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テッド・ローゼンタール・トリオ × 岡フィル [コンサート感想]

テッド・ローゼンタール・トリオ × 岡フィル

バーンスタイン/キャンディード序曲(オーケストラのみ)
ガーシュイン/サマータイム
  〃   /Someone to watch over me ~優しき伴侶を~
  〃   /They can't take that away from me
  〃   /Fascinatin' Rhythm(トリオのみ)
 ~ 休 憩 ~
ガーシュイン/パリのアメリカ人(オーケストラのみ)
  〃   /ラプソディ・イン・ブルー
指揮:山本祐ノ介
共演:テッド・ローゼンタール・トリオ
  ピアノ:テッド・ローゼンタール
  ベース:植田典子
  ドラム:クインシー・デイヴィス
コンサートマスター:高畑壮平
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 テッド・ローゼンタール・トリオ、圧巻の演奏だった。岡山フィルのファンを自称する私をしても、この日のハイライトはどこかと言われると、トリオのみ(オーケストラ抜き)で演奏されたFascinatin' Rhythmだった、と言わざるを得ない。それぐらいこのトリオの演奏は圧巻!

 岡山フィルも頑張っていたのは間違いないが、今回はジャズの世界的トッププレイヤーたちと、クラシックではなくジャズの土俵で勝負するわけだから、このトリオにおいしいところを全部持っていかれるのは仕方がない。しかしオーケストラのみで演奏される「パリのアメリカ人」でも、演奏そのものは悪くなかったが、どこか余裕がない、全体的に硬い感じがして、いつもの岡山フィルらしく無い感じがあったのは、トリオの圧倒的な存在感を前に、肩に力が入ってしまったのだろうか?
 これが、例えばブラームスのピアノコンチェルトで勝負!という舞台設定だったら、オーケストラがジャズメンたちを飲み込んでしまうかもしれない。いや、やっぱりこのトリオの前には返り討ちにあってしまうかな。
 私も含めたクラシック音楽ファンの中には「ジャズのライブに行ってみようかな・・・」と思った人は多数いたはず。ジャズ音楽ファンの人達が「岡山フィルもなかなかやるわい。クラシックのプログラムのコンサートに行ってみようかな」と思っているかどうか、私には分からないが(ぜひ、そうあってほしいと思うが・・・)、岡山フィルのベスト・コンディションではなかったことは書いておこうと思う。
 クラシックの土俵で演奏させたら、今の岡山フィルは相当すごいんだよ。(まだ感想を書ききれていないけれど)5月の定期演奏会でのモーツァルトやブラームスでの音楽づくりは、そりゃーもうすべての音楽ファンが聞いても唸らせるような凄い演奏だったのだから。今回、テッド・ローゼンタール・トリオ目当てで会場に足を運んだ人も、騙されたと思って、ぜひ岡山フィルのコンサートにも来てほしいと思う。

 ここ数年はシェレンベルガーのもと、ドイツ音楽の低音弦を隙間なく響かせ、それを土台に旋律楽器を歌わせる、という音楽づくりをしてきたから、カーシュインのように、弦楽器が重厚な土台を作るのでは無い、音の行間にニュアンスや色気・ウィットを漂わせる、というのは、なかなかに勝手が違った、ということもあるだろう。ラプソディ・イン・ブルーも、テッドの編曲によるもので、何度かこの曲を演奏しているオーケストラにとっても、一筋縄でいかない、想定よりも手間ががかかったプログラムだったと思われる。それでも、弦楽器は8→6→4→4→3という小ぶりな編成ながら、その編成を活かして、特にささやくような甘い場面での表現は見事だったし、管楽器のソロの部分は「そう好きにさせるか」と言わんばかりに、ジャズメンからの煽りや挑戦に対し、時に見事に対峙し、時に溶け込み、時に玉砕し・・・。でも、気持ちは伝わってくる演奏だった。そんな中で高畑コンマスのソロは、流石の一言で、場数を踏んだプロの音楽家の経験値がものを言っている気がする。
 と、まあ、ジャズVSクラシックという軸で聴くとこういう感想になってしまうが、何よりも両者の波長がシンクロする瞬間が、この日の一番のごちそうだったかもしれない。Someone to watch over me でのテッドの繊細なタッチとクインシーの聴き手の脳をほぐしてくれるようなブラシでなぞるスネアの音の輪に入ってくる弦五部の色気のある音、あるいはラプソディ・イン・ブルーの中間部の、あの有名なメロディーが流れる時間の、愛しいほどの美しさ。見せ場では、山本祐ノ介さんが、父:直純さんを思い起こさせるような、思いがはち切れんばかりのタクト。
 全体的には、とても素敵な時間だったと思う。
 このトリオは何とも言えない気品を湛えていて、オーケストラのサウンドに本当に見事に付けていってくれる。共演2回目だそうだが、アンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演で、岡山フィルのアンサンブルのステージが1段上がったように、今回の共演もいいきっかけになるんじゃないかと思う。
 ラプソディ・イン・ブルーは本当に「名曲」だ。このトリオに掛かると、この曲には人生の機微のすべてが詰まっているように思わされる。例えば、ベートーヴェンやマーラーの交響曲に人生のすべてが詰まっているように・・・。
3回目の共演があるとしたら、岡山フィルのメンバーがどこまで食い下がれるか、見てみたい。そして、ジャズに限らず、こういうコンサート、関西フィルの「サマー・ポップス・コンサート」みたいに、恒例行事に育ててほしい。

