記事になるが、11月1日の山陽新聞にこんな記事が掲載されていた。
〇岡山県人口減少、190万人割れ 33年6カ月ぶり、毎月流動調査: 山陽新聞デジタル|さんデジ
 岡山県の人口は減少し続け、社人研(国立社会保障・人口問題研究所)の予測では2040年には161万人にまで減少する見込みだ。
 他にも、11月6日にはこんな記事も。
〇地銀や路線バスの統合 制約緩和へ 未来投資会議/朝日新聞デジタル

 すでに、地元の金融機関ではこんなことも起きている。
〇第1部 膨張都市(1)相続マネー 東京潤い、地方はジリ貧: Lの時代へ 歪みを超えて:(2017年1月23日 山陽新聞)

 これらの記事は、これまで都道府県単位で維持されてきた、金融機関や地域交通の経営が全国的に行き詰まっている事を示している。
 特に3つめの記事『(1)相続マネー 東京潤い、地方はジリ貧』の内容は「人口減少ってこんなことも引き起こすのか・・・」と筆者は大きな衝撃を受けた。岡山から東京へ働きに出た「金の卵」の世代の資産を、子供の世代が相続した際、不便な地方銀行の口座を解約し、都市銀行などに預金を移す。それにより今後20年程度の間に51.4兆円もの資金が地方から東京へ移転する。実際に岡山県内の信用金庫では年間1億円ペースで東京の都市銀行へ預金が流出している。
 人が減り需要が減り、地方の経済が疲弊していくところへ、追い打ちをかけるように、「経済の血液」である投資資金が枯渇しかねないという状況がすでに深刻になっている。
 銀行同士の合併は独占禁止法により厳重に監視されているが、地方都市では金融機関同士の競争どころか、地域に投資資金を回していく原資すら東京へ流出していく。地方銀行同士の統廃合が容認されたことも、こうした状況も背景にあると思われる。
 すでに銀行については、地方の業界再編が進み始めている。
〇九州の地銀再編は、新たな段階に突入した ~十八銀・FFGの統合が意味するもの~(東洋経済オンライン)
 
 人口減少社会が次のステージに移ったとき、岡山の人口や経済活動の状況によっては、広島や関西の金融機関との統廃合の可能性は捨てきれない。中国銀行が広島や兵庫の銀行と経営統合ということになれば、地元経済の資本循環だけでなくシンクタンク機能もまるごと影響を受け、地域経済のイニシアチブが岡山の街から失われかねない。
 
  新聞や放送局についても、購読者・視聴者が物理的に減少するわけで、収入の屋台骨である広告収入が揺らぐことになる。地方マスコミ業界は新聞・放送局をグループで一体経営している形態が多く、少しのほころびで地方マスコミ業界全体の再編へ一気に加速する可能性が十分にある。
 今後は、金融機関を皮切りに、放送局や新聞社、ひいては国立大学に至るまで統廃合の嵐の時代に入るだろう。岡山が50年後にその独自性を保ったまま生き残っていくためには、銀行やマスコミ、大学といった『知識労働層の受け皿』を死守することが必要不可欠になって来る。
2014-04-24 18.36.26.jpg
※移転により役割を終える岡山市民会館から岡山シンフォニーホールを望む
 もちろん、新しい産業を興し、企業を誘致し、観光客や移住者を呼び込むことが直接の解決策になることは間違いないが、高度経済成長時代や人口ボーナス(増加)期ならいざ知らず、全国的に急激な人口減少が進む中で、産業構造を転換していくことは容易ではない。
 そうすると、地域の中に蓄積された富や資本を地域の中でどう循環させて、他の地域にはない付加価値を創っていくか?そして付加価値型産業を支える人々をどう呼び込み、付加価値の高い『本物』を創る人材をどう呼び込んでいくか?さらに岡山の人々が付加価値を生み出す文化を循環させる社会をどう回していくか(その6で述べた『文化芸術資本が循環する社会』をどう創っていくか)が重要になってくる。その先に、岡山の人々が自分の街に誇りを持ち、規模は小さいかもしれないが、光り輝くような付加価値を生み出す文化的土壌が育っていくことが理想である。
 今年の10月に就任した首席奏者たちは、とても実力を持った奏者が揃って、見事な演奏を聴かせてくれている。つまりは『付加価値の高い『本物』を創る人材』を岡山フィルが呼び込めたのだ。岡山が関西や広島などの大都市に飲み込まれず・吸収されずに独自のアイデンティティを保有して生き残っていくための一つの処方箋が見えた瞬間のように筆者には思える。
 岡山の地域の経済の血液を回す中国銀行も、岡山の経済を支える地場産業企業からなる財界も、そして山陽新聞や山陽放送などの地元マスコミも、例えばトヨタやユニクロのように「岡山を捨ててもっと儲かるところで商売をしよう」という訳にはいかないのだ。
 こうした地場の企業が岡山フィルに注目し始めているのも、人口減少という厳しい未来の中で、岡山フィルという芸術を創造する集団に明るい未来を見出そうとしているのではないだろうか。
 次回は、もう一つのけん引役である大学、特に岡山大学について触れていこうと思う。 
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岡山フィルの2019/20シーズンの日程速報(→12/22に公式発表あり) [岡山フィル]

