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内田光子 ピアノ・リサイタル 2018倉敷公演 [コンサート感想]

第104回くらしきコンサート
内田光子 ピアノ・リサイタル ~シューベルト ソナタ プログラム~
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第4番 イ短調 D537
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 D840
  ~ 休 憩 ~
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
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2018年11月4日 倉敷市民会館
  自分の瞳が涙で溢れていくのがわかった。心に染み渡るシューベルトの音楽。孤独と死の狭間で奥へ奥へと沈み込んでいく。内田さんのピアノは心を開いてくれているのが分かるから、自分の心もどんどん開かれ、導かれていく。
  帰り道はすごい疲労感。しらないうちにものすごく集中して聴いていたんだなあ。また、こんな体験ができるだろうか。
(以下、後日追記分)
 
 僕はよきシューベルト聴きではない(そもそもよきピアノ聴きですらないのだが・・・)、シューベルトのソナタは19・20・21番が傑作ということで、何度か録音で聴いたことはあったが、だいたい最後までは集中して聞けなかった。ピアノ・ソナタ集全体を見ても、ベートーヴェンのように最後の3大ソナタを頂点に、月光・熱情・ワルトシュタイン・悲愴と、どこから切り込んでも夢中にさせてくれるのに対し、シューベルトは朴訥としていて、内省的で、どれから聴いて行ったらよいのか掴みかねていた。
 
 しかし今回、内田さんのシューベルトはシューベルトの孤独と死生観と美に引きずり込まれるように、一瞬たりとも退屈することはなかった。しぜんと音楽に没頭でき、家に帰ってきてこの3曲を聞くと「これほど美しい音楽だったのか・・・」と茫然自失するほど、魅力的な作品だと感じた。まったく感性が180度変わってしまったのだ。
 
 語弊を恐れずに言えば、内田さんの演奏は、どうしたら聴取が喜んでくれるだろうか?ということは一顧だにしない。自らに正直でとことんまで深く音楽に傾倒し、そして音楽を通じて内田さんという人間すべてをさらけ出している。
 2曲目のソナタ15番が始まるとき、舞台上のライトの照度を上げた瞬間、内田さんは舞台袖に向かって「やめてください」と不快をあらわにした。すぐに会場側が対応すると、静まり返った客席に腕を広げて、とびきりお茶目な笑顔で笑いかけた。ほとんどのピアニストは、その場は我慢してから舞台裏に戻ってから会場の担当者に抗議することだろうが、こんなところまで自分の感性に正直であるところに内田さんの生き方を感じた。
 内田光子を聞きに来る客は、聴取が喜ぶような表面的な音楽は期待していない。特別な体験を期待してきている。会場の雰囲気もそんな空気があった。
 
 たぶん、細部にまで綿密に作りこまれていると思うのだけれど、音楽への傾倒の深さや描く世界のスケール、そして天空を駆けるような自由さに、聴く者は身を委ねるしかない。
 後半のソナタ20番が始まった瞬間の胸が締め付けられるような美しく切ない音楽、いまだにあの瞬間の音楽が頭の中で鳴り響いています
 
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 ほかにも、内田さんの演奏に比べると些細な今回の収穫として、この倉敷市民会館においてピアノ・ソロの演奏を聴く、自分にとってのベストポジションが見つかったことだ。ピアノ・ソロのコンサートを聴くにはこのホールは大きすぎるし、私の好きな2階正面1列目に座っても演奏者が遠すぎて蚊帳の外に置かれたようになってしまうのが悩みだったが、今回の席は拍手の聞こえ方からして迫力が違った。ツイメルマンの時もこの席で聞いて居ればよかったのになあ、と思った。
 座席選択は人によって感じ方が全く異なるので、詳しい場所は書きませんが、面識のある方から聞かれれば答えますので、また声をかけてください。
 
 アンコールはシェーンベルクの6つの小品から第2曲。

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読響ハートフルコンサート in 岡山 [コンサート感想]

読響ハートフルコンサート in 岡山
2018年10月26日  岡山大学病院 入院棟スカイラウンジ



 当分パソコンに向かえる時間が、寝る前の10分ぐらいしか無くなってしまいました、まあでも生活自体は結構充実しています。コンサートに行くペースも落ちますし、更新はもっとゆっくりになりますが、ぼちぼちと更新していきますので、よろしければたまに覗いていただけると嬉しいです。
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 岡大病院に行ったときに、この読響ハートフルコンサートのポスターを見て、時間が合えば行ってみようと思っていたコンサート。本来は入院患者さんらの福利厚生のためのものかもしれないが、読響の奏者の演奏を聴ける機会は貴重。
 会場は、入院棟の11階にスカイラウンジがあり、入院患者と見舞いの方との面会や、長期入院者のリフレッシュの場として提供されているスペース。この日は入院患者さんを中心に、150人ほどが集まっていた。
 読響の皆さんは、さすがに厚みのある濃厚で緊密なハーモニーを聞かせ、3年前の読響大阪定期の第九(当時はまだザ・シンフォニーホールで開催されていた)の冒頭での、厚みがありつつもシルキーな弦の音に鳥肌が立ったのを思い出した。弦楽四重奏サイズでも、読響のエッセンスを感じさせられ、聞きに来てよかった。
 薄田さんは岡山のご出身で(薄田泣菫とつながりがあるのかな?)、岡山のエピソードを交えながら曲紹介をされていた。

