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ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル 岡山公演 指揮:高原守 Cl:橋本杏奈 [コンサート感想]

ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル 岡山公演
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調「軍隊」
ハイドン/交響曲第8番ト長調「夕べ、あらし」
 ~ 休 憩 ~
バッハ/管弦楽組曲第3番より アリア
モーツァルト/クラリネット協奏曲イ長調
指揮:高原 守
ヴァイオリン独奏&コンサートマスター:ギオルギー・ヴァルトチェフ
クラリネット独奏:橋本 杏奈
2018年7月20日 岡山シンフォニーホール
 
 会場は6割程度の入り。招待客が多いようで、ロビーで挨拶や会話をする人が多く見られたが、「家の方は大丈夫だった?」「〇〇さんのところは浸かったみたい」というような、安否確認の会話が多かったように感じた。
 開演に先立って、指揮者の高原さん(岡山出身)と楽団員たちの思いのこもった、 西日本豪雨の犠牲者追悼のための、バーバー/弦楽のためのアダージョが演奏された。
 
 このコンサートは、まずは橋本杏奈さんの見事なクラリネットに触れないわけにはいかない。まだ高校生といっても通用しそうな(失礼!)童顔の御姿からは想像できない、大人の演奏を聴かせてもらった。ホールをビリビリと震わせる低音から、天衣無縫の高音へと駆け抜けるグリッサンドの場面では鳥肌が立ちっぱなしだった。 
 
 オーケストラの方は、基本編成が!stVn6→2ndVn3(本来は4人)→Va3→Vc3、上手奥にコントラバス1本の弦5部に、1本~2本の管楽器が入る。
 ニューヨークの少人数のアンサンブルといえば、オルフェウス室内管が挙げられるが、オルフェウス室内のような鋭く切れ込んでいくような場面は全くといっていいほど無くて、いい意味でも(悪い意味でも?)、おおらかで1930年代の青春のアメリカン・サウンドをパッケージして運んできたような音楽を聴かせてくれた。アンサンブル自体は詰めが甘くて、アインザッツが揃わない場面もしばしばみられるものの、それを補って余りある透明感と懐かしさが同居した、抗いがたい魅力あるサウンドがこのオーケストラの特色なのだろうと思う。
 今回は、ハイドンのシンフォニーが聴けたことが収穫。このホール、いや岡山でハイドンを聴く機会は本当に限られる。いわゆる「朝」「昼」「晩」三部作の最後の曲である第8番。コンチェルトグロッソの形式の楽器同士の対話を大いに楽しんだ。
 最後はアンコール3曲。アンダーソンをはじめとしたアメリカンなピース。こういう曲で客席を楽しませるのは流石にこなれていて、客席も大盛り上がりだった。最近、何かにつけ考え事が多く、オーバーヒート気味だった自分の頭の中が、不思議とスッキリするような演奏だった。No Music , No Life !
 

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日本センチュリー交響楽団第226回定期演奏会 指揮:飯森範親 [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第226回定期演奏会
ワーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」より  聖金曜日の音楽
~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調(ハース版)
指揮:飯森 範親
コンサートマスター:松浦奈々
2018年6月14日 ザ・シンフォニーホール

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 梅雨とは思えないカラリとした気候の中、ザ・シンフォニーホールの音響と、この気候を味方につけ、センチュリーの極上の美しい響きが印象に残ったコンサートとなった。
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 配置は12型の対向配置。1stVn:12→Vc:8→Va:8→2ndVn10、コントラバス6本は舞台最上段に横一列に並ぶ。ウィーン・フィルが黄金の間でやる配置。また、金管は下手からホルン→トランペット→トロンボーン→ワーグナーチューバ&チューバ。ブルックナーでは、この配置の利点が遺憾なく発揮された。お客さんの入りは8割程度。
 プログラム解説によると、ブルックナーが尊敬するワーグナーの最晩年(1882年)の傑作「パルジファル」からの音楽、それと同時期に書かれたブルックナーの交響曲第7番(1883年)を取り上げる、特に、ブルックナーの7番の第2楽章がワーグナーへの哀悼の意を示した音楽という繋がりがあるようだ。
 ブルックナーに比べると、やはりワーグナーの音楽は隙がなく、冗長さも皆無。ワーグナーの傑出した才能を感じるとともに、一方で不器用で愚直なブルックナーがこの7番で神話の領域までの高みに達したことを感じさせられる、終わってから振り返ると、よく考えられた絶妙のプログラミングだった。
 センチュリーのハイレベルなアンサンブルと高潔な響きは健在。毎度毎度ため息をつきながら感心する。ブルックナーに対する期待も否応なしに高まるというもの。
 そのブルックナーの7番開始前。空席のあった自分の周りの席が埋まり、1500人、3000個の目が舞台上に注がれる視線が見えるような、何とも言えない重苦しい緊張感が客席を包む。やはり大阪はブルックナーの「聖地」だと思う。この雰囲気だけで鳥肌が立つ。
 その会場の緊張感が伝染したのか、第1楽章では硬い演奏だった印象。いや、一つひとつのフレーズを紡いでいく仕事はさすがセンチュリー響と言うべき精緻な仕事だったし、個々のパートは素晴らしい音を奏でいるのだけれど、どこか緊張が解け切れない、波に乗れない感じが残る。
 しかし、第1楽章終盤から響きに輝きが増し、第2楽章は文句なしの演奏。対向配置+ベースを後方に並べる配置によって、ベースと金管の音が絶妙の塩梅でブレンドされ、極上のサウンド響かせた。
 ここで不思議な感覚に襲われたのが、センチュリーの見通しの良い練りこまれたアンサンブルでこの曲を聴くと、ルネサンス以前のレオナンやペロタンらが作曲したオルガヌム音楽のような響きが感じられたこと。いや、これは自分に原因の一端があるかもしれないのが、OTTAVAで流れたことがきっかけで、作業用BGMとしてオルガヌム音楽を聴いているからそう感じるだけかもしれない。しかし、ブルックナーの音楽が描く「神話的」な世界は、こうした中世的な響きにも秘密があるのかな?とも思う。それもこれも、センチュリーのサウンドが極めて純度の高いがゆえ、気付かされたことだろう。ずっと、永遠に聴いていたい。夢のような20分間だった。
 前半2楽章が、テンポは中庸ながら一つ一つのフレーズを紡ぎ出すように丁寧に描いていたのに対し、後半2楽章は、前半よりもテンポを速めに推進力を増して、マッシヴかつ色彩豊かなサウンドで押していく演奏になった。かといって、決して力づくの演奏にはならずダイナミクスが大きくなるにつれ、ハーモニーは研ぎ澄まされ、ブルックナーが見せたかった世界を鮮烈に見せてくれている感覚があった。飯森さんも、楽員さんも音楽に入り込んでいくのが解る。舞台上で泉のようにこんこんと音楽が涌き出でるかのように、音楽が「創り出されて」いく。第3楽章の中間部で、あまりの儚い美しさに涙腺が緩む。
 第4楽章でもオケと指揮者、あるいはパート同士の対話が密になっていく。弦が艶を放ち、金管は輝きを増す(特にラストのタタタタンタン、というブルックナーリズムの部分の神々しさと言ったら!)、ティンパニーは神の啓示のようにホールを震わせ、それら三位一体となったハーモニーに包まれる時間をかみしめるように聴いた。
 1楽章の硬さと、「まだ余力はあるかな~」という印象から、「もう1日、この定期の本番があれば」と思ったが、僕としては十分に満足する演奏だったことは間違いありません。
 それに対して、会場の反応は・・・悪くはなかったです。でも、必死で拍手する私が若干浮き加減な感じで、「もう一息!」という感じの反応だったのがすごく印象に残りました(笑)
 いやいやいや、もし岡山フィルが岡山でこんなブルックナーを演奏したら、客席は熱狂の渦になるだろう。
 私にとっては滅多に聴けない水準の演奏でも、大阪の聴衆にとっては「ん、まずまずやったな」的なものだったのでしょうか。うーん!大阪でブルックナーを演奏するというのは大変なことだなあ。
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 この日、新幹線に飛び乗ろうと岡山駅に行ってみると、人身事故で車両が新幹線が緊急停車しているため、ダイヤが大いに乱れていた。なんでもボンネットが破損したまま100km以上走っていたらしいという・・・。
 『これは、開演までに間に合わないかな?』と思っていたら、すぐに新大阪行きが到着。久しぶりのJR九州の車両で、岡山出身の工業デザイナー水戸岡さんの快適な座席でスムーズに新大阪に着いた。

