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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(まえがき) [岡山フィル]

 岡山市の広報誌の11月号中の「議会だより」に次のような記事が掲載されていました。
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 岡山フィルは今年度、創立25年目にして楽団史上初めての常任のコンサートマスターを招聘、同時に10パートの首席奏者の招聘に踏み切った。この大改革は岡山市当局の予算措置とバックアップがあってのことだったことがわかった。
 24年間の長きにわたって、岡山フィルの演奏を聴いてきたファンとしては、これでようやくプロ・オーケストラとしての体制を整える、出発点に立ったのだと思うと、たいへん感慨深い。
 
 思えば当ブログで次のような記事を連続シリーズで掲載したことがある。
 
 
 
 
 今から読み返してみると、(その3)については我ながら未来を完全に予言していますな。岡山フィルよりも先に高松の瀬戸フィルが先に日本オーケストラ連盟に加盟したのも、この記事で危惧した通り、それでおしりに火が付いたのか?どうか解りませんが、岡山フィルもようやく今年の6月に加盟を果たしました。
 
 「日本オーケストラ連盟の加盟」と「岡山市の全面バックアップの約束を取り付けること」という2点が、記事掲載からわずか2年でかなえられ、このたび市議会において市当局から支援と予算措置を明言されたことは、非常に重要ですし、僕が思ったよりも速い速度でシナリオが進んでいますね。それだけに関係者の尽力には脱帽するほかないありませんが、それを支えたのは私を含めてシェレンベルガー&岡山フィルを応援する市民の声ではないかと思うのは自惚れでしょうか。
 
 しかし、まだまだ安堵はできない。何しろ「10パートの首席奏者」とは言っても、1回4~5万円の演奏手当しか出せない状況であり、広響や大フィルといった周辺のプロ・オーケストラのような「常設オーケストラ」(=楽団員を専属で雇用し演奏活動に専念する携帯)との待遇格差は極めて大きく、現状の体制の延長上で「都市格」を高めるオーケストラを創っていくのはほぼ不可能であると断言できる。
 普段、我々が「格」という言葉を使うときは、「格が違う」や「別格」といったように、他とは一段上の実力を持ったものを指します。都市格を向上させる(=岡山は他の地方都市とは別格である)ためのオーケストラとなるためには、それ相応の体制と実力が当然に伴っていなければならない。
 市議会の質問で言われた「都市格を向上させる」ようなオーケストラとはどのようなものを想定しているのか?それはわからないが、市当局が現実よりも甘く考えていることは容易に想像できます。
 現状の体制でも、まずは地域に愛されるオーケストラに育て上げることは可能な環境になりつつある。シェレンベルガーのもと、高畑コンマスと新しい首席奏者が中心になって楽団を作っていけば、これは本当に楽しみな展開が期待できそう。でも、シェレンベルガー氏の退任後は?高畑コンマスの退任後は?音楽ファンをわくわくさせるような活動が継続的に出来るのか?やはり相当に難しいのではないだろうか。
 今の岡山フィルの集客や熱気は、たぶんに属人的要素に頼っているわけです。これでは「都市格の向上」どころか、現状での活動を継続する未来予想図すら描けない。
 
 これらを踏まえて拙ブログでは、「国内オーケストラ業界研究と、岡山フィル発展への研究」と称して、国内のオーケストラの経営資料から、岡山という都市にふさわしいオーケストラのすがたを数字で見ていくことにします。次回は第1回として「国内オーケストラの中での岡山フィルのポジション」を見ていく予定です。
〇各記事へのリンク
(11月4日 追記)
 岡山市が制定した『文化振興ヴィジョン』の中にもこのような記載がありました。
『楽団独自の音楽スタイルを確立することにより、本市の都市ブランドの向上に寄与する楽団をめざしていく必要があります』
101vision.jpg
101vision2.jpg
 『都市ブランドの向上』という言葉も「都市格の向上」と、実質的な意味合いは同じであると思いますが、「都市ブランドの向上に寄与する楽団を目指していく『必要がある』」と、強い決意が表明されています。「そういうオーケストラになったらいいなあ・・・」的な曖昧な表現ではないわけです。
 これって、期待していいんですよね!岡山市長さ~ん!!