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I am a SOLOIST あなたも岡山フィルと共演しませんか XⅣ [コンサート感想]

I am a SOLOIST あなたも岡山フィルと共演しませんか シリーズXⅣ
第一部
岩崎 史(Vn) メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲から第1楽章
奥原 幸(Vn) サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番から第
※所用要により、筆者はここから参加
片岡 健都(Pf) ハイドン/ピアノ協奏曲第11番から第1楽章
天野 響(Pf) モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番から第1楽章
萩谷 奈々子(Pf) シューマン/ピアノ協奏曲から第1楽章
第二部
ゲスト演奏:松本 和将
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番
指揮:村上 寿昭
コンサートマスター:高畑壮平
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 所用によりヴァイオリンの2名の演奏を聴くことは叶わなかった。実は、お目当ては松本和将さんのピアノだったのだが、ピアノの3名の演奏も大いに楽しめた。
 片岡さんのハイドンはとっても清新な演奏で、彼の心の純粋さがにじみ出ているようだった。第2部の松本さんのトークにもあったように、「経験を積んでいくと出せない音がある」まさにそんな音楽だった。
 天野さんは中学生のようだが、この年齢でこれだけモーツァルトが弾けるというのは驚異!暖かみのある音は師匠の一人である関本さんの影響かも、関本さんのモーツァルトもとても暖かみのある音楽だった。
 萩谷さんは大学生で、さすがにこの年齢になると表現の幅も色彩も豊富になる。堂々たる演奏だったが、オーケストラに合わせるような機会がもっと与えられれば(それはとても難しいことだけれど)、もっと良くなるように思う。
 もう一つの注目点でもあった、岡山フィルの伴奏だが、これはもう見事というほかなかった。10月から採用になる7名の新首席奏者は居ない状態で、客演首席もホルンの蒲生さん(大フィル)とチェロの田中さんなど少数、それでもこれほどの演奏を聴かせてくれたのは、指揮者の村上さんの手腕も大きいとは思うが、やはりシェレンベルガー時代に入ってからの蓄積がものを言っているように思う。
 私自身5月の定期演奏会以来、岡山フィルを聴く機会が無く、フルサイズのオーケストラの演奏会自体も6月の日本センチュリー響のブルックナー7番以来で、体全体を包むようなオーケストラ・サウンドに飢えていたのだが、ハイドン・モーツァルトで聴かせた愉悦あふれるピュアなサウンド、シューマンで聴かせた重厚かつ芳醇なサウンドに酔いしれた。

 個々の奏者ではオーボエの沼さん、クラリネットの松本さんが光った。特にチャイコフスキーでのオーボエのソロは見事だった。ここに、10月からは首席奏者が加わって、オーボエの工藤・沼、クラリネットの西崎・松本という布陣は、在阪・在広オーケストラにも対抗できる布陣ではないだろうか。
 実は、グリーグのコンチェルトの冒頭のピアノ→木管のソロが終わった後の北欧の景色を思わせるような部分で、パート同士の連携の足並みが乱れが見られたのだが、村上さんの指揮はいかにも斎藤秀雄直系で、小澤さん秋山さんの薫陶を受けたバトンさばきですぐに収拾された。指揮者だけでなく、ここでのコンマスの高畑さんが、決して「俺についてこい!」という感じではなく、「大丈夫大丈夫、呼吸を合わせていこう」という感じの落ち着いた対応をしているのが印象的で、なるほど、シェレンベルガーさんが三顧の礼で首席コンマスに迎えたは、こういうことだったか、と高畑コンマスの楽団を導いていく手腕を感じられた。
 5年ほど前までの、時折音が固くなったり、音楽の生気が物足りない場面があった岡山フィルとは、もう別のオーケストラだ。音楽の瑞々しさや生気溢れる息遣いは、岡山フィルに深く刻まれている。
 さて、第2部の松本さんによるチャイコフスキーの1番コンチェルト。オーケストラに導かれて、ピアノの和音の跳躍を聴いた瞬間、涙腺が緩むほどに感激した。これが世界レベルの輝かしい音なのか。スタインウェイが喜んで鳴っているようだ。
 松本さんは終始、たいへんな熱演で、プロ奏者によるエキシビションというテンションではなく、まるで定期演奏会のメイン曲のようだ。オーケストラも松本さんに呼応して、勢いのある充溢した演奏を聴かせ、特に第3楽章ではソリストとオーケストラの音楽が互いを刺激し合い、ステージと会場の熱気がシンクロする幸福な時間が訪れた。コンマスの高畑さんが笑みを浮かべ、指揮者の村上さんが音楽に酔いしれる様な表情を浮かべていたことが、このコンチェルトの演奏の充実ぶりを顕著に表していたように思う。

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渡辺克也 オーボエ・リサイタル [コンサート感想]

渡辺克也 オーボエ・リサイタル
 
クロンマー/オーボエ四重奏曲第1番ハ長調
クルーセル/ディベルティメントハ長調
レイハ/オーボエ五重奏曲ヘ長調
 
オーボエ独奏:渡辺克也
弦楽四重奏:はやぶさ弦楽四重奏団
2018年9月1日 岡山バプテスト教会
 これは本当に掘り出し物(といったら語弊があるかな)のコンサートでした。
 アルテゾーロ・クラシカの店長が「この渡辺さんのオーボエは絶対おすすめです」と太鼓判を押していたので、まずCDを購入。さっそく聴いてみると、ふわっと広がるカラフルで聴く者を幸福で満たしてしまうような音色に魅了され、「これはコンサートにもいかねば」と。
 
