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岡山フィル第60回定期演奏会 指揮&ob独奏:シェレンベルガー [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第60回定期演奏会
〜シェレンベルガーが届けるウィーンの香り〜
モーツァルト/交響曲第38番ニ長調「プラハ」
R.シュトラウス/オーボエ協奏曲ニ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第3番ヘ長調
指揮・オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫
2019年5月26日(日) 岡山シンフォニーホール
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 指揮にオーボエ独奏に、獅子奮迅の活躍を見せたシェレンベルガー、当然、今回のコンサートの主役ではあるのだが、オーケストラの奏でる音も本当に素晴らしかった!

 シェレンベルガーさんが岡山フィルの首席指揮者に就任したとき、「私の経験をすべて、この岡山のオーケストラに注ぎたい」と仰っていて、シェレンベルガーと岡山フィルの6年間の足跡を見てきたファンとしては、まさに有言実行をしてくれていることは重々、わかっていたのだが、今日は、シェレンベルガーという偉大な音楽家が、岡山フィルに情熱を注いで、それが花開こうとしていることに、心の底から感動を覚えた瞬間だった。

 

 会場は7割ぐらいの入りだろうか。今回はいつもより若干少ない印象。配置は、1曲めのモーツァルトは、10-9-8-6-5のストコフスキー(ステレオ)配置。ティンパニはチェロの後ろに付ける密集隊形。アンサンブルの一体化を狙っての配置だろう。


 1曲めのモーツァルトの「プラハ」は、個人的に思い入れが深い曲。僕がはじめてヨーロッパの一流オーケストラを聴いたのがこの曲で、そのオーケストラというのが、全盛期の最後の時代(ノイマン時代)のチェコ・フィルだったのだけれども、その美しくも官能的で、なんとも言えない味わいのあるサウンドを聞いた瞬間、背筋から額にかけて、電気のような衝撃が走ったことを、今でも鮮明に覚えている。


 シェレンベルガーのモーツァルトの交響曲は40番、41番に続いて3曲目になるが、40,41番がベートーヴェンやブラームスへとつながる 絶対音楽としての交響曲の雰囲気があるのに対し、39番までの交響曲は、まるで声楽なしの「シンフォニック・オペラ」といってもいいような雰囲気で、同じシェレンベルガーの指揮で生演奏で聞き比べて、その思いを一層強くした。これぞオーケストラの会員としてコンサートに通う愉しみの一つだと思う。

 その、第1楽章は、オペラの序曲やバロック時代のシンフォニアを思わせる。冒頭のブルルン、というグリッサンドの音からして、魅力的だった。これはもう中欧のオーケストラの響きだ。テンポは早め(といっても昨今の演奏のトレンドは、このぐらいのテンポかも)。通常、のっけからシンフォニーだと、暖機運転のような演奏になってしまいがちだが、はじめからとてもいい音が出ているし、奏者も指揮者もノッている。表現としてはシェレンベルガーらしい、音の切れ味を重視したキビキビとした表現が主体。中間部のフーガの掛け合いの部分を聴いていると、「楽章単位で聴くと、モーツァルトの交響曲の中でも41番の第4楽章に並ぶ最高傑作だ」との思いを強くする。そんな切れ味するどい中にも、歌わせる場面ではレガート気味に歌わせる。木管のアンサンブルもとても良い。ああ、聴いていて心地が良い。

 驚いたのは、楽章最後のオクターブが上がって、ヴァイオリンが奏でる「泣き」が見事だったこと。その瞬間、シェレンベルガーがヴァイオリン・パートの方を見て、笑みを浮かべていたのを僕は見逃さなかった。「いったい、いつから岡山フィルはこんな音を出せるようになったのか」と感じ入った瞬間。


 第2楽章はまるで舞台の左右から歌手が出て来て第一幕が始まりそうな雰囲気だ。シェレンベルガーは、オペラの演奏会形式を岡山フィルの重要なレパートリーとして取り組んでいるが、そういった思想がこの指揮から感じられる。楽器の歌わせ方や間のとり方が絶妙で、様々なニュアンスを表現するオーケストラも見事。