 会場はクラシック畑の聴衆6割、ジャズ畑の聴衆4割といった割合だった。なんでその割合が分かったかというと、ベースやドラムのカデンツァ(ってジャズではなんていうんやろう?)の後に拍手をしていた割合で分かった。私のようにクラシック畑の聴衆は、やはり演奏中に拍手をするのは躊躇してしまうが、ジャズ畑の聴衆は絶妙の間で拍手を入れてくるので、感心する。

 惜しむらくは、もう少しお客さんが入ってほしかったこと。5割を切っていた(1000弱ぐらい?)かもしれない。それでも平日夜のコンサートとしては入っていたほうだったが・・・。

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岡山フィル第60回定期演奏会 指揮&ob独奏:シェレンベルガー [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第60回定期演奏会
〜シェレンベルガーが届けるウィーンの香り〜
モーツァルト/交響曲第38番ニ長調「プラハ」
R.シュトラウス/オーボエ協奏曲ニ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第3番ヘ長調
指揮・オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫
2019年5月26日(日) 岡山シンフォニーホール
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 指揮にオーボエ独奏に、獅子奮迅の活躍を見せたシェレンベルガー、当然、今回のコンサートの主役ではあるのだが、オーケストラの奏でる音も本当に素晴らしかった!
 シェレンベルガーさんが岡山フィルの首席指揮者に就任したとき、「私の経験をすべて、この岡山のオーケストラに注ぎたい」と仰っていて、シェレンベルガーと岡山フィルの6年間の足跡を見てきたファンとしては、まさに有言実行をしてくれたことは重々、わかっていたのだが、今日は、シェレンベルガーという偉大な音楽家が、岡山フィルに情熱を注いで、それが花開こうとしていることに、心の底から感動を覚えた瞬間だった。
 モーツアルト38番交響曲の冒頭の「ブルルン」とした弦の響きに『これぞ、シェレンベルガーが植え付けたドイツ語圏の響き』に酔い、弦楽器の白銀の輝きのような磨き抜かれた響きに仰け反り、特に第1楽章の最後のヴァイオリンの『泣き』には「いつから岡山フィルはこんなおとを出せるようになったのか」と感じ入った。
 オーボエ協奏曲は、シェレンベルガーの独奏が美しすぎて美しすぎて、何度も目頭をハンカチで拭った。そして、クラリネットの西崎さんを始めとした、オケ・メンバーとの掛け合いを、会場皆が楽しんでいる光景。ああ、いいなあ。こういう雰囲気。
 ブラームスの3番は、自然な流れの中に、重心の低い音楽がうねるように展開していく。劇的なドラマと、ブラームス独特の寂寥感・翳りを内包しながら、各パートの掛け合いによって力強い推進力で有機的に昇華していく。
 見事な演奏だった。
 シェレンベルガーの首席指揮者としての3期目の最初のコンサートだったが、この調子で演奏改革が進み、楽団の体制強化が図られれば、20年後には国内有数のオーケストラになるのも夢ではないと、本気で思わされる。そんなとても充実したコンサートだった。
【詳細は、だいぶ時間が経ってから書き加えるかもしれません】

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「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展
岡山県立美術館(2019年3月22日 鑑賞)
【鑑賞記作成中】
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 訪館から1ヶ月半が経って、もう次の特別展が始まってしまているが、記憶もおぼろげになってきている中でも、5点ほどの作品は強烈な印象が残っている。また、時間のある時に更新したい。
===美術手帖HP EXIBITIONSから===========================

近年、伊藤若冲や曽我蕭白ら奇想の画家たちを紹介する展覧会が続けて開催されるなど、注目を集める江戸絵画。いっぽうで、明治150年の節目にあたる2018年には、江戸時代に次ぐ明治時代を様々な角度で照射し、日本の近代化を歩みが振り返られた。