 実演の渡辺克也さんのオーボエの音もとにかく素晴らしかった!!華があってカラフルでパワフルで、一瞬で場の空気を換えてしまう。
 岡山と言えば、我らが街のマエストロ、シェレンベルガーさんのオーボエもカラフルでまばゆいばかりの色彩を放つのだが、シェレンベルガーさんがハプスブルグ家のシェーブルン宮殿の色彩と華やかさだとすれば、渡辺さんのオーボエの音は同じ色彩の華やかさでも、ちょっとシックな色使いというか、ヨーロッパの森を連想させるような音。例えるならノイシュヴァンシュタイン城のインテリアの華やかさだろうか。 
 特にハイトーンの音の伸びの良さは爽快かつ重厚で、永遠に聴いていたい気持ちのいい音楽を奏でられていた。
 
 渡辺さんの経歴は、もの凄いもので、東京芸大在学中に新日本フィルに入団、その後ドイツに渡ってヴッパータール響、カールスルーエ州立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ歌劇場管の首席奏者を務めた、おそらく日本人オーボエ奏者としては宮本文昭さんと並ぶ実績の持ち主。
  こんな凄い方が、なぜ岡山に来てくれたのかというと、新日本フィル財団中に、岡大交響楽団のトレーナーをしていたことが縁で、当時の同団のオーボエ奏者だった方が熱烈に招聘して実現したとのこと。招聘するの方の情熱も凄いが、まだ20代の頃に教えていた大学オケの縁を大事にされている渡辺さんの人間性の大きさにも感銘を受ける。
 
 はやぶさ弦楽四重奏団は、岡大交響楽団OB奏者で結成されたアマチュアの弦楽カルテットで、コンサートの前は『渡辺さんの伴奏として、アマチュアのカルテットでは物足りないのではないか』と危惧していた。
 確かに、プロの奏者には技術的な面では及ばない部分はあったが、音楽を鑑賞するうえで興を削がれたるすることは全くなかった。それは、渡辺さんも演奏後に称賛されていたように、このコンサートに向けて充分な準備をして来られていた(と一口で言っても、仕事や家事、子育てに追われる一般人が、技術を維持するだけでも大変なのに、2時間ものコンサート・プログラムの曲を水準以上に仕上げてくるというのは本当に大変なことだと思う)、ということもあるのだけれど、何といっても渡辺さんと、はやぶさ弦楽四重奏団の奏でる音楽の表情が本当に豊かで、フレーズやアクセント、ダイナミクスの処理(特に音を大きくしていく場面)、楽器同士の掛け合いなどなど、楽曲の一つ一つのアクションに込められた意味を十分理解・咀嚼して、聴衆を飽きさせなかったことが大きいと思う。
 クレーセルのディベルティメントで、彼らの瞬発力のある表現、レイハのオーボエ五重奏曲(この曲、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」に似たフレーズが展開していく、なかなかの名曲)でのとろけ合う様なハーモニーは本当に見事だった。
 渡辺さんのはCDでも楽しめます。こちらはミラノ・スカラ座のトップ奏者からなる弦楽四重奏団との共演。録音は、あのカラヤンも愛したベルリン・イエス・キリスト教会。間違いなく現役日本人オーボエ奏者最高峰の演奏で、世界のオーボエ奏者の中でもトップの演奏でしょう。絶対にお勧めです!!
Wings / Katsuya Watanabe, Oboe [輸入盤] [日本語帯・解説付]

Wings / Katsuya Watanabe, Oboe [輸入盤] [日本語帯・解説付]

  • アーティスト: 渡辺克也,ライヒャ,クルーセル,クロンマー,ヨハン・クリスチャン・バッハ,武満徹,クライディ・サハチ,ステーファノ・ロ・レ,シモニーデ・ブラコーニ,サンドロ・ラッフランキーニ
  • 出版社/メーカー: Profil / King International
  • 発売日: 2018/06/21
  • メディア: CD
 実力があってもCDがなかなか出せない今のご時世にあって、これほどのラインナップの録音が出せるというのは、ヨーロッパでの渡辺さんの評価の高さが伺い知れます。
 いや、本気で全録音のCDを買おうかしら・・・

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I am a SOLIST から巣立った演奏家たち Vn:岸本萌乃加、Cl:西崎智子、Pf:梅村知世 [コンサート感想]

