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アンサンブル・ステラ 神奈川フィルの名手が奏でる珠玉の名作 [コンサート感想]

アンサンブル・ステラ 神奈川フィルの名手が奏でる珠玉の名作
 
サティ/ジュ・トゥ・ヴ(Vc,Pf)
サン=サーンス/白鳥(Vc,Pf)
シベリウス/ロマンス(Pf)
エルガー/愛の挨拶(Vn,Pf)
ブラームス/ハンガリー舞曲第6番
ラフ/カヴァティアーナ
シューマン/トロイメライ
メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲第1番より第1楽章
  ~ 休 憩 ~
ガーシュウィン/エンブレイサブル・ユー、アイ・ガット・リズム(Pf)
ポッパー/ハンガリー狂詩曲、セレナーデ(Vc,Pf)
ファリャ/スペイン民謡舞曲(Vn,Pf)
アルベニス/タンゴ
ファリャ/火祭りの踊り

アンサンブル・ステラ
Vn:渋谷貴子
Vc:迫本章子
Pf:伊藤 翔

2017年2月25日 天神山文化プラザホール

 神奈川フィルの奏者2人と、本業は指揮者という伊藤さんによる、初心者やライトなクラシック音楽ファンでもでも楽しめるようなコンサートでした。
 主催者は横浜の(株)フーガ、という会社で、創業者が岡山ご出身で備前市役所の仕事も受注されているそう。それで、神奈川フィルの奏者のアンサンブルを岡山で聴ける機会に恵まれたわけです。
 会場は・・・250人キャパに40人ぐらい・・・かなあ。前方の席が空きすぎているので、奏者の方が「今日はガラガラなので、後ろの席の人は前に来た方が音がいいですよ」と、誘導されていました。
 しかし、演奏はハイレベル。室内楽のコンサートは岡山の演奏者も色々なユニットを組んで、楽しませてくれているが、ハイレベルな首都圏のオーケストラで年間100回以上は本番をこなしているというのは、やはり大きいのか、演奏に隙が無く極めて安定しています。ハラハラして聴くという場面が無い。入門者にもやさしい「名曲コンサート」で、こんなハイレベルな室内楽が聴ける機会って、意外に岡山では少ないかもしれない。
 席が埋まらなかった背景の一つとして、岡山の音楽関係者がほとんど来られてなかったことも大きかったと思われますが、岡山の演奏家に対して敢えて耳の痛い事を書かせていただくと、こういう『岡山演奏家コミュニティ』の外から来られた、演奏家の音楽を聴くことも大事じゃないだろうか?岡山という狭い世界の中で、身内の音楽関係者同士でコンサートの席をぐるぐる埋め合ってても先はありませぬぞ。
 
 伊藤さんが指揮者&ピアニスト、ということもあって「自分の演奏に没頭する」わけでもなく、「伴奏に徹する」わけでもなく、ヴァイオリンとチェロをよく歌わせつつも、時折演奏をリードしている感じが印象に残ります。ハンガリー舞曲やカヴァティアーナ、後半のファリャあたりはヴァイオリンとチェロが本当によく歌い上げられてました。
 足を運んだ目的の一つがメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。「船に乗れ!」という小説を読んで依頼、ずっと生演奏で聴きたかった曲。第1楽章のみの演奏でしたが、演奏会小品が多かったプログラムの中では、いっそう手応えのある曲として、存在感がありました。

 チェロの迫本さんが主に司会をされていましたが、進行がこなれていて、会場の運営スタッフもプロの方が付いているようで、質の高いサロンコンサートを大いに楽しめました。
 アンコールはピアソラの曲を2曲。


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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2017岡山公演 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2017岡山公演

ハイドン/弦楽四重奏曲作品76-4変ロ長調「日の出」
バルトーク/弦楽四重奏曲第3番
 ~ 休 憩 ~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130、作品133「大フーガ」

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
第1ヴァイオリン:守屋剛志
第2ヴァイオリン:モティ・パブロフ
ヴィオラ:ケヴィン・トライバー
チェロ:松本瑠衣子

2017年2月11日(土) 岡山県立美術館ホール

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 クァルテット・ベルリン=トウキョウ(以下QBT)を聴くのは、これで5回目になると思います。本当に毎回毎回凄い演奏で、僕に室内楽の面白さを教えて下さったのは、このQBTの存在が大きいです。

 今回のコンサートはその中でも心に深く刻まれることになりそうです。バルトークの3番カルテットで理屈抜きの面白さと、彼らのアンサンブル能力の桁外れの高さに感嘆。ベートーヴェンの13番の第5楽章では、自分の頭の中が真っ白になる様な感覚になり、心の襞に文字通り「沁みわたる」感覚があった。『感動』という簡単な表現では言い表せないものがあった。

(2・24追記)

 配置は下手(しもて)から1stVn(守屋)→2ndVn(パブロフ)→Vc(松本)→Va(トライバー)の順。QBTは今回のツアーからメンバーが入れ替わっている。杉田さんに代わってケヴィン・トライバーという、なかなか迫力のある雰囲気の奏者が加入した。
 前のメンバーで室内楽の数々のコンクールで優勝・入寮してきた実績が語るように、杉田さんが居る時も完成されていたカルテット、あとで一人だけ加入するというのは相当なプレッシャーではないかと愚察する。トライバーさんは曲間でも、守屋さん・松本さんが笑顔を浮かべる場面があるのとは対照的に、表情は終始硬かった。ベートーヴェンの曲が終わって、アンコールの時に自然な笑顔が見られたということは、本番のプログラムに対する緊張と意気込みを感じさせます。会場は満席!補助いすも何十席と出ていた。もしかすると当日券狙いのお客さんのなかには、札止めであきらめざるを得なかった人もいたかもしれない。そして会場内の熱気も相当なものだった。

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※開演前に撮影。この後、会場は満席の熱気に包まれる

 1曲目のハイドンは、事前のチラシから変更されて、作品76-4「日の出」が演奏されました。冒頭のメロディーを聴いてビックリ!ワーグナーのタンホイザー第2幕の大行進曲の2番目の主題に音型がそっくりです。もちろんハイドンが先に作曲しています。変ホ長調という調性もあって、「日の出」というよりは王様の登場、といった風格(笑)
 去年からセンチュリー響のハイドン・マラソンを聴きに行って以来、ハイドンの心地よい形式感と、飽きさせない仕掛けにはまっています。いきなり下降音階のフーガで始まる第4楽章なんて、「あっ」と思わせる仕掛けだ。QBTの演奏も盤石の演奏で、安心して聴いて居られる。第2楽章のノンヴィヴラートの音が澄み渡っていて、心が洗われる。

 2曲目のバルトークの弦楽四重奏曲第3番。バルトークの楽曲は、昔は苦手だったが、管弦楽曲に関しては結構楽しめるようになった。特に「弦楽のためのディベルティメント」なんかは、非常にチャーミングで体が踊り出すような躍動感がたまらない。
 調性が明記されていない単一楽章で、緩ー急ー緩ー急の4部構成。2部はスケルツォ的なポジションになるだろうか、まさにバルトークならではの血湧き肉躍るような音楽。4部は第3部に付随するプレストの部分になると思われるが、この演奏が圧巻だった。1stVnの守屋さん(倉敷の出身)とチェロの松本さんの惚れ惚れするテクニックと、心を動かさずには入れらない豊かな音楽性、このお二人がQBTの2枚看板なのは間違いないけれど、このバルトークを聴くと2ndVnのパブロフさんと今回加わったヴィオラのケヴィン・トライバーさんの音楽の鋭さも際立っていた。。
 ハイドンがかっちりとした形式感の中で楽器間の対話を楽しむものならば、このベルトークの4番カルテットは、真剣で「殺陣」をやっているような感じだ。少し間合いが間違うと血しぶきが飛びそうな、そんな緊迫した中で演奏している。これ以上、何を望むか?という完成度の高さだった。
 
 休憩時間中は「このバルトークが、今日のハイライトになるかもしれない」と思っていましたが、後半のベートーヴェンの13番は、その更に上をいく感銘を受けた。この日のプログラムは、いわゆる「大フーガ」変ロ長調を第6楽章に組み込んだ、「ベートーヴェンが本当にやりたかった楽章構成」で演奏された。
 改定後の13番の第6楽章も傑作であるために、ついつい違和感なく聴いてしまう、そしてあの高潔で美しい第5楽章の後に、大フーガを組み入れてしまうと、もはやブルックナーの交響曲のような巨大な音楽になってしまう。それを敢えて、今回やったということで、正直この展開は予想していなかった(チラシには、第13番/大フーガ、という表記だった)ので、始まる前は少し構えてしまいそうになっていた。