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アークティック・フィルハーモニー管弦楽団 岡山公演 [コンサート感想]

アークティック・フィルハーモニー管弦楽団 岡山公演


オルセン/アースガルズの騎行

グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調(*)

 ~ 休 憩 ~

チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調「悲愴」


指揮:クリスチャン・リンドバーグ

ピアノ独奏:ペーター・ヤブロンスキー(*)


2017年10月19日 岡山シンフォニーホール
CCI20171020.jpg


 プログラムのメインはチャイコフスキーの『悲愴』交響曲。
 これが僕が経験した中で、最もハイペースな『悲愴』でした。第1楽章が特に早く、テンポが早いだけでなく、通常パウゼを取る部分もほとんど間をおかずにサクサク進んでいく。あっという間に駆けていった印象。
 だからといってあっさりとした演奏だったわけではありません。リンドバーグの躍動的なタクトに導かれ、通常のテンポであれば見えなかった、次々に受け渡されるモチーフの展開の妙味や、ロシア音楽特有のリズム感が引き出され、なかなか得難い経験でした。


 細かい感想は後日更新します。

 それにしても若い、躍動的なオーケストラですね~。燕尾服ではなくスーツにネクタイ姿。楽団員さんの皆さんも人懐っこくて、出来立てほやほやのオーケストラであることを逆手にとって、新感覚のオーケストラという印象です。紹介動画も最高にイケてます。



 このオーケストラは 2009年にノルウェー政府によって設立。北極圏の都市全般を拠点に活動しているとのこと。ホームページを見るとフルサイズのコンサートオーケストラから室内管弦楽団、オペラまでフルラインナップの活動を行っている。
 オーケストラ全体の実力は、首席奏者はヨーロッパの一流どころに比べると、今一歩な印象が残ったが、管の2番手以降やトゥッティ奏者にいい奏者が多く、オーケストラ全体のレベルとしてはかなりのレベルだと思います。
 世界的にオーケストラの経営危機が言われ、実際に淘汰される時代に、新たに出来たオーケストラに一挙に優秀な奏者が集まって出来た。そんな印象を受けます。


 1曲目のオルセンの曲は 大河ドラマのテーマ音楽メドレーのような大変耳になじみやすい曲で、リンドバーグのスポーティーなタクトによく反応して、なかなかの熱演でした。それにしてもよく鳴ります。岡山フィルが最近とみに、よく鳴るようになった印象だが、さすがにここまでは鳴らないですねぇ。管楽器が特にパワフル。


 楽器の配置は10型2管編成。1stVn10→2ndVn7→Va6→VC6、上手奥にコントラバスが5本。管楽器がパワフルなだけに、バランス的にはヴァイオリン・ヴィオラがもう2本づつ欲しいところ。


 2曲目のグリーグのコンチェルト。細かい部分までアクセントを入れて土俗的な風合いを出すオーケストラに呼応して、ヤブロンスキーもアクセントを強めに演奏。一方で、繊細な部分は粒が綺麗に立っていて息をのむほどに美しい。 第3楽章のオーケストラが大音量で奏でられる部分も、まったく音量で負けていないのは、さすが。スウェーデン生まれの彼にとっては、この曲などは何十回と弾いているだろう。安定した演奏の中に聴かせどころがちりばめられていました。あまりにもスムーズに演奏してしまうので、正直、「この人の潜在能力はまだまだ底が深いんだろうな」という印象が残ったのも正直な感想。


 アンコールに演奏されたドビュシーの前奏曲から「花火」、これが匂い立つようなニュアンスたっぷりで、抜群によかった。次回はショスタコーヴィチの協奏曲やラフマニノフの3番あたりを聴いてみたい。


