So-net無料ブログ作成
コンサート感想 ブログトップ
前の10件 | -

広島交響楽団第25回福山定期演奏会 指揮:小泉和裕 Pf:小川典子 [コンサート感想]

広島交響楽団第25回福山定期演奏会
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
指揮:小泉和裕
ピアノ独奏:小川典子

コンサートマスター:佐久間聡一

2019年2月17日 福山リーデンローズ大ホール
Scan20190217213852_001.jpg

 広響の福山「定期会員」になってからの初めて自分の「定期会員席」で聞くコンサート。天井桟敷ではなく、1階のど真ん中の席で聴く。来年度からは4200円のこの席を3500円で聴けるようになる。お客さんの入りは、2、3階席の様子は把握できていないが、恐らく6割ぐらいの入りだろうか。

 ブログには何度も書いてるが、岡山シンフォニーホールでのコンサートにもチラシを配ったらどうだろうか?公立ホールで県域の違うお客さんに広報するのが難しいのかもしれないが、今回のコンサートには岡山フィルの3月定期のチラシは入っている訳で、その逆が出来ないのは、ちょっと解せない。


 オーケストラの編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型ストコフスキー配置。


 1曲目のドン・ジョヴァンニ序曲。広響がこのホールで演奏する時の1曲目の演奏の際によく感じるのだが、普段は極めデッドなホールを本拠地にしていることもあるのか、残響に手こずっているような、フォーカスが微妙に合わない感じのある演奏。もっとも、このリーデンローズの残響豊富な音響に聴き手の自分が慣れるのに時間がかかることもあるだろう。


 リストのピアノ協奏曲は実は苦手。ピアノ独奏部分は魅力的だが、オーケストラ・パートが(リスト愛好家の方々には申し訳ないが)どうにもイモっぽいというか、こんなに魅力的なピアノ独奏を書けるのに、このオーケストレーションはなんなんだ?との思いを持ってしまう。

 リストのコンチェルトのソリストは小川典子さんで、前回聴いたのが10年ぐらい前の京響と共演した、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディ。その時の感想は『まさに円熟のピアニズム。脂の乗り切った演奏を大いに堪能した』という趣旨のことを書いていたが、その時の印象よりも、ますます表現の円熟味を堪能させてもらった。

 小泉さんの指揮は、ソリストへ挑んだり煽ったり、ということは無く、ときどきそれが物足りないと思うこともあるのだが、今回の演奏は、小泉さんの職人芸と小川さんの会場を巻き込むような存在感と、グイグイと音楽を手動する力が相まって、指揮者・ソリスト・オーケストラの関係性の妙を堪能できた。「ああ、リストのコンチェルトって、こういう風に聞くととても面白い」という説得力に満ちた演奏だった。

 協奏曲、というよりもオーケストラ伴奏付きの「ピアノ組曲」なのだろうな、この曲は。オーケストラ伴奏のバレエ組曲のような、そんな構成になっているのだろう。

Scan20190217214012_001.jpg

 後半はブラームスの交響曲第1番。これはもう小泉さんの『誰がなんと言おうと、これが普遍的なブラームスの世界なんだ』という確信に満ち満ちた演奏になった。今の時期、コンサートゴーアーの間で話題沸騰中のクルレンツィス&ムジカ・エテルナなどが、革命的な演奏を世に問うているが、僕はこの小泉さんが描く世界にも抗いがたい魅力を感じる。

 どっしりとした低音の上に音楽を構築的に積み上げていく重厚で浪漫あふれる演奏。テンポは速めだが、歌うところではじっくりしっとりと歌わせる。それでいて弛緩するところのない筋肉質で充実した音楽だった。

 第1楽章や第4楽章での、各パートが呼応しながら音楽が盛り上がっていく場面では、「そうそう、こういうブラームスが、僕は聞きたかったんだ」と、何度も頷首しながら聴き応えのある音楽を堪能したが、特筆すべきなのは第2楽章。これほど雄大な景色が目に浮かぶような、泣けるほど美しくどこまでも広がるヴィジョンを作り出せる指揮者が、今、どれほど居るだろうか?天井を見上げながらその世界に耽溺した。第2楽章でのコンマスの佐久間さんのソロ、第4楽章の中間部の倉持さんのホルンや岡本さんのフルートなど、どれも素晴らしく、他にも聴きどころはたくさんあったが、この日のコンサートはなんといっても小泉さんの音楽美学の中での出来事、という感が強く、楽団員さんの思いも恐らく同じだったようで、終演後のカーテンコールでは、3回目ぐらいの指揮者を称える「お約束」よりも前に、すでに楽団員が小泉マエストロを称える様子(特に、ヴィオラの安保さんの讃え方がカッコイイ)が印象に残った。広響のこういう雰囲気、僕は好きです。


 アンコールがなかったのも小泉さんらしい。このブラームスのあとに、余計な音楽は不要ということ。15時開演で終演は16時40分。福山駅からビミョーに距離のあるリーデンローズまでは、行きも帰りもあーと屋さんの車に乗せていただき、色々とお話も出来て感謝です。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019
20190201qbt.jpg

J.S.バッハ/3つの主題による4声のフーガ
  〃  /コラール「我が心の切なる願い」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調「ハープ」
 〜 休 憩 〜
シューベルト/弦楽四重奏曲第15番ト長調

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
 Vn:守屋剛志
 Vn:ディミトリ・パヴロフ
 Va:グレゴール・フラーバー
 Vc:松本瑠衣子

2019年2月1日 日本キリスト教団岡山教会

 一流の技術を持った4人が、アンサンブルを磨きに磨き上げ、そして燃焼度100%の本気の演奏をしたら、こんな凄い音楽になる・・・・。守屋さんが倉敷のご出身(しかも真備だったんですね、去年の災害時は心を痛めておられたでしょうね)という縁で、こんなハイレベルのクァルテットの演奏で、室内楽の主要レパートリーを毎年のように聽かせてもらえる。そのことを教会の十字架を目の前にして、文字通り神に感謝した演奏でした。本当に、神々しいサウンドでした。

 今回の会場は日本キリスト教団岡山教会。天満屋のすぐ北というとても便利が良い場所だ。初めて中に入ったのだが、間口に比べて意外に奥行きがあり、建物2階にある礼拝堂のキャパは180人ぐらいか。ヴァイオリンの守屋さんも初めて演奏する会場とのことだった。