 岡山フィルの来シーズンについて、会員向けに日程のみのチラシが来ていたので転載。
 出演者やプログラムの発表は、もう少し先になるとのことですので、発表され次第ここに追記していきます。
 ※12月22日に楽団から公式発表がありました。
 ※1月中旬の友の会会員へのダイレクトメールに、「Exiting Jazz Consert」の案内がありました

2019年5月26日(日)15:00開演
第60回定期演奏会
 R.シュトラウス/オーボエ協奏曲
 モーツァルト/交響曲第38番「プラハ」
 ブラームス/交響曲第3番
Ob独奏&指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー(首席指揮者)


2019年6月14日(金)19:00開演
Exiting Jazz Consert テッド・ローゼンタール・トリオ × 岡フィル
 バーンスタイン/「キャンディード」序曲
 ガーシュイン/サマータイム
  Someone to watchi over me 〜優しき伴侶を〜
  They can't take away from me
  Fascinatin'Rhythm
   〃   /パリのアメリカ人
   〃   /ラプソディー・イン・ブルー
指揮:山本祐之介
出演:テッド・ローゼンタール・トリオ
   

2019年7月21日(日)15:00開演
第61回定期演奏会
 ドビュッシー/小組曲
 イベール/室内小協奏曲
 ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」
指揮:園田隆一郎


2019年10月20日(日)15:00開演
第62回定期演奏会
 ピアノ協奏曲(曲目調整中) 
 ブルックナー/交響曲第4番「ロマンティック」
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー(首席指揮者)
ピアノ独奏:ジャン・チャクムル


2019年12月1日(日)15:00開演
岡山フィル第九演奏会
指揮:村上 寿昭
ソリスト:オーディションにより選出予定


2020年1月26日(日)15:00開演
岡山フィル特別演奏会「ニューイヤー・コンサート」
 ビゼー/歌劇「カルメン」ハイライト
 ビゼー/「アルルの女」第1組曲
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー(首席指揮者)
声楽:岡山県にゆかりのある若手声楽家たち


2020年3月22日(日)15:00開演
第63回定期演奏会
 メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
 ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
 メンデルスゾーン/交響曲第3番「スコットランド」
指揮:大田 弦
Vn独奏:青木 尚佳
Vc独奏:岡本雄也


 ついに定期・特別演奏会が年6回体制になりました!
 →もう1公演発表されて、なんと7公演体制に。
 シェレンベルガーの交響曲シリーズは、ベートーヴェンが今年完結し来年度の5月にブラームスが完結。次はモーツァルトの後期交響曲、ということになりますね。
 