 開演前に守屋さんとQBTの実演による解説があり、この曲の構成やモチーフの展開のさせ方がよく解った。第2楽章のプレストをアダージョぐらいの速度で弾いてみた時の音楽があまりにも美しく、「これをプレストで弾かせるというのはなんという贅沢か!」と会場がどよめいたのが印象的。5分で終わる筈の解説だったが、途中から守屋さんもQBTのメンバーも時間を忘れてしまったようで、15分にもなってしまった(笑)このQBTのメンバー同士、こういう感じで楽曲研究とディスカッションに熱中している様子が解り、とても貴重な体験だった。
 ベートーヴェンやハイドンのような古典派の構成感、シューマンやブラームスといったドイツ・ロマン派の重厚さとメランコリーの同居、ドビュッシーやラベルの色彩感、そして今回聴いたバルトークの躍動と切れ味、恐らくショスタコーヴィチあたりも得意にして居るに違いない。どれも一級のレベルで作り込んだ演奏を聴かせてくれるこのQBTのクォリティの高さはこうして生み出されているんですね。

 少し脱線しました。ベートーヴェンの13番。第1楽章からベートーヴェンらしいがっしりした躯体に、付点音符が印象的なモチーフだ自由に飛び回る。この曲の生命力と瑞々しさを存分に表現していた。第2楽章のプレストも、例の解説を聴いた後だと「よく出来ているなあ・・・」と感心する。第3楽章~第5楽章の穏やかな音楽に身を預ける時間も幸福感に満たされてた。特に第5楽章の無垢な美しさは筆舌に尽くしがたいものがあった。静かな感動に包まれ、私の周りには美しさに涙する人がちらほら居た。
 第5楽章は、これは・・・大変な音楽だ。僕はこの曲を聴くと、ブルックナーの第5番を思い出してしまう。守屋さんとQBTの解説演奏で、独特のリズムとに二重フーガという構成がブルックナーの5番に通じるものがあることを理解した。給付が長いのもブルックナーの音楽に似ている。しかし、弦楽器たった4本でこれほどの大伽藍を思わせる神々しい世界を作り上げるベートーヴェンの才能にひれ伏し、この稀代の若手クァルテットが岡山と深いかかわりを持ってくれていることに感謝した。


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広島交響楽団第23回福山定期演奏会 大友直人指揮 Vn独奏:川久保賜紀 [コンサート感想]

広島交響楽団第23回福山定期演奏会

ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
 ~ 休 憩 ~
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調

指揮:大友直人
ヴァイオリン独奏:川久保賜紀
コンサートマスター:佐久間聡一
2017年2月5日 福山リーデンローズ大ホール
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 「凄い!パーフェクト!!」ドヴォルザークの最後のトゥッティが鳴り終わった瞬間、思わずそう呟いてしまいました。広響…いやはや、そら恐ろしいまでに凄いオーケストラになったものです。
 前半はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。久しぶりに聴いた川久保さんのソロは、本当に音色が美しかった。美音にますます磨きがかかったとの印象を強く持ちました。テクニックは、そもそもチャイコフスキーコンクール最高位の称号を確認するまでもなく、まったく隙の無い完璧なテクニック。でも、僕はやはり第1楽章中間部やカデンツァ、第2楽章で魅せたその美しく歌い上げる美音に酔いしれた。ややもすると冗長になりかねないこの曲を「ずっとこの美しい音を聴いて居たい」と思わせる演奏は見事です。先日の松山さんと言い、この30代~40代の女性ヴァイオリニストの層の厚さはどうでしょう。本当に皆さんまばゆいばかりに輝いています。
 オーケストラの伴奏は、広響らしくベートーヴェンのオーケストレーションを、分厚く重厚に過不足なく鳴らせていました。日本のオーケストラは欧米に比べるとやや薄味な響き、との先入観を持っている人は、この広響を聴いてみるといいです。全体的には大友さんらしく品のいい細部の繊細さが感じられる演奏でした。

 後半のドヴォルザークの8番。この演奏が非常に熱が入っていて、素晴らしかった。

 まずは、オーケストラの状態が絶好調、ということがあげられる。広響は定期演奏会では佐久間コンマス・蔵川コンミスのダブルコンマスでファースト・プルトを組むこともありますが、この日は蔵川コンミスは降り番。そして潮田さんも寿退社なさったということで(勿体ないなあ…)、トッププルトに大フィル時代からの情熱的な演奏に拍車がかかった佐久間コンマスと、広響自慢の情熱のヴァイオリニストの山根啓太郎さんという、ありそうでなかった動きの激しい二人でトッププルトを形成。このお二人とチェロのマーティンさん、ヴィオラの安保さんら、弦五部の首席奏者らが強力な起爆剤となって、疾風怒濤の演奏になった。それでいて、第2楽章・第3楽章の民族調の旋律が印象的な場面では、「これでもか」というほど弦が歌いに歌う!
 そしてもっと驚いたのは、大友さんの指揮から繰り出されるスケールの大きい音楽。埒からはみ出すことも躊躇しない剛腕ともいえる指揮。僕は大友さんの指揮はこれで5回目ぐらいになるだろうか。京響での指揮の印象が強いのですが、これまでの僕の大友さんに対するイメージは、いかにも斉藤門下生らしく、四隅にまで気を配った緻密で、精妙なニュアンスに富んだ音楽づくり、しかしその一方でバランスに細心の注意で払うことで、どこか「縮小均衡」のきらいがあることが不満だった。
 しかし、この日の広響との演奏はどうだ。音楽の推進力が前面に出て、スケールの大きいダイナミックな音楽に酔いしれた。その一方で、第2楽章・第3楽章の終結部に象徴されるように、細部にまで手が行き届いている。
 どちらが本当の大友さんなのか?また次の機会を楽しみにしたいと思う。

 かつての広響のウィークポイントがあったとすれば、金管の精度に物足りなさがあったのですが、この日の広響は(というか、ここ2年ほど、僕が聴いた限りの広響は)演奏制度もパワーも申し分ないです。

 4月に下野さんを大将に、大阪でブルックナー8番を演奏しますが、まったく死角なし!でしょう。このブログは大阪の方からのアクセスが多いのですが、4月の大阪定期演奏会では、おそらく広響の重厚な響きに大阪の皆さんは度肝を抜かれることでしょう。それが、眠れる獅子と化した、あの老舗オーケストラの尾っぽを踏んで、再起の狼煙のきっかけになれば…僕は本気でそう思っています。
 今の広響は、たぶん奏者の方々が心から楽しんで音楽に没頭できている。昨年は被爆70年の節目の年で、かつ広島カープの久しぶりの優勝に沸き返りましたが、広響は平和都市のホスト・オーケストラとして確固たる地位を与えられているし、カープ・シンフォニーのコンサートなどで、カープともに市民から愛されている存在。奏者のモチベーションも高く、演奏レベルは向上し、その結果アルゲリッチや藤村実穂子、来年度はクレーメルなど超一流アーティストからのオファーが引きも切らない。コンサートに足を運ぶ聴衆も、心から広響の音楽を楽しんでいるように感じます。

・アンコールは、水上の音楽から 第9曲。ヘンデル演奏に定評のある、いかにも大友さんらしい粋な選曲。しかし、12型の弦で聴くヘンデルなんて久しぶりかも知れない。

・この日の編成は12型の2管編成。下手から1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8で、上手奥にCb8。

・お客さんの入りは6割5分ぐらい?もう少し入って欲しい感じはしますね。


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シェレンベルガー・セレクション ベスト・オブ・カルテット Jホール・レインボーコンサート [コンサート感想]

Jホール・レインボーコンサート
シェレンベルガー・セレクション ベスト・オブ・カルテット

モーツァルト/オーボエ四重奏曲ヘ長調
ブリテン/幻想曲
 ~ 休 憩 ~
ハイドン/弦楽四重奏曲「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」(オーボエ四重奏版)

オーボエ:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン:松山 冴花
ヴィオラ:クリスティアン・オイラー
チェロ:ウェンシン・ヤン

2017年1月18日 岡山大学 Junko Fukutake Hall
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 日曜日の岡フィル定期演奏会も含めて、これほど豊かなクラシック音楽ライフを、この岡山の地で送れるようになるとは、10年前には思いもしなかった。

 それほどこの4名の四重奏は凄かったです。シェレンベルガーさんと岡山の聴衆の間に流れる親密な空気、そして、その雰囲気を感じ取った世界有数のソリストたちが、聴衆の期待に応えようと、渾身の演奏を見せる。まさに夢の共演です。

 それにしても、シェレンベルガーという偉大な音楽家が、世界中あまたある都市の中から、よりによって僕の住んでいる岡山を、日本での拠点に選んでくれた。そのことで僕の生活はどれほど豊かになっただろう?決して順風満帆とは言えなかった、岡山フィル・岡山という都市の音楽文化に、シェレンベルガー氏の世界のクラシック音楽界のまさに枢軸を担っていた経験やメソッドを惜しげもなく岡山へ投入して下さっている。そして、氏もその作業を楽しんでやっているように思える。今日のコンサートで、岡山の聴衆が驚き、感動し表情がどんどんほころんでいく、氏はその様子を見渡して満足そうな表情を浮かべて下さる。  

(以下、後日更新分 )

 なかなか更新できませんでしたが、3週間以上経ってようやく更新できます。
 今後も、こんな感じでコンサート後、すぐに更新することは少なくなりそうです。いつかは必ず…更新しますので、気長に見に来ていただけると幸いです。
 会場の岡山大学病院の中に立つJホールは、お客さんでメインホールはほぼ満席、2か所のサブスペースにも半分近く人が入っていました。平日の昼間なのによく入ったなあ・・・と思います(自分も人の事言えませんけど、いちおう正月明けほとんど休みなしの代休です)。
 クリスティアン・オイラーさん以外の、シェレンベルガー、松山冴花、ウェン・シンヤンの3名は、カメラータ・トウキョウから出ている、このCDを録音したメンバー。