 

 会場は満席のうえに丸椅子の補助席まで出る状態で、220人ぐらいは入っていたと思う。舞台右手にはパイプオルガンがあり、オルガンコンサートも行われているとの事。教会と言っても躯体はコンクリートのビルなので残響は少ない。しかし、音は結構芳醇に響き、舞台と客席が近く一体感がある。ただ、空調は普通の業務用エアコンなので演奏中は空調を切らざるを得ず、足元からの冷えが少し堪える(笑)皆さんコートを足に掛けて聴いていた。

 

 カルテットの配置はヴァイオリンが向かい合う対向配置で、これまでのQBTとはヴィオラとセカンドヴァイオリンの位置を入れ替えた感じ。そして、前回、僕が聴いたときとヴィオラのメンバーが変わっていて、そのグレゴール・フラーバーさんは開演前の時間に、客席側と舞台背後でアクションカメラを入念にセッティングをセッティングをされていたのだが、その時の雰囲気がとても気さくそうな印象。


 バッハ2曲はノンヴィヴラートでの演奏。透明感のある純度の高い音が響き合いながら重なり合い、ますます輝きを増していく。まるでクリスタル細工のような、そんな輝きを放っていた。『3つの主題による4声のフーガ』は未完の作品で、バッハ特有の対位法やフーガの幾何学的な音の万華鏡が、突然終わってしまう。これは人間の死、そのもののように感じる。

 それを慰撫するように、アタッカ気味にはじまったコラール「我が心の切なる願い」の美しさと安らぎに心を完全に持って行かれる。


 死と魂の救済を感じさせる演奏の後に演奏された、ベートーヴェンの「ハープ」も素晴らしかった。

 この曲が作曲されたのは交響曲第5番や第6番「田園」、あるいはピアノ協奏曲第5番「皇帝」が作曲さされた、いわゆる「傑作の森」の時期の真っただ中で、やはりこの曲も、この時期のベートーヴェン特有の強い意志と躍動感を感じさせる曲で、バッハの2曲や後半のシューベルトの作品に感じる死の影を「死など何するものぞ」と吹き飛ばすような楽曲に感じた。

 QBTの演奏はダイナミクスの切り返しがとても鮮やかであると同時に、磨き抜かれた美しさやしなやかさを感じさせてくれ、生命力あふれる演奏だった。特に第3楽章の推進力には圧倒された。ベートーヴェンはやはり当時の最先端の音楽だったことを感じさせる


 後半のシューベルトは、輪をかけて熱気のある演奏になった。この曲、45分も要する大曲で第1楽章だけで20分近くのボリュームがあるのだが、全く長く感じない。音のダイナミクスの付け方の鮮やかさ、特に弱音部分での表現の多彩さは、神業としか思えない。それでいてとても芳醇な音楽が聞こえてくる。微に入り細に入り作りこまれていて、これはやはり世界レベルのカルテットだからこそ聴けるのだと思う。

 シューベルトの晩年(といっても30代の、そうそう、ちょうど守屋さんが「シューベルトが亡くなった年齢に、僕も達してしまった」とプレトークでお話されていました)の曲には死の影を感じる曲が多く、この曲も孤独や死の雰囲気は多分に感じるのだが、このQBTの演奏は暗い死のイメージではなく、浄化と救済のイメージに重なる。

 第3楽章のスケルツオからタランテラのリズムが印象的な第4楽章への燃焼度の高い演奏は凄いとしか言い様がないぐらいに圧倒された。決してノリや勢いだけなく、音の重なりや掛け合いすべてに計算しつくされ作りこまれた土台の上に、その場の聴衆も巻き込んで「創造」されていく。冒頭にも述べたとおり、岡山でこんなコンサートが聴けることを感謝したひとときだった。


nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

岡山フィル第58回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 柴山昌宣・森野美咲ほか [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第58回定期演奏会 ニュー・イヤー・コンサート
〜きらめく、モーツァルトの響き〜
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
 〜 休 憩 〜
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」ハイライト
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
コンサートマスター:高畑壮平
歌劇キャスト
 アルマヴィーヴァ伯爵:片桐直樹
 伯爵夫人:柳くるみ
 フィガロ:柴山昌宣
 スザンナ:森野美咲
 ケルビーノ:川崎泰子
 マルチェリーナ:脇本恵子
 バルトロ:渡邉寛智
 バジリオ/ドン・クルツィオ:松本敏雄
構成・演出:柾木和敬
2019年1月20日 岡山シンフォニーホール
Scan20190123211744_001 - Edited.jpg
 「フィガロの結婚」は舞台美術はなく、いわゆる「演奏会形式」でのハイライトだったが、構成・演出を担当した柾木さんのアナウンスに沿ってとてもわかり易く、しかも作品の肝は押さえた見応えのある舞台になった。
 まずもって地元出身の森野さんのスザンナがとにもかくにも素晴らしい!!フィガロの柴山さん、伯爵の片桐さんらトップクラスの名歌手のため息が出るようなバリトンも堪能。
 前半のジュピターは、シェレンベルガーさんと楽団員が一体となり、理想のモーツァルトのジュピターを作ろうという気概に燃えた演奏で、アーティキュレーションや強弱の徹底、そしてフォルテへ向かうときのドイツ語の破裂音のアクセントのような切れ味は、聴いていて胸がすく思いだった。第一楽章冒頭の提示部が鳴った瞬間、これもドイツ語の巻き舌の発音が聞こえてきたようで「やっぱりシェレンベルガーのモーツァルトは違う!」と思った。
 アンサンブルの完成度や精度は、いま一つの部分もあったけれど、安易に妥協せず、貪欲に理想の音を追求した岡フィルの演奏に胸が熱くなった。最終楽章は見事だった。
 客席はほぼ満員で3階奥に少し空席があるのみ。相変わらず客足は絶好調。
 当日は気温14度まで上がり、「大寒」とは思えない寒の緩みだったが ときおり突風が吹きすさぶ天候で、自転車ごと飛ばされそうになった。今から思えばシェレンベルガー&岡山フィルの疾風怒濤のジュピターを暗示していたのかも知れない(笑)