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岡山フィル第56回定期演奏会 Vn:福田廉之介 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第56回定期演奏会
グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
 ~ 休 憩 ~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン独奏:福田廉之介
コンサートマスター:高畑壮平
2018年5月27日 岡山シンフォニーホール
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 前半も後半も「凄い演奏を聴いた」という充実感に満たされたコンサートだった。
 まずは、何といっても福田廉之介さんのヴァイオリンを取り上げずには居られない。去年聴いたリサイタルで「もうこれは、世界中どこへ行ってもプロとしてお金を取れる水準は充分にクリアしている」と瞠目したのだが、そこからさらに深化していた。
 その発せられる音には、選ばれし者しか得られないオーラと『華』がある。第1楽章の転調しながら上昇を繰り返す場面で、オーケストラが様々な楽器で和音で色彩を出していくならば、彼はたった一挺でまばゆいばかりの世界を、オーケストラとともに創ってしまう。
 テクニックは言うまでもない、その色彩・表現力、これが葦原の瑞穂の中つ国、吉備の国から生まれた才能だ!と快哉を叫びたい、とでもいうように地元の会場は沸騰する。新しい首席奏者(候補)たちが奏でる切ない曲想に導かれて第2楽章で見せた内省的な音楽は、10代の青年とは思えない滋味沁みわたる世界だった。
 第3楽章ではテクニック以上に、オーケストラへつけていくセンスが光っていた。岡山フィルもシェレンベルガーがタクトで示す細かいニュアンスやダイナミクスをソリストと共に表現していく。
 演奏終了後は万雷の拍手が鳴りやまない。アンコールはパガニーニのカプリス。福田さんもあのチャイコフスキーのコンチェルトの最終楽章で力を振り絞るような演奏を聴かせてくれながら、涼しい顔をしてパガニーニを弾いてしまう。
 このブログを見ていただいている方には、岡山以外の方も多くいらっしゃると思うのですが、福田廉之介という名前を憶えて損はありません。必ず世界のクラシック音楽ファンなら知らぬ者はいない名前になるでしょう。
 感想は1曲目とメインに移ります。この日の入りは9割ぐらいだろうか。3階には空席が少しあったようですが、1階~2階席は見渡す限り満席だった。岡山フィルの定期演奏会、ずっと好調な集客を維持している。
 編成は座席的にヴァイオリンが見切があるので正確ではないのですが、12型でVa以下2本補強のストコフスキー配置2管編成だったでしょうか?
 今回はオーディションで合格した首席奏者たちの試用期間としてのコンサートでもあったが、どのパートもこの上ない演奏を聴かせてくれ、ソロ演奏の多いチャイコフスキーの5番で、もうこれはほとんど首席奏者披露演奏会といってもいい、華やかな演奏になった。
 グリンカの序曲からエンジン全開。岡山フィル、本当に良く鳴っています。この岡山シンフォニーホールは3月~梅雨入り前の季節までが、最もいい音が鳴るのだ。
 シェレンベルガーさんと通訳兼司会進行役の高畑コンマスとのプレトークで、『チャイコフスキーの交響曲第5番はよく演奏される曲で、ついついルーティンで演奏してしまう曲でもあるのだが、今回は楽譜を見直して、作曲家の狙いや意図をくみ取った演奏になる。新鮮な気持ちで聴いてほしい』というような内容でした。
 たしかに、今日のような王道中の王道の曲は。それだけに実は本当に難しいのだろう。それは聴衆の立場から見てもそうだ。最近の演奏ではヤンソンス&バイオルン放送交響楽団の倉敷公演の演奏が忘れられない。それは僕にとっては生涯聴いたベストコンサートの一つになっているほどだ。聴衆は地元での生演奏だけでかなりの好演を経験しているし、それだけに期待値は上がる半面、期待を裏切られた場合の落胆も大きい。
 しかしシェレンベルガーさんの言葉には嘘偽りは無かった。第1楽章はきっちりと音符を積み上げていくような演奏。この曲の動機となるメロディーを、ドイツロマン派の交響曲のようにソナタ形式の枠を手掛かりに積み上げていく。
 特に弦のボウイングの幾何学的な統一感は見事で、書道で言えば、うったてから止め・はね・はらいまできっちりしている楷書体の墨書を見るような、あるいは発音の良いアナウンサーによるナレーションを聴いているような、「ああ、シェレンベルガーさんらしいな」と思いながら聴いていた。第1楽章のラストはスパッと切る解釈に痺れた。高畑コンマスの存在は、やはり偉大だ。
 