 メインのチャイコフスキーの『悲愴』交響曲。この曲に持っているイメージを完全にリセットさせられる演奏に最初は戸惑った。とにかくテンポが速い、陰鬱なメロディーも「ことさら暗く演奏するのは趣味が合わない」とばかり、流してしまう。第1楽章の途中から「先入観を取り去って聴かないと楽しめない」と思い、ただ、心を開き、体に沁み込んで来る音楽そのものを感じるように聴いた。
 すると、チャイコフスキーの緻密に計算された設計が透けて見えるようで、そして何よりすべての瞬間がはかない「美しさ」に溢れている。第1楽章終結部から第2楽章にかけての、爽快な美しさは生命肯定的なもので、「この曲に、こんな一面があったのか」と驚きながら聴いていた。このリンドバーグの解釈には賛否両論あるだろうが、僕の結論はこれはこれで「アリ」だ。

 オーケストラは細かいミスを気にすることなく、黒い衣装で登場した前半とは違う、紫の衣装を着たリンドバーグの(休憩前後で『お色直し』をする指揮者を初めて見ました、エンターテイナーやなあ)飛び跳ねるような指揮に呼応して、第3楽章では体操の集団演技を見ているような、スポーティーな演奏となった。ティンパニ・バスドラムを舞台奥ではなく、上手の前よりに配置していることもあって、打ち込みがクリアに聴こえてくる。

 第4楽章へはアタッカで繋げたが、この楽章もことさらに悲劇的に演奏しない。それだけに曲想の美しさが
感じられる演奏になった。
 ストリングスにヨーロッパのオケ独特のコクや、北欧オケ独特の透明感といった大きな特徴が無いのが、少し
物足りなかったが、まだ創立8年ということを考えると、今後の課題ということになるだろうか。

 ともあれ、岡山でこのレベルのオーケストラの演奏は、目下年に1,2回ぐらいしか聴く機会が無いわけで、
そういう意味では次回の来岡が楽しみなオーケストラです。


 アンコールにステンハンマルのカンタータ「歌」の間奏曲を持ってくるあたりは抜群のセンス。もう1曲は
リンドバーグがトロンボーンの妙技を見せたチャールダッシュ。会場は大いに盛り上がった。

 お客さんの入りは・・・うーむ、甘めに見積もって6割ぐらいでしょうか。市内の高校生も招待した様子でした。

 海外のオーケストラの公演といえば、長らく事務所売り出し中の若手の奏者がセットになって付いてくる場合が多く、ソリストの実力・経験に比してオーケストラが性能をもて余しているようなものが多かったが、最近は実力も実績もあるソリストをつけることが多いように思う。若手奏者にもチャンスは必要だが、彼らの履歴書に「名門○○フィルと共演し、好評を博した」の一文を付け加えるために、我々が高いチケット代を払わされる理由はないのですから。


 今回のツアー全体の招聘元はプロ・アルテ・ムジケ。これまで光籃社が担ってきた部分を同社が穴を埋めてくれているようだが、今年5月のタンペレ・フィルといい、いいオーケストラとソリストをつけて魅力的なプログラムを引っ提げてきている。この事務所の招聘事業は信用して積極的に足を運ぼうと思った次第。


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 ロビーではノルウェーにちなんだミニ絵画作品展が行われていた。5月のタンペレ・フィルの公演時にはミニ「ムーミン展」があったり、色々な工夫がありますね。

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岡山フィル第54回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 Vn独奏:青木尚佳 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第54回定期演奏会


ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調

 ~ 休 憩 ~

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー

Vn独奏:青木尚佳

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 オーケストラも指揮者も『完全燃焼』したコンサートではなかったでしょうか。「もう1曲やれ」と言われても、もう絶対に無理・・・それほど燃焼度の高いコンサート。世界最高の世界を知る男が、手足となる相棒(新首席コンサートマスター)を得て、プロの奏者が本気で燃えた演奏会、岡山でしか聞けない、だからこそ僕にとって意味のあるコンサートでした。今日の会場を共にした聴衆も同じ思いではないだろうか。