モーツァルト:オーボエ四重奏曲&ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉

モーツァルト:オーボエ四重奏曲&ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ㈱カメラータ・トウキョウ
  • 発売日: 2014/06/25
  • メディア: CD


 この日のプログラムも、このCDと全く同じものです。僕は事前にNMLで聴き込んでこの日に臨んだのですが、そこは一筋縄ではいかないシェレンベルガーさん。特に、ブリテンは録音よりも「間」を長めにとって、持続する緊張感の中で飛び交うモチーフの妙味を楽しませてくださいました。
 モーツァルトとハイドンも、セッション録音でなない、ライヴならではの突っ込んだ表現が聴けました。

 モーツァルトのオーボエ四重奏曲は天衣無縫の美しさ、第1楽章なんて音が消えた後も、芳醇な残り香か漂っているようで、本当に惚れ惚れする。これほどのメンバーが集まれば、相当にレベルの高い音楽が聴けるとは、当然と言えば当然なんですが、あまりにも美しい表現と多彩に広がる音の薫りに、もう目がくらくらするほどの感動がこみ上げてきました。
 ブリテンは研ぎ澄まされたやりとりの中にも、フレーズ一つ一つを楷書体で描き上げる、極めて誠実な演奏。それでいて、4名とも予定調和な演奏は皆無。相手がどのように出て来るか?を楽しんでいるようにも見えます。録音では絶対に感じ切れない鋭さと楽しさがあった。
 ハイドンは、圧巻の一言!特にシェレンベルガーの気合の入り方はハンパではなく、この曲を本当に愛しているのだと感じた。第2、第3のソナタではシェレンベルガーのオーボエが、まるでキリストが我々に語り掛けているような、人の声のような音が印象に残った。また、第3のソナタでは弦の3人が極力ヴィヴラートを抑えた表現で、ルネサンス音楽のような響きだった。
 Jホールはガラス張りの建物で、独特のリラックスした雰囲気があるのは利点だが、車や人が歩いているのが見えるので、聴衆がそちらに気を取られるなど、やや空気が散漫になる傾向があるのですが、このハイドンの演奏では、皆が4人の演奏に集中して聴いていて、閉ざされたコンサートホールでもこれほど客席がかたずを飲んで見守ることは少ないのではないか?と思うほどでした。
 会場は大変な盛り上がりで、恐らく予定していなかったアンコールは、メイン曲の「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」から第4のソナタ。唯一、シェレンベルガーが、少し首を傾げて納得がいっていない様子だった曲。これをアンコールに持ってきて再演をするあたりは、完璧主義者の顔をのぞかせたように感じた。 

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岡山フィル第51回定期演奏会 指揮:シェレンベルガー Vc:ウェンシン・ヤン Vn:松山冴花 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第51回定期演奏会
ニューイヤーコンサート

チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
   〃    /ロココ風の主題による変奏曲イ長調
 ~ 休 憩 ~
ヨハン・シュトラウス/喜歌劇「こうもり」序曲
サン=サーンス/序奏とロンド・カプリツィオーソ
リヒャルト・シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
チェロ独奏:ウェンシン・ヤン
ヴァイオリン独奏:松山冴花
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫
2017年1月15日 岡山シンフォニーホール
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 本当に夢のような2時間15分でした。特に後半の「こうもり」序曲が始まった最初の数小説。オーストリアかドイツのオーケストラか、というような分厚いながらも味わい深い音が聴こえて来てビックリしました。それは「ばらの騎士」組曲で、目くるめく美音の洪水!「すごいすごい」「岡山フィルからこんな音が出て来るとは!」という驚きから、独墺圏のオーケストラが発する「弦の鳴き」が聴こえて来て、これは岡山フィル史上、エポックメイキングな音楽を聴いている、との実感で感極まってしまいました。ただ純粋に「音」で感極まったのは、2年前に聴いたオッコ・カム&京響のニールセン4番以来の出来事です。

 2曲の協奏曲も良かった!(っていうか、事務局さん、お金は大丈夫だったのかしら)。超一級のソリストが2人も登場するなんて本当に豪華にもほどがあります。
 特に松山さん、僕は松山さんの地元の兵庫芸術文化センターが開館した頃に初めて聴いて以来、4回目なのですが、本当に素晴らしいヴァイオリニストです。同世代には庄司紗耶香や神尾真由子らなど、ビッグネームが沢山居ますが、僕は松山さんのヴァイオリンの独特の音は、そんな黄金世代の中にあっても自ら燦然と光を放つ「恒星」のような存在です。

 一方で、岡山フィルの演奏が急速にレベルアップしていく中で、少し課題のようなものも感じられた演奏会でもありました。

 なんと、コンサートの5日後には、早くも動画がアップされています。これは凄い事ですよ。日本国内のオーケストラで、コンサートの様子をほぼ毎回フォローアップできるのは、N響・読売日響・BSの番組を持っている関西フィルぐらいのものでしょう。

 動画がアップされたことで、演奏の様子を伝えるという役目は失われたので、ゆっくり自分の反芻のためだけにブログを更新できました。

 西日本でも広島・京都などは積雪の被害に遭ったところが多かった日曜日。しかしさすがは「晴れの国 岡山」、上の写真の通り天気は晴れでした。ただし気温は日中も3℃の極寒。
 そんな中でもよく入った方だと思います、客席は80%ぐらいの入り。そして、今日の演奏を聴いた人は、「次回も聴きたい!」と思ったに違いなく、シェレンベルガーが首席指揮者就任以来の「正のスパイラル」の上昇気流はまだまだ続きます。

 この日の編成は変則12型の通常配置(チェロがアウト)3管編成。1Vn:12→2Vn:12→Va:8→Vc:6で、上手後方にCb:6という、低音補強型でした。
 まず、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」。クラシックを聴き始めたころは、カセットテープが擦り切れるほど(齢がバレる…)聴いた懐かしい曲。

 シェレンベルガーが振る岡山フィルの音、やっぱり凄いです。もう慣れてもいいはずなんですが(笑)、弦の厚みのある音はもはや「岡フィル・サウンド」の名刺と言ったところでしょうか。しかし、何度聞いても驚くということは、岡フィルの弦はどんどんレヴェル・アップしていっている、ということだろうと思います。

 曲の冒頭のモチーフは、この曲の「運命の動機」といえる旋律。シェレンベルガーが聴衆に「この旋律を覚えておいてくださいね」と言わんばかりに緊張感を持って非常に丁寧に描いていくのが印象的。この旋律は曲の後半、トランペットで強烈な存在感で再現される。これ以外にも、この曲のカギを握る3つのモチーフの錯綜を対位法の幾何学的な美しさをきっちりと演奏して浮かび上がらせつつ、巧みに描き分ける手腕は流石にシェレンベルガー&岡フィルのコンビ。
 一方で、岡山フィルのレベルアップが著しいゆえの課題も…

  ロメオとジュリエットの逢引を思わせる、美(微)弱音の蜃気楼のように美しいメロディーを奏でるヴァイオリン群。一部の奏者の音が不安定で、統一した質感が保てない。音の質感に雑味が混ざるのがわかる。前方プルトやベテランの奏者を中心に、大部分の奏者がシェレンベルガーの求める極限の美を表現しているのですが、やはり何人かその質感の音を出すことが出来ておらず、それが全体の音楽に「雑味」を生じさせて、効果を半減させている。
 一方で、若手の奏者の方々の中にも、本当にハイレベルな奏者の方もいるのですが…今後もシェレンベルガーの要求のレベルはどんどん上がるでしょう。ついて行ける奏者は一緒にレベルアップしていけるが、ついていけない奏者はどうなるのか…やや心配なところです。

  次いて「ロココ風の主題による変奏曲」。穏やかで上品な雰囲気のこの曲ですが実は(たぶん)曲者で、かなりのハイレベルな技巧が要求される。
 ソリストのウェン=シン・ヤンさん、僕は勝手に若手のチェリストだと思っていたのですが、登場した姿を拝見すると、若手というよりも渋さを感じさせるダンディな雰囲気の方でした。プログラムを見ると、1965年生まれといいますから、51歳ということになります。演奏を聴いて、こんな凄いチェリストを今まで知らなかったことを恥ずかしく思いました。

 必要以上に情感を込めることはせず、むしろシャープな音楽づくり、それでいて音はフレッシュで瑞々しい。この曲は、超絶技巧のオンパレードですが、それを淡々と弾く姿は本当に恰好がいい。岡山フィルの伴奏も、かなり難しそうなこの曲を、よくソリストに付けていたと思います。一方で、ヤンさんが仕掛けて行くような様子があっても、それに応える余裕までは、無いのかな。これも今後の課題でしょうね。
 ソリストアンコールは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード。