Jホールレインボーコンサート Vol.57
「I am a SOLIST」 から巣立った演奏家たち
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ヴァイオリン:岸本萌乃加
 イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番から、第1,2,4楽章
 モンティ/チャルダッシュ
クラリネット:西崎智子
 ウェーバー/グランド・デュオ・コンチェルタント変ホ長調
ピアノ:梅村知世
 シューマン/アラベスク
   〃  /幻想小曲集から飛翔
 ショパン/バラード第1番ト短調
 ショパン/英雄ポロネーズ
 シューマン(リスト編曲)/献呈
トリオ
 ミヨー/クラリネット、ヴァイオリンとピアノのための組曲
2018年8月21日 岡山大学Jホール
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 「I am a SOLOST」というのは、オーディションを経て、岡山フィルをバックに、岡山シンフォニーホールでコンチェルトを演奏するという企画。オーケストラをバックに最初で最後のつもりで出演するもよし、将来を嘱望される地元のジュニアや若手奏者たちが登場するもよし、非常に間口が広いイベントだが、今回のJホールでのコンサートでは、将来を嘱望され登場した地元のジュニアや若手奏者たちのうち、本当にプロの「SOLOIST」として飛び立った人たちが登場した。
 岸本さんはジュニアの頃からすでに地元では、その豊かな才能が話題で、岡山フィルだけでなく、岡響や倉管といった地元のアマチュア・トップオケのソリストに招聘されて、すでにファンが多く付いている。日本音コン3位という実績もある。
 イザイの2番ソナタを聴き、「これは、すでにプロ・オーケストラ奏者として呼ばれても充分に仕事が出来る方だな」と感じた。高音の抜けが良く、一方で低音の響きが太くて、彼女の演奏でブラームス、あるいは十八番のシベリウスのコンチェルトを聴いてみたい!と思わされた(岡山フィルの定期演奏会への招聘を!ぜひ!)。
 将来はソリスト1本で行かれるのか、室内楽かあるいはオーケストラへの就職を目指すのか、今ちょうど岐路に立っているところかもしれない。出来れば、国内外の有力オーケストラのコンマスとして活躍しつつ、ソリストとしても活躍して岡山でも年に1回はリサイタルを開いてほしいと思う。
 西崎さんは、中高生時代から地元岡山の管楽器サークルの中で名前が知られた存在だったそうだが、現在は東京を拠点に活躍され、時々岡山フィルにも客演されていた。今年10月には正式に岡山フィルの初代クラリネット首席奏者に就任予定。
 演奏されたウェーバーの「グランド・ヂュオ・コンチェルタント」は、音源も含めて初めて聴いた。西崎さんご自身「ピアノパートが本当に大変で」と仰っていたが、クラリネット・パートもなかなかに大変そう。しかし万全のテクニックで堂々たる演奏。クラリネットの表情豊かな世界を堪能した。クラリネット協奏曲ぐらいしか知らなかったウェーバーの作品がもっと身近になった。
 岡山フィルも、西崎さんのような首席奏者の技を、一般市民に向けて、発表する場を設けてほしい(今年の岡山国際音楽祭では、岡フィルの方々の出番がかなり増えたが、全然足りない)、プロのクラシック音楽の奏者の集客力の凄さは、大阪クラシックなどのイベントで証明済み。仕掛け方次第だと思う。
 話を戻すと、彼女のような実力の持ち主を首席奏者として招聘出来て、岡山フィルの将来が本当に楽しみです。
 最後は、梅村さん。すでにCDも発売、大阪の名門ホール、ザ・シンフォニーホール主催公演のリサイタルにも出演されている。
 与えられた持ち時間(恐らく30分)を最大限に生かして、ショパンのバラード1番を中心に据えたシンメトリーな構成で、聴衆に強烈な印象を残した。
 フォルテシモの場面では、ピアノが鳴る、というよりステージの床ごと鳴る迫力、それでも常に気品を湛えた表現に魅了された。良きピアノ聴き・ショパン聴きではない自分だが、ショパンの余りにも甘くてロマンティックな世界に没入しすぎることがない梅村さんの演奏は、ショパンが苦手な僕のような、『聴き手が置いていかれる』ことが無かった。
 最後はクラリネット・ヴァイオリン・ピアノによるトリオでのミヨー/クラリネット、ヴァイオリンとピアノのための組曲。一度生演奏で聴いてみたかった曲で(大阪クラシックで、ブルックス・トーンさんらの公演に行くつもりで予習までしていたが、聴きに行けなかった・・・)、映画音楽のようなとても聴きやすい曲。生演奏で聴いてみると、巧みな和音構成で飛翔感・透明感があり、一気に好きになった。
 3名とも、演奏も素晴らしかったうえに所作や雰囲気に輝きが感じられ、テクニックや表現力だけでなく、プロとして成功するためには、最後は人間力、人を魅了する力だと思った。お昼下がりの軽めのコンサートという企画だったが、3名の方の誠実な演奏に立ち去りがたい思いに駆られ、大学内の図書館に併設されているカフェで、しばし余韻に浸った。
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戸澤采紀ヴァイオリン・リサイタル 岡山(早島)公演 [コンサート感想]