 さかのぼること江戸時代では数多の流派が起こり、いまに伝わる傑作が生み出されたが、多くは前時代の作品や、中国・西洋からの舶載画を学習なくしては成り立たなかった。そして横山大観や菱田春草ら明治時代の日本画家たちも同様に、江戸時代の基礎を引き継ぎ、そこから革新へと踏み出すに至った。


 本展は、前後時代にあたる江戸・明治の日本絵画に焦点を当てるもの。円山応挙、伊藤若冲、曾我蕭白、横山大観、菱田春草、竹内栖鳳らによる逸品約180件をを揃え、両時代の絵画史をたどる。

 
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生演奏から貰う良質な「気」 [雑感]

 3月よりこっち、多忙を極めており(それ以上に疲労困憊で)更新ができていない。コメントへのお返しも滞っており、申し訳なく思います。
 この間、県立美術館の展覧会に行ったり、内輪のコンサートにいったりはしている。県美の展覧会はもう会期が終わってしまったが、後日、落ち着いた時期に感想を更新するつもり。
 最近、体の方も色々とガタが来ており、頚椎の方は幸い小康状態を得ているが、全体的に体調は低空飛行を続けている。不惑を越えてから少し悟ったのは、人間には持って生まれたエネルギー・生気の量は平等ではないということ。自分はエネルギーが少なく、枯渇しがちになる部類だと思う。
 エネルギーが少ないのに、生来エネルギーが漲っている人を成長の目標にしたり、追随しようとしたりして、これまでしんどい思いをしてきが、今は、限られた「資源」をどうやって使うかを考えている。
 旅行に行ったり、飲み会の二次会三次会で発散できる人は羨ましいが、自分が真似しても消耗するばかりで何もいいことはない。ただし、絵画鑑賞やコンサートは、自分にとって数少ないエネルギー補給源なのだろう。クラシック音楽で言えば、作曲家も演奏家も、エネルギーが漲っているタイプの人が多いだろう(もしくはエネルギー枯渇タイプの人は早世している)が、自分のような「気」が少ないものにも恩恵をもたらしてくれる。
 2時間、椅子に座っているだけで、良質な「気」が体に入ってくるのがわかる。特に、最近の岡山フィルは、良質な「気」が漲っていると思う。
 今は、関西や広島まで出かける気力は無いが、月1回ぐらいは生演奏に触れて充電する時間を持ちたい。

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岡山フィル2019/20シーズンプログラム [各地プロ・オケの年間プログラム]

 岡山フィルの2019/20シーズンのプログラムの一覧を、自身の参照用に貼っておきます。このエントリーは4月1日に置くようにします。
 各コンサートへのコメントは、こちらのエントリーに記載しています。
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※4/6追記 シェレンベルガーによる津山特別演奏会開催決定!!
20年2月2日(日) 開演時間未定
津山特別演奏会 会場:ベルフォーレ津山
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン独奏:岸本萌乃加
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」 ほか
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心身の健康があってこその音楽の愉しみ [日記]

 2月22日の朝方、背中の左側の激痛で目が覚める。痛みと痺れのために、起き上がるのもやっと。通勤は自転車だが、左手でハンドルを持つこともままならない。
 痛みは左肩から腕へと戦線拡大し、椅子に座っているだけでも苦痛に感じる状態になる。
 駆け込んだ整形外科でレントゲン、3日後にMRIを撮影しての診断結果は『頚椎椎間板ヘルニア』。
 というわけで、2月28日の佐渡&反田&日本センチュリー響@岡山シンフォニーホール、3月2日の堤剛&萩原麻未@大原美術館、3月10日の岡山フィル定期、3月13日のシェレンベルガー&ヌニェス@岡大Jホール・・・と立て続けに欠席と相成りました。
 岡山フィル定期は無理してでも行こうと思ったんですが、痛みや痺れのため同じ姿勢を続けることが困難で、ゴソゴソすると周りの迷惑になるし、(夜中の疼痛により)睡眠が充分に取れていないため心身ともに疲弊してしまって、正直、「何が何でも聞きに行くぞ」という意欲が持てなくなっていました。
 コンサート鑑賞は椅子に座っているだけだから、少々の病気や加齢でも続けられる趣味だと思っていましたが、やっぱり心身ともに健康であればこそ楽しめるものだと実感。
 幸い、3度の神経ブロック注射が奏功してきたようで、多少はマシにはなっていますが、当分はコンサートは自粛ですなァ。根治は難しいため、復帰はいつのことになるやら・・・という感じです。ルネスホールやJホールの椅子(ソファ・タイプではなく、仮設の可動椅子)での鑑賞は、当分は無理だろうなあ。岡山シンフォニーホールなら姿勢矯正のためのクッションがあればなんとかなりそうだが、そもそもクッション類を持ち込み可能かどうか、今度聞いてみようかな。