 オーケストラのアンサンブルの面でこの日一番の出来だったのは、「こうもり」序曲。ニューイヤーコンサートで毎回のように取り上げられている曲で、奏者も自信をもって演奏できる曲だろうと思う。そこにシェレンベルガーの本場仕込によく対応して、軽快さと重厚さを両立したバランスのいい音楽に仕上がった。岡フィルではかつて聴いたことがないような、「本場感」「本物の聴き応え」のある演奏でした。これだけの演奏ができるのなら、ウィンナー・ワルツ・オーケストラや、ヨハン・シュトラウス管弦楽団といった専門職(?)のオケでなくても岡フィルで十分だ。

 サン=サーンスのロン・カプも慣れたもの。シェレンベルガーは先ほどの「こうもり」とは違う、スペイン趣味のフランス音楽、サン=サーンスの音楽の味わいを見事に表現して聴かせてくれた。松山さんも「ロン・カプの演奏はかくや!」と思わせるに十分な演奏。彼女のキュイーンと伸びのある音は独特、技巧で聴かせるのももちろんの事、ヴァイオリンの音の抜けの良さといつまでも聴いていたくなる美しさは特筆もの。妖艶で情熱的で、何よりも気品にあふれたロン・カプ。あっという間だった。

 ソリストアンコールは、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番からラルゴ。前半のヤンさんがバッハのアンコールだったから、というわけでもないでしょうが、ロン・カプとは全く違った音の引き出しを披露してくれた。

 この日のプログラムは「愛の物語」というテーマでいえば、ロメ・ジュリは純愛、「こうもり」と「ばらの騎士」は不倫や純愛、親からの強制的な婚約など、色んな男女の形が登場する。そういう意味では最後の「ばらの騎士」組曲に向かって、4つのプログラムが収斂していく格好になっている。
 時代背景でいうと、ロマン派時代から中世(シェークスピア)やロココ時代へのオマージュ。後半はウィーンと西ヨーロッパの華やかなロマン派の王道を行く楽曲。最後の「ばらの騎士」組曲でロマン派の最後の落日へと収斂する。

 「ばらの騎士」組曲の演奏。細かい感想を書くときりがないのですが、まず、前半でソリストとして登場したウィン・シンヤンさんがチェロパートに入って弾いている!バイエルン放送交響楽団の元首席奏者が、なんと我らが岡山フィルに混ざって弾いているんです。動画でご確認あれ。
https://youtu.be/Ossh8YZVS6I?t=1h19m14s
 チェロとヴィオラの間に1プルト1人の不自然な奏者が、これがヤンさんです。必死でソリストのオーラを消しているようにも見えます。
 
 そのあとのアンコールでは、なんと後半のプログラムで演奏したばかりのドレスから黒の衣装に着替えた松山さんも参加。
https://youtu.be/Ossh8YZVS6I?t=1h41m36s
 椅子が出てきたあと、シェレンベルガーについてさりげなく登場しています。

 素晴らしい演奏のコンサートの後に、こういうサプライズがあると、ずっと印象に残りますね。「あの、ソリストのヤンさんと松山さんが奏者として登場した定期演奏会」という感じで。本当に嬉しいサプライズでした。

 さて、ばらの騎士組曲です。オーケストラのドラマティックで、起伏のある、かつ澱みのない演奏に、頭がぼーっとしながら、音楽に身を任せていました。シェレンベルガーさんが「音楽は心を開いて感じるもの、日本人には人々はそれができる集中力と謙虚さがある」ということをおっしゃっていた。この日の僕は、まさに心を開いて楽しんでいた。

 たそがれ時に色彩を千変万化させる、夕映えの空のように、ある時代が終わっていく(同時代にのストラヴィンスキーの「春の祭典」のような衝撃的で痙攣的な楽曲が背中をせっついてくる)、だからこそ切ないほどに美しいんです。これだけの巨大編成で難易度の高い曲を演奏するためには、10型2管編成の岡山フィルには、強力なエキストラ陣の助けがないと厳しいのは確か。この日も都響現役&OB主席ホルンの笠松さん・久永さん、N響クラリネットの磯部さんをはじめ、トランペット以外のほぼすべてのパートの首席に助っ人奏者が座った、音楽の骨格は岡山フィルの音だった、と言いたいところだが、この曲を恐らく初めてプログラムに取り上げた岡山フィルメンバーの色は薄く、今回に関しては助っ人奏者のハイレベルな演奏に引っ張ってもらった、というのが本当の所だろう。しかし、助っ人・プロパー、すべての奏者の充実した顔を見ると、今回はこれでいいのだ、とも思う。

 シェレンベルガー首席指揮者体制は5年目に突入。氏の音楽づくりは「こういう音を奏でよう」というイメージが明確で、そのイメージは演奏者に対してだけでなく、聴いてる僕らにも、シェレンベルガーがどういう音楽を理想として目指しているのか、分かるようになってきました。

 ウエン・シン=ヤン、松山冴花も含め、オールスター・キャストの演奏となった、オーケストラ・アンコールのラデツキー行進曲。聴衆の手拍子のポイントまで的確に指示するあたり、シェレンベルガーさんにとって、音楽を演奏することに関する真剣さは、本プログラムもアンコールもない、本当に実直な人だなあ・・・と思います。

 シンフォニーホールのロビーから。岡山芸術交流後もリアム・ギリックのインスタレーションが残されていて、これを鑑賞するには、ここが実は特等席かも知れません。 

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2016年に足を運んだコンサートのデータ [コンサート感想]

 拙ブログ恒例の年忘れ!今年足を運んだコンサートのデータをまとめる自己満足企画。
 2016年の最後のエントリーにしようと思って書きかけていたんですが、年末年始はバタバタしていましたので、ようやく更新することが出来ました。

 このエントリーは、ある程度時間が経ったら2016年12月31日の場所に移動させます。
2015年はこちら
2014年はこちら
2013年はこちら 

 今回も、例年通りのグラフのテンプレを使って分析していきます。 
 
 2016年のコンサート・ライヴに行った回数は27回で、これは例年と同等の水準。9月頃までは年間35
回ペースぐらいで推移していましたが、コンサートラッシュの時期の10月~11月にかけてコンサート通いの大敵の咳風邪をひいてしまい、6つほど行くのを見送りました。ただ、平均すれば1月に3回ぐらいのペースで、年間ベースで見るとこれぐらいの回数が自分が行くことのできる回数なんだろうな、と思います。
 
チケット代総額は89,205円、1回あたり平均3,304円でした。

◎ジャンル別
 オーケストラ18回、室内楽8回、器楽ソロ1回
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◎オーケストラの楽団別
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岡山フィルハーモニック管弦楽団:3回
 大阪フィルハーモニー交響楽団:3回
 日本センチュリー交響楽団:3回
 京都市交響楽団:2回
以下、1回
 バーミンガム市交響楽団、カメラータ・ザルツブルグ、ベルリン・シンフォニカー、広島交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団
 アマチュアオケ:1回(岡山大学交響楽団)

 トップは岡山フィルと大フィル、日本センチュリー響が3回で分け合いました。本当なら京響はあと2回チケットを買っていましたので、京響が4回でトップになる筈だったんですが、なかなか京都までコンスタントに出かけるのはしんどいですね。聴きに行った2回とも両方とも素晴らしいコンサートでした。
 岡山フィルは後半に定期演奏会が無かったのはやはり寂しい、大フィルはウルバンスキとフルシャという若き俊英を目の当たりにしました。日本センチュリーは3回とも「ハイドン・マラソン」で、これは病みつきになるセンチュリーのサウンドに酔いしれました。関西では京響の次に充実期を迎えているのは、日本センチュリー響ではないか?との思いを強くしています。
 1回限りとなった広響、新日本フィル、N響、どれもいい演奏でした。
 海外勢はバーミンガム市響とカメラータ・ザルツブルグは大当たりでしたが、ベルリン・シンフォニカーは不発で、波がありましたね。

◎指揮者別
 ハンスイェルク・シェレンベルガー、飯森範親:3回
 以下、1回(おもな指揮者のみ)・・・ヤクブ・フルシャ、クシシュトフ・ウルバンスキ、サッシャ・ゲッツェル、ジャン=クリストフ・スピノジ、井上道義、上岡敏之、山田和樹、広上淳一、高関健、

 2017年も、現時点で判明している範囲だけでシェレンベルガーの指揮を4回見れそうですから、恐らく首位はゆるぎないですね。

◎ソリスト・アーティスト
2回:小山実稚恵(Pf)、河村尚子(Pf)、ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)

 以下、すべて1回(おもな奏者のみ)
 アンナ・ヴィニツカヤ/松本和将/中桐望(Pf)、イリヤ・カーラー/五嶋みどり/黒川侑/守屋剛志/堀米ゆず子(Vn)、ヨハネス・モーザー/趙静(Vc)、中村洋乃理(Va)、ワルター・アウアー(Fl)、マルギット・アナ=シュース(Hp)、秦茂子(S)、ドミニク・ヴェルナー(T)