 プレトークで事前のチラシに書いてあった曲順を入れ替え、前半にジュピター交響曲を演奏し、後半に「フィガロの結婚」を持ってくる旨、シェレンベルガーさんから直接発表される。去年は職場から抜けられずに、魔笛の途中から入ったが、今日は余裕を持って到着できたから全く問題ない。

 編成は舞台下手から順に1stVn8、2ndVn6、Va4、Vc4、上手奥にCb3の8型2管編成のストコフスキー配置。このぐらいの編成が岡山フィルの本来のサイズだと思う。弦のメンバーを見ても精鋭が揃った感じで、シェレンベルガーも楽団員も思い切ったことが出来る。

 ジュピターの演奏は、これまで岡山フィルで聴いたどのモーツァルト演奏よりも素晴らしく、エキサイティングだった。冒頭にも書いたとおり、エッジの立ったアーティキュレーションや、ジェットコスターのような強弱の徹底。最も印象に残ったのは、ピアノからフォルテへ向かう瞬間の、突風が吹き抜けるようなアタックの強さ。まさに疾風怒濤の演奏で、この曲が作曲された18世紀末の激動の中欧の雰囲気を伝えてくれた。もし、この日、はじめてモーツァルトの生演奏に触れた人が会場にいたとしたら、世間一般に流布されている「癒やしの音楽、モーツァルト」とのギャップに、さぞかし驚いたことだろう。
 僕も冒頭の主題の提示から驚いた。編成は小型なのにブルルンと腹の底から響いてくる、弦のドイツ式のグリッサンドに痺れた。そして、まるでオペラのテノールとソプラノの二重唱を思わせるような掛け合いから、全パートが有機的に連携して壮麗な世界が拡がってゆく。疾風怒濤の激しさの中にも、シェレンベルガー&岡山フィルらしい、止め・はね・払いが徹底された形式感のある演奏だった。

 ティンパニは木のマレットでバロックティンパニのような音。弦楽器はヴィヴラートを抑え、全体的にはピリオド系の要素を取り入れた演奏。トランペットは普通のドイツ式なのに、古楽器のようなパリッとしたテイストの音を奏でていた。今回は首席の小林さんは乗っておらず、テレマン室内にもおられた横田さんがトップだったが、さすがの音色だと思った。

 第1楽章はアンサンブルが整いきれない部分もあったが、理想のモーツァルトを演奏しようという火の玉のような情熱が舞台から伝わってくる演奏に聴き手の気持ちも昂ぶってくる。岡山フィル定期演奏会でのモーツァルトのシンフォニーが取り上げられたのは、前回(10年ほど前?)のシェレンベルガーとの初顔合わせの共演以来だと思うが、そのときよりもオーケストラが数段ステージの高い音楽づくりに挑戦していて、一瞬たりとも目が離せないのだ。
 第2楽章も速いテンポで進む。ピアニッシモは「弱い音」ではなく、ちゃんと芯のある弱音が聴こえてくるのが凄い。木管は盤石だった。殆どが30代以下の若い奏者だが、味わい深い音を聽かせてくれて、とりわけファゴットは首席が決まっていないため客演首席の方だったが、(後半のフィガロの結婚も含め)とても良かった。この楽章はロマン的にゆったりと聞かせる演奏が好きだったはずが、この日の岡フィルの演奏で、「こういう弛緩することのない、それでいて優美な演奏もたまらなく美しいなあ」と思った。
 第3楽章でも木管はやはり盤石で、弦楽器の音も一層艶が出てきたところで、アタッカ気味に第4楽章へ突入した。この楽章では、それまでシェレンベルガーの細かいタクトに従って動いてきたオーケストラが、指揮者の描く酵航路図にそって自分たちで新しい世界を拓いている瞬間のように感じた。まさに光り輝く瞬間の連続で、海外のオーケストラの演奏も含め、この水準の演奏のモーツァルトをこのホールで聴いた記憶がない。ちょっと褒めすぎ?いや、でもこういう魂のこもった演奏は、地元オーケストラが命を懸けて演奏するから聴けるのだ。どんな海外の一流オーケストラであっても、強行日程のスケジュールの中でのツアー公演では、こんな演奏はなかなか聽かせてくれない。

 シェレンベルガーは、定期演奏会で一通りモーツァルト後期交響曲をやると思うが、10年後ぐらいにもう一度後期交響曲ツィクルスをやって欲しい。10年前からこれほど進化するのだ。10年後には世界に出せるようなモーツァルトを聽かせてくれるようになると思う。

 後半のフィガロの結婚は、ステージには小道具のみで勝負。
 今回の歌手陣は本当に充実していて、冒頭述べたスザンナ役の森野美咲さんの歌声に聞き惚れた。第一幕のフィガロ(柴山昌宣さん)とスザンナの二重奏からして、「おお、これは凄い!」と圧倒された。「ハイライト」と銘打ちながら、全曲75分のボリュームが有り、重要なシーンはほとんど入っている。昨年の魔笛は、オペラ・アリア集といった趣きが強かったが、今回はほとんどオペラの舞台を堪能した気分。
 僕は管弦楽や室内楽作品に比べるとオペラは本当に見る習慣がないので、舞台美術のある専用劇場での大掛かりなステージとは比べる基準は無いのだが、歌手の方々の歌と演技、そしてオーケストラの美しい伴奏だけで充分に堪能した。
 自らも地元を代表するテノール歌手であり、今回は演出・構成に回った柾木さんの、絶妙のナレーションも良かった。岡山で数多くのステージに立っている経験からか、岡山の聴衆にはどこまでナレーションで説明すれば良いのか、そして客席の反応はどうなのか?独特の残響の岡山シンフォニーホールでのナレーターはどうあるべきなのか。計算しつくされていたように感じた。

 このモーツァルトのオペラを見て思う。人生は当人たちにとっては大真面目に苦しくしんどい、欲望やプライド・メンツに縛られ、偽善や露悪に翻弄され大切なものを見失ってしまう。でも少し離れた視点で人生を見つめてみると、何事も喜劇に思えてくる。
 モーツァルトは、そんな人生喜劇を涙がでるほど美しい音楽で抱擁してしまった。そこにはモーツァルトの人間に対する暖かい眼差しがあり、この日の演奏者たちの演奏からも、その暖かさが伝わってきた。大切なものや大切な人の存在に気づいた者は幸福だ。僕にとって大切なものは、家族との時間と、こうしてこのホールで生の音楽を聞きながら過ごす時間だ。

