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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2018冬 岡山ルネスH公演 [コンサート感想]

ルネスクラシックシリーズ Vol.17
クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2018岡山公演
 
モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調「不協和音」
バルトーク/弦楽四重奏曲第1番
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー3番」
 
守屋剛志(第1ヴァイオリン)
モティ・パヴロフ(第2ヴァイオリン)
ケヴィン・トライバー(ヴィオラ)
松本 瑠衣子(チェロ)
 
2018年2月10日 ルネスホール
 
 記録を辿ると、このクァルテット・ベルリン=トウキョウ(以下、QBTと略)を聴くのは6回目になる。岡山という、決してクラシック音楽が盛んとは言えない土地で、これほどのレベルの弦楽四重奏団の演奏を、まるでシリーズのように毎回違った名曲で楽しめる・・・。これほどの僥倖があろうか。
 しかも第一ヴァイオリンの守屋さんは、東京芸大在学中には地元のアマ・オケなどの演奏会にソリストとして登場していて、その並外れた音楽性を存分に発揮されていた。それが今や世界的室内楽団体を率いて毎年凱旋してくださる。2010年以降の岡山のクラシック音楽シーンを後世で語られるとき、シェレンベルガーの岡山フィル首席指揮者としての活躍と、このQBTの連続室内楽シリーズが語られ続けるだろう。 
 そんなわけで、僕がこのQBTのコンサートにおいて冷静に感想を書くことなどできないわけでありますが、今回も本当に満足のコンサートだった。
 先に、バルトークの1番から。同じくバルトークの3番を、2年前の県美公演で聴いており、当時もQBTのアンサンブル能力の桁外れの高さに舌を巻いたのだが、今日の公演は3曲とも配置を入れ替えており、守屋さん(1stVn)とパブロフさん(2ndVn)が対向配置で向かい合い、守屋さんの隣にトライバーさん(Va)、その隣に松本さん(Vc)という配置だった。QBTは守屋・松本の二枚看板という印象だったのだが、この配置でパブロフさんと守屋さんが掛け合う構図が明瞭になり、守屋・松本・パブロフの3人の奏者が真剣で殺陣を繰り広げ、そこへトライバーが割って入る隙を伺うような、そんな緊張感が痺れる掛け合いとなった。バルトークの真骨頂の民俗舞曲調の場面での燃焼度は、以前にもまして高い。やはりQBTは凄い。
 モーツァルトの柔らかい息遣いと「間」の変化は、「やはり世界トップレベルのクァルテットは違う!」と思わせるに十分。ベートーヴェンのラズモフスキー・セットは、3年前に第1番を聴いているが、今回の第3番は貫禄と迫力十分の横綱相撲。前回の「大フーガ」が、一生心に残るような演奏を聴かせてもらったのと同様、今回もQBTのベートーヴェンを聴かせてもらった。ベートーヴェンの気高くも美しい音楽が、心の襞に沁みわたるようだった。
 もっと詳細に感想を書きたいのだが、物書き仕事が溜まっているので、とりあえず筆を置きます。気が付いたことは箇条書きで追加するかもしれません。
 
 
 ・守屋さんのプログラムトークによると、今回のプログラムの変更には理由があって、差し替え後のモーツァルトの「不協和音」はベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」に多大な影響を与えている、ハ長調という調整も同じなら曲のモチーフも類似性が見られる。しかし、だからこそモーツァルトとベートーヴェンの違いが分かるのではないか、ということで差し替えを行った、とのこと。
・アンコールには、当初のプログラムに組まれていた、ハイドンの弦楽四重奏曲第76番ニ短調「五度」から、第4楽章。
・今回のツアーでは岡山公演が2回組まれていて、2月6日には岡山大学Junko Fukutake Hall で、ハイドン79番、バルトークの2番、ショスタコーヴィチの9番を演奏した由。こちらにも行きたかったが、火曜日昼間の公演で断念せざるを得なかった。。。