室内楽団体:カルテット・ベルリン=トゥキョウ、アルト・ドゥ・カンパーニュ、アンサンブル・レ・ペッシュ、岡山フィルメンバー

 ソリストの中で印象に残っているのは、何といっても五嶋みどりさん。彼女の登場するコンサートは4回目ですが、どれもが素晴らしいコンサートです。1回の演奏に賭ける情熱がハンパ無い。シェレンベルガー・ファミリーのコンサートも、岡山の名物行事になってきましたが、コンサート中も「このメンバーの音楽を、こんなアットホームな雰囲気で感じられるなんて!」という感動がありました。

◎プログラム曲目別
 プログラムにあがった曲(アンコールは含まず)の標準的な演奏時間を5分単位で指数化。作曲家別にまとめています。
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 2014年は1位:ベートーヴェン、2位:バッハ、3位:チャイコフスキー
 2015年は1位:ベートーヴェン、2位:ベルリオーズ、3位:モーツァルト でした。

 1曲の時間が短いハイドンが、なんとランクイン!なんせハイドンチクルスに3回も行ったからなあ(笑)

◎コンサートホール別
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◎会場の府県別
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◎会場の市町村別
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 相変わらず、瀬戸内海沿岸を行ったり来たり…たまに都に上っています。

◎平成28年の印象に残ったコンサートは次の通り
(期間:2016/1~2016/12)

超SS級(まさに神が降りてくるような奇跡的なコンサート)
2016/12/9 日本センチュリー響 いずみ定期No.33 飯森範親指揮 Vc:ヨハネス・モーザー
2016/9/11 京響スーパーコンサート 広上淳一指揮 Vn:五嶋みどり
2016/3/4 岡山フィル第49回定期演奏会 ドイツ・レクイエム

SS級(物凄く感動したコンサート・・・年間ベストコンサート候補)
2016/12/10 大阪フィル第504回定期演奏会 フルシャ指揮 Pf:河村尚子
2016/8/12  日本センチュリー響いずみホール定期No.32 飯森範親指揮 pf:小山実稚恵
2016/6/17 日本センチュリー響いずみホール定期No.31 飯森範親指揮 Ob:シェレンベルガー
2016/5/20  大阪フィル第498回定期演奏会(1日目) ウルバンスキ指揮  Pf:ヴィニツカヤ
2016/2/19 広島交響楽団第357回定期演奏会 高関健指揮

S級(非常に印象に残ったコンサート)
2016/11/19 カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演 モーツァルト「レクイエム」
2016/6/23 バーミンガム市交響楽団2016 倉敷公演 山田和樹指揮
2016/5/21 京都市交響楽団第601回定期演奏会(1日目) ゲッツェル指揮 Fl:アウアー

A級(たいへん良かったコンサート)
2016/9/23 Alto de Campagne Vol.3 岡山公演
2016/7/1  NHK交響楽団岡山公演 井上道義 指揮 Pf:小山実稚恵
2016/6/5 岡山フィル第50回定期演奏会 シェレンベルガー指揮
2016/3/18 新日本フィル倉敷公演 上岡敏之指揮
2016/3/12 倉敷のヴィルトゥオーゾ ピアノ・クインテット
2016/2/29 シェレンベルガーファミリーと岡フィルの仲間たち

 1年間で27回のコンサートに行って、17回も「良かった!」と思えるコンサートに出会えたというのは(そのうち、「神が下りてくるような感動」に包まれたコンサートが3回もある)、本当に幸せな事だと思います。


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マグノリア・サロンコンサート Ob:大森悠 Tp:秋月孝之 Pf岡純子 [コンサート感想]

マグノリア・サロンコンサート
オーボエ:大森 悠
トランペット:秋月 孝之
ピアノ:岡 純子

ヴィヴァルディ/2つのトランペットのための協奏曲ニ長調(Tp&Ob)
ハイドン/トランペット協奏曲(Ob)
サン=サーンス/歌劇『サムソンとデリラ』より「あなたの声で心は開く」(Tp&Ob)
モリコーネ/ミッション-ガブリエルのオーボエ(Tp)
コープランド/静かな都会(Tp&Ob) 

2016年12月10日 逸翁美術館マグノリアホール
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   昨日のセンチュリーの演奏が気持ち良すぎて昨晩は熟睡。目覚まし時計にも気づかず、ホテルのチェックアウト直前の11時まで寝てしまいました(笑)

 大編成の大フィルの翌日に、小編成のセンチュリーを聴き、最後は「室内楽なんかがあればなあ」と思ってアンテナを広げると、ありました!しかも、大フィルの秋月さんのトランペットと大森さんのオーボエが聴ける!ということで3連休の締めは、オーボエとトランペットとピアノという珍しい3重奏です。
 しかし、このお二人、昨日まで2日連続でショスタコーヴィチの10番を演奏していたんですよ(当然、トランペットもオーボエもハンパ無い出番の数々・・・)、オーケストラの奏者って本当にタフですよねぇ。
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 会場は阪急宝塚線池田駅から徒歩15分のところにある、絵に描いたような『閑静な住宅街』にありました。近くには阪急創業者の小林一三の邸宅もあることから、大正時代、大阪都心の煤煙と公害の都心部から、いわゆる田園都市を求めて逃れて来た裕福な人々のために作られた、高級住宅街開発の嚆矢となったところ。この、都心部と鉄道でつながった高級住宅街の開発ビジネスモデルは東急(田園調布)などに模倣されていく。

 コンサートは1時間程度の気軽な内容。しかし、演奏者は大フィルや関西フィルの首席級の奏者と、関西で名の知られた実力者ばかりで、どの回に行っても聴き応えのある内容。ホール内部は80席程度で、この出演者でこの人数では採算が合うはずも無く、阪急傘下の財団の持ち出しの事業なのでしょう。そして、それは阪急沿線の上品で落ち着いたイメージの維持に一役買っており、長い目で見ればペイできている。

 演奏の方は、このこじんまりとしたホールに響くトランペットとオーボエの音量はかなり強烈です。しかし、まったく耳障りで無く、お二人の吹く音色(ねいろ)に包まれる感じは本当に楽しい。
  秋月さんの音色は、秋空の抜けるような青空を思わせるような音。金管楽器なのに耳に障るような音が無く、木質感のある暖かい音がするんですよ。朝比奈晩年から現在までの録音を聴くと、特にブラームスやはりブルックナーの録音に、大フィルの音に溶け合いつつもあの暖かい音が聞こえてきます。
   大森さんが大フィルに入ったときは、その豊潤な音が衝撃的で(当時の大フィルにはいないタイプの音色)したが、一昨日の演奏でも、大フィルの木管のアンサンブルの中核といえます。今日のコンサートも、高音の抜けのいい素晴らしい音にため息しか出ません。

 今回のコンサートでは、通常オーボエが吹く曲をトランペットが、またはその逆を試みています。トークでは、オーボエとトランペットは倍音の構造や、息を送り込む管の狭さ、オーケストラの中では突き抜けた音を発する楽器で、よく似ているのでは無いか?ということで一つの実験を披露してくださいました。
 ベルリオーズの幻想交響曲の第3楽章冒頭、イングリッシュホルンとバンダのオーボエの掛け合い。このバンダの役を秋月さんがトランペットで演奏します。
 結果は、トランペットはやはりトランペットの音でしたが(笑)楽曲としての違和感は無く、音域や音の伸びはよく似ていました。
  演奏以外にも、話し出すと止まらなくなる大森さんのトークが面白く、こういう濃いキャラの方だったのか、という発見有り。
 アンコールはガブリエルのオーボエを、オーボエ&トランペットが交代で演奏。たいへん盛り上がりました。


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日本センチュリー響 いずみ定期No.33 飯森範親指揮 Vc:ヨハネス・モーザー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期演奏会 No.33 ハイドンマラソン

ハイドン/交響曲第2番ハ長調
 〃  /チェロ協奏曲第1番ハ長調
 〃  /交響曲第50番ハ長調
 〃  /交響曲第88番ト長調「V字」

指揮:飯森範親
チェロ:ヨハネス・モーザー
コンサートマスター:松浦奈々

2016年12月9日 いずみホール

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 またまた来てしまいましたハイドン・マラソン。これで3回連続?関西地方の外からこれだけ通っているのって僕ぐらいじゃないかしら(爆)
 それもこれも、センチュリーのハイドン演奏がとにかく魅力があるから。難しいことを考えずに黙って座席に座っていればよい。極上のアンサンブルが極上のいずみホールの空間こだまし、頭の上から降り注ぐ。そして、ハイドンの天才的なアイデア・オーケストレーション・アーティキュレーションが、その愉悦を頂点まで導いてくれます。時間が短いからトイレの心配とかしなくてもゆったりとした気分で席に就ける。最高の2時間なんですよね。

  しかし今日のハイライトはヨハネス・モーザーのチェロ協奏曲だったかも知れません。大原美術館のギャラリーコンサートで、その才能を一度は耳にしたはずだったんですが、いやーすごかったですねえ。第3楽章なんてオーケストラに向かって挑発する挑発する、でもセンチュリーが見事に応えて(モーザーの挑発を受けてたった、松浦コンサートミストレスはじめ、センチュリーの楽団員さんの楽しそうなこと!)、これぞ生演奏の醍醐味、室内合奏だんの醍醐味、協奏曲の醍醐味でした。会場のボルテージの上がりっぷりは、ジャズの即興演奏のライブのような雰囲気でした。「大阪にセンチュリー有り!」を存分に実感しました。