戸澤采紀ヴァイオリン・リサイタル 岡山(早島)公演
モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ第18番
ミルシテイン/パガニーニアーナ
イザイ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番
 ~ 休 憩 ~
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調
プーランク/ヴァイオリン・ソナタ
ヴァイオリン:戸澤采紀
ピアノ:丸山晟民
2018年8月10日 早島町町民総合会館ゆるびの舎
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 いやー、すごいもんを聴いてしもうた。今夜も若き才能にひれ伏した。こんな高校生が居ていいのか?というほど完成されたヴァイオリンに圧倒された。
 1曲目のモーツァルトは庄司さんのリサイタルの際にも1曲目に持って来ていた曲。なかなかかわいらしい曲で、可憐な十代の天才ソリストの演奏を堪能して聴いていた。
 しかし、2曲目からが凄かった。ミルシテインのパガニーニアーナは、例のパガニーニのカプリス第24番を「それでは物足りない」とばかりに、20世紀の大巨匠のミルシテインがさらに難しく編曲したような曲。技術的にまったく綻びは見えなかったことはおろか、変奏が進むごとに変化する多彩な表現に魅了された。この時点で、「これは天才少女の演奏を聴きに来たんじゃない。一人の1人前のソリストとして聴かないと」という気持ちにさせられた。
 3曲目のイザイは、百戦錬磨のプロの奏者でも大きな挑戦と位置付ける曲。6曲ある無伴奏ソナタだが、4楽章形式の第2番から第6番へかけて、よりシンプルに、より難しくなる。戸澤さんは完全に曲を自分のものにして、静寂をも支配するような圧巻の演奏。第1楽章は「夜明け」と名付けられているが、宇宙的なスケールを感じたし、第2楽章の「田舎の踊り」も素朴な田舎の祭りというよりは、神々の降臨を呼ぶような踊りに感じた。演奏終了後、会場で「ほお~」というため息が漏れたのが印象的。
 後半の1曲目はベートーヴェンのソナタの8番。この演奏で彼女がもう完成されたソリストであることを確信させられた。音楽の骨太さ、舞台上で発するオーラ、ベートーヴェンに必要な要素はすでに兼ね備えられていた。この曲の第3楽章で、大きく盛り上がった後に休止がある(つまり、誤って聴衆が拍手するポイントでもある)のだが、そこで客席に正面から顔を向けて、その彼女の視線とオーラに支配されたように客席の時間が止まった瞬間には鳥肌が立った。
 最後のプーランクのソナタも、なかなかに激しく、そして難しい曲。伴奏者の丸山さん(東京芸大在学中)の演奏も素晴らしく、プーランクこの曲に込めた、友人の死への悲しみや戦争への怒りを、2人の体当たりな演奏で見事に表現されていた。
 戸澤さんは、東京シティフィルのコンマスで、モルゴーアQのメンバーの戸澤哲夫さんのご息女。現在、東京芸大附属高校の3年生。早島公演は、9月の浜離宮朝日ホールでのリサイタルに先駆けての疲労だったとのこと。十八番はシベリウスのヴァイオリン協奏曲だそうなので、手の届かないところに行ってしまう前に、岡フィルさん、来年あたりシベリウスのコンチェルトで定期演奏会に招聘、なんてどうでしょうか。
※追記
今回のリサイタル(8月岡山、9月東京)に向けた戸澤さんのインタビューです。
 なんと、戸澤采紀さんはオーケストラ奏者志望で、ベルリン・フィルに入団するのが夢なんですね。マーラーの交響曲を全曲演奏するまで死ねない、というほどマーラ好きでもある。実力が高くても入れるかどうかはわからないのがベルリン・フィルですが、彼女なら大丈夫だと思ってしまいます。

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福田廉之助 ヴァイオリン・リサイタル [コンサート感想]

ルネス・クラシックシリーズVol.7
福田廉之助 ヴァイオリン・リサイタル
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第7番
ヒンデミット/ヴァイオリン・ソナタ第2番
 ~ 休 憩 ~
ストラヴィンスキー/ディベルティメント
サン=サーンス(イザイ編曲)/ワルツ形式のカプリス(6つの練習曲第6番)
 5月の岡山フィルの定期演奏会でチャイコフスキーのコンチェルトで、度肝を抜く完璧な演奏を聴いて以来の福田さんのコンサートでした。
 
 彼は本当に美音の持ち主で、高音の伸びと艶やかさ、中低音のまろやかさ、どの瞬間をとっても聴いていて気持ちいい。
 ヒンデミットの無伴奏の2番は、国内のオーケストラ奏者の方の演奏を聴いたことがあったのだが、福田君の方が1枚も2枚も上手の堂々たる演奏だった。
 後半の、イザイが編曲したワルツ形式のカプリスも、ハイテンポでノリノリのリズムで弾いて、観客を熱狂の渦に誘い込む一方で、勢いに任せて弾くような場面は一切無く、人一つの音符を確実にとらえていくのは、本当に聴いていて気持ちがいいです。
 
 一方で、彼が『怪物』ではなく、18歳の進化の途上にある若者であることが分かったのはベートーヴェン。ベートーヴェンらしい高潔な旋律をぐいぐい推進していく演奏は見事な一方で、第2楽章のような音譜の密度が薄くなる場面では、聞き手を惹きつける続けるような吸引力に不足していた。超一流のヴァイオリニストは、こういう場面でこそ、一層密度の濃い演奏を聴かせるのを思うと、この辺が課題なのかな?って、ワタクシ、物凄い難しいことを要求していますね。それぐらい、18歳の彼が現在到達している境地が物凄いということだと思う。
 
 何年後かに、オーケストラとの共演でどっしり構えた濃密なベートーヴェンやブラームスのコンチェルトを聴ける日を楽しみに待ちたいと思います。
 
 彼は僕よりも20歳ほど年下だから、僕が85歳ぐらいまで長生きできれば、彼がどこまでの境地にたどり着いたのか、見届けることができます。ずっと見続けていきたい芸術家がいる、というのは本当に幸せなことです。

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ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル 岡山公演 指揮:高原守 Cl:橋本杏奈 [コンサート感想]

ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル 岡山公演
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調「軍隊」
ハイドン/交響曲第8番ト長調「夕べ、あらし」
 ~ 休 憩 ~
バッハ/管弦楽組曲第3番より アリア
モーツァルト/クラリネット協奏曲イ長調
指揮:高原 守
ヴァイオリン独奏&コンサートマスター:ギオルギー・ヴァルトチェフ
クラリネット独奏:橋本 杏奈
2018年7月20日 岡山シンフォニーホール
 