 しかし、単に「ドイツ的・構築的なチャイコフスキー」ではなかった。第1楽章や第4楽章での管・打を中心
に短いリズムを打ち込むトウッティでは、音尻をスパッと切ることで、ストロボが光るような切れ味を出していて、このホールで聴いたサンクトペテルブルグ・フィルの演奏の切れ味を思い出した。
 第2楽章では、感情におぼれ過ぎず、しかしメロディーは大いに歌わせるドラマティックな展開を見せ、金管が奏でる、この曲の「運命の動機」では人間が抗いがたい大いなる力を誇示するように、強烈な音を客席に打ち込んでくる。
 第3楽章も、運命から解放された踊りの中に、不気味にカーテンの陰から「運命の動機」が顔をのぞかせる
不気味な雰囲気がある。
 第4楽章の激しさはどうだ!岡山フィルがこれほど荒々しくなるオーケストラなのか?一方で、金管が裏手に
回っているときの力強くも弦楽器の癒されるようなしっとりとした音にも聴き惚れる。チャイコフスキーの一種病的な世界を描き出していた。
 最後のコーダに入った後の耳をつんざくような金管の打ち込みは、古典派から前期ロマン派で見せるバランス重視のシェレンベルガーとは全く異なるように感じる。第1楽章でドイツ的構築感を感じ取った僕は、この楽章ではロシアのオーケストラのようなパワーにひれ伏すしかなかった。
 所詮、運命には逆らえない人間が刹那の時間に心を預けて踊りに踊るような・・・一種「強制された歓喜」のような荒々しい面を見せながら、最後を迎える。私には、この日の演奏は単なる勝利の凱歌には聴こえなかった。ただ・・ただ・・凄い演奏だった。
 特筆すべきは、ソロを取った各パートの首席奏者たちの見事な演奏。冒頭のクラリネットでの陰影、ファゴッ
トの哀愁。そして第2楽章のソロホルンの柔らかさと、それに答えるオーボエは、ロメオとジュリエットのようだ。第4楽章のトランペットのファンファーレは、運命へ抗うことを諦めさせられる充分な力感が備わっていた。
 それから、コントラバス・チェロのきっちりとした力強いボウイングは、これまでの岡山フィルの音にさらに力強さを加えるものだったし、ヴィオラの分厚さが無ければ、この「躁鬱的」な交響曲の魅力は半減しただろう。
 この岡山フィルの首席奏者というポスト、ファンの私がこんなことを書くのもなんですが、決して待遇がいいわけではないと思われるのですが、それでもこれだけの人材が集まって、これほどの粉骨砕身の演奏を聴かせてくれたことに感謝。早いですが、これからどうかよろしくお願いします。岡山を好きになってください。
 次回の定期演奏会での首席奏者正式就任が本当に楽しみになりました。
※追記
 某SNSに書き込んでいるときに思ったのだけれど、僕にとってチャイコフスキーの音楽はロマンティックで情熱的なイメージでとらえていたのだが、ドイツに生まれ、長くドイツの中心で活躍してきたシェレンベルガーが見るロシアへのまなざしは、フランスのブルボン王朝を模して創られたロマノフ王朝の貴族文化という面と、凍てつくロシアの大地のバーバリアニズムとが同居する存在なのかもしれない。そして、この日の演奏の美しさと激しさはそうしたロシアの持つ両面が強いコントラストで描かれたのかもしれない、そんなことを考えました。

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ばらのまち福山国際音楽祭2018 ローズコンサート [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018
ローズコンサート
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2018年5月3日 福山リーデンローズ大ホール
 なかなか更新がままなりません。今年度はこんな感じで事後更新が多くなりそうです。数日たってしまうと同じコンサートに行かれた方のアクセスが一気に減りますから、感想を共有しあう・・・なんてことはできませんねえ。もうこれは自分のためだけの更新になりますね。
 ポーランド放送室内合奏団は、その名の通り弦楽のみの合奏団で、基本編成は1stVn6-2ndVn6-Va5-Vc3-Cb1という小規模編成。
 音はいぶし銀の音、東欧のオーケストラが持っている独特のコクと艶のある音で、遠路ポーランドからこの音楽祭のために来てくださっただけのものを味あわせてくれた。モーツァルトでは昨今のピリオド・アプローチを取り入れた演奏だったが、ヴィヴラートをかけて浪漫的に表現したチャイコフスキーの弦楽セレナードで聴かせた濃厚な音こそが、この合奏団の真骨頂のように思える。
 今回、もっとも聴きどころだったのはキラルの「オラーヴァ」だった。ロマの音楽を思わせる民族調の旋律がミニマル・ミュージックのように折り重なって、徐々に音楽世界が拡張して最高潮に達するこの曲。ペンデレツキ、ルトスワフスキ、キラル・・・ポーランドは20世紀のクラシック作曲家と傑作を多数輩出した国として歴史に残ると思う。演奏する彼らも、この作品を知ってほしいという情熱にあふれていた。
 チャイコフスキーの弦楽セレナーデもスラヴのリズム溢れる躍動感のある表現で、これは国内のオーケストラを聴いていてもなかなか味わえないと思った。
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 会場は8割ぐらいの入りだったか?過去、リーデンローズでクラシック音楽を聴いた中で最も客席が埋まっていたように思う。1日目のオープニングコンサートでは客席も6割ぐらいで盛り上がりに欠ける感じがあったが、私のようにコンサートを『はしご』してテンションが上がっていく聴衆が多く、このローズコンサートでは会場はたいへんな熱気に包まれていた。この「ラ・フォル・ジュルネ」型(あるいは「大阪クラシック型」)の音楽祭は、本当によくできているなあと感じた。近くのショッピングセンターでの地元音楽家の演奏にも大きな人だかりができており、2日目(最終日)には行っていないが、この音楽祭は成功だったんじゃないだろうか。
 一つ要望を上げるとすれば、岡山でこの音楽祭の情報がほとんど入ってこないことと(岡山シンフォニーホールでチラシを配るだけでも地名度は断然上がるだろう)、実際には空席が多かったのに、ローソンチケット、岡山市民会館、アルスくらしきなど、岡山でアクセスできるプレイガイドでは完売だったこと(私はチケットぴあで購入した)。広島のTVやホールなどでは充分な宣伝がされていたようですが、快速に乗ると45分で行ける岡山からの集客を考えないと勿体ないと思います。この音楽祭の性格上も、広響のコンサートをはじめコンテンツの充実している広島から来る客よりも、同じ文化圏・生活圏の岡山・倉敷をターゲットにした方が有効でしょう。
 そして、気になるのが音楽祭の今後。ラ・フォル・ジュルネが同じような仕組みでの音楽祭なので参考に、地方都市開催の経過を見てみると、金沢・びわ湖が東京中心のプログラミングとブッキングに反発して(乱暴に言えば「東京の残り物を押し付けられるより、自分たちで主催した方がよい」ということだろうか)、独自の音楽祭を立ち上げて成功している一方で、新潟・鳥栖では音楽祭そのものが消滅しています。
 地元のオーケストラや劇場が活発な活動をしていて聴衆層の土壌が厚い金沢・びわ湖に対して、新潟・鳥栖は音楽祭を続けるメリットが見いだせなかった。
 福山も音楽祭を継続していくためには、音楽祭によって地元に還元され、還流する財産(当ブログの言葉でいえば、文化・芸術が循環する社会に貢献するかどうか?)があることが、不可欠になってきます。この音楽祭でも地元アマオケを結集した「オーケストラの祭典」や、街中コンサートなどで地元の音楽家に活躍の場が与えられてはいたものの、誰がアマチュアで誰がプロフェッショナルなのか解りにくく、混在している印象がありました。
 今後は、地元のプロの音楽家の存在がもっと前面に出る様な構成が必要でしょうし、例えば弦楽四重奏団など様々なプロの室内楽団体が発足したり、プロの音楽家で構成された室内管弦楽団などが出て来て、音楽祭のプログラムの一翼を担うようになれば理想的でしょう。逆に、そうならなければこの音楽祭の存在意義が問われ、新潟や鳥栖と同じ道を辿る可能性が高いと私は思います。