  今回の一番の注目は、楽団史上初の「首席コンサートマスター」の就任。新コンサートマスターにドイツの南ヴェストファーレン州立フィルハーモニーのコンマスを38年間勤めた、岡山出身の高畑壮平さんが就任した。
 この人事には正直驚いた。2年前のJホールでの「高畑壮平と岡フィルのなかまたち」コンサートの時に、シェレンベルガーと岡山フィルに対する好意的な印象を語ってくださったときに、心の中で『この方が首席客演でもいいからコンサートマスターに来てくださったら』と思っていたが、まさかの常任ポストへの就任。驚天動地です。
 南ヴェストファーレン・フィルは、来日回数が少ないため、岡山の人には知名度は低いかもしれないですが、ルール工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州の州立のオーケストラで、12型3管編成(約70人)規模の堂々たる常設オーケストラ。常任指揮者は日本でも人気のあるチャールズ・オリビエ=モンローといえば東京・関西のファンはピンとくるだろう。
 そのオーケストラのコンサートマスターが、故郷とはいえ非常設で発展途上の岡山フィルに来てくださるなんて、思ってもみなかった。

 シェレンベルガーの首席指揮者就任とともに、この高畑さんの首席コンマス就任。。。岡山で信じられないことが起きている。

 開演に先立って、その高畑新コンマスら5名の団員によるプレコンサートがあった。イタリアのバロック時代の作曲家:サンマルティーニの「弦楽合奏のためのシンフォニア」という曲。僕は初めて聞いたが、華やかで躍動感があって、すごくセンスのいい選曲です。


 開演15分前からは、高次事務局長の紹介で、シェレンベルガーさんと高畑さんのお二人によるプレ・トーク。
 シェレンベルガーさんのお話を高畑さんがドイツ語に翻訳、これでシェレンベルガーさんもオーケストラとの
コミュニケーションは格段に取りやすくなったと思う。お二人の信頼関係はすでに充分に醸成されていることがよく伝わってきた。


 1曲目のベートーヴェン/交響曲第2番。演奏が始まって、高畑コンマスの効果はすぐにわかった。これまでの定期演奏会からも、アンサンブル能力がみるみる向上している岡山フィルだが、ここへきて2段ほど上のレベルのオーケストラになったように感じた。
 そして、シェレンベルガーがいつもにも増して、オーケストラの要求レベルを上げているのがよく分かった。激しすぎるチェロバスの刻みや、第1・4楽章の随所でのベートーヴェンの感情が乗り移ったようなスフォルツァンドでは、シェレンベルガーのタクトに俊敏に、そして激しく反応し、その迫力に客席で思わずのけ反りそうになる、そして各楽器間の対話が極めて緊密で、アンサンブルの骨格ががっしりとしていること。


 家人とも話をしたのが、旋律の最後の部分やアクセントがかかる部分が「ドイツ語」的で、例えば母音のアクセントの強さや、英語のような曖昧な発語がないく一文字一文字が独立して発音される感じ、とか、子音のウムラート発音などの要素が、演奏される音楽のそこかしこに感じられ、それが演奏全体に骨太でかっちりとした印象を与えている。第4楽章の冒頭の演奏なんて、完全にドイツのオーケストラの節回しだった。

 シェレンベルガーと相性も良かった戸澤さんが客演コンマスの時の切れ味の鋭い演奏も良かったけれど、「外見は日本人ですが中身はほとんどドイツ人なんです」と語る高畑さんとシェレンベルガーは、ベートーヴェン解釈において、より気脈を通じるところがあるのだろう。ドイツ語の持つ言葉のテンポや発音が音楽の中に内包されて、それがより説得力を増していた。この音楽づくりにおいて高畑コンマスの果たした役割は非常に大きかったんじゃないだろうか。

 もちろん、岡フィルの健闘も素晴らしかったのだ。第1楽章の最後の一音がホールの残響として響き渡ったとき、「これぞ、ベートーヴェンの音」と思う素晴らしい響きだったし、第2楽章の弦楽器の美しさにも魅了された。
 一点、難点を言わせていただくと、以前から指摘している通り、やはり弦楽器奏者の中に何人かピッチを合わせきれない方がいて、この曲中何回か、その馬脚が見える局面があり、聴く方も一瞬、興がそがれてしまう。これだけオーケストラの演奏レベルが上がってくると、今まではわからなかった部分も見えてきてしまう。


 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲。「超新星の登場!」を実感した。
 青木尚佳さん、ロン=ティボー2位入賞の際は少し話題になった記憶があるのですが、今回、初めて聞きました。こりゃー、とんでもないソリストが現れましたですぞ!