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広島交響楽団第25回福山定期演奏会 指揮:小泉和裕 Pf:小川典子 [コンサート感想]

広島交響楽団第25回福山定期演奏会
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
指揮:小泉和裕
ピアノ独奏:小川典子

コンサートマスター:佐久間聡一

2019年2月17日 福山リーデンローズ大ホール
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 広響の福山「定期会員」になってからの初めて自分の「定期会員席」で聞くコンサート。天井桟敷ではなく、1階のど真ん中の席で聴く。来年度からは4200円のこの席を3500円で聴けるようになる。お客さんの入りは、2、3階席の様子は把握できていないが、恐らく6割ぐらいの入りだろうか。

 ブログには何度も書いてるが、岡山シンフォニーホールでのコンサートにもチラシを配ったらどうだろうか?公立ホールで県域の違うお客さんに広報するのが難しいのかもしれないが、今回のコンサートには岡山フィルの3月定期のチラシは入っている訳で、その逆が出来ないのは、ちょっと解せない。


 オーケストラの編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型ストコフスキー配置。


 1曲目のドン・ジョヴァンニ序曲。広響がこのホールで演奏する時の1曲目の演奏の際によく感じるのだが、普段は極めデッドなホールを本拠地にしていることもあるのか、残響に手こずっているような、フォーカスが微妙に合わない感じのある演奏。もっとも、このリーデンローズの残響豊富な音響に聴き手の自分が慣れるのに時間がかかることもあるだろう。


 リストのピアノ協奏曲は実は苦手。ピアノ独奏部分は魅力的だが、オーケストラ・パートが(リスト愛好家の方々には申し訳ないが)どうにもイモっぽいというか、こんなに魅力的なピアノ独奏を書けるのに、このオーケストレーションはなんなんだ?との思いを持ってしまう。

 リストのコンチェルトのソリストは小川典子さんで、前回聴いたのが10年ぐらい前の京響と共演した、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディ。その時の感想は『まさに円熟のピアニズム。脂の乗り切った演奏を大いに堪能した』という趣旨のことを書いていたが、その時の印象よりも、ますます表現の円熟味を堪能させてもらった。

 小泉さんの指揮は、ソリストへ挑んだり煽ったり、ということは無く、ときどきそれが物足りないと思うこともあるのだが、今回の演奏は、小泉さんの職人芸と小川さんの会場を巻き込むような存在感と、グイグイと音楽を手動する力が相まって、指揮者・ソリスト・オーケストラの関係性の妙を堪能できた。「ああ、リストのコンチェルトって、こういう風に聞くととても面白い」という説得力に満ちた演奏だった。

 協奏曲、というよりもオーケストラ伴奏付きの「ピアノ組曲」なのだろうな、この曲は。オーケストラ伴奏のバレエ組曲のような、そんな構成になっているのだろう。

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 後半はブラームスの交響曲第1番。これはもう小泉さんの『誰がなんと言おうと、これが普遍的なブラームスの世界なんだ』という確信に満ち満ちた演奏になった。今の時期、コンサートゴーアーの間で話題沸騰中のクルレンツィス&ムジカ・エテルナなどが、革命的な演奏を世に問うているが、僕はこの小泉さんが描く世界にも抗いがたい魅力を感じる。

 どっしりとした低音の上に音楽を構築的に積み上げていく重厚で浪漫あふれる演奏。テンポは速めだが、歌うところではじっくりしっとりと歌わせる。それでいて弛緩するところのない筋肉質で充実した音楽だった。

 第1楽章や第4楽章での、各パートが呼応しながら音楽が盛り上がっていく場面では、「そうそう、こういうブラームスが、僕は聞きたかったんだ」と、何度も頷首しながら聴き応えのある音楽を堪能したが、特筆すべきなのは第2楽章。これほど雄大な景色が目に浮かぶような、泣けるほど美しくどこまでも広がるヴィジョンを作り出せる指揮者が、今、どれほど居るだろうか?天井を見上げながらその世界に耽溺した。第2楽章でのコンマスの佐久間さんのソロ、第4楽章の中間部の倉持さんのホルンや岡本さんのフルートなど、どれも素晴らしく、他にも聴きどころはたくさんあったが、この日のコンサートはなんといっても小泉さんの音楽美学の中での出来事、という感が強く、楽団員さんの思いも恐らく同じだったようで、終演後のカーテンコールでは、3回目ぐらいの指揮者を称える「お約束」よりも前に、すでに楽団員が小泉マエストロを称える様子(特に、ヴィオラの安保さんの讃え方がカッコイイ)が印象に残った。広響のこういう雰囲気、僕は好きです。