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ばらのまち福山国際音楽祭2018 シン・ヒョンス リサイタル [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018
シン・ヒョンス ヴァイオリン・リサイタル
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2018年5月3日 福山リーデンローズ小ホール
 もう音楽祭は終わってしまいましたが、感想はぼちぼち更新します。
 3月から多忙な時期が続き、それ以上に想定していなかった大きな爆弾が2,3発爆発してしまい、なんというか精魂尽き果てる様な日々でした。郷古廉さんのリサイタルなど、注目の公演を3つほどパスしてしまい(でも代休を3日も貯金していますから、6~7月で取り返すつもりですが、何か?)、この音楽祭は久しぶりに生の音楽に触れられ、それも3公演も梯子ということで僕にとってはこれほどの至福の時間はありませんでした。
 さて、シン・ヒョンスさんのリサイタル。予定時間は約50分間のうち、あのグリーグのロマンティックかつ体が躍るソナタの3番が聴けるということで、軽い気持ちで座席に着席。
 ところが、バッハのシャコンヌの演奏が始まったとたん、その予想外というかまさかの本気度100%、出力マックスの演奏にノックアウトされてしまった。
 本当に本当に、パルティータ2番全曲が聴けなかったのが惜しいぐらいの濃密な演奏。ロン・ティボーの覇者というタイトルを語るまでもない、恐ろしいほどのテクニックで、収まるところに音が収まっていく快感、バッハの厳しい音楽を完全にモノにしている懐の深さ、ヒョンスさんのリサイタルがあったら絶対に行こう、と心に期したのでありました。
 近くで見ると、細身ながら恵まれた身長を生かしてダイナミックな演奏。そのパワフルさは欧米のヴァイオリニスト顔負け、音の伸びの良さも素晴らしい。
 2曲目のグリーグのヴァイオリン・ソナタはグリーグらしい抒情と民族的な旋律に溢れたヴァイオリン・ソナタのロマンティック部門の屈指の存在。ある意味、1曲目のバッハのシャコンヌとは対極にある曲と言える。僕は、この曲を聴くたびに「グリーグはなぜ、ヴァイオリン協奏曲を作らなかったのだろうか」と思うのだが、最近、ヴァイオリン協奏曲編曲版(グラッケルードとルンド編曲)をグラケルードのソロ、トロムソ室内管で聴くことが出来る(NAXOS)。ナクソス・ミュージック・ライブラリーに加入の方は一度聴いてみてほしい。
 閑話休題
 グリーグのソナタも、極めてハイカロリーで情熱的な演奏。低温は足元から響くような重量感があると同時に、高温の伸びの良さは聴いていて本当に気持ちがいい。音の純度が極めて高く、この曲の第2楽章の美しさがヒョンスさんのヴァイオリンにかかって、際立っていた。
 50分という通常は半分のサイズのリサイタルを逆手に取ったのか、完全燃焼のように見えた。いやいや、2時間の本格的なリサイタルもこの集中力と情熱で走り切ってしまうのかもしれない。
 伴奏はメディアでの露出も高い斎藤雅広さん。オープニング公演とマタニティコンサートでの司会につづいて、休みなしで伴奏に臨んだが、ソリストにドンピシャでつけていく演奏は流石、徹底的にシン・ヒョンスさんの良さを引き出す伴奏にうなった。「この音楽祭はこの斎藤さんで持っている」と思う。
 アンコールはハンガリー舞曲第3番。
 なお、シン・ヒョンスさんは、この後「いしかわ金沢 風と緑の都音楽祭」への出演のため、福山を後にしたそうだ。本当にタフなことです。