 これまで岡山フィルは、開館記念の目玉事業のワカヒメを筆頭に、僕が思いつくだけでも結構オペラの演奏の蓄積があって、そこへシェレンベルガーが継続的に関わるようになって、ニューイヤー・コンサートでのオペラのハイライト公演が定着しつつある。今回のキャストも岡山のオペラ公演を支えてこられた方々が出演・演出に関わっていて(池田尚子さんが急病で降板されたのは残念だったけれど)、これまでの蓄積が花開いている感がある。
 来年のニューイヤーコンサートは「カルメン」を取り上げる由。こうして、岡山の「オペラ・ニュー・イヤー・コンサート」が定着したら20年後には、岡山の聴衆はオペラの主要レパートリーを一通り聴くことになる。ぜひ定着してほしい。
 なかなか記事を書く時間も取れないので、文章をシンプルにしようとは思うのだけれど、いざキーボードを叩き始めると、書き残しておきたいことがどんどんと湧いて出てくる。それだけ充実した時間だったということか。

 当日の夜には賛助会員向けのレセプションが開催されたが、今回は遠慮させてもらった。子供がまだ小さい中でコンサートには行かせてもらっているので、終わったらさっさと帰らないと行けません。出席メンバーが地元政財界の重鎮の方が多いと思うので(自分の雇い主の偉いさんも来られそうだし)、シモジモの私はビビってしまいます。しがらみの無い地元以外のこういうレセプションには図々しく出ていくんですけどね(笑)

nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

2018年に足を運んだコンサートのデータ [コンサート感想]

 年末にその年に足を運んだコンサートデータのまとめを記事にしていましたが、2018年は「そんなに足を運べていないし、まとめるほどでもないかな」と思っておりました。

 ところが、年末年始の休みに散乱していたプログラムなどをファイリングしていたら、25回もコンサートに行っていたことが判り(笑)それなら・・・というわけで、今更ながらまとめ記事をエントリーします。

2017年のまとめ
2016年のまとめ
2015年のまとめ
2014年のまとめ

 2017年に足を運んだコンサートは25回。年間のチケット代総額は66,360円、1回あたり平均2,654円でした。
 今年は県外(電車で45分の福山は県外に含めず)に2公演しか行っておらず、今後も当分はこんな感じなので、浮いたお金を岡山フィルの賛助会員会費に充てています。

◎ジャンル別
 オーケストラ12回、室内楽7回、器楽ソロ5回、ピアノ・ソロ1回
WS000002.JPG

◎オーケストラの楽団別
WS000003.JPG
 
岡山フィルハーモニック管弦楽団:4回
他はすべて1回
 シュトゥットガルト室内管弦楽団、ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル、ポーランド放送室内合奏団、釜山フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、NHK交響楽団、広島交響楽団、アマチュアオケ:1回(岡山交響楽団)

◎指揮者別
 ハンスイェルク・シェレンベルガー:2回
 以下、1回(おもな指揮者のみ)・・・準・メルクル、ステファン・ブルニエ、秋山和慶、飯森範親、高原守、村上寿明

◎ソリスト・アーティスト
2回:福田廉之介(Vn)、柾木和敬(T)、
 以下、すべて1回(おもな奏者のみ)
 内田光子/上原彩子/松本和将/梅村知世(Pf)、三浦文彰/シン・ヒョンス/戸澤采紀/福田廉之介/岸本萌乃香/(Vn)、、ワルター・アウアー(Fl)、西崎智子/橋本杏奈(Cl)、阪本清香/塚村紫/池田尚子/川崎泰子(S)、岡村彬子(A)、渡邉寛智/鳥山浩詩/山田大智(B)

室内楽団体:カルテット・ベルリン=トゥキョウ

◎プログラム曲目別
 2018年は集計せず

◎コンサートホール別
WS000004.JPG

◎会場の市町村別
WS000005.JPG

以上


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》 準・メルクル 指揮 [コンサート感想]

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》
Scan20181229212517_001.jpg
細川俊夫/瞑想―3月11日の津波の犠牲者に捧げる―
メシアン/輝ける墓
 ~ 休 憩 ~
ストラヴィンスキー/バレエ「火の鳥」(1910年版 全曲)
指揮:準・メルクル
コンサートマスター:佐久間 聡一
 この公演は7月7日に開催される筈で、メルクルさんもお嬢さんを伴って広島に滞在、リハーサルも進んでいたところの7月6日に襲った西日本豪雨により中止にせざるを得なかった。