 ティンパニと木管に導かれて、切ないメロディーが鳴った瞬間。


 「なんちゅう美しい音、こりゃすげー!!」


 と思いましたよ。音が太くて音圧も満点。高音の抜けの良さも尋常ではないレベル。オーケストラが割と容赦無く鳴っても(これまでの経験上、シェレンベルガーはソロ演奏でもオーケストラを鳴らす場面ではしっかりと
鳴らす印象)、まったく問題にしないパワフルさ。独特の輝きと味わい深さも兼ね備えている。1992年生まれというから、現在25歳?うそでしょ?20代の若手のソリストが、これほど堂々たる演奏と、テクニックだけではなく奏でる音の味わい深さは、心を惹きつけてやまない。
 青木さん、このまま演奏経験を積み重ねていけば、間違いなく世界の最前線で活躍するヴァイオリニストになる。そう確信した演奏でした。


 岡山フィルの伴奏も良かった。第2楽章の青木さんのこれ以上ない甘美なメロディーにつける、さざ波のようなストリングスの音を聴きながら、「この音はどこに出したって恥ずかしくない、堂々たるわが町のオケの音」と思いながら聴いていました。
 第3楽章では青木さんの圧倒的な存在感に、どんどん挑んて行って、両者の火花の散るような「競奏」はわが町のオーケストラながら天っ晴れな演奏でした。オーケストラがよくなれば、ソリストのソロも引き立つ。岡山に居たって世界レベルの芸術世界は体験できる。


 青木尚佳さん、もうすっかりファンになってしまいましたですよ。地元に来たら必ず足を運ぼう、なんなら関西・広島でも時間と交通費払ってでも聴きに行きたい。次はブラームスのコンチェルトあたりを聴いてみたいですね。 

 アンコールは、山田耕作の「この道」



 後半が始まるころには1時間25分が経過。今年1月の定期もそうでしたがシェレンベルガーの組むプログラムはいつもボリューム満点。17時で終演することの方が少ないです(笑)。楽団員はクタクタになるんじゃないかと思いきや、第1ヴァイオリンの近藤さん、入江さん、上月さんらの設立当初からのメンバーのお顔には充実感が漲っています。
 この日の各パートの首席にも、他楽団からのエキストラの方がいらっしゃってました。今回は、コントラバスに黒川さん、フルートに中川さん、ファゴットに中野さん、となぜか京響色の強い助っ人メンバー(笑)広上&京響の快進撃の立役者の皆さんも、この日の岡山フィルのパート間のコミュニケーションが饒舌で、骨太な一体感のある演奏を評価してくださるのではないだろうか。他の助っ人の皆さんも含めて、本当に献身的に演奏してくださった。
 これまでは「コンマス+首席奏者の殆どが他楽団のエキストラ」という編成に、シェレンベルガーも遠慮して(あるいはチャレンジがしにくい足枷をはめられて)いたんだなあ、と思います。

 もう一つ大きな変化を感じたのは、ダイナミクスの振幅が、今までは7段階ぐらいだったのが、再弱音が+2段階、最強音一歩手前に+1段階ぐらい加わった感じ。第1楽章の8ビートのリズムとバランスを保ったまま、
再弱音に落として巧みにギアチェンジをしながら盛り上がっていく場面は鳥肌が立ちました。この曲もドイツ語的な節回しは健在。交響曲第1番では一部奏者のピッチのズレが気になったヴァイオリンも、よく弾き込まれているのかこの曲では感じません。