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ばらのまち福山国際音楽祭2018 ユネスコ「世界の記憶」記念コンサート [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018 開会セレモニー
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ユネスコ「世界の記憶」記念コンサート
~ふくやま琴との共演~
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2018年5月3日 福山リーデンローズ大ホール
 今年から「ばらのまち福山国際音楽祭」が福山リーデンローズ(福山芸術文化ホール)を中心とする福山市内各所で行われている。
 この音楽祭のフォーマットは明らかに「ラ・フォル・ジュルネ」であり、はたまた「威風堂々クラシック」だろうと思う。
 有料公演を45分から1時間程度で1000円~3000円という安価で提供し、福山リーデンローズの大ホールと小ホールで時間差で開催、聴衆は1回のコンサートだけつまみ食いをしてもいいし、自分の気に入ったコンサートを何公演も梯子してもいい。市内各所(福山城、美術館、ショッピングセンターなど)ではアマチュアや音楽大学の学生さんらによるコンサートが各所でゲリラ的に行われ、聴衆はコンサートを求めてそぞろ歩く仕掛けになっている。
 このオープニングコンサートのオーケストラはスーヨル・チョイ指揮、釜山フィルハーモニー交響楽団が務めた。韓国のオーケストラが進境著しいことは、FM放送で聴いたソウル・フィルやKBS響の演奏から知っていた。しかし、花のソウルを離れた地方都市のオーケストラの実力はいかに?という心配もあった。
 ところが釜山フィルの演奏は驚くほどレベルの高かった。釜山フィルが招聘されたのは、朝鮮通信使の停泊場所だった鞆の浦港を観光地として抱える福山市が、その通信使の出発港の釜山のオーケストラを招聘して交流を深める意図があったようですが、このオーケストラ、僕が普段聴いている西日本のオーケストラと比べてもまったく遜色は無い素晴らしい演奏を披露押してくれた。京響やセンチュリーなどの一線級の実力のあるオーケストラと比べると、緻密さや洗練さでは聴き劣るものの、彼らの全身で音楽を表現する様子は、関西フィルや広響といった躍動感を前面に出した西日本のオーケストラを聴いている自分にとっては親近感がわく。
 12型(協奏曲は8型)での演奏だったこともあって、弦楽器がやや非力な感じはあったが、金管は極めてパワフル、そして木管楽器のよく歌う事歌う事(笑)楽器の歌いっぷりはイタリアやスペインのオーケストラのようだ。
(会場では朝鮮通信使にちなんだパネル展や衣装展示が開催されていた)
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 現在、韓国ナンバーワンといってよい女流ヴァイオリニストのシン・ヒョンスさんがソロの小曲を2曲。特にツィゴイネルワイゼンの超絶技巧が、このヴィルトゥオーゾの手にかかれば、いとも簡単に弾けてしまうように感じてしまう。それほど圧倒的なテクニックを披露してくれた。釜山フィルのメンバーも足をドンドンさせてソリストを称えていた。「どうだ、我らが韓国が誇るヴィルトゥオーゾは凄いだろ?」と、彼らまでもが誇らしげだった。シン・ヒョンスさんの凄さはこのあと、小ホールで行われたソロ・コンサートで存分に堪能した(感想はのちほど)。
 最後の行進曲「威風堂々」は、市民合唱団も参加してのステージ。スーヨル・チョイさんのタクトに導かれ、なんとも歯切れのいい、胸のすくような演奏になった。隣国の音楽祭の御座敷公演でここまでの演奏ができるのだから、本拠地での演奏はさぞかし凄かろうな・・・。 

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NHK交響楽団倉敷公演 指揮:ブルニエ Pf:上原彩子 [コンサート感想]

NHK交響楽団 倉敷公演
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
 ~ 休憩 ~
ドヴォルザーク/交響曲第8番
指揮:ステファン・ブルニエ
ピアノ独奏:上原彩子
コンサートマスター:篠崎史紀
2018年3月10日 倉敷市民会館
 会場はほぼ満席。平日夜の倉敷市民会館を満席にできるのは、このN響ぐらいだろう。さすがの動員力です。
 N響岡山定期消滅後も、なんだかんだいって2年に1回は岡山に来てくれるN響。パーヴォ・ヤルヴィ就任後は、TVで見ていても、実演でもどんどん高みへと昇って行っている感がありましたが、ここ倉敷でも益々充実の演奏を披露してくれた。ソリストの上原さんは、抜群のテクニックと美しい音色、打鍵の多彩さは健在。終演後は物凄い盛り上がり。
 指揮のブルニエは、本場の歌劇場で実績を重ねる本格派。躍動感溢れる音楽が信条のようで、旋律の歌わせ方も巧みで風景が目に見えるような音楽づくり。メロディメイカー:ドヴォルザークのボヘミア愛を見事に表現。大満足のコンサートだった。
(3月16日 追記)
 コンサートから時間が経ってしまいましたが、帰りのJRの中でメモしたデータを頼りに感想を続いて書こうと思います。
 前半のラフマニノフの3番。2年前にバーミンガム市響をバックに河村尚子さんが同じホールで同じ曲を演奏し、強く心に残る演奏を披露してくたが、今回の上原さんも凄い演奏でした。どちらの演奏も甲乙付けがたい、恐ろしくハイレベルな演奏。
 上原さんは、第2楽章などでの繊細で柔らかい表現は、真綿をつかむようなタッチで、光に包まれるような幸せな音を奏でる。その一方で、第1・3楽章の強い打鍵が要求される場面の迫力も、客席で聴いていると気圧されるような迫力があった。特に、第3楽章の後半で1度ギアを上げた瞬間は驚きました。「ラスト・シーンまでには、まだまだ曲が残っているのに、すでにこんなに強い音を出して、最後はどうやって締めくくるのか?!」そう思って聴いていくと、ラストシーンではさらにもう一段ギアを上げた強い打鍵で、N響を向こうに回して大立ち回りを演じた。いやはや、これには本当に参った。
 一方で、上原さんはオケとともに大きな音楽を作って行こうとする志向が強く、指揮者だけで無くコンマスのMAROさんや、第1・2楽章の管楽器と合わせる場面では、その間パートの方を向きながら、一体的に音楽を作っていた。
 N響も冒頭からの弦の翳りのある音から「ハッ」とさせられ、宇賀神さんのファゴットに早くも心をつかまれる。木管はクラリネットもフルートもオーボエも、岡山ではなかなか聴けない見事なソロ・合奏を聴かせ、弦楽器も終始つややかで、上原さんの音とも絶妙に合っていた。
 本当に、聴き応えのあるコンチェルトだった。
 後半はドヴォルザークの交響曲第8番。このところのN響の好調さが感じられる若々しく躍動感あふれる演奏だった。
 岡山にはN響はよく来てくれる方だと思いますが、以前は、確かに文句の付け所の無い、まったく綻びの無い演奏をするんだけれども、なんとなく「管理された演奏」を聴かされるようなところがあった。
 今のN響は、本当に充実していると感じる。クラシック音楽館でも、最近は毎回のようにいい演奏を聴かせてくれているし、いい具合に世代交代が進んで、個々の奏者のモチベーションが極めて高そうだ。ヴァイオリン・ヴィオラ部隊なんて、弓ブチブチ切りながらの躍動感あふれる演奏に、「地方公演でここまでやってくれるんだ」と感激した。
 ブルニエも、さすがに歌劇場で実績のある指揮者。中央ヨーロッパの情景が目の前に浮かんでくるようで、名曲中の名曲の旋律美のうま味を骨の髄まで引き出していく。
 今やザルツブルグ音楽祭にも呼ばれるほど、国際的評価が定着したN響、これぐらいはやって当然かもしれない。同じホールでこれまで聴いて来た、パリ管・RCOやゲヴァントハウス管、これらの超・超一流オーケストラに、テクニックだけでなく音色の美しさなどでも追随してきている感じがあります。ただ1点、物足りない点を挙げると、これらのオーケストラには、トゥッティーの際には座席に体が押し付けられるような圧迫感を感じる様な音の圧力がありました。N響も決して鳴っていないわけでは無い(去年の新日本フィルよりははるかに鳴りが良かった)のですが、やはり世界の超・超一流のオーケストラが奏でる、夢のように美しい音の洪水に身体が押し倒されるような圧倒的な力・・・、この部分が欲しいな、というのが正直な感想です。
 N響の岡山定期演奏会が無くなった当時は、それを惜しむ声が聴かれましたが、4年前のヴァルチュハ&諏訪内晶子、2年前の井上道義との岡山公演など、なかなかの座組でやってきてくれています。中国・四国地方の巡回公演では、岡山は絶対に外せないマーケットなのだろう。ほぼ2年に1回のペースで聴けている印象だ。
 岡山フィルの定期演奏会の回数は増えたし、結果的に岡山のファンにとっては、これで良かったんじゃ無いでしょうか。