yearbook hirokyo.jpg
※広響の2018年イヤーブックより
 準・メルクルさんは、祖父が生まれた街であるこの広島(初めて知りました!)のために日程を開けて、再び来広。
 会場はマスコミの取材などがあり、いつもとは違う雰囲気。
Scan20181229212105_001.jpg
 楽団員は燃えていたなあ・・・。メルクルさんはいつも通りの力みの無い颯爽と、そして流麗ながら打点が明晰な指揮。オーケストラもその鮮やかなタクト捌きに導かれ、変幻自在の気品あふれる美しい音楽を奏でました。
 これほどの心に強く残る演奏を聴かせてくれた広響にブラボー!いやー本当に広島まで聴きに来て良かった!
カープに負けず劣らず、広響も黄金時代に入った感があります。
DSC_1017.JPG
 当日は新幹線で広島に向かうが関が原での大雪により40分遅れの開演1時間15分前に広島到着。せっかく広島に来たのだから、お好み焼きを食って、クラシック音楽喫茶で少しゆっくりして会場入りしようと思ったものの。駅で昼食を取ることに。しかし駅も大変な混雑で・・・続きは感想のあとに。
 会場は一見8割5分ぐらい席が埋まっているように見えるが、そこかしこに歯抜けのような空席があり、実際には7割5分ぐらいといったところだったろう。振替公演ということもあり都合がつかなかった人が多数いたようだ
 しかし、SNSやブログの感想を見ると、結構東京や関西から聴きに来られていたようだ(熱烈にスタンディング・オベーションをしていた方が、よく関西のコンサートでお見かけする方だったし)、音楽評論家の東条碩夫さんや奥田佳道さんも来られていたそうだ。
 この年末休み時期はどこもかしこも第九だらけなので(第九を演奏する良さは確かにありますが)、こういうプログラムを好んで結構当日券が売れたのではないだろうか?
DSC_1020.JPG
※開演前に撮影
 編成は14型のストコフスキー配置(ステレオ配置)4管編成で、広いこの多目的ホールのステージいっぱいに配置されている。ヴィオラがアウト、チェロがイン。広響を聴くときはほとんどヴィオラが外側の配置だ。
 細川俊夫の楽曲は、同じメルクルさんの指揮によるリヨン国立管弦楽団との「循環する海」を聴いている。この「瞑想ー」は一神教ではない日本の精神世界を表すように、創造主の存在感は皆無。お鈴のような鐘の音と弦・木管が奏でる魂が浮遊するようなモチーフの展開の中で、『宇宙の鼓動』(作曲者解説による)を表す大太鼓の律動が規則的に表れる。中間部の尺八のようなバス・フルートの旋律を聴いたとき、私の心の中の何かのスイッチが押された感覚になり、本当は3.11の地震・津波の犠牲者への追悼の曲なのだが、私には今年の広島・岡山・愛媛を襲った西日本豪雨の犠牲者の追悼の曲としてしか受け止められなかった。浮遊する魂が慰撫されるように、最後は消え入るように終わる。リヨン管の時にも思ったのだけれど、やはり日本人の血が入っていることが大きいのか、メルクルさんは日本の宗教観や死生観というものに深い共感を持っていると感じた。この静かな鎮魂は四十九日やお盆の送り火の時期の街の静けさや、人々の静かな心持ちを思い起こさせてくれる。作曲者も客席にいらっしゃって、盛大な拍手を受けておられた。
 2曲目はメシアンの「輝ける墓」。戦前の作品で、トゥーランガリラ交響曲などのまばゆいばかりの色彩と比べると、この戦前の(1931年)の作品は思ったよりコンサバティブでプリミティブな印象を受ける。中低音域で執拗に繰り返される3音の音型はショスタコーヴィチを想起させるし、トゥッティーでの響きはストラヴィンスキーの影響を感じさせる。トゥッティーのあとにパウゼがある場面が多いが、いかんせんこのホールでは残響を楽しむというわけにはいかない。細川作品では思わなかったが、この曲に関しては「もう少し音のいいホールで聴きたいな」と思った。
 リズムが非常に複雑で錯綜しており、相当難しい曲だと思うが、メルクルの明晰なタクトの元、広響の演奏は緊張感の中にも安定感があり、一つの生き物のような表現に舌を巻いた。1年の最後の最後に、ハイレベルなオーケストラの凄い演奏を聴いて、前半終了時点ですでに興奮気味だった。 
DSC_1019.JPG
※2階ロビーからの風景
 「火の鳥」は、ダイジェスト版とも言える1945年版が演奏されることが圧倒的に多いけれど、1910年版でしか味わえない感興がある。全曲盤をオーケストラのみでの演奏を「冗長」だと言い切ってしまうのは、このメルクルの魔法のようなタクトと愛すべき広響の情熱的な演奏を聴いてしまうと。『それは早計だ!』と言ってしまいたくなる。
 特に中間部分の「王女たちのロンド」から「夜明け」「イワン王子、カッチェイ城に突入」「不死の魔王カッチェイの登場」などを経て「イワン王子とカッチェイの対決」「火の鳥の出現」「カッチェイたちの凶悪な踊り」に至るまでの部分は、誠に息詰まり手に汗握る一大スペクタクルで、1945年版だと、「王女たちのロンドから」「カッチェイたちの凶悪な踊り」にまで一気に飛んでしまうのは、ほとんどおいしい部分をすっとばしている、ということが今回のコンサートを聴いて認識を新たにした。
 メルクルは時折ステップを踏みながら、流れる様な指揮の合間にも指揮棒の先をチョンと動かすだけで、あら不思議、オーケストラから色々なニュアンスの音が湧き出してくる。オーケストラ側もとてもポジティブかつ主体的に音楽を奏でていく。「火の鳥の踊り」や「魔法にかけられた13人の王女たち」では、「いったい、メルクルが指揮しているのはオーケストラだけなのか?ステージにはバレエ団が躍っていて、僕にだけその姿が見えていないだけじゃないのか?」そう思ってしまうほどに表情豊かで生き生きとした表現だった。
 中間部分に差し掛かり「カッチェイの登場」から、オーケストラは鳴りに鳴っているが、これはまだ序の口で、音楽はぐんぐんと熱を帯びて盛り上がっていき、「カッチェイたちの凶悪な踊り」の最後の方のブラスの下降音階の場面では、自分も奈落の底へ落ちていくような感覚になり、手が汗ばむような興奮があった。
 フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」でのホルンのテーマを聴いた瞬間、ちょっと目がウルウルと来た。最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもボリューム感のある弦のトレモロに鳥肌が立った。国内のプロ・オーケストラの本拠地の中で最も音響の良くないホールにも関わらず、広響がこういう演奏をしてしまうもんだから、「ああ、これだけのものが聴ければ充分だ」ということになり広島にいいホールが出来ないのでは?という逆説的な原因も考えてしまう(笑)
 今後はそうそうは県外のコンサートには行けないんだけれど、年に1回は広響を聴きに来ないと!と思ったコンサートだった。
 広響の充実ぶりはなかなか拙文では伝えきれないため、シュトイデさんの弾き振りの動画を張り付けておきます。メルクルさんとは音楽の作り方は全く違いますが、広響の積極性や音楽への感受性と表現力がよく伝わる動画だと思います。
 以下は余談。
 戦術の通り、2時間前に広島に到着するはずが、1時間15分前にずれ込み、市街地でお好み焼きを食べ、2軒ある名曲喫茶のいずれかに行って・・・などという計画が飛んでしまった。HBGホールまでは路面電車と徒歩で40分、開演15分前には着きたいので20分程度で昼食を取る必要がある。
 「新幹線名店街」へ行こうと新幹線改札口を降りてビックリ、広島駅が全面改装されていて「ekie」という、岡山の「さんステ」の3倍はあろうかという巨大駅ナカ施設に変貌している。で、お好み焼き屋街へ向かうとご覧の通りの大混雑。
DSC_1013.JPG
 以前の新幹線名店街は新幹線利用者しか行けない穴倉みたいなところだったのが、どうやら南北自由通路が出来たことで人の流れが変わったらしい。南口の駅ビルのお好み焼き屋街の混雑状況が解らなかったので、とりあえずアンデルセンでパンを買っておき(久しぶりのアンデルセンのデニッシュを帰りの新幹線で食べた)、南口の駅ビルに行くと、大丈夫、混んでいませんでした。広島まで来てお好み焼きを食べられないなんてさみし過ぎますから。
 あと、備忘として書くと、お好み焼き屋さんの勧めで路面電車ではなくバスに乗っていったら、なんと15分もかからずに開演40分前にホールの玄関前に着き、周辺を散策する余裕がありました(笑)以後、HBGホールに行くにはバスを使うことにしましょう(笑)
DSC_1016.JPG
※天気は良いですが、気温は低く寒かったです
DSC_1014.JPG
※駅ナカのEKIEにはもみじ饅頭の製造工場が見れます。焼きたてが食べられます。

nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

岡山フィルハーモニック管弦楽団『第九』演奏会 2018 秋山和慶指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団『第九』演奏会 2018

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調「合唱付」

指揮:秋山 和慶
ソプラノ:塚村 紫
メゾ・ソプラノ:岡村 彬子
テノール:征木 和敬
バリトン:山田 大智
合唱指揮:堀 俊輔
合唱:岡山第九を歌う市民の会
コンサートマスター:高畑壮平

2018年12月9日 岡山シンフォニーホール

 オーケストラは聴く度に良くなっていく。秋山さんの明晰なタクトに良く反応し、シェレンベルガーとはまた違ったベートーヴェンの音楽世界を堪能した。第4楽章最後のオーケストラだけの部分の追い込みは喜寿を迎えた指揮者とは思えない切れ味。ああ、これぞ秋山さんの音楽だと。
 特にホルン首席の梅島さん、彼は本当に凄い。ソロの箇所それぞれで違った音色で会場を魅了する。彼が岡山フィルの首席でいてくれる時間は、そんなに長くないのでは、と思う(必ず一流オケのポストに就くでしょう)。

 一方、合唱も含めた第4楽章は、ちょっとまだ戸惑っています。迫力は凄かったです。岡山フィルの第九史上一番声が出ていたかもしれない・・・。途中で「このペースで歌って、最後までもつのだろうか・・・」と、心配になったほど。文字通りホールが「震撼」するような迫力がありました。だから、合唱団の方々の鬼気迫るパフォーマンスには精一杯の拍手を送りました。
 でも、僕が思っていた秋山さんと今の岡山フィルのコンビが紡ぎだすであろうベートーヴェン、そしてシェレンベルガーが2回振って、本場ドイツのディクションを感じさせる、従来の「ザ・第九」とは一線を画した、新鮮なベートーヴェンの9番で積み上げてきたもの、その延長上の演奏ではなかった・・・ということで、どう捉えるべきか言葉が出てこない。
 会場はたいへんな盛り上がりでしたから、こうして戸惑っている私は少数派なのだと思います。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(2)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

岡山交響楽団第66回定期演奏会 [コンサート感想]

岡山交響楽団第66回定期演奏会
 
リスト/交響詩「前奏曲(プレリュード)」
ドビュッシー/小組曲(ビュッセル編)     
 ~ 休憩 ~ 
サン=サーンス/交響曲第3番「オルガン付き」
 
指揮:杉本 賢志
 
2018年11月25日(日) 岡山シンフォニーホール
 
 躍動感と一体感のあるエキサイティングなコンサートだった。
 
 岡山交響楽団はアマチュア・オーケストラで、岡山県下では、ここと保科アカデミー室内管とアンサンブル早島、倉敷管弦楽団が「四天王」といっていいと思う。しかし、ここ4年ほどは出勤日と重なり休みもなかなか取れないため、ほとんど聴けていなかった。今回は2週連続の台風襲来の影響で岡山フィルの10月の定期演奏会に行けなかったこともあり、職場の上長が気を効かせて特別に許可が出た。開園時間が2時間繰り下がって16時になったことも良かった。
 
 今回のプログラムで中心になるのはサン=サーンスの「オルガン付き」だが、そのサン=サーンスが尊敬していたリストの代表的交響詩作品とサン=サーンスとはフランス楽壇内で対立関係にあったドビュッシーとの組み合わせで、構築的なドイツ管弦楽曲とは全く異なる独特の浮遊感と多幸感を表現したドビュッシー、そして、保守的な楽曲スタイルを継承しつつも全くスキのない見事な管弦楽技法をみせるサン=サーンス、と、三者三様の世界を見事に表現していたと思う。
 (後日追記) 
 ・客席はよく入っていました。1・2階席のみの開放だったが、開演直前に来た人が空席を探すのに苦労する感じの、ほぼ満席。

・リストのレ・プレリュードは「嵐」の場面から凝縮された充実したサウンドか聴かせてくれた。特に弦楽器の厚みのある音を堪能した。岡山フィルの長坂さんなど何人かプロの奏者の方が入っていたが(トレーナーをされているのかな?)、それもサウンドの充実に寄与したのかもしれない。

・ドビュッシーの小組曲は、岡山大学交響楽団が十八番にしている、という印象がるが、同オケ出身者が多いこの岡響は流石のこなれた演奏で、社会人オーケストラならではの味わい深さと、ドビュッシーの楽曲が持つ独特の馥郁とした香りが漂ってくる。見事な演奏!