 アンコールがなかったのも小泉さんらしい。このブラームスのあとに、余計な音楽は不要ということ。15時開演で終演は16時40分。福山駅からビミョーに距離のあるリーデンローズまでは、行きも帰りもあーと屋さんの車に乗せていただき、色々とお話も出来て感謝です。


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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019
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J.S.バッハ/3つの主題による4声のフーガ
  〃  /コラール「我が心の切なる願い」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調「ハープ」
 〜 休 憩 〜
シューベルト/弦楽四重奏曲第15番ト長調

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
 Vn:守屋剛志
 Vn:ディミトリ・パヴロフ
 Va:グレゴール・フラーバー
 Vc:松本瑠衣子

2019年2月1日 日本キリスト教団岡山教会

 一流の技術を持った4人が、アンサンブルを磨きに磨き上げ、そして燃焼度100%の本気の演奏をしたら、こんな凄い音楽になる・・・・。守屋さんが倉敷のご出身(しかも真備だったんですね、去年の災害時は心を痛めておられたでしょうね)という縁で、こんなハイレベルのクァルテットの演奏で、室内楽の主要レパートリーを毎年のように聽かせてもらえる。そのことを教会の十字架を目の前にして、文字通り神に感謝した演奏でした。本当に、神々しいサウンドでした。

 今回の会場は日本キリスト教団岡山教会。天満屋のすぐ北というとても便利が良い場所だ。初めて中に入ったのだが、間口に比べて意外に奥行きがあり、建物2階にある礼拝堂のキャパは180人ぐらいか。ヴァイオリンの守屋さんも初めて演奏する会場とのことだった。

 

 会場は満席のうえに丸椅子の補助席まで出る状態で、220人ぐらいは入っていたと思う。舞台右手にはパイプオルガンがあり、オルガンコンサートも行われているとの事。教会と言っても躯体はコンクリートのビルなので残響は少ない。しかし、音は結構芳醇に響き、舞台と客席が近く一体感がある。ただ、空調は普通の業務用エアコンなので演奏中は空調を切らざるを得ず、足元からの冷えが少し堪える(笑)皆さんコートを足に掛けて聴いていた。

 

 カルテットの配置はヴァイオリンが向かい合う対向配置で、これまでのQBTとはヴィオラとセカンドヴァイオリンの位置を入れ替えた感じ。そして、前回、僕が聴いたときとヴィオラのメンバーが変わっていて、そのグレゴール・フラーバーさんは開演前の時間に、客席側と舞台背後でアクションカメラを入念にセッティングをセッティングをされていたのだが、その時の雰囲気がとても気さくそうな印象。


 バッハ2曲はノンヴィヴラートでの演奏。透明感のある純度の高い音が響き合いながら重なり合い、ますます輝きを増していく。まるでクリスタル細工のような、そんな輝きを放っていた。『3つの主題による4声のフーガ』は未完の作品で、バッハ特有の対位法やフーガの幾何学的な音の万華鏡が、突然終わってしまう。これは人間の死、そのもののように感じる。

 それを慰撫するように、アタッカ気味にはじまったコラール「我が心の切なる願い」の美しさと安らぎに心を完全に持って行かれる。


 死と魂の救済を感じさせる演奏の後に演奏された、ベートーヴェンの「ハープ」も素晴らしかった。

 この曲が作曲されたのは交響曲第5番や第6番「田園」、あるいはピアノ協奏曲第5番「皇帝」が作曲さされた、いわゆる「傑作の森」の時期の真っただ中で、やはりこの曲も、この時期のベートーヴェン特有の強い意志と躍動感を感じさせる曲で、バッハの2曲や後半のシューベルトの作品に感じる死の影を「死など何するものぞ」と吹き飛ばすような楽曲に感じた。

 QBTの演奏はダイナミクスの切り返しがとても鮮やかであると同時に、磨き抜かれた美しさやしなやかさを感じさせてくれ、生命力あふれる演奏だった。特に第3楽章の推進力には圧倒された。ベートーヴェンはやはり当時の最先端の音楽だったことを感じさせる