 今回は最初期と中期、最後に後期の交響曲をプログラミング。2番はエステルハージ家に仕える前の1757年~59年の作品(一説には1761年作とも)、チェロ協奏曲は1761年の作曲、エステルハージ家に雇われた直後の作品。50番は1773年作曲で、そのころには同家の宮廷楽長に出世。88番は少し時代が飛んで1787年の作曲で、エステルハージ家時代最晩年の作品。ハイドン以外の作曲家で、同時期の曲と歴史上の出来事を並べてみると・・・

○2番は20代後半。1759年に亡くなったヘンデルはすでに1740年代には作曲のピークを過ぎていたし、大バッハの息子:C.P.Eバッハやグルックが活躍していた頃だが、独立した交響曲は書いておらず、オペラやオラトリオの中での「シンフォニア」というバロックの形式を守っている。1757年にプラッシーの戦いが、大陸では七年戦争の真っ最中で、イギリスの覇権が確立されつつある時代です。

○50番は41歳。モーツァルトがザルツブルグの大司教に反旗を翻して出て行く時期。ウィーンでは18歳年下で交流を深めていたサリエリが活躍。7年戦争で急速に力をつけたプロイセンとロシアによるポーランド分割(第1次)、アメリカ独立の引き金となったボストン茶会事件。世俗的・宗教的権威がまだま強力だったが、新しい時代への萌芽が見られる、そんな雰囲気か。

○88番は55歳、モーツァルトは「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」といった後世に残る傑作群を作曲中。両者の交流も盛んでいわゆる「ハイドン・セット」の献呈も受けている。その31歳のモーツァルトに16歳のベートーヴェンが会いに行っている。時代はフランス革命前夜の静けさ、しかしマグマに突き動かされるように熱気を帯びていた時代。

 なんでこの年代を整理したかというと、前半の2曲と55番、88番に行くにしたがって、楽曲の内容が見事に変わっていっているのを、今回のコンサートで実感したからです。特に、88番の演奏が始まった時の響 に「これは、もう・・・新しい時代の花が開きかけている!」と驚いたんですよ。ベートーヴェン以後の楽曲が溢れている時代に生きる自分は、ハイドンの104曲の作品群は「どれも似たようなもの」としか感じていなかった。このシリーズ3回目にして、ハイドンほど時代の激流に対応し、絶えず変化していった作曲家は居ない、との感想を持ちました。

 そしてハイドンの交響曲を聴くと、シンフォニーのルーツがわかる。ハイドンが交響曲を自らの創作活動の柱の一つに据えようとしていた時代は、まだ同時代の作曲家はオペラやオラトリオに「シンフォニア」の形で管弦楽曲を置いていたに過ぎない。自然、「この交響曲を人々に楽しんでもらうために、いかに楽しめる『仕掛け』を入れていくか?」ということを考えたに違いない。
 その中で色々な試行錯誤があり、その試行錯誤が後世のシンフォニストに受け継がれる。50番の冒頭を聴いたとき。「これはモーツァルトの交響曲34番が始まったんじゃ無いか?」としか思えなかった。作曲年代は当然にハイドンの方が早い。モーツァルトはほとんどパクリすれすれの線を狙いながら、この50番の冒頭のアイデアを取り入れた。それだけハイドンの独創性と、その創作の有用性の証左でしょう。

 センチュリーの演奏。今回も好調を維持していた。いや「好調」という言葉を使うのは失礼か。センチュリーらしい極めてハイレベルで品格の高い演奏でした。これぞ、まさに大阪が生んだ格調高いセンチュリー・サウンドです。
 編成は第2番とチェロ協奏曲、そして第50番はいつもの6型対向配置。1vn6→vc3→va4→2Vn6、コントラバスはオルガンの真下に2本。88番は8型に増員。

 第2番の第1音が響いた瞬間からため息が出る(前回も同じことを書いたような気がしますが(笑)。ときおりヴィヴラートを抑えめでピュアトーンを響かせながら、極上のバランスで整った音楽が展開されていく。それにしてもこの曲が交響曲第『2』番とは!と驚いていたら、ハイドンの交響曲の附番は必ずしも作曲順とは限らないとのこと。だとしても初期の作品であることには違いが無く。優美なモチーフがしっかりとした構成の中に息づいていく。老獪さすら感じさせるソツの無い曲でした。
 2曲目のチェロ協奏曲は非常にロマンティックな旋律が魅力。モデラートで心地よい速さで奏でられる快活な第1楽章。ロマンチックな第2楽章。そして、第3楽章はチェロの超絶技巧(解説には「18世紀中ごろとしては、破天荒なほどの技巧が駆使されている」との記述)に合いの手を入れるように、オーケストラからも仕掛けられるチェロ独奏付き合奏協奏曲のようになっている。
 冒頭でも述べた通り、ソリスト良し!オーケストラ良し!の痛快な名演!一つ文句を言わせていただくと、「曲が短すぎるがな!」ということ、こんな幸せな時間はもう10分ぐらいは続いて欲しい。心底そう感じた見事な協奏曲でした。

 3曲目の50番は、何かの式典がはじまりそうな華麗な冒頭に始まり、旋律が法則性を持って幾何学的に進行していく、あの折り目正しいハイドンの音楽が展開していく。楽章構成もアダージョ→アレグロの第1楽章、アンダンテの第2楽章、メヌエットの第3楽章、プレストの最終楽章。既に交響曲の形が完成されている。それでいて、第3楽章の中間部では弦のトップ同士の室内楽的な掛け合いがあったり、バロック時代の残り香もある。センチュリーの演奏は軽快で贅肉の全くない引き締まったサウンドで、それでありながら音に艶と独特の輝きがある。これは、本当に見事な音だと思う。弦や木管だけでなく、トランペットの祝祭的な響きにも酔いしれる。

 4曲目の88番は、これは編成を2人づつ増やしたことで、華やかさが増した。これまでオーソドックスな指揮だった飯森さんが、この曲から結構緩急をつけはじめるんですよね。それによって、この曲がバロックの時代から解き放たれて、古典派も通り越して、ロマン派の薫りすら漂っていたんです。ハイドンが時々使う休止は和音の美しさを、ホールの残響を使って聴衆に聴かせるという仕掛けであることが解る。これってブルックナーの手法ですよね。第1楽章の対位法を駆使したモチーフの展開のさせ方は、明らかにベートーヴェンを経由してドイツ・ロマン派の作曲家に受け継がれていく。そしてその華やかな展開部はセンチュリーの緻密なアンサンブルで見事に表現されていく。いやー気持ちええ~、ホンマに気持ちのええ時間。こんな理屈抜きで気持ちのいい音楽を、年に4回も聴ける大阪の人は幸せや。

 「お前、今更何を言うとるねん!」と言われそうですが、飯森&センチュリーは、このスタイルを守りつつ、104曲すべて違う表情をホンマニ描き分けるんやなあ・・・と、当たり前のことに、ただただ驚嘆しています。今回は、88番が始まった時に、時代のドラスティックな転換点が見えた。「時代が変わった」ことを感じさせてくれ、近代ヨーロッパの歴史上も非常に重要な時間を長生きした、ハイドンの人生を感じさせてくれました
 そして1曲の中に秘められた物語(楽章)の描き分け。この88番の第1楽章の華やかさ、第2楽章の刹那さ、宮廷音楽というより民俗音楽に近い第3楽章、ほとんどロマン派の…シューマンの交響曲の最終楽章のような疾走感と起伏のある第4楽章。なんとエッセンスの多様であること、そしてセンチュリーの表現の引き出しの多様であることか。
 
 ハイドン104曲のシンフォニーを演奏する企画が今回も含めて8割の近くの客席を埋め続けるなんて、東京か大阪でしか出来ないし、センチュリーのサウンドはこれぞ品格のある大大阪時代の音楽。大阪を現在牛耳る政治家さんたちは、お金が右から左に動くだけの「カジノ」を中心とした、金持ちが有り余る金をとことん非生産的な事に使う「IRの誘致」に躍起だけれども、いつか、足元にある財産に気づく日が来るでしょうか?例えば、このセンチュリーのサウンド。こんな音はなかなか聴けませんよ。前日の大フィルだって70年間培ってきた独自のサウンドはまだ錆び付いてなんかない。こうした、「税金を投入する価値無し!」とされた財産が、その価値が再発見されんことを祈ります。


大阪フィル第504回定期演奏会 フルシャ指揮 Pf:河村尚子 [コンサート感想]

大阪フィルハーモニー交響楽団 第504回定期演奏会(1日目)