・今回はこよなく愛するサン=サーンスの「オルガン付き」が演奏されるということで、本当に楽しみにしていた。すぐの思い返せるだけで、P.ヤルヴィ&パリ管、大植英次&大阪フィル、ロジェストヴィンスキー&読響、小林研一郎&日本フィル、大山平一郎&大阪シンフォニカー、岡大交響楽団など、チャンスがあれば足を運んできた。
 生演奏を聴いてきての結論は、『中期ロマン派の中庸な作品』のイメージと難易度のギャップだ。第一楽章での細かい音の錯綜・積み重なり、この曲の印象を左右するキリスト教的世界を具現化する必要がある第2楽章、そして第4楽章での音楽のうねりの持って行き方。全楽章を貫く循環主題の見せ方など、本当に難しいと思う。マーラーの「巨人」とほぼ同時期の作曲であるが、実演で両者を聴いてみると、マーラーのようなエキセントリックさは無いが、管弦楽技法の奥深さは勝に劣らないものがある。

・そうなるとアマチュアのオーケストラが演奏するには、かなり難しい場面があり、第1楽章でそうした難しさを聴く者に感じさせたものの、第1楽章中盤以降は揺るぎのない音楽の骨格が感じられるどっしりとした演奏になった。

・特に第4楽章でのじっくりとしたテンポでマッシヴに進んでいく音楽は見事で、中間部のサン=サーンスの天才的な技法を感じさせる場面の演奏は素晴らしかった。

・岡山シンフォニーホールにはパイプオルガンが無いため、電気オルガンでの(スピーカーから音を出す)演奏になったが、第4楽章の冒頭ではさすがに人工的な音色を感じてしまったが、奏者の方のタッチの変化が素晴らしく、他の場面ではスピーカーからの音であることを意識させなかった。
 
・アンコールにはエルガーの行進曲「威風堂々」第1番。この曲は何度も聴いているが、オルガンが入った演奏は初めてかもしれない。オルガンが入ると、これほどの昂揚感があるのか、と感動した。プロムスの気分が少し味わえた感じ。こんな見事なサウンドが聴けるのなら、同じエルガーのエニグマ変奏曲やウォルトンのベルシャザールの 饗宴もこの電気オルガンで出来そうだなあ。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

内田光子 ピアノ・リサイタル 2018倉敷公演 [コンサート感想]

第104回くらしきコンサート
内田光子 ピアノ・リサイタル ~シューベルト ソナタ プログラム~
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第4番 イ短調 D537
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 D840
  ~ 休 憩 ~
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
CCI20181104.jpg
2018年11月4日 倉敷市民会館
  自分の瞳が涙で溢れていくのがわかった。心に染み渡るシューベルトの音楽。孤独と死の狭間で奥へ奥へと沈み込んでいく。内田さんのピアノは心を開いてくれているのが分かるから、自分の心もどんどん開かれ、導かれていく。
  帰り道はすごい疲労感。しらないうちにものすごく集中して聴いていたんだなあ。また、こんな体験ができるだろうか。
(以下、後日追記分)
 
 僕はよきシューベルト聴きではない(そもそもよきピアノ聴きですらないのだが・・・)、シューベルトのソナタは19・20・21番が傑作ということで、何度か録音で聴いたことはあったが、だいたい最後までは集中して聞けなかった。ピアノ・ソナタ集全体を見ても、ベートーヴェンのように最後の3大ソナタを頂点に、月光・熱情・ワルトシュタイン・悲愴と、どこから切り込んでも夢中にさせてくれるのに対し、シューベルトは朴訥としていて、内省的で、どれから聴いて行ったらよいのか掴みかねていた。
 
 しかし今回、内田さんのシューベルトはシューベルトの孤独と死生観と美に引きずり込まれるように、一瞬たりとも退屈することはなかった。しぜんと音楽に没頭でき、家に帰ってきてこの3曲を聞くと「これほど美しい音楽だったのか・・・」と茫然自失するほど、魅力的な作品だと感じた。まったく感性が180度変わってしまったのだ。
 
 語弊を恐れずに言えば、内田さんの演奏は、どうしたら聴取が喜んでくれるだろうか?ということは一顧だにしない。自らに正直でとことんまで深く音楽に傾倒し、そして音楽を通じて内田さんという人間すべてをさらけ出している。
 2曲目のソナタ15番が始まるとき、舞台上のライトの照度を上げた瞬間、内田さんは舞台袖に向かって「やめてください」と不快をあらわにした。すぐに会場側が対応すると、静まり返った客席に腕を広げて、とびきりお茶目な笑顔で笑いかけた。ほとんどのピアニストは、その場は我慢してから舞台裏に戻ってから会場の担当者に抗議することだろうが、こんなところまで自分の感性に正直であるところに内田さんの生き方を感じた。
 内田光子を聞きに来る客は、聴取が喜ぶような表面的な音楽は期待していない。特別な体験を期待してきている。会場の雰囲気もそんな空気があった。
 
 たぶん、細部にまで綿密に作りこまれていると思うのだけれど、音楽への傾倒の深さや描く世界のスケール、そして天空を駆けるような自由さに、聴く者は身を委ねるしかない。
 後半のソナタ20番が始まった瞬間の胸が締め付けられるような美しく切ない音楽、いまだにあの瞬間の音楽が頭の中で鳴り響いています
 
CCI20181104_0001.jpg
 ほかにも、内田さんの演奏に比べると些細な今回の収穫として、この倉敷市民会館においてピアノ・ソロの演奏を聴く、自分にとってのベストポジションが見つかったことだ。ピアノ・ソロのコンサートを聴くにはこのホールは大きすぎるし、私の好きな2階正面1列目に座っても演奏者が遠すぎて蚊帳の外に置かれたようになってしまうのが悩みだったが、今回の席は拍手の聞こえ方からして迫力が違った。ツイメルマンの時もこの席で聞いて居ればよかったのになあ、と思った。
 座席選択は人によって感じ方が全く異なるので、詳しい場所は書きませんが、面識のある方から聞かれれば答えますので、また声をかけてください。
 
 アンコールはシェーンベルクの6つの小品から第2曲。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(2)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

読響ハートフルコンサート in 岡山 [コンサート感想]

読響ハートフルコンサート in 岡山
2018年10月26日  岡山大学病院 入院棟スカイラウンジ



 当分パソコンに向かえる時間が、寝る前の10分ぐらいしか無くなってしまいました、まあでも生活自体は結構充実しています。コンサートに行くペースも落ちますし、更新はもっとゆっくりになりますが、ぼちぼちと更新していきますので、よろしければたまに覗いていただけると嬉しいです。
CCI20181103.jpg