 第1楽章の提示部の繰り返しは無し、第4楽章で一か所、「あれっ?」と思う箇所があって、CDや生演奏で親しんでいたものとは違う楽譜かも。
 第2楽章は木簡陣のソロが見事、ここれもダイナミクスを広く取った劇的な表現が印象ん残ります。第3楽章は新コンマス体制の強みがいかんなく発揮。コミュニケーション量が豊富で、前半の第1番の第3楽章でも見せたのですが、ちょっと間を置いて、各パートが対話をしているような生き生きした表現が印象的。
 この日のコンサート、ここまでが非常にハイカロリーかつ異常な集中力連続だったので、「最後まで持つかな?」と心配したのもつかの間、シェレンベルガーのタクトの勢いは一層熱を帯びていきます。これほど激しいタクト捌きを見せたのは、東日本大震災被災者鎮魂のためのドイツ・レクイエム以来です。


 曲の中盤でも間を多用し、さながら「だるまさんが転んだ」を思い起こします。この曲、こんなにハイドン的な面白い仕掛けがあったんや、という発見あり。岡フィルも完全についていきます。
 終盤は少しづつ少しづつテンポも上げていっても全パートふるい落とされることはありません。シェレンベルガーも楽団員も高畑コンマスを信頼しているのが解ります。本当にいいオーケストラになったと思った大団円でした。

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 お客さんの入りは7割ぐらい?プログラムからすると満席になってもいい筈なんだけれど、これには理由がある。今週は「おかやま国際音楽祭」の開催中で、同じ日に「マーチング・イン・オカヤマ」が開催されており、岡山市内の吹奏楽関係者の多くはこちらに参加している。高校のブラバンの顧問をしている私の友人も「音楽祭かなんか知らんけど、音楽人口の少ないこの街で、イベントをかぶせるなんて愚の骨頂!」と、かなりお怒りだった。こんなにいい演奏をしているのに、いつも聞きに来ている方が来られないというのは、何のための音楽祭だろう?という疑問は消えない。昨年みたいに日程をずらしてほしかった。

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ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル 倉敷公演 [コンサート感想]

第102回くらしきコンサート ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル


モーツァルト : 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457
ショパン   : ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61「幻想ポロネーズ」
  ~  休 憩  ~
ヤナーチェク : 草陰の小径にて 第2集
J.S.バッハ : イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811


2017年10月3日 倉敷市芸文館

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 このコンサート企画が発表された際、『よくぞ、この方を招聘してくださった!』と思いました。そして、倉敷市芸文館という音響の優れた中規模ホールで聴けたのも僥倖。このホールでよく会場設定してくださったと思う。


 演奏は圧倒的だった。クラシック音楽の宿命であるこれまでの演奏の『蓄積』から自由になり、一音一音を再構築していくような演奏に、ただひたすら引き込まれ、ひれ伏しました。ピアノ演奏不感症(オーケストラや弦・管楽器の独走に比べて、ピアノ演奏で感動することが少なかった)の自分が、これほど心に沁みたのは何年振りかの出来事でした。


 アンデルシェフスキの演奏を聴くのは、今回が2回目。1回目はバンベルク響との共演で、その時は補聴器のハウリング音のため、彼の音楽を充分には楽しめなかった。あれ以来、万全の状態でアンデルシェフスキの音楽に触れたい、と熱望していたところに今回のコンサート企画が飛び込んできた。前日の反田恭平さんのコンサートも自重してこのコンサートに全精力を傾けた。


 1曲目のモーツァルトの幻想曲K.475とピアノソナタK.457は続けて演奏された。しかし、これは本当に違う作品番号の曲なのだろうか?ソナタの第1楽章は、幻想曲のモチーフが展開してできているようにしか感じない。それもそのはず、この曲はもともと連続して演奏されるように書かれているとのこと。

 アンデルシェフスキ(以下、アンデルさん)の深く、深く、精神の奥底に沈み込むような音に、しょっぱなから飲み込まれた。そんな暗黒の淵に光が差すように、モーツァルトのピュアな旋律が降り注ぐ、弱音への徹底したこだわり、全曲に渡って左手の彫りの深い音をフィールドに、右手の変幻自在な音楽が展開されていく。