 後半のシューベルトは、輪をかけて熱気のある演奏になった。この曲、45分も要する大曲で第1楽章だけで20分近くのボリュームがあるのだが、全く長く感じない。音のダイナミクスの付け方の鮮やかさ、特に弱音部分での表現の多彩さは、神業としか思えない。それでいてとても芳醇な音楽が聞こえてくる。微に入り細に入り作りこまれていて、これはやはり世界レベルのカルテットだからこそ聴けるのだと思う。

 シューベルトの晩年(といっても30代の、そうそう、ちょうど守屋さんが「シューベルトが亡くなった年齢に、僕も達してしまった」とプレトークでお話されていました)の曲には死の影を感じる曲が多く、この曲も孤独や死の雰囲気は多分に感じるのだが、このQBTの演奏は暗い死のイメージではなく、浄化と救済のイメージに重なる。

 第3楽章のスケルツオからタランテラのリズムが印象的な第4楽章への燃焼度の高い演奏は凄いとしか言い様がないぐらいに圧倒された。決してノリや勢いだけなく、音の重なりや掛け合いすべてに計算しつくされ作りこまれた土台の上に、その場の聴衆も巻き込んで「創造」されていく。冒頭にも述べたとおり、岡山でこんなコンサートが聴けることを感謝したひとときだった。


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佐渡裕&日本センチュリー響のコンサート [コンサート情報]

 今年の岡山シンフォニーホールでの公演は、ほぼ毎月、岡山フィルを中心にしたオーケストラ公演が楽しめるラインナップになっていますが、次に楽しみなのが来月の佐渡裕指揮、日本センチュリー交響楽団の公演です。
 この公演の注目点は指揮の佐渡さんと、ピアノの反田恭平さん、というのが一般的な認識だろうと思いますが、僕は、日本センチュリー交響楽団の演奏に期待をしています。
 関西にはプロ・オーケストラが6つありますが、センチュリー交響楽団は京都市交響楽団と並んで、西日本でトップのアンサンブルを誇るオーケストラだと思っています。 
 この3年間、僕が聞きに行った日本センチュリー交響楽団のコンサートの感想一覧です。
 こうして列挙してみると、自分でも驚くぐらい足繁く聴きに行ってたんですねぇ・・。読み返していてもポジティブな感想ばかりで、時間がたった今でも、センチュリーの緻密で透明感があって、かつノーブルで心地よいサウンドをはっきりと思い出すことができます。ファンの中では『西の超高機能オーケストラ』と表現する向きもあり、まさにそのとおりだと僕も思います。
 聴いたコンサートの中でも、現在も継続中のハイドン・マラソンとシトコヴェツキーとのシューマンは素晴らしかった!ハイドン・マラソンでは、シェレンベルガーさんとの共演もありましたが、とても気持ちよく演奏していて、シェレンベルガーさんからの仕掛けに対して、オーケストラが素早く反応し、その掛け合いの中から音楽が泉のように生まれてくるのを心から楽しんでいる様子を見て、「岡山フィルをこういう風に育てたいんだろうな」と思ったのを覚えています。
 来月の岡山でのこのコンサートは2月19日からの12日間で国内11都市を回るツアーの9公演目で、マンネリ化や疲れが心配されますが、佐渡さんは若手の頃にセンチュリー交響楽団の首席客演指揮者だったこともあり、気心は知れているでしょうから大丈夫でしょう。
 センチュリー響の実力通りの演奏が出来れば、ここ数年の海外から岡山に来てくれたオーケストラと比較しても、アンサンブル能力は頭2つ3つ抜けています。本当に楽しみです。