 岡大病院に行ったときに、この読響ハートフルコンサートのポスターを見て、時間が合えば行ってみようと思っていたコンサート。本来は入院患者さんらの福利厚生のためのものかもしれないが、読響の奏者の演奏を聴ける機会は貴重。
 会場は、入院棟の11階にスカイラウンジがあり、入院患者と見舞いの方との面会や、長期入院者のリフレッシュの場として提供されているスペース。この日は入院患者さんを中心に、150人ほどが集まっていた。
 読響の皆さんは、さすがに厚みのある濃厚で緊密なハーモニーを聞かせ、3年前の読響大阪定期の第九(当時はまだザ・シンフォニーホールで開催されていた)の冒頭での、厚みがありつつもシルキーな弦の音に鳥肌が立ったのを思い出した。弦楽四重奏サイズでも、読響のエッセンスを感じさせられ、聞きに来てよかった。
 薄田さんは岡山のご出身で(薄田泣菫とつながりがあるのかな?)、岡山のエピソードを交えながら曲紹介をされていた。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ワルター・アウアー meets シュトゥットガルト室内管弦楽団 岡山公演 [コンサート感想]

ワルター・アウアー meets シュトゥットガルト室内管弦楽団 岡山公演
モーツァルト/セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
プロコフィエフ/フルート・ソナタニ長調
 ~ 休 憩 ~
バーバー/弦楽のためのアダージョ
チャイコフスキー/弦楽セレナードハ長調
CCI20181005.jpg

 7月以来、水害や台風に苦しめられた岡山。9月以降も台風が続々と通過し、昨日も台風25号が接近中ということで、客足は鈍く、観客は800人~900人(5割弱の入り)といったところ。開演15分前に到着しても、ホール地下の自転車置き場に空きがまだまだありましたからね。もっとも、こんな強風の日に自転車で来る私のような者の方が奇特なのだろうが。
DSC_0919.JPG
 JRが止まるのを危惧してこれなかった人も多かっただろう。10月には入ってまで水害に遭うというのは本当にこれ以上は勘弁してもらいたい。
 シュトゥットガルト室内管弦楽団と言えば、往年のクラシック音楽リスナーにはカール・ミュンヒンガーとの録音が思い出されるところ。今回は指揮者無しで弦楽合奏のみの演奏だった。しかし。モダン楽器による豊かな響きで勝負するスタイルは健在だった。
 まず、フルートのソロ。プロコフィエフのソナタの弦楽合奏版でソロを取るのは、ウィーン・フィルのソロ・フルート奏者である、ワルター・アウアーさん。ここ数か月ほど忙しくて、今回もシュトゥットガルト室内管のネームバリューでチケットを買ったので、当日、配られたプログラムを見て『へー、ウィーン・フィルの首席なんだ』ぐらいの認識だったが、アウアーさんが姿を現してから「あっ」と声が出そうになった。2年前の京響5月定期で聴いた、モーツァルトのフルート協奏曲での演奏を思いだしたからだ。あの見事なフルートがこれから聴けるのか!という高揚感が一気にこみあげて来る。

 当時の自分のブログには、こんなことを書いている。
 『去年、同じくウィーンフィル首席のカール・ハインツ・シュッツの柔らかくニュアンスたっぷりのソロを聴きましたが、アウアーさんはそれに輪をかけて精妙でまさに天衣無縫、息を直接吹き掛けて出す音なのに、なぜあんなに透き通った音が出るんでしょう。』
 精妙で天衣無縫、驚異的な透明感、というのは当時の感想と共通するのだけれど、今回は前回以上に心が揺さぶられた。今回聴いた印象は、アウアーさんのフルートは、舞台上に地上の極楽浄土「パラディース アウフ エールデン」を現出しているかのようだ。精妙・透明感とかいう言葉では言い表せない、この幸福はなんなんだろう。
 京都コンサートホールで聴いた音よりも、いっそう艶やかで深みがあり、音の芯がはっきり聴こえて来る。岡山シンフォニーホールの音響は、竣工26年目にして、今が最上の音が響いていると思う。こんなにも美しいフルートの音が絶妙の豊かな残響ホールに響き渡る。これを極楽!と言わずして何という。
 プロコフィエフの曲は、スラヴの民俗音楽を感じさせる曲調や独特のリズムがある一方で、感情に任せるような場面がほとんど無くて無機的な和声が続く、というのが特徴だと思ってていたが、プロコの曲を聴いてこんなに幸福感が感じられるとは・・・。アウアーさんに付けたオーケストラの柔らかい伴奏も素晴らしかった。
 オーケストラの編成は、1stVn:5→2ndVn:4→Va4→Vc3、VcとVaの間の後方にCbが1本、という弦楽アンサンブル。こんな小規模の編成なのに、この芳醇で力強い豊かな響きはなんなんだ!?響きの豊かさは、倍のサイズの8型のオーケストラにも匹敵するのではないか?と思う。特にコントラバスが1本しか居ないなんて信じられない豊かな低音が感じられる。
 ダイナミクスは鮮やかにも関わらず、ピリオド系の合奏団とはちがって、角が丸くまろやかで気品に溢れている。そして、その音の強弱に込められた情景の表現が本当に凄い。pやppは単に音が小さい・弱いじゃなく、悲しみだったりむなしさだったり、美しいものに出会った時の静かな喜びだったり、例えばバーバーの弦楽のための 深い深い悲しみに心が揺さぶられるし、チャイコフスキーの弦楽セレナードの緩徐部分はため息が出るほど美しかった。
 コンサートミストレスの方がアイコンタクトや体の動きで全体のタイミングを合わせていくのだが、基本的にはお互いのパートを聴き合っていて、阿吽の呼吸で合ってしまう。コンミスさんが前に出れば音が凝集し、後ろへ下がればふわっと響きが拡がっていくのが興味深かった。
 なお、ソリストアンコール(前半)と、オーケストラアンコール(後半)は次のとおり。

DSC_0920.JPG
 今回の主催は岡山シンフォニーホール直営だったようで、安定した運営で安心した。台風が接近しているので、緊急避難情報の『キンコンカンコンキーン』というチャイムがあちこちで鳴ったらどうしよう・・・という危惧があったが、携帯電源OFFのプラカードを持ったレセプショニストたちが控えめにかつ徹底した周知のおかげか、そういう事故は無かった。聴衆が少ないのは残念だったが、私が(勝手に)特等席と思っている席の周りにはほとんど人がおらず、ゆったりと聴くことが出来た。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | - コンサート感想 ブログトップ