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岡山フィル特別演奏会 ニューイヤーコンサート2018 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 ニューイヤーコンサート
モーツァルト/歌劇「魔笛」ハイライト
~第1幕~
 序曲
 No2.アリア「私は鳥刺し」
 No.3アリア「なんと美しい絵姿」
 No.4レチタティーヴォとアリア
 「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」
 No.7二重唱「愛を感じる男の人達には」
~第2幕~
 No.14アリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
 No.15アリア「この聖なる殿堂では」
 No.17アリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」
 No.19三重唱「愛しい人よ、もうあなたにお会いできないのですか?」
 No.20アリア「パパゲーノ様が欲しいのは一人の可愛い娘っ子」
 No.21二重唱「パパパの二重唱」
 No.21フィナーレ「太陽の輝きが夜を追い払い」
  ~ 休 憩 ~
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」
 
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ザラストロ:渡邉寛智(バス)
タミーノ:柾木和敬(テノール)
夜の女王:阪本清香(ソプラノ)
パミーナ:池田尚子(ソプラノ)
パパゲーナ・案内役:川崎泰子(ソプラノ)
パパゲーノ:鳥山浩詩(バリトン)
ゲストコンサートマスター:依田真宣


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 「パースペクティヴ!!」
 この素晴らしいホールに岡山フィルあり!


 今日の後半のシェエラザードの演奏を、無理やり一言で表すとこれに尽きるのではないかと思う。

 ベートーヴェンやブラームスで魅せたどっしりとした構築美でもなく、去年の「ばらの騎士」組曲で魅せたロマン派の黄昏の燃えるような美しさでもなく、今日のシェエラザードはとにかく華やかにオケが鳴りまくった!開館25年を超え、熟成の極みの時期に入った岡山シンフォニーホールの絶好の音響を最大限に味方につけ、オーケストラのポテンシャルとホールのポテンシャルが見事に融合され、3Dの空間の中に遠近取り混ぜて様々な音が振って来る、このホールならではの体験ができた。 

 聴き慣れているはずのシェエラザードから、思いもしなかった音があちこちから聞こえてきて、宝石箱をひっくり返したような、どころの話ではなく、このホールそのものが美音の鉱脈であることを、今回ほど心底実感できた演奏会は無かったです。このホールには、やはり管楽器の高音や様々なパーカッションが登場するような華やかな曲が似合います(予算はかかるんでしょうが・・・)。


 シェレンベルガーさん、ベートーヴェン・ブラームスが中心レパートリーだと思っていたのですが、オーボエ演奏の録音ではフランス・イタリアものも得意だし、今回から3回連続で続くロシアものシリーズの1回目は、これ以上無いぐらいに見事に料理。今回のモーツァルト、R=コルサコフもそうですが、曲のイメージが明確で音楽が体に浸透してくるような心地よさがあります。まだまだ少なくとも10年は岡山でやっていただくレパートリーがありそうですね(笑)


 この日の編成は12型2管編成。1StVn12→2ndVn10→Va8→Vc8、上手奥にCb6本。
 お客さんの入りは8割ぐらい入ってたんじゃないでしょうか。依然として好調な動員が続いています。
 
 この日のコンサート、開演前からチェロアンサンブルにシェレンベルガーさんのプレトークと、イベントが目白押しだったんですが、予定外のことが起こって、ホールに着いたのが開演約30分後・・・。前半を聴くことは諦めていたんですが、「魔笛」のハイライトが1時間を超えるボリュームがあったので、第2幕から入れてもらえました。
 もう演奏が始まりそうだったので自席に行くのを諦め、おそらくこのホールの中で屈指の「音の悪い席」である(爆)、2階席の一番奥で聴いたんですが、6名の声楽の皆さん、その位置までよく声が届いていました。(自分が遅れたために)いきなり夜の女王のアリアから聴くことになったんですが、一気に惹きこまれた。
 