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岡山フィル第58回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 柴山昌宣・森野美咲ほか [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第58回定期演奏会 ニュー・イヤー・コンサート
〜きらめく、モーツァルトの響き〜
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
 〜 休 憩 〜
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」ハイライト
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
コンサートマスター:高畑壮平
歌劇キャスト
 アルマヴィーヴァ伯爵:片桐直樹
 伯爵夫人:柳くるみ
 フィガロ:柴山昌宣
 スザンナ:森野美咲
 ケルビーノ:川崎泰子
 マルチェリーナ:脇本恵子
 バルトロ:渡邉寛智
 バジリオ/ドン・クルツィオ:松本敏雄
構成・演出:柾木和敬
2019年1月20日 岡山シンフォニーホール
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 「フィガロの結婚」は舞台美術はなく、いわゆる「演奏会形式」でのハイライトだったが、構成・演出を担当した柾木さんのアナウンスに沿ってとてもわかり易く、しかも作品の肝は押さえた見応えのある舞台になった。
 まずもって地元出身の森野さんのスザンナがとにもかくにも素晴らしい!!フィガロの柴山さん、伯爵の片桐さんらトップクラスの名歌手のため息が出るようなバリトンも堪能。
 前半のジュピターは、シェレンベルガーさんと楽団員が一体となり、理想のモーツァルトのジュピターを作ろうという気概に燃えた演奏で、アーティキュレーションや強弱の徹底、そしてフォルテへ向かうときのドイツ語の破裂音のアクセントのような切れ味は、聴いていて胸がすく思いだった。第一楽章冒頭の提示部が鳴った瞬間、これもドイツ語の巻き舌の発音が聞こえてきたようで「やっぱりシェレンベルガーのモーツァルトは違う!」と思った。
 アンサンブルの完成度や精度は、いま一つの部分もあったけれど、安易に妥協せず、貪欲に理想の音を追求した岡フィルの演奏に胸が熱くなった。最終楽章は見事だった。
 客席はほぼ満員で3階奥に少し空席があるのみ。相変わらず客足は絶好調。
 当日は気温14度まで上がり、「大寒」とは思えない寒の緩みだったが ときおり突風が吹きすさぶ天候で、自転車ごと飛ばされそうになった。今から思えばシェレンベルガー&岡山フィルの疾風怒濤のジュピターを暗示していたのかも知れない(笑)

 プレトークで事前のチラシに書いてあった曲順を入れ替え、前半にジュピター交響曲を演奏し、後半に「フィガロの結婚」を持ってくる旨、シェレンベルガーさんから直接発表される。去年は職場から抜けられずに、魔笛の途中から入ったが、今日は余裕を持って到着できたから全く問題ない。

 編成は舞台下手から順に1stVn8、2ndVn6、Va4、Vc4、上手奥にCb3の8型2管編成のストコフスキー配置。このぐらいの編成が岡山フィルの本来のサイズだと思う。弦のメンバーを見ても精鋭が揃った感じで、シェレンベルガーも楽団員も思い切ったことが出来る。

 ジュピターの演奏は、これまで岡山フィルで聴いたどのモーツァルト演奏よりも素晴らしく、エキサイティングだった。冒頭にも書いたとおり、エッジの立ったアーティキュレーションや、ジェットコスターのような強弱の徹底。最も印象に残ったのは、ピアノからフォルテへ向かう瞬間の、突風が吹き抜けるようなアタックの強さ。まさに疾風怒濤の演奏で、この曲が作曲された18世紀末の激動の中欧の雰囲気を伝えてくれた。もし、この日、はじめてモーツァルトの生演奏に触れた人が会場にいたとしたら、世間一般に流布されている「癒やしの音楽、モーツァルト」とのギャップに、さぞかし驚いたことだろう。
 僕も冒頭の主題の提示から驚いた。編成は小型なのにブルルンと腹の底から響いてくる、弦のドイツ式のグリッサンドに痺れた。そして、まるでオペラのテノールとソプラノの二重唱を思わせるような掛け合いから、全パートが有機的に連携して壮麗な世界が拡がってゆく。疾風怒濤の激しさの中にも、シェレンベルガー&岡山フィルらしい、止め・はね・払いが徹底された形式感のある演奏だった。

 ティンパニは木のマレットでバロックティンパニのような音。弦楽器はヴィヴラートを抑え、全体的にはピリオド系の要素を取り入れた演奏。トランペットは普通のドイツ式なのに、古楽器のようなパリッとしたテイストの音を奏でていた。今回は首席の小林さんは乗っておらず、テレマン室内にもおられた横田さんがトップだったが、さすがの音色だと思った。

 第1楽章はアンサンブルが整いきれない部分もあったが、理想のモーツァルトを演奏しようという火の玉のような情熱が舞台から伝わってくる演奏に聴き手の気持ちも昂ぶってくる。岡山フィル定期演奏会でのモーツァルトのシンフォニーが取り上げられたのは、前回(10年ほど前?)のシェレンベルガーとの初顔合わせの共演以来だと思うが、そのときよりもオーケストラが数段ステージの高い音楽づくりに挑戦していて、一瞬たりとも目が離せないのだ。
 第2楽章も速いテンポで進む。ピアニッシモは「弱い音」ではなく、ちゃんと芯のある弱音が聴こえてくるのが凄い。木管は盤石だった。殆どが30代以下の若い奏者だが、味わい深い音を聽かせてくれて、とりわけファゴットは首席が決まっていないため客演首席の方だったが、(後半のフィガロの結婚も含め)とても良かった。この楽章はロマン的にゆったりと聞かせる演奏が好きだったはずが、この日の岡フィルの演奏で、「こういう弛緩することのない、それでいて優美な演奏もたまらなく美しいなあ」と思った。
 第3楽章でも木管はやはり盤石で、弦楽器の音も一層艶が出てきたところで、アタッカ気味に第4楽章へ突入した。この楽章では、それまでシェレンベルガーの細かいタクトに従って動いてきたオーケストラが、指揮者の描く酵航路図にそって自分たちで新しい世界を拓いている瞬間のように感じた。まさに光り輝く瞬間の連続で、海外のオーケストラの演奏も含め、この水準の演奏のモーツァルトをこのホールで聴いた記憶がない。ちょっと褒めすぎ?いや、でもこういう魂のこもった演奏は、地元オーケストラが命を懸けて演奏するから聴けるのだ。どんな海外の一流オーケストラであっても、強行日程のスケジュールの中でのツアー公演では、こんな演奏はなかなか聽かせてくれない。