 会場は6割程度の入り。招待客が多いようで、ロビーで挨拶や会話をする人が多く見られたが、「家の方は大丈夫だった?」「〇〇さんのところは浸かったみたい」というような、安否確認の会話が多かったように感じた。
 開演に先立って、指揮者の高原さん(岡山出身)と楽団員たちの思いのこもった、 西日本豪雨の犠牲者追悼のための、バーバー/弦楽のためのアダージョが演奏された。
 
 このコンサートは、まずは橋本杏奈さんの見事なクラリネットに触れないわけにはいかない。まだ高校生といっても通用しそうな(失礼!)童顔の御姿からは想像できない、大人の演奏を聴かせてもらった。ホールをビリビリと震わせる低音から、天衣無縫の高音へと駆け抜けるグリッサンドの場面では鳥肌が立ちっぱなしだった。 
 
 オーケストラの方は、基本編成が!stVn6→2ndVn3(本来は4人)→Va3→Vc3、上手奥にコントラバス1本の弦5部に、1本~2本の管楽器が入る。
 ニューヨークの少人数のアンサンブルといえば、オルフェウス室内管が挙げられるが、オルフェウス室内のような鋭く切れ込んでいくような場面は全くといっていいほど無くて、いい意味でも(悪い意味でも?)、おおらかで1930年代の青春のアメリカン・サウンドをパッケージして運んできたような音楽を聴かせてくれた。アンサンブル自体は詰めが甘くて、アインザッツが揃わない場面もしばしばみられるものの、それを補って余りある透明感と懐かしさが同居した、抗いがたい魅力あるサウンドがこのオーケストラの特色なのだろうと思う。
 今回は、ハイドンのシンフォニーが聴けたことが収穫。このホール、いや岡山でハイドンを聴く機会は本当に限られる。いわゆる「朝」「昼」「晩」三部作の最後の曲である第8番。コンチェルトグロッソの形式の楽器同士の対話を大いに楽しんだ。
 最後はアンコール3曲。アンダーソンをはじめとしたアメリカンなピース。こういう曲で客席を楽しませるのは流石にこなれていて、客席も大盛り上がりだった。最近、何かにつけ考え事が多く、オーバーヒート気味だった自分の頭の中が、不思議とスッキリするような演奏だった。No Music , No Life !
 

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日本センチュリー交響楽団第226回定期演奏会 指揮:飯森範親 [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第226回定期演奏会
ワーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」より  聖金曜日の音楽
~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調(ハース版)
指揮:飯森 範親
コンサートマスター:松浦奈々
2018年6月14日 ザ・シンフォニーホール