 オペラ・アリアのハイライトとはいえ、振り付けを交えて歌を歌われていて、特に鳥山さんのパパゲーノはその場面が見えるようでした。女声の3名は歌の素晴らしさはさることながら、3名とも抜群のヴィジュアルに加え、それぞれの役にあった佇まいで、僕のようにオペラにあまり馴染みのない人間には、これは大切な要素だったと思う。
 第2幕だけでも見られて本当に良かった。
 
 休憩後にいつもの定位置に戻り客席を見渡して驚いた。若い年齢層のお客さんが多い。60歳~70歳ぐらいが主要客層なのは他のオーケストラと同様だが、30代~40代ぐらいの年齢層もそれに対抗できるぐらいのボリュームがある。
 
 後半のシェエラザードが始まったのは開演から1時間20分が経過していた。シェレンベルガーが組むプログラムは、毎度毎度ボリュームが満点である。聴きに来た客を絶対に満足させるという意思が伝わってくる。
 音響の悪い席からいつもの定位置に来ると、このホールの美点:音の広がりやどんな大音量でも包み込んでしまう懐の深さ、そして細かい息遣いまで聴こえて来る繊細さを実感した。前半、音の良くない席に一度座ることで、かえってこのホールのポテンシャルを明確に実感した。
 
 今回のコンサートマスターはゲストの依田さん。東京フィルのコンサートマスターのようだ。僕は、昨年10月に就任した高畑コンマスのソロを楽しみにして来たのだが、少々肩透かしを食らった感じ。予定が合わなかったのでしょうけど。
 しかし、この依田さん、この年齢(たぶん20代後半?)で東京フィルのコンマスに採用されるだけあって、凄いソロだった。ソロがある時間帯は「これはもう、ヴァイオリン協奏曲だな」と思うほどの存在感があった。
 
 シェエラザードは和声学や管弦楽技法の大家でもあったリムスキー=コルサコフ渾身の名作で、色々なオーケストラが「勝負曲」にしている曲。それだけに去年の京響をはじめ、過去に生演奏に接した回数が多い曲。

 僕はこの曲について、愛の物語ではなく、人間不信に陥り暴君と化した権力者を、物語の読み聞かせセラピーで癒していく話、だと考えている。だから、アラビアンナイトの物語の上っ面をたんに音楽で語っているだけでは凡百の演奏に埋没してしまう。童話や昔話の中に、物事の心理や人間の業や性が描かれているように、この曲にも権力と人間の危険な関係、自我の崩壊によって新たな人格の再生があることなどを描いているように思う。
 そういう視点で聴いても、シェレンベルガーのタクトさばきは見事だった。

 まず、第1楽章の冒頭からトロンボーン・チューバ、低弦などで提示される狂気の権力者:シャリアール王のテーマが行き場のないエネルギーと、奈落の底へ落ちていく心の闇を描き出していたし、物語を読み聞かせるシェエラザードを表すヴァイオリンのソロも、夢のように美しい一方で、第1楽章から第3楽章までのソロを取る場面では物語の中に溶け込んでいつつも、一歩引いた冷静な目線を感じさせている。これによって、今聞いている世界はシェエラザードが読み聞かせている架空の世界であることを、聴く者の頭の片隅に意識させていた。このシェエラザードを表すヴァイオリンのソロの取り扱いを間違うと、この曲は単なる情景描写の交響詩になってしまう。
 
 個々の場面ではシェレンベルガーさんらしいがっしりとした曲の躯体がありつつも、節回しのこぶしの効かせ方は、フランスオーボエ名曲集やイタリアバロック協奏曲集などの名盤で聴かせる、ロマンと歌心にあふれる鮮やかなオーボエ演奏と通底するものを感じた。
フランス・オーボエ名曲集

フランス・オーボエ名曲集

  • アーティスト: シェレンベルガー(ハンスイェルク),デュティーユ,ベネット,サン=サーンス,プーランク,ボザ,ケーネン(ロルフ)
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2005/12/21
  • メディア: CD
イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集

イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集

  • アーティスト: イタリア合奏団,シェレンベルガー(ハンスイェルク),アルビノーニ,ヴィヴァルディ,サンマルティーニ,A.マルチェルロ
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2010/08/18
  • メディア: CD
 それにしても(冒頭でも書いた通り)、やっぱりこのホールは凄い!こういうパーカッションが華々しく、木管の(特に高音の)饒舌な曲でこそ、本領を発揮する。これまで十数回は生演奏で聴いているこの曲から、これまで聴こえて来なかったことがたくさん聴こえてきた。
 
 第4楽章のシンドバッドの海が荒々しく再現される場面でのハープのグリッサンドが、あれほどクリアに聴こえて来る体験は初めてのことだったし(ハープは朝比奈時代の大フィルの名ハーピストの今尾さんが乗っていた)、その際に何度も打ち鳴らされるシンバルは、振動を利用して擦りあげるような奏法で、嵐の場面を描いていると同時にシャリアール王の頑なな自我の最後の断末魔を現しているような劇的なものだった(その頑なな自我は、タムタムの一撃による倍音の中に消えていったように感じられた)。
 第2主題の金管のファンファーレに呼応して奏でられる、弦のピチカートは、さながら何百台もの竪琴が自分の意思を持って陽気に踊っているようだった。
 
 パーカッション陣も特に第4楽章では隙の無い対話を繰り広げ、金管も迫力満点ながら、デリケートなコントロールとハーモニー重視の姿勢が貫かれていた。特筆すべきは木管で、ソロも見事(ファゴットうま過ぎ!)、合奏も溶け合って素晴らしい音だった。お名前を検索すると今回の助っ人主席にはフリーの方が多かったようで、この中に正式な岡山フィル首席奏者に残ってくれる方がいらっしゃることをお祈りしたい。
 
 弦楽器も好調さを維持、高畑コンマスに代わってからオーケストラの一体感が飛躍的に向上したのだが、今回、客演コンマスが入っても、一体感は失われなかった。
 細かいダイナミクスをごく自然に表現されていることと(息が合う、というのはこういうことかと思う)、弱音部でも一つ一つの音がしっかりと演奏されていて、この曲に関してはffは近景を、ppは遠景を表していることが多く、全体を通して立体的かつパースペクティヴな音楽が、岡山シンフォニーホールの空間に響き渡った。その瞬間のなんという至福の時間であったことだろう。
 とりわけ、第4楽章の燃焼度は相当なもので、聴く者だけではなくオーケストラ奏者自身もみな、カタルシスを味わった演奏ではなかったでしょうか。
 僕は、残念ながら次回(3月)の定期演奏会は仕事のため泣く泣く欠席です。 シェレンベルガー指揮のショスタコーヴィチの5番交響曲は関西フィルで聴いていますが、きっと岡山でも素晴らしい演奏になると思います。迷われている方がいらっしゃたら聴くべし!ですよ。

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2017年に足を運んだコンサートのデータ [コンサート感想]

 これが2017年の最後のエントリーになります。今年足を運んだコンサートのデータをまとめてみました。

 足を運んだコンサートは29回、今年も秋から冬にかけて予定が狂ってしまい、30回の大台には乗りませんでしたが、この回数はブログをはじめた2006年以降、過去2番目に多かったです。
 来年4月以降、職場の体制が大きく変わるので、関西への計画的な遠征はほとんど出来なくなります(思い立って突然遠征することはあるかも知れません)。もし、身動きが取れる状況になってもコンサート遠征をセーブする方向性は変わらないでしょうね。大阪や京都へ往復すると1万円ぐらいかかりますが、回数を減らして浮いた遠征交通費を岡山フィルの賛助会員(1口1万円)の会費として納入することを検討しています。