 シェレンベルガーは、定期演奏会で一通りモーツァルト後期交響曲をやると思うが、10年後ぐらいにもう一度後期交響曲ツィクルスをやって欲しい。10年前からこれほど進化するのだ。10年後には世界に出せるようなモーツァルトを聽かせてくれるようになると思う。

 後半のフィガロの結婚は、ステージには小道具のみで勝負。
 今回の歌手陣は本当に充実していて、冒頭述べたスザンナ役の森野美咲さんの歌声に聞き惚れた。第一幕のフィガロ(柴山昌宣さん)とスザンナの二重奏からして、「おお、これは凄い!」と圧倒された。「ハイライト」と銘打ちながら、全曲75分のボリュームが有り、重要なシーンはほとんど入っている。昨年の魔笛は、オペラ・アリア集といった趣きが強かったが、今回はほとんどオペラの舞台を堪能した気分。
 僕は管弦楽や室内楽作品に比べるとオペラは本当に見る習慣がないので、舞台美術のある専用劇場での大掛かりなステージとは比べる基準は無いのだが、歌手の方々の歌と演技、そしてオーケストラの美しい伴奏だけで充分に堪能した。
 自らも地元を代表するテノール歌手であり、今回は演出・構成に回った柾木さんの、絶妙のナレーションも良かった。岡山で数多くのステージに立っている経験からか、岡山の聴衆にはどこまでナレーションで説明すれば良いのか、そして客席の反応はどうなのか?独特の残響の岡山シンフォニーホールでのナレーターはどうあるべきなのか。計算しつくされていたように感じた。

 このモーツァルトのオペラを見て思う。人生は当人たちにとっては大真面目に苦しくしんどい、欲望やプライド・メンツに縛られ、偽善や露悪に翻弄され大切なものを見失ってしまう。でも少し離れた視点で人生を見つめてみると、何事も喜劇に思えてくる。
 モーツァルトは、そんな人生喜劇を涙がでるほど美しい音楽で抱擁してしまった。そこにはモーツァルトの人間に対する暖かい眼差しがあり、この日の演奏者たちの演奏からも、その暖かさが伝わってきた。大切なものや大切な人の存在に気づいた者は幸福だ。僕にとって大切なものは、家族との時間と、こうしてこのホールで生の音楽を聞きながら過ごす時間だ。

 これまで岡山フィルは、開館記念の目玉事業のワカヒメを筆頭に、僕が思いつくだけでも結構オペラの演奏の蓄積があって、そこへシェレンベルガーが継続的に関わるようになって、ニューイヤー・コンサートでのオペラのハイライト公演が定着しつつある。今回のキャストも岡山のオペラ公演を支えてこられた方々が出演・演出に関わっていて(池田尚子さんが急病で降板されたのは残念だったけれど)、これまでの蓄積が花開いている感がある。
 来年のニューイヤーコンサートは「カルメン」を取り上げる由。こうして、岡山の「オペラ・ニュー・イヤー・コンサート」が定着したら20年後には、岡山の聴衆はオペラの主要レパートリーを一通り聴くことになる。ぜひ定着してほしい。
 なかなか記事を書く時間も取れないので、文章をシンプルにしようとは思うのだけれど、いざキーボードを叩き始めると、書き残しておきたいことがどんどんと湧いて出てくる。それだけ充実した時間だったということか。

 当日の夜には賛助会員向けのレセプションが開催されたが、今回は遠慮させてもらった。子供がまだ小さい中でコンサートには行かせてもらっているので、終わったらさっさと帰らないと行けません。出席メンバーが地元政財界の重鎮の方が多いと思うので(自分の雇い主の偉いさんも来られそうだし)、シモジモの私はビビってしまいます。しがらみの無い地元以外のこういうレセプションには図々しく出ていくんですけどね(笑)

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