 3曲目のショパンの幻想ポロネーズ。この曲はピアノを習っていた姉が、高校生のころに何度も弾き込んでいた曲で、間違いの多い箇所は嫌になるほど聴かされた曲(笑)私の実家は外壁のみの防音構造のリビングのピアノの音が、階段から僕の個室である2階の部屋に抜けていく構造になっていて、僕がどうしてもショパンが好きになれないのは、姉の練習を何千回何万回と聞かされてきたからかもしれない。

 たぶん・・・プロフェッショナルな演奏でこの曲を聴くのは初めてだった・・・と思う。「なんなんだ、この曲、全然違う曲に聞こえる!」音源で聴いた他の巨匠たちの音楽とも違う。過去の演奏をブラッシュアップしたような・・・そんな生易しいものではない、脱構築の工程を経て再構成されたような、一つ一つの音符すべてにアンデルシェフスキの思想が宿り、意味を持って聞き手に迫ってくる。最後の激しい部分ではピアノの弦が切れるんじゃないかと心配するほどの強い打鍵で、自分の奏でる音楽を聴衆に問うてきた。思わず目の奥が熱くなってくるが、何とかこらえる。


 休憩をはさんだ後のヤナーチェク。前半のモーツァルトとショパンは、その2人の作曲家への僕のイメージを完全に覆す、内省的な音楽だったが、このヤナーチェクでは、もの悲しさと翳りを内包しつつも、プリミティブな魅力を湛えた演奏。プログラムノートには、この時期のヤナーチェクは娘を失うなどの悲しみに打ちひしがれていたようだが、時に心に寄り添い、時に躍動するアンデルさんの音楽には悲しみや辛さといった単色の感情では表せない奥深さがある。


 ヤナーチェクからバッハも、休憩を入れることなく続けて演奏された。それはまるでホールの隅々にまで満たしたアンデルさんの音楽世界を、聴衆の拍手によって破られることを嫌っているようだ。

 この日のホールの中の雰囲気はすこぶる良かった。お客さんは、800席ほどのキャパのホールに8割程度の入り。アンデルシェフスキほどのソリストのコンサートなのに満員にならないのか・・・と驚いたが(でも、ド平日のソワレの割にはよく入ったとみることも出来るかな・・・)、それがある種の「少数精鋭」効果を発揮して、雑音のまったくない理想的な空間だったように思う。

 バッハのイギリス組曲第6番。この演奏が圧巻だった。途中から頭が真っ白になって、純白の石づくりの堅牢な建築物の中に、アンデルさんの音楽と自分の魂だけがそこにある、そんな錯覚を覚えた。この大きな大きな音楽は、オーケストラが演奏するブルックナーの交響曲にも充分対峙してしまうだろう。一音一音が収まるところに収まる気持ちよさ、対位法が駆使された旋律同士の隙のない対話が音楽をどんどんと高みへと昇華していく。

 第1曲のプレリュードと第7局のジーグなどは、ほかの巨匠の演奏よりもかなりテンポが速かったと思う。それでいてこの完璧さ。技巧を前面に出すタイプのピアニストではないアンデルさんだが、ここの演奏はその音楽世界とともに、職人芸にも痺れさせられた。


 アンコールはなんと3曲も。それもこじゃれたアンコールピースなどではなく、ショパンのマズルカを3曲も!

 ショパン/マズルカハ短調op.56-No.3、マズルカロ長調op.56-No.1、マズルカop.59-No.1


 コンサートの只中のアンデルさんは、本当に厳しい雰囲気で、その厳しさに会場には戸惑ったような雰囲気さえ漂っていたんですけれど、コンサートが終わると本当にサービス精神が旺盛で、サイン会まで開いてくださって・・・。21世紀は巨匠の時代は終わった・・・なんて言ってる人もいるけれど、アンデルシェフスキは今の時代に生きる本物の巨匠です。


 年に何回もピアノのソロコンサートに行くことはない自分ではありますが、今まで足を運んだピアノのソロコンサートの中で、ベスト1のコンサートになった。


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※中秋の「十四夜」、望月よりも少し欠けた月が味わい深い

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