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 梅雨とは思えないカラリとした気候の中、ザ・シンフォニーホールの音響と、この気候を味方につけ、センチュリーの極上の美しい響きが印象に残ったコンサートとなった。
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 配置は12型の対向配置。1stVn:12→Vc:8→Va:8→2ndVn10、コントラバス6本は舞台最上段に横一列に並ぶ。ウィーン・フィルが黄金の間でやる配置。また、金管は下手からホルン→トランペット→トロンボーン→ワーグナーチューバ&チューバ。ブルックナーでは、この配置の利点が遺憾なく発揮された。お客さんの入りは8割程度。
 プログラム解説によると、ブルックナーが尊敬するワーグナーの最晩年(1882年)の傑作「パルジファル」からの音楽、それと同時期に書かれたブルックナーの交響曲第7番(1883年)を取り上げる、特に、ブルックナーの7番の第2楽章がワーグナーへの哀悼の意を示した音楽という繋がりがあるようだ。
 ブルックナーに比べると、やはりワーグナーの音楽は隙がなく、冗長さも皆無。ワーグナーの傑出した才能を感じるとともに、一方で不器用で愚直なブルックナーがこの7番で神話の領域までの高みに達したことを感じさせられる、終わってから振り返ると、よく考えられた絶妙のプログラミングだった。
 センチュリーのハイレベルなアンサンブルと高潔な響きは健在。毎度毎度ため息をつきながら感心する。ブルックナーに対する期待も否応なしに高まるというもの。
 そのブルックナーの7番開始前。空席のあった自分の周りの席が埋まり、1500人、3000個の目が舞台上に注がれる視線が見えるような、何とも言えない重苦しい緊張感が客席を包む。やはり大阪はブルックナーの「聖地」だと思う。この雰囲気だけで鳥肌が立つ。
 その会場の緊張感が伝染したのか、第1楽章では硬い演奏だった印象。いや、一つひとつのフレーズを紡いでいく仕事はさすがセンチュリー響と言うべき精緻な仕事だったし、個々のパートは素晴らしい音を奏でいるのだけれど、どこか緊張が解け切れない、波に乗れない感じが残る。
 しかし、第1楽章終盤から響きに輝きが増し、第2楽章は文句なしの演奏。対向配置+ベースを後方に並べる配置によって、ベースと金管の音が絶妙の塩梅でブレンドされ、極上のサウンド響かせた。
 ここで不思議な感覚に襲われたのが、センチュリーの見通しの良い練りこまれたアンサンブルでこの曲を聴くと、ルネサンス以前のレオナンやペロタンらが作曲したオルガヌム音楽のような響きが感じられたこと。いや、これは自分に原因の一端があるかもしれないのが、OTTAVAで流れたことがきっかけで、作業用BGMとしてオルガヌム音楽を聴いているからそう感じるだけかもしれない。しかし、ブルックナーの音楽が描く「神話的」な世界は、こうした中世的な響きにも秘密があるのかな?とも思う。それもこれも、センチュリーのサウンドが極めて純度の高いがゆえ、気付かされたことだろう。ずっと、永遠に聴いていたい。夢のような20分間だった。
 前半2楽章が、テンポは中庸ながら一つ一つのフレーズを紡ぎ出すように丁寧に描いていたのに対し、後半2楽章は、前半よりもテンポを速めに推進力を増して、マッシヴかつ色彩豊かなサウンドで押していく演奏になった。かといって、決して力づくの演奏にはならずダイナミクスが大きくなるにつれ、ハーモニーは研ぎ澄まされ、ブルックナーが見せたかった世界を鮮烈に見せてくれている感覚があった。飯森さんも、楽員さんも音楽に入り込んでいくのが解る。舞台上で泉のようにこんこんと音楽が涌き出でるかのように、音楽が「創り出されて」いく。第3楽章の中間部で、あまりの儚い美しさに涙腺が緩む。
 第4楽章でもオケと指揮者、あるいはパート同士の対話が密になっていく。弦が艶を放ち、金管は輝きを増す(特にラストのタタタタンタン、というブルックナーリズムの部分の神々しさと言ったら!)、ティンパニーは神の啓示のようにホールを震わせ、それら三位一体となったハーモニーに包まれる時間をかみしめるように聴いた。
 1楽章の硬さと、「まだ余力はあるかな~」という印象から、「もう1日、この定期の本番があれば」と思ったが、僕としては十分に満足する演奏だったことは間違いありません。
 それに対して、会場の反応は・・・悪くはなかったです。でも、必死で拍手する私が若干浮き加減な感じで、「もう一息!」という感じの反応だったのがすごく印象に残りました(笑)
 いやいやいや、もし岡山フィルが岡山でこんなブルックナーを演奏したら、客席は熱狂の渦になるだろう。
 私にとっては滅多に聴けない水準の演奏でも、大阪の聴衆にとっては「ん、まずまずやったな」的なものだったのでしょうか。うーん!大阪でブルックナーを演奏するというのは大変なことだなあ。
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 この日、新幹線に飛び乗ろうと岡山駅に行ってみると、人身事故で車両が新幹線が緊急停車しているため、ダイヤが大いに乱れていた。なんでもボンネットが破損したまま100km以上走っていたらしいという・・・。
 『これは、開演までに間に合わないかな?』と思っていたら、すぐに新大阪行きが到着。久しぶりのJR九州の車両で、岡山出身の工業デザイナー水戸岡さんの快適な座席でスムーズに新大阪に着いた。

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岡山フィル第56回定期演奏会 Vn:福田廉之介 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第56回定期演奏会
グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
 ~ 休 憩 ~
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン独奏:福田廉之介
コンサートマスター:高畑壮平
2018年5月27日 岡山シンフォニーホール
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 前半も後半も「凄い演奏を聴いた」という充実感に満たされたコンサートだった。
 まずは、何といっても福田廉之介さんのヴァイオリンを取り上げずには居られない。去年聴いたリサイタルで「もうこれは、世界中どこへ行ってもプロとしてお金を取れる水準は充分にクリアしている」と瞠目したのだが、そこからさらに深化していた。
 その発せられる音には、選ばれし者しか得られないオーラと『華』がある。第1楽章の転調しながら上昇を繰り返す場面で、オーケストラが様々な楽器で和音で色彩を出していくならば、彼はたった一挺でまばゆいばかりの世界を、オーケストラとともに創ってしまう。
 テクニックは言うまでもない、その色彩・表現力、これが葦原の瑞穂の中つ国、吉備の国から生まれた才能だ!と快哉を叫びたい、とでもいうように地元の会場は沸騰する。新しい首席奏者(候補)たちが奏でる切ない曲想に導かれて第2楽章で見せた内省的な音楽は、10代の青年とは思えない滋味沁みわたる世界だった。
 第3楽章ではテクニック以上に、オーケストラへつけていくセンスが光っていた。岡山フィルもシェレンベルガーがタクトで示す細かいニュアンスやダイナミクスをソリストと共に表現していく。
 演奏終了後は万雷の拍手が鳴りやまない。アンコールはパガニーニのカプリス。福田さんもあのチャイコフスキーのコンチェルトの最終楽章で力を振り絞るような演奏を聴かせてくれながら、涼しい顔をしてパガニーニを弾いてしまう。
 このブログを見ていただいている方には、岡山以外の方も多くいらっしゃると思うのですが、福田廉之介という名前を憶えて損はありません。必ず世界のクラシック音楽ファンなら知らぬ者はいない名前になるでしょう。
 感想は1曲目とメインに移ります。この日の入りは9割ぐらいだろうか。3階には空席が少しあったようですが、1階~2階席は見渡す限り満席だった。岡山フィルの定期演奏会、ずっと好調な集客を維持している。
 編成は座席的にヴァイオリンが見切があるので正確ではないのですが、12型でVa以下2本補強のストコフスキー配置2管編成だったでしょうか?
 今回はオーディションで合格した首席奏者たちの試用期間としてのコンサートでもあったが、どのパートもこの上ない演奏を聴かせてくれ、ソロ演奏の多いチャイコフスキーの5番で、もうこれはほとんど首席奏者披露演奏会といってもいい、華やかな演奏になった。
 グリンカの序曲からエンジン全開。岡山フィル、本当に良く鳴っています。この岡山シンフォニーホールは3月~梅雨入り前の季節までが、最もいい音が鳴るのだ。
 シェレンベルガーさんと通訳兼司会進行役の高畑コンマスとのプレトークで、『チャイコフスキーの交響曲第5番はよく演奏される曲で、ついついルーティンで演奏してしまう曲でもあるのだが、今回は楽譜を見直して、作曲家の狙いや意図をくみ取った演奏になる。新鮮な気持ちで聴いてほしい』というような内容でした。
 たしかに、今日のような王道中の王道の曲は。それだけに実は本当に難しいのだろう。それは聴衆の立場から見てもそうだ。最近の演奏ではヤンソンス&バイオルン放送交響楽団の倉敷公演の演奏が忘れられない。それは僕にとっては生涯聴いたベストコンサートの一つになっているほどだ。聴衆は地元での生演奏だけでかなりの好演を経験しているし、それだけに期待値は上がる半面、期待を裏切られた場合の落胆も大きい。
 しかしシェレンベルガーさんの言葉には嘘偽りは無かった。第1楽章はきっちりと音符を積み上げていくような演奏。この曲の動機となるメロディーを、ドイツロマン派の交響曲のようにソナタ形式の枠を手掛かりに積み上げていく。
 特に弦のボウイングの幾何学的な統一感は見事で、書道で言えば、うったてから止め・はね・はらいまできっちりしている楷書体の墨書を見るような、あるいは発音の良いアナウンサーによるナレーションを聴いているような、「ああ、シェレンベルガーさんらしいな」と思いながら聴いていた。第1楽章のラストはスパッと切る解釈に痺れた。高畑コンマスの存在は、やはり偉大だ。
 