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番ホ短調

指揮:ヤクブ・フルシャ
ピアノ独奏:河村尚子
コンサートマスター:田野倉雅秋

2016年12月8日 フェスティバルホール
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 会場の入りは大阪交響楽団定期(ザ・シンフォニーH)と重なったこともあってか、65%ぐらいの入りだったでしょうか?今回、フルシャの指揮に初めて接してみて、「これは将来、確実にトップ10指に数えられるような大巨匠になる」と確信しました。
 次回、大フィルでフルシャのタクトを見れるかどうかわからない、次回はもしかしたら1万数千円出さないと見られないかも知れない、それなのに空席がこれだけあると少しさみしいですね。
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 前半は12型2管編成でした。河村さんは6月の倉敷でのバーミンガム市響とのラフマニノフの3番の演奏が、それはもう凄まじいものだったので、かなり期待していました。 2階席の2列目の右翼席で、ピアノに隠れてピアニストの顔しか見えない席。実はこの席が曲者だった。ピアノの音が鳴った瞬間、「あれっ?」と思った。別の部屋でピアノが鳴っているような、そんな感覚。徐々に耳がなじんで来ましたが、それでも遠くで鳴っている(間接音しか聞こえない)感じは常にありましたね。このホール、箱がドでかい分、ピアノ・ソロを聴くためには、中央よりに座らないと行けません。ショスタコーヴィチのことも考えて金管の音を直接受けない位置をわざわざ選んだのがいけなかった。 

 それでも、河村さんのピアノ、やはり良かった。音の芯と輪郭がはっきりしていて、ペダルの使い方は、あくまで音の輝きを放つために使うなど、音像がぼやけることがない。河村さんのピアノに付けるフルシャのタクトも見事だし、逆にオーケストラの音に呼応して河村さんの音もシンクロする。先ほど座席のことでネガティブなことを書いたが、この巨大ホールでアルペジオの一つ一つの音(しかも間接音)が極めてクリアに響くというのは凄い技術ですよね。アンコールはスカルラッティのソナタヘ長調だったんですが、これも非常にクリアな音を響かせていました。

 オーケストラがその風が広葉樹を撫でるような音を出すと、呼応して水滴が泉に落ちるようなみずみずしい音で応え、逆にピアノが強い槌音のような打鍵で仕掛けると、オーケストラは硬質なアタックで応える。あるべき音がそこに有り心地よいベートーヴェンの形式感を感じさせると同時に、決して「協奏」的ではないこの曲を一体となって作り上げていく。

 それにしても大フィル、見事な音です。ピアノの序奏に続いてオーケストラが入ってきた瞬間、中欧のオーケストラのような深みのあるしっとりとした弦にはっとする。「今日は大フィルの音が出ている!」そう感じる。
 第2楽章の冒頭の弦のユニゾンも大フィルの弦を堪能。なんといういぶし銀の音!第3楽章はリズムとテンポは、軽快だが音尻までしっかりと鳴らすスタイルは、大フィルと合っている。正統的な王道を行くベートーヴェンの音楽を堪能しました。

 さあ、後半のショスタコーヴィチの10番。今年はこの曲を取り上げるオーケストラが多いようですが、僕も2月に広島交響楽団で聴いていて、今年2回目。高関さんのタクトによる広響の演奏は見事なもので、「現在の大フィルにあれを凌駕するものを期待して良いのか?」若干不安を持っていた。

 編成は16型(1Vn16→2Vn14→Vc10→Va12、上手広報にCb8)でチェロバスを厚めにした3管編成。元々16型4管編成の大フィルとしては中核のレパートリーといっていい。

 まず、フルシャの解釈。この曲にまつわる様々なエピソードに振り回されない、という姿勢は徹底されていたように感じた。殊更おどろおどろしくしたり、音に深い意味を持たせよう、という強い意図では無く、音楽そのものが持つ響きの美しさや不気味さやリズムを浮かび上がらせる。
 最も印象的だったのは、楽譜に書かれているであろう音価を大事にしきちんと伸ばしきる。それによって大フィルの持つ深みのあるサウンドを生かし切ったこと。それはあの高速な第二楽章でも徹底されていて、弦の音を「ザッザッ、ザザザッ」と叩き鳴らすのではなく「ズワッ ズワッ」と音価いっぱいに音尻にアクセントを置く、これを高速テンポで奏でる大フィルも凄いし金管も木管も音の出し入れとバランスが絶妙なセンスを感じた。ここでは打楽器陣がやや置いていかれる感じがあったものの、何かに追い立てられる雰囲気が良く出ていたので結果オーライでしょう。

 第1楽章では、2度上昇の3音+3度上昇の3音の不気味なモチーフから、フレーズの一つ一つに稜線を描くような抑揚をとる。ダイナミクスを極めて広く要求し、一方で最弱音の部分は神経質にならない塩梅を保つ。
 第1楽章のクラリネットがDEsCH音型の変形モチーフに先導される、中間部。もっとも盛り上がる部分を、フルシャはインテンポに、かつ端々まで目の行き届いたタクトで進めた。2月に広響で聴いたのと同じ曲なのか?と思ったほど、この曲で初めて聴く響きに満たされた。まるでバッハの音楽を聴いているような、いや逆に現代音楽のミニマルミュージックのような形式美・様式美がそこにあった。
 スネアが登場して、ヴァイオリン群の高音のユニゾンがフェスティバルホールの空間に濃密に響き渡り、そして震撼した。弦の音でこの巨大ホールが震撼したのを聴いたのは、ホールこけら落とし公演のマーラー『復活』以後、初めてのことでした。あのときはかなり力業で持って行った感があったが、今回の大フィルは軽々と弾いているようだ。打楽器・金管がかなりの音量で鳴っても、それを突き抜けて弦の音が聞こえてきて、高度なバランスを保って響く。
 これほど濃密な響きを出し続ける楽団員は、相当しんどかったのでは?と思いますが、客席から見ていると、奏者の全員が極めて弾きやすそうに弾くんですよ。オーケストラの持っているポテンシャルが引き出されていく気持ちよさに、楽団員が陶酔しているようにも見えました。

 これは一段も二段も違うステージの演奏だと、会場の皆が高揚していく中での、第3楽章。ショスタコーヴィチの思い人(秘書をしていたエリミーラ・ナジーロヴァという女性)のイニシャルが隠されているというフレーズが何度も登場。何度も登場するホルン信号をホルンの高橋さんが表情豊かに吹き分ける。と同時に、この音楽は凍てつくロシアの荒涼たる大地を表しているようにも感じる。
 中間部のおどけたワルツも殊更に皮肉めいたニュアンスを入れることをせず、音楽そのものに語らせる。ホルンの高橋さんの音が神がかっていて、最初は遠くから、もっと遠くからの最弱音、一方で最高潮で放たれたホルン信号の迫力たるや!完璧!ショスタコーヴィチは何を言いたかったのだろうか?と思わずには居られない。思い人への思いを決壊させたかのようにも思えるし、一人孤独に耐える男の叫びにも聞こえる。長く感じるこの楽章が全く長く感じない。

 第4楽章の冒頭は、第3楽章からの連続性、その中に徐々に暖かい空気が感じられる。速いテンポでサクサク進むようで、一つ一つの音符に神経が行き届いている。それがこの曲の隠された狂気を見え隠れさせる。
 途中で空気が一変、すばしっこいテンポになっても弦の豊かな響きはいっそう輝きを増していく。歯ごたえは最後まで衰えなかった。時折、テンポのギアを上げる時に、「もっともっと」とフルシャが腕を振り回すのを見ていると、もう少し切れ味のあるテンポの切り替えを要求していたのかも知れない。2日目公演は、1日目よりもさらに練られた演奏だったようだ。
 この第4楽章なんて弦だけで無く、木管の音までが生気を得て輝きを増している。確かに大フィルのサウンドだけれど、こんなに重厚で輝かしいサウンドが出るものなのか?

 このオケの特質を見抜いて濃密なサウンドを引き出したフルシャが凄いんでしょうが、こうした人が首席客演指揮者でもいいから就いてくれたら、と思ってプロフィールを見たら、なんとあの名門バンベルク交響楽団の常任指揮者に就任予定とか。指揮が終わったらあんなに礼儀正しく初々しさすら感じがさせるのに、やはり若い才能は放ってはおかれないんですね。
 プログラムを見ると、陣容は相変わらず整っておらず、苦しい。今回も27人ものエキストラが乗っている。しかしそれでも大フィルらしさ全開の演奏が展開されたというのは、フルシャのタクトだけでなく、やっぱりこのオーケストラ一流のプロ根性でしょう。本当に最高の音楽をありがとうございました。

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カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演 モーツァルト「レクイエム」 [コンサート感想]

岡山シンフォニーホール25周年記念
カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演

モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218
  〃   /レクイエムニ短調 K626

管弦楽:カメラータ・ザルツブルグ
ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子
ソプラノ:秦茂子
メゾソプラノ:アンナ・モロツ
テノール:セサル・アリエタ
バリトン・アイザック・ガラン
合唱:岡山バッハカンタータ協会
合唱指揮:佐々木正利

2016年11月19日 岡山シンフォニーホール
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※Okayama Art Summit 開催中ならではの、リアム・ギリック作品と岡山シンフォニーホールとの共演

 風邪をこじらせて止まらない咳のため、コンサート出撃を1か月以上自粛しておりました。久しぶりに聴いた、それも強度が誇る合唱団とワールドクラスの独奏陣、それにそれに「黄金のカメラータ・サウンド」!本当に酔いしれました。何より満席で我らの街の首席指揮者:シェレンベルガーを迎えられたのが嬉しい!聴衆の温かい拍手に団員さんも笑顔・笑顔で応えてくれました。