 アンコールは、スラヴ舞曲集第2集から第2曲。


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三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル 岡山公演 [コンサート感想]

三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル
ヴァイオリン:三浦文彰
ピアノ伴奏:イタマール・ゴラン
 
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 K.306
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18
~ 休 憩 ~
(作曲者・曲名失念)赤とんぼの変奏曲?
(曲目自信なし)バルトーク:ルーマニア民俗舞曲から?(あやふやな記憶)
チャイコフスキー:「懐かしい土地の思い出」からメロディー
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ ハ長調 op.34
チャイコフスキー:感傷的なワルツ op.51-6
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 op.28
 
2018年2月26日 岡山シンフォニーホール
 
 後半プログラムが変更になって、三浦さんからアナウンスはされたものの(ホールの残響で聞き取りにかった、あと演奏中にはメモを取ったりしない主義なのと筆者が記憶力に乏しいため)、当日は楽章構成も何も書いていないコンサート案内チラシが配布されたのみで、プログラムが無いので曲目を確認することも出来ません。主催者からの掲示やHP等での事後フォローもないので、曲名があやふやなままです。赤とんぼのメロディーの変奏曲のような曲と、バルトークのルーマニア民俗舞曲から1曲?(だと思うんだけど)。あと、チャイコフスキーの「懐かしい土地の思い出」のメロディー、これぐらい有名な曲ならばわかるんだけれども・・・。コンサートに行って、演奏された曲がわからないまま、というのは気持ちが悪いものです。
 
 三浦文彰さんの演奏は、大フィル定期演奏会で演奏されたハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲での凄演が強く印象に残っています。
 
 会場は2階・3階を閉鎖し、1階席+バルコニー席の5割ぐらい(600人ぐらい?)の入り。三浦文彰といえば大河ドラマ「真田丸」のソロ演奏で有名になり、メディアにも露出が多いアーティストの一人だと思うが、月曜の夜のコンサートということを差し引いても、もう少し入ってもいいんじゃないの?という印象。
 
 演奏は、後半のヴァイオリンの名曲を並べたプログラムでの演奏が、やはり凄かった。文句なしです。超絶技巧のみならず音にコクと照りがあり、いつまでもず~~っと聴いていたい美音だった。
 
 前半は、久しぶりに1階に座ったこともあって、前半1曲目のモーツァルトのソナタの演奏が始まった瞬間、自分の頭のはるか上を過ぎていくようなヴァイオリンの音に、正直言って戸惑った。10分ぐらいすると耳が慣れてきたが、ヴァイオリンのソロといえども、やはりこのホールは2階席で聴きたい。
 三浦さんの演奏は、まさに天衣無縫というべきもの。美音のささやきのようで魅了されたが、(楽章間に拍手が入ったこともあって)曲全体の構成感がやや不足していて、「モーツァルトのソナタを聴いた」というよりも、小品を3曲聴いたような印象が残った。
 
 しかし、R.シュトラウスのソナタでの演奏は三浦さんの美音に磨きがかかり、素晴らしい演奏になった。現在の三浦文彰を聴くならば、後半のロマン派の小ピースか、もしくはこのR.シュトラウスのようなコテコテの後期ロマン派の耽美的な音楽が合っているようだ。かといって外連味のある演奏ではなく、的確に音をとらえてく、どちらかといえば誠実な演奏。三浦さんの奏でる音の美しさがとにかく際立っていて、音楽そのものが持つ美しさをよく引き出していた。
 そしてピアノのゴランさんの演奏がこれまた素晴らしく、粒が立った音を変幻自在の音色で彩り、もはら伴奏の域を超えている。さすが世界屈指のピアノ室内楽奏者だと思った。三浦さんにとってはこれほど心強くも手ごわいピアノ伴奏者はいないでしょうね。三浦さんの美音とゴランさんの絶妙のタッチから繰り出される美音の饗宴に、陶然と耳を傾けた。
 
 アンコールはグルックのメロディー(歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の中の曲のようだ)、そしてクライスラーの中国の太鼓。
 
 松江公演のプログラムには、ベートーヴェンの6番ソナタと、ブラームスの雨の歌を並べていて、プログラム的にはそちらの方が良かったな。次回のリサイタルはクラシックのソナタを並べるガチンコ・プログラムで聴きたいと思いました。

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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2018冬 岡山ルネスH公演 [コンサート感想]

ルネスクラシックシリーズ Vol.17
クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2018岡山公演
 
モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調「不協和音」
バルトーク/弦楽四重奏曲第1番
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー3番」
 
守屋剛志(第1ヴァイオリン)
モティ・パヴロフ(第2ヴァイオリン)
ケヴィン・トライバー(ヴィオラ)
松本 瑠衣子(チェロ)
 