 しかし、単に「ドイツ的・構築的なチャイコフスキー」ではなかった。第1楽章や第4楽章での管・打を中心
に短いリズムを打ち込むトウッティでは、音尻をスパッと切ることで、ストロボが光るような切れ味を出していて、このホールで聴いたサンクトペテルブルグ・フィルの演奏の切れ味を思い出した。
 第2楽章では、感情におぼれ過ぎず、しかしメロディーは大いに歌わせるドラマティックな展開を見せ、金管が奏でる、この曲の「運命の動機」では人間が抗いがたい大いなる力を誇示するように、強烈な音を客席に打ち込んでくる。
 第3楽章も、運命から解放された踊りの中に、不気味にカーテンの陰から「運命の動機」が顔をのぞかせる
不気味な雰囲気がある。
 第4楽章の激しさはどうだ!岡山フィルがこれほど荒々しくなるオーケストラなのか?一方で、金管が裏手に
回っているときの力強くも弦楽器の癒されるようなしっとりとした音にも聴き惚れる。チャイコフスキーの一種病的な世界を描き出していた。
 最後のコーダに入った後の耳をつんざくような金管の打ち込みは、古典派から前期ロマン派で見せるバランス重視のシェレンベルガーとは全く異なるように感じる。第1楽章でドイツ的構築感を感じ取った僕は、この楽章ではロシアのオーケストラのようなパワーにひれ伏すしかなかった。
 所詮、運命には逆らえない人間が刹那の時間に心を預けて踊りに踊るような・・・一種「強制された歓喜」のような荒々しい面を見せながら、最後を迎える。私には、この日の演奏は単なる勝利の凱歌には聴こえなかった。ただ・・ただ・・凄い演奏だった。
 特筆すべきは、ソロを取った各パートの首席奏者たちの見事な演奏。冒頭のクラリネットでの陰影、ファゴッ
トの哀愁。そして第2楽章のソロホルンの柔らかさと、それに答えるオーボエは、ロメオとジュリエットのようだ。第4楽章のトランペットのファンファーレは、運命へ抗うことを諦めさせられる充分な力感が備わっていた。
 それから、コントラバス・チェロのきっちりとした力強いボウイングは、これまでの岡山フィルの音にさらに力強さを加えるものだったし、ヴィオラの分厚さが無ければ、この「躁鬱的」な交響曲の魅力は半減しただろう。
 この岡山フィルの首席奏者というポスト、ファンの私がこんなことを書くのもなんですが、決して待遇がいいわけではないと思われるのですが、それでもこれだけの人材が集まって、これほどの粉骨砕身の演奏を聴かせてくれたことに感謝。早いですが、これからどうかよろしくお願いします。岡山を好きになってください。
 次回の定期演奏会での首席奏者正式就任が本当に楽しみになりました。
※追記
 某SNSに書き込んでいるときに思ったのだけれど、僕にとってチャイコフスキーの音楽はロマンティックで情熱的なイメージでとらえていたのだが、ドイツに生まれ、長くドイツの中心で活躍してきたシェレンベルガーが見るロシアへのまなざしは、フランスのブルボン王朝を模して創られたロマノフ王朝の貴族文化という面と、凍てつくロシアの大地のバーバリアニズムとが同居する存在なのかもしれない。そして、この日の演奏の美しさと激しさはそうしたロシアの持つ両面が強いコントラストで描かれたのかもしれない、そんなことを考えました。

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