 ベートーヴェン、ブラームスの次は、やっぱり来ましたね。ブルックナー。今から首席奏者の梅島さんの腕が鳴っているでしょう。ブルックナーのシンフォニーは、ベートーヴェンやワーグナーとともに、ドイツ音楽の一つの極の神髄のような存在。弦・管・打、それぞれ難所が随所に存在し、そして全体のハーモニーのバランスと調和の追求の臨界点から放たれる神々しいまでの世界を聴衆に見せることが要求される。しかし、今の岡山フィルなら結構いいところまで到達できるんじゃないか?と期待してしまいます。
 5月の定期は「シェレンベルガーさん、本気か!?」とビックりな公演。ソリストにとってめちゃくちゃハードなR.シュトラウスのオーボエ協奏曲を吹き振り(演奏しながら指揮)して、間髪入れずに一瞬たりとも気が抜けないモーツァルトのシンフォニーを指揮。メインはブラームスの交響曲中、もっとも勇壮でパワフルな第3番。行かれる方は2時間半は覚悟しましょう(笑)
 シェレンベルガー以外の定期演奏会と第九は、なかなか面白い布陣になったと思いますよ。ただ、岡山は東京や関西に比べると、アーティストの知名度の浸透が10年ぐらい遅い。大都市ではすでに評価が定まった指揮者でも岡山では驚くほど知られていないことは多々ある。
 だから、7月と3月定期の集客が心配です。しかし、実力がぐんぐん伸びている若手や、脂の乗り切る少し手前ぐらいの指揮者が、一番面白い。園田隆一郎さんは、ヨーロッパの歌劇場叩き上げの実力派で、びわ湖ホールでのオペラ公演や、広響との共演などコンサートゴーアーの方々の間では極めて評価が高いです。ぜひ、聴きたいと思っていました。うまく岡山フィル事務局さんが広報して、どんどんお客さんが来てほしいですね。とても楽しみにしていますよ。
 村上寿明さんは去年の9月の「I am a SOLOIST」でのタクトを見て、斎藤秀雄直系のタクト裁きに魅了されました。来年の関西フィルの第九にも登場するようです。シェレンベルガーが岡山フィルと作ってきたベートーヴェンとも相性がいいんじゃないですかね。
 太田弦さんは、なんとまだ25歳という若さ!しかし、その若さで在阪4大オーケストラの一角、大阪交響楽団の指揮者(いわゆる専任指揮者)のポストに2019年から就任予定という・・・、今、最も注目される若手成長株の筆頭です。「今、世界的指揮者になった太田弦って、岡山フィルに来たことがあってね。すごく良かったよ。やっぱり巨匠になったね」と言えるような、そんな公演にして欲しいですね。
 
 ソリストについてはまだまだ未定のところが多いのだけれど、シェレンベルガーの吹き振り、青木尚佳・岡本雄也のブラームスのダブルコンチェルトは必聴。ジャン・チャルクムは(「蜜蜂と遠雷」のモデルの)浜松国際ピアノコンクールの覇者、上野耕平(Sax)さんは若き俊英で今年9月の「情熱大陸」にも登場したそうです。選曲もセンスがいい。
 マイシートの発売日は勤務日なので、出遅れそうですが(汗)まあ、今の席はすぐには埋まらないだろうとタカを括っています。
※6月にテッド・ローゼンタール・トリオとの再びの共演が発表されています。しかも、指揮は今やポップス・コンサート指揮の第一人者の、山本祐之介さんです(チェリストとしてもご活躍されています)。山本直純さんのFMシンフォニーコンサートのDJに胸を熱くして聴いていた世代としては、最近、ますます親父さんの後を追うようなご活躍をされている祐之介さんの指揮は見てみたかったんです!もちろん、テッド・ローゼンタール・トリオの演奏も楽しみです!
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(2)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