2018年2月10日 ルネスホール
 
 記録を辿ると、このクァルテット・ベルリン=トウキョウ(以下、QBTと略)を聴くのは6回目になる。岡山という、決してクラシック音楽が盛んとは言えない土地で、これほどのレベルの弦楽四重奏団の演奏を、まるでシリーズのように毎回違った名曲で楽しめる・・・。これほどの僥倖があろうか。
 しかも第一ヴァイオリンの守屋さんは、東京芸大在学中には地元のアマ・オケなどの演奏会にソリストとして登場していて、その並外れた音楽性を存分に発揮されていた。それが今や世界的室内楽団体を率いて毎年凱旋してくださる。2010年以降の岡山のクラシック音楽シーンを後世で語られるとき、シェレンベルガーの岡山フィル首席指揮者としての活躍と、このQBTの連続室内楽シリーズが語られ続けるだろう。 
 そんなわけで、僕がこのQBTのコンサートにおいて冷静に感想を書くことなどできないわけでありますが、今回も本当に満足のコンサートだった。
 先に、バルトークの1番から。同じくバルトークの3番を、2年前の県美公演で聴いており、当時もQBTのアンサンブル能力の桁外れの高さに舌を巻いたのだが、今日の公演は3曲とも配置を入れ替えており、守屋さん(1stVn)とパブロフさん(2ndVn)が対向配置で向かい合い、守屋さんの隣にトライバーさん(Va)、その隣に松本さん(Vc)という配置だった。QBTは守屋・松本の二枚看板という印象だったのだが、この配置でパブロフさんと守屋さんが掛け合う構図が明瞭になり、守屋・松本・パブロフの3人の奏者が真剣で殺陣を繰り広げ、そこへトライバーが割って入る隙を伺うような、そんな緊張感が痺れる掛け合いとなった。バルトークの真骨頂の民俗舞曲調の場面での燃焼度は、以前にもまして高い。やはりQBTは凄い。
 モーツァルトの柔らかい息遣いと「間」の変化は、「やはり世界トップレベルのクァルテットは違う!」と思わせるに十分。ベートーヴェンのラズモフスキー・セットは、3年前に第1番を聴いているが、今回の第3番は貫禄と迫力十分の横綱相撲。前回の「大フーガ」が、一生心に残るような演奏を聴かせてもらったのと同様、今回もQBTのベートーヴェンを聴かせてもらった。ベートーヴェンの気高くも美しい音楽が、心の襞に沁みわたるようだった。
 もっと詳細に感想を書きたいのだが、物書き仕事が溜まっているので、とりあえず筆を置きます。気が付いたことは箇条書きで追加するかもしれません。
 
 
 ・守屋さんのプログラムトークによると、今回のプログラムの変更には理由があって、差し替え後のモーツァルトの「不協和音」はベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」に多大な影響を与えている、ハ長調という調整も同じなら曲のモチーフも類似性が見られる。しかし、だからこそモーツァルトとベートーヴェンの違いが分かるのではないか、ということで差し替えを行った、とのこと。
・アンコールには、当初のプログラムに組まれていた、ハイドンの弦楽四重奏曲第76番ニ短調「五度」から、第4楽章。
・今回のツアーでは岡山公演が2回組まれていて、2月6日には岡山大学Junko Fukutake Hall で、ハイドン79番、バルトークの2番、ショスタコーヴィチの9番を演奏した由。こちらにも行きたかったが、火曜日昼間の公演で断念せざるを得なかった。。。

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岡山フィル特別演奏会 ニューイヤーコンサート2018 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 ニューイヤーコンサート
モーツァルト/歌劇「魔笛」ハイライト
~第1幕~
 序曲
 No2.アリア「私は鳥刺し」
 No.3アリア「なんと美しい絵姿」
 No.4レチタティーヴォとアリア
 「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」
 No.7二重唱「愛を感じる男の人達には」
~第2幕~
 No.14アリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
 No.15アリア「この聖なる殿堂では」
 No.17アリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」
 No.19三重唱「愛しい人よ、もうあなたにお会いできないのですか?」
 No.20アリア「パパゲーノ様が欲しいのは一人の可愛い娘っ子」
 No.21二重唱「パパパの二重唱」
 No.21フィナーレ「太陽の輝きが夜を追い払い」
  ~ 休 憩 ~
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」
 
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ザラストロ:渡邉寛智(バス)
タミーノ:柾木和敬(テノール)
夜の女王:阪本清香(ソプラノ)
パミーナ:池田尚子(ソプラノ)
パパゲーナ・案内役:川崎泰子(ソプラノ)
パパゲーノ:鳥山浩詩(バリトン)
ゲストコンサートマスター:依田真宣


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 「パースペクティヴ!!」
 この素晴らしいホールに岡山フィルあり!


 今日の後半のシェエラザードの演奏を、無理やり一言で表すとこれに尽きるのではないかと思う。

 ベートーヴェンやブラームスで魅せたどっしりとした構築美でもなく、去年の「ばらの騎士」組曲で魅せたロマン派の黄昏の燃えるような美しさでもなく、今日のシェエラザードはとにかく華やかにオケが鳴りまくった!開館25年を超え、熟成の極みの時期に入った岡山シンフォニーホールの絶好の音響を最大限に味方につけ、オーケストラのポテンシャルとホールのポテンシャルが見事に融合され、3Dの空間の中に遠近取り混ぜて様々な音が振って来る、このホールならではの体験ができた。 

 聴き慣れているはずのシェエラザードから、思いもしなかった音があちこちから聞こえてきて、宝石箱をひっくり返したような、どころの話ではなく、このホールそのものが美音の鉱脈であることを、今回ほど心底実感できた演奏会は無かったです。このホールには、やはり管楽器の高音や様々なパーカッションが登場するような華やかな曲が似合います(予算はかかるんでしょうが・・・)。


 シェレンベルガーさん、ベートーヴェン・ブラームスが中心レパートリーだと思っていたのですが、オーボエ演奏の録音ではフランス・イタリアものも得意だし、今回から3回連続で続くロシアものシリーズの1回目は、これ以上無いぐらいに見事に料理。今回のモーツァルト、R=コルサコフもそうですが、曲のイメージが明確で音楽が体に浸透してくるような心地よさがあります。まだまだ少なくとも10年は岡山でやっていただくレパートリーがありそうですね(笑)


 この日の編成は12型2管編成。1StVn12→2ndVn10→Va8→Vc8、上手奥にCb6本。
 お客さんの入りは8割ぐらい入ってたんじゃないでしょうか。依然として好調な動員が続いています。
 
 この日のコンサート、開演前からチェロアンサンブルにシェレンベルガーさんのプレトークと、イベントが目白押しだったんですが、予定外のことが起こって、ホールに着いたのが開演約30分後・・・。前半を聴くことは諦めていたんですが、「魔笛」のハイライトが1時間を超えるボリュームがあったので、第2幕から入れてもらえました。
 もう演奏が始まりそうだったので自席に行くのを諦め、おそらくこのホールの中で屈指の「音の悪い席」である(爆)、2階席の一番奥で聴いたんですが、6名の声楽の皆さん、その位置までよく声が届いていました。(自分が遅れたために)いきなり夜の女王のアリアから聴くことになったんですが、一気に惹きこまれた。
 
 オペラ・アリアのハイライトとはいえ、振り付けを交えて歌を歌われていて、特に鳥山さんのパパゲーノはその場面が見えるようでした。女声の3名は歌の素晴らしさはさることながら、3名とも抜群のヴィジュアルに加え、それぞれの役にあった佇まいで、僕のようにオペラにあまり馴染みのない人間には、これは大切な要素だったと思う。
 第2幕だけでも見られて本当に良かった。
 