 第3楽章は、丁寧さんの中にもとても勢いのある演奏。この楽章に限らないが、低音弦の切れ味がモーツァルト独特の疾走感を演出する。谷口さんはじめコントラバスセクションがいい仕事をする。

 まったく1曲めから見事な演奏になった。


 R.シュトラウスのオーボエ協奏曲は、6-5-4-4-2に刈り込んだ編成。プレトークでは「この曲は指揮者が居なくても演奏できる」とシェレンベルガーさんは仰っていたけれども、いやあ、偉大なるマエストロに物申すわけではないが、この曲、アンサンブルを創っていくのは相当難しいじゃないかと思う。特にソロを取ってオーボエ独奏に絡んでくる木管は相当に難しい。

 まずもってシェレンベルガーの独奏が美しすぎて美しすぎて、そして美しいだけでなく、なんと心に響く音だろうか。この曲自体、ロマン派の最後の黄昏の瞬間の輝きとも言うべき独特の美しさを持っているが、いやあ、これはもうこの世のものとは思えない世界だ。何度も目頭をハンカチで拭った。

 オーケストラの伴奏も素晴らしかった。シェレンベルガーとの協奏曲演奏の中でダントツに良かった。クラリネットの西崎さんを始めとした、オケ・メンバーとの掛け合いを、会場皆が楽しんでいる光景。ああ、いいなあ。こういう雰囲気。


 そして、メインは演奏時間こそ短いものの、ロマン派の王道にして、彫りの深い表現が求められるブラームスの第3交響曲。自分にとっては中学生の時に特によく聴いていた曲で、悩みの多かった時期に寄り添ってくれる曲だと思っていた。ところが不惑を越えた今でも、とても味わい深く、勇気づけ、寄り添ってくれる曲だと感じる。


 12-10-8-6-6という編成で、トロンボーンセクションは岡山フィルは未整備のため客演に頼る。曲の入り方はシェレンベルガー流。この曲は生演奏で、10回は聴いてきたと思う。冒頭の2音のあとの下降音階のテーマで力を込める演奏(時には、この冒頭でマックスのテンションの演奏もあり)が多い。数年前、同じ岡山フィルで三ッ橋さんが振ったときもそうだったが、そうなると往々にして、この楽章が持っているしなやかさや内省的な一面がスポイルされる結果を招くことが多い。しかしシェレンベルガーはそういったアプローチを取らず、冒頭はあくまで提示部としてとらえ、オーケストラから力みの無いしなやかな音を引き出す。このアプローチはベートーヴェンの5番交響曲の時もそうだった。

 曲が進んでいくなかで自然な流れの中に、重心の低い音楽がうねるように展開していく。劇的なドラマと、ブラームス独特の寂寥感・翳りを内包しながら、各パートの掛け合いによって力強い推進力で有機的に昇華していく。管楽器の充実っぷり、そしてそれが弦楽器と掛け合い、溶け合っていく。第2楽章は切ないほどの美しさだった。楽章が終わっても余韻が漂い、この静寂をも演奏の一部にしてしまうのは、もうこれは本物だと思った。

 第3楽章は過度にロマンティシズムに酔うようなことはなく、スッキリとした、それでいて深く味わえるような音楽に仕上げた。中間部の訥々とした語りっぷりが印象に残る。ここ数年で弱音の場面の表現が巧みになったと感じる。キモとなるホルンとオーボエの掛け合いも見事。ホルンの梅島さん、山陽放送のドキュメンタリーでは、愛嬌のあるニクめない性格で、失敗を重ねながら温かく見守られるキャラとして描かれていたが、彼は相当に腕の立つ奏者だ。技術が安定していて安心して聴ける。演奏が難しいこの楽器は、プロでもハラハラするような危なっかしさを感じることもあるが、そうした心配は彼には無用だ。

 第4楽章こそ、シェレンベルガーが火の玉となって導き、この曲で最高の見せ場を見せてくれた。木管陣は、まるで10年ぐらいアンサンブルを組んでるんじゃないかと思うほど緊密に連携し、トランペット。トロンボーンはかなり協力に鳴らした。迫力は相当なもので、ホール一杯にゲルマンの血が騒ぐような激しくも整ったアンサンブルを響かせた。