 カメラータ・ザルツブルグはシャンドル・ヴェーグの時代の繊細で柔らかいサウンドから、ロジャー・ノリントンのシャープなサウンドへと色々な歴史をたどってきていますが、シェレンベルガーの作る音楽はヴェーグの時代を感じさせる柔らかい繊細なサウンドを基調に、ダイナミックな場面では6型の室内オケ編成とは思えないくらいかなり迫力がありました。

(11月20日 追記) 

 カメラータ・ザルツブルグは、モーツァルト音楽教育の総本山であるとともに、モーツァルト研究のメッカである、ザルツブルグ・モーツアルテウム音楽大学の教授と学生によって設立、ザルツブルグ音楽祭でのホストオーケストラも務め、シャンデル・ヴェーグの時代の「カメラータ・サウンド」はもはや伝説となっている。モーツァルトのスペシャリスト達です。
 一方でプログラムを見て驚いたのが、日本人系のお名前を4人も拝見したこと。ザルツブルグ・モーツアルテウム音大の系譜に連なる奏者でないと入団できないと思い込んでいたのですが、ノリントンの時代にモーツアルテウム音楽院出身者以外からの採用を積極的に行っているとのこと。

 会場は完売御礼こそ出なかったものの。ほぼ満員でした。シェレンベルガーは我らが街の首席指揮者ですから、なんとか満員になって欲しいと思っていましたが、これで岡山のファンにとっては面目が保たれましたね。

 当日は、楽団員さんと思しきグループの方が、芸術交流やその関連イベントに足を運んだりされていて、コンサートも満員で迎えられたことで、「アート感度の高いスモールシティ」として大いにアピールできたんじゃ無いかと。倉敷公演もあった前回来日の際には倉敷の美観地区も訪れているでしょうから、岡山のいいイメージを持って帰っていただけたのではないでしょうか。

 そして、このコンサート、プログラムが凄いですよね。後半のレクイエムで声楽4人+合唱団も投入するのに、前半には独墺系楽曲の重鎮、堀米ゆず子を登板してくるわけですから、どこまで力が入ってんねん!って話ですよ。ホンマ。

 まずはモーツァルトの5曲のヴァイオリン協奏曲の中で、最も美しくかわいらしい4番。20歳に満たない年齢で書かれたこの曲は、モーツァルトの天才性を存分に感じられる曲で、ペガサスが天を駆けるかのような爽快感があります。出だしはですね、正直、「あれっ?!」と思ったんですよ。悪くは無かったです、しかし、フツーに上手いオーケストラがちょっといい音を出した、そんな感じに受け止めました。ところが数分たつと、あの匂い立つような「カメラータ・サウンド」の香りが漂いだし、第2楽章での美しさは特筆ものでした。立ち上がりに時間がかかったのは大きな原因があって、の日は最低気温16度の最高気温22度の雨天。梅雨でもここまで蒸し暑くはないぞ、というほど湿度が高かったです。かといって空調を入れるほどの気温では無く、会場の湿度もかなり高かった。

 母国のオーストリアでは経験したことが無いような環境だったんじゃないでしょうか?満員のお客さんがいっそう湿度を上げたことも多分にあるでしょう、はじめは手探りのアンサンブルだったに違いありません。しかし、さすがに世界屈指の室内オーケストラ、ましてやモーツァルト演奏に関しては人後に落ちない存在であらねばならない、そんな矜持がそうさせるんでしょうか。瞬間瞬間にみずみずしい音楽が立ち上がっていく。ハーモニーが疾走しながらも猫の目のように表情が移り変わっていく。シェレンベルガーもオーケストラをある程度コントロールする岡山フィルと時とは違って、オケとソリストから生まれるニュアンスを、どう料理していくかを楽しんでいるかのようです。いやはや、ものすごいモーツァルトです。若い頃のモーツァルト独特の怖いものは何も無い、才気あふれる音楽の対話と冗談を楽しみました。なかなかこの「饒舌さ」は味わえるものではありません。

 湿度が高い悪条件は堀米さんも同様、高温の部分で音がかすれる場面はあったにせよ、そういった条件をまったく問題にしない、さすがの風格と演奏度胸。充分な存在感でありながら、カメラータ・サウンドの邪魔をしない雑味を加えない、あの輝くようなアンサンブルに見事に付けていく。岡山フィルと共演した、ブラームスのコンチェルトで見せた、大地に根が生えたような圧倒的な重厚なソロとは全く違った表現を堪能しました。

 メインはモーツァルトのレクイエム。モーツァルトの合唱曲に初めて接したのはアヴェ・ヴェルム・コルプスだった。クリスマスケーキを目当てに近所の教会にクリスチャン一家の友達に連れていかれた時に、合唱隊が歌っていて、なんて綺麗な音楽だろうと思ったことを覚えています。
 モーツァルトの合唱曲は、人間か書いたものでは無いような、まるで神が授けたもうたとしか思えないような無垢な美しさに満ちあふれていますが、このレクイエムも極めつけでしょう。

 そして、現在も某CMで使われている、前半のハイライトとなるディエス・イレ(怒りの日)の激しさ、後半のサンクトゥスの輝かしさを筆頭に、一大ドラマになっている。この日演奏されたのはジュースマイヤー補筆版では無く、バイヤー補筆版とのこと。

 最近まで僕はこの曲が苦手だった。どの演奏とは言えませんが、60~70年代の大巨匠時代の重厚な演奏で苦手になってしまった。しかしその後、色々なアプローチの演奏が出てきて、すっきりと聴かせる演奏が主流になりようやくこの曲が好きになってきたところでした。やっぱりモーツァルトに過剰な重々しさは似合わない。

 今回のカメラータ・ザルツブルグ&岡山バッハカンタータ教会の演奏の全体を貫いていたのは、疾走感であった。モーツァルトの音楽にしばしば感じられる、まるで馬車に揺られるような疾走感。語弊を恐れずに言うと、ビートが効いた感じ。シェレンベルガーが好んで使う表現では「音楽からパルスを感じた」ということになるでしょうか。かといって、オーケストラの音が軽量級だったかというと、決してそうではなく、セクエンツィアの第3曲「ラッパは驚くべき音を」やサンクトゥスあたりのダイナミックさは「これが6型室内オーケストラの音か?」と思うような荘厳な音で聴衆を圧倒した。

 合唱団も見事な演奏。男声パートが人数が少ないが、全体のバランスは良かった。メンバー表を見ると、プロの声楽歌手たちも名を連ねており、そりゃあこの完成度もさもありなん。終始乱れることのないアンサンブルと、主旋律と内声部それぞれがパースペクティブに整理され、オーケストラも含めてあるべき音があるべき姿で鳴って、なんともいえない高揚感で満たされ本当に鳥肌が立った。

 声楽は、このホールでの歌唱はお馴染みになった秦さんが、堂々の歌唱で、メゾのモロツさん、バリトンのガランさんもさすがに本場の名歌手の本領を発揮して素晴らしかった。テノールのアリエタは声質が若く(実際に26歳とまだ若い)、少し違和感があったもののオペラのテノールのような華は、この曲にはそもそも無用であって、充分に役割を果たした感じだった。

 この曲に感じるもう一つの謎・・・モーツァルトは果たして信仰心があったのか?コロレド大司教に代表される、当時の宗教権威に対する反抗心はあったことは確実で、バッハの受難曲やカンタータのような、神への絶対的帰依というものが音楽から感じられにくかった。しかし、この日のコンサートを聴いて、宗教的権威への信仰心は気迫だったかも知れないが、音楽も含めたこの世に存在する者の創造主への信仰の心は確実にあった人なのだろうなあ。と感じた。もっともこの曲はモーツァルト自らの手では完成しなかったのであるが・・・

 余談ですが、東京公演を聴いた方の感想の中に合唱団のピッチについて指摘する人が居たが、岡山公演では全く感じなかったし、この合唱団においてピッチの違和感を感じたことなど一度もない。岡山からなぜアマチュア合唱団を呼ぶのか?という疑問も呈されていたが、この合唱団は前述のとおり、声楽で飯を食っている人も多く参加し、ヴィンシャーマンやリリング、シュライヤーからも評価され、ドイツまで遠征してCDも出している、いわばセミプロの合唱団だ。
 前情報とは恐ろしいもので、そういった知識がなく単に「岡山くんだりから来たアマチュア」という先入観があると、ピッチも合わなく聴こえるのか?東京と地方、音楽の本質について考えさせられる記事だった。



 この岡山公演が今回の来日ツアーの最初だったみたいですね。明日は岡山バッハカンタータ協会も帯同して東京公演、他にもモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会(杉並公会堂)、なんていうのもあります!
 武蔵野文化財団のチラシが物凄くツボに嵌りました・・・
カメラータ・ザルツブルク1-thumb-1000xauto-7149[1].jpg

 まあ、でも岡山はプログラムは違いますが、『炎吹き出すモーツァルトの祭典』『本気度MAXで臨む特別公演』というのも、コンサートを聴いた後では、あながち大げさでもないように感じますから、東京方面の皆さんはぜひ検討の価値アリかと思いますよ。


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