 休憩後にいつもの定位置に戻り客席を見渡して驚いた。若い年齢層のお客さんが多い。60歳~70歳ぐらいが主要客層なのは他のオーケストラと同様だが、30代~40代ぐらいの年齢層もそれに対抗できるぐらいのボリュームがある。
 
 後半のシェエラザードが始まったのは開演から1時間20分が経過していた。シェレンベルガーが組むプログラムは、毎度毎度ボリュームが満点である。聴きに来た客を絶対に満足させるという意思が伝わってくる。
 音響の悪い席からいつもの定位置に来ると、このホールの美点:音の広がりやどんな大音量でも包み込んでしまう懐の深さ、そして細かい息遣いまで聴こえて来る繊細さを実感した。前半、音の良くない席に一度座ることで、かえってこのホールのポテンシャルを明確に実感した。
 
 今回のコンサートマスターはゲストの依田さん。東京フィルのコンサートマスターのようだ。僕は、昨年10月に就任した高畑コンマスのソロを楽しみにして来たのだが、少々肩透かしを食らった感じ。予定が合わなかったのでしょうけど。
 しかし、この依田さん、この年齢(たぶん20代後半?)で東京フィルのコンマスに採用されるだけあって、凄いソロだった。ソロがある時間帯は「これはもう、ヴァイオリン協奏曲だな」と思うほどの存在感があった。
 
 シェエラザードは和声学や管弦楽技法の大家でもあったリムスキー=コルサコフ渾身の名作で、色々なオーケストラが「勝負曲」にしている曲。それだけに去年の京響をはじめ、過去に生演奏に接した回数が多い曲。

 僕はこの曲について、愛の物語ではなく、人間不信に陥り暴君と化した権力者を、物語の読み聞かせセラピーで癒していく話、だと考えている。だから、アラビアンナイトの物語の上っ面をたんに音楽で語っているだけでは凡百の演奏に埋没してしまう。童話や昔話の中に、物事の心理や人間の業や性が描かれているように、この曲にも権力と人間の危険な関係、自我の崩壊によって新たな人格の再生があることなどを描いているように思う。
 そういう視点で聴いても、シェレンベルガーのタクトさばきは見事だった。

 まず、第1楽章の冒頭からトロンボーン・チューバ、低弦などで提示される狂気の権力者:シャリアール王のテーマが行き場のないエネルギーと、奈落の底へ落ちていく心の闇を描き出していたし、物語を読み聞かせるシェエラザードを表すヴァイオリンのソロも、夢のように美しい一方で、第1楽章から第3楽章までのソロを取る場面では物語の中に溶け込んでいつつも、一歩引いた冷静な目線を感じさせている。これによって、今聞いている世界はシェエラザードが読み聞かせている架空の世界であることを、聴く者の頭の片隅に意識させていた。このシェエラザードを表すヴァイオリンのソロの取り扱いを間違うと、この曲は単なる情景描写の交響詩になってしまう。
 
 個々の場面ではシェレンベルガーさんらしいがっしりとした曲の躯体がありつつも、節回しのこぶしの効かせ方は、フランスオーボエ名曲集やイタリアバロック協奏曲集などの名盤で聴かせる、ロマンと歌心にあふれる鮮やかなオーボエ演奏と通底するものを感じた。
フランス・オーボエ名曲集

フランス・オーボエ名曲集

  • アーティスト: シェレンベルガー(ハンスイェルク),デュティーユ,ベネット,サン=サーンス,プーランク,ボザ,ケーネン(ロルフ)
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2005/12/21
  • メディア: CD
イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集

イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集

  • アーティスト: イタリア合奏団,シェレンベルガー(ハンスイェルク),アルビノーニ,ヴィヴァルディ,サンマルティーニ,A.マルチェルロ
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2010/08/18
  • メディア: CD
 それにしても(冒頭でも書いた通り)、やっぱりこのホールは凄い!こういうパーカッションが華々しく、木管の(特に高音の)饒舌な曲でこそ、本領を発揮する。これまで十数回は生演奏で聴いているこの曲から、これまで聴こえて来なかったことがたくさん聴こえてきた。
 
 第4楽章のシンドバッドの海が荒々しく再現される場面でのハープのグリッサンドが、あれほどクリアに聴こえて来る体験は初めてのことだったし(ハープは朝比奈時代の大フィルの名ハーピストの今尾さんが乗っていた)、その際に何度も打ち鳴らされるシンバルは、振動を利用して擦りあげるような奏法で、嵐の場面を描いていると同時にシャリアール王の頑なな自我の最後の断末魔を現しているような劇的なものだった(その頑なな自我は、タムタムの一撃による倍音の中に消えていったように感じられた)。
 第2主題の金管のファンファーレに呼応して奏でられる、弦のピチカートは、さながら何百台もの竪琴が自分の意思を持って陽気に踊っているようだった。
 
 パーカッション陣も特に第4楽章では隙の無い対話を繰り広げ、金管も迫力満点ながら、デリケートなコントロールとハーモニー重視の姿勢が貫かれていた。特筆すべきは木管で、ソロも見事(ファゴットうま過ぎ!)、合奏も溶け合って素晴らしい音だった。お名前を検索すると今回の助っ人主席にはフリーの方が多かったようで、この中に正式な岡山フィル首席奏者に残ってくれる方がいらっしゃることをお祈りしたい。
 
 弦楽器も好調さを維持、高畑コンマスに代わってからオーケストラの一体感が飛躍的に向上したのだが、今回、客演コンマスが入っても、一体感は失われなかった。
 細かいダイナミクスをごく自然に表現されていることと(息が合う、というのはこういうことかと思う)、弱音部でも一つ一つの音がしっかりと演奏されていて、この曲に関してはffは近景を、ppは遠景を表していることが多く、全体を通して立体的かつパースペクティヴな音楽が、岡山シンフォニーホールの空間に響き渡った。その瞬間のなんという至福の時間であったことだろう。
 とりわけ、第4楽章の燃焼度は相当なもので、聴く者だけではなくオーケストラ奏者自身もみな、カタルシスを味わった演奏ではなかったでしょうか。
 僕は、残念ながら次回(3月)の定期演奏会は仕事のため泣く泣く欠席です。 シェレンベルガー指揮のショスタコーヴィチの5番交響曲は関西フィルで聴いていますが、きっと岡山でも素晴らしい演奏になると思います。迷われている方がいらっしゃたら聴くべし!ですよ。

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