 それにしてもトロンボーン陣はかなり強力だった。


 シェレンベルガーの首席指揮者としての3期目の最初のコンサートだったが、この調子で演奏改革が進み、楽団の体制強化が図られれば、20年後には国内有数のオーケストラになるのも夢ではないと、本気で思わされる。そんなとても充実したコンサートだった。


 岡山フィルの演奏は、どの曲もよく作り込まれていて、オーケストラの実力が相当ついてきていることを実感させる。山陽新聞に後日掲載された記事によると、フォアシュピーラーに座っていたコンミスの近藤さんの声として、楽団員もとても手応えを感じたコンサートだったようだ。


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「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展
岡山県立美術館(2019年3月22日 鑑賞)
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===美術手帖HP EXIBITIONSから===========================

近年、伊藤若冲や曽我蕭白ら奇想の画家たちを紹介する展覧会が続けて開催されるなど、注目を集める江戸絵画。いっぽうで、明治150年の節目にあたる2018年には、江戸時代に次ぐ明治時代を様々な角度で照射し、日本の近代化を歩みが振り返られた。


 さかのぼること江戸時代では数多の流派が起こり、いまに伝わる傑作が生み出されたが、多くは前時代の作品や、中国・西洋からの舶載画を学習なくしては成り立たなかった。そして横山大観や菱田春草ら明治時代の日本画家たちも同様に、江戸時代の基礎を引き継ぎ、そこから革新へと踏み出すに至った。


 本展は、前後時代にあたる江戸・明治の日本絵画に焦点を当てるもの。円山応挙、伊藤若冲、曾我蕭白、横山大観、菱田春草、竹内栖鳳らによる逸品約180件をを揃え、両時代の絵画史をたどる。

 
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 なかなか更新する時間がなかったが、美術展の感想はコンサートの感想と並んで、あとで読み返してインスピレーションを得ることが多いので、今更ながらではあるが、印象に残った作品7点について書き残しておこうと思う。

◯紫陽花白鶏図/伊藤若沖 18世紀 個人蔵
 いかにも若冲の作品、との印象を持ったが、個人蔵の作品ということもあるのか、展覧会で見られるのは貴重らしい。大胆な構図と上品な色遣い。特に鶏の白色が強烈な輝きを放っている。ゴッホの白色にも負けていない印象の深さを与えてくれる。

◯白狐図/丸山応挙 安永8年(1779年)個人蔵
 印象深い白の世界では応挙も負けていない。くすんだ白の世界に佇む、今にも動き出しそうな狐の存在感に見入ってしまった。

◯富士越鶴図/長澤芦雪 寛政6年(1794年) 個人蔵
 僕が芦雪の名を知ったのは「なんでも鑑定団」だっただろうか。大部分が偽物、というオチが付くのだが、大胆な作品が多く、贋作作家の心もくすぐるのかもしれない。
 この「富士越鶴図」は今回の展覧会で最も印象に残った作品。須弥山のようにそそり立つ富士山(写実的にはありえない角度)の奥から飛来する鶴の隊列。圧倒的なスケールの世界に何度も戻っては見入ってしまった作品。

◯鈴木其一/草花図屏風 弘化元年(1844年)頃 個人蔵
 絵画としても魅力もさることながら、「デザイン」としても完璧にかっこいい。

◯椿椿山/鶏捕無実図 天保9年(1838年) 個人蔵
 〃 /花籠図 江戸後期(19世紀) 栃木県立美術館
 美術史に疎い私は椿椿山(つばきちんざん)の読み方すら知らなかったのだが、これほど写実的な絵を描く人が江戸時代に居たんだ、という驚きがあった。渡辺崋山のお弟子さんらしい。

◯今村紫紅/近江八景 大正元年(1912年) 東京国立博物館 国指定重要文化財
 中国の瀟湘八景を模して、琵琶湖の風景を書いたそうだが、壮大なスケールと緻密さが同居していて、絵の中に惹き込まれるような磁力があった作品。後期に足を運ぶことができず、8枚1セットのうちの4枚しか見られなかったが、それでも印象に残った。

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