 年間のチケット代総額は97,850円、1回あたり平均3,374円でした。

◎ジャンル別
 オーケストラ19回、室内楽8回、ピアノ・ソロ1回、吹奏楽1回
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◎オーケストラの楽団別
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岡山フィルハーモニック管弦楽団:6回
 日本センチュリー交響楽団:4回
 京都市交響楽団:3回
以下、1回
 ブリュッセル・フィル、タンペレ・フィル、アークティック・フィル、広島交響楽団、読売日本交響楽団
 アマチュアオケ:1回(岡山大学交響楽団)

◎指揮者別
 ハンスイェルク・シェレンベルガー:5回
 ドミトリー・シトコヴェツキー  :2回
 ジョン・アクセルロッド     :2回
 下野竜也            :2回
 以下、1回(おもな指揮者のみ)・・・ステファヌ・ドゥネーヴ、イジー・シュトルンツ、クリスティアン・リンドバーグ、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ、飯森範親、大友直人、下野竜也、三ツ橋敬子、保科洋・秋山隆、丸谷明夫

◎ソリスト・アーティスト
2回:ドミトリー・シトコヴェツキー(Vn)、ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)、松山冴花(Vn)、ウェン・シン=ヤン(Vc)

 以下、すべて1回(おもな奏者のみ)
 ミシェル・ダルベルト/ペーター・ヤブロンスキー/ピョートル・アンデルシェフスキ/モナ=飛鳥・オット/田部京子/津田裕也(Pf)、アレクサンドラ・スム/川久保賜紀/青木尚佳/守屋剛志/黒川侑/高畑壮平/近藤浩子(Vn)、ドミトリー・フェイギン(Vc)、クリスティアン・オイラー(Va)、村田和幸(Cb)、アンドレア・グリミネッリ(Fl)、シュテファン・ドール(Hr)、(Hp)、浜田理恵(S)、福原寿美枝(A)、松本薫平(T)、片桐直樹(B)

室内楽団体:カルテット・ベルリン=トゥキョウ、ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット、アンサンブル・ステラ、アンサンブル・レ・ペッシュ

◎プログラム曲目別
 プログラムにあがった曲(アンコールは含まず)の標準的な演奏時間を5分単位で指数化。作曲家別にまとめています。
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ちなみに・・・
 2014年は1位:ベートーヴェン、2位:バッハ、3位:チャイコフスキー、4位:ブラームス、5位:レスピーギ
 2015年は1位:ベートーヴェン、2位:ベルリオーズ、3位:モーツァルト、4位:シューベルト、5位ドヴォルザーク
 2016年は1位:ブラームス、2位:ハイドン、3位:ベートーヴェン、4位:モーツァルト、5位ショスタコーヴィチ

◎コンサートホール別
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◎会場の府県別
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◎会場の市町村別
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◎平成29年の印象に残ったコンサートは次の通り
(期間:2017/1~2017/12)

超SS級(まさに奇跡的な体験をしたコンサート)
2017/11/25 京都市交響楽団第618回定期演奏会(1日目) 指揮:下野達也 Pf:フェドロヴァ
2017/6/17 日本センチュリー響第217回定期演奏会(2日目) 指揮&Vn独奏:シトコヴェツキー
2017/2/11 クァルテット・ベルリン=トゥキョウ 2017岡山公演

SS級(物凄く感動したコンサート・・・年間ベストコンサート候補)
2017/12/10 2017/12/12 岡山フィル ベートーヴェン「第九」演奏会2017
2017/10/3 ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル 倉敷公演
2017/9/3 京都市交響楽団第616回定期演奏会(2日目) アクセルロッド指揮
2017/6/16 日本センチュリー響第217回定期演奏会(1日目) 指揮&Vn:シトコヴェツキー
2017/5/31 アンドレア・グリミネッリ フルートリサイタル
2017/3/25 岡山フィル第52回定期演奏会 シェレンベルガー指揮
2017/3/9  読売日本交響楽団第16回大阪定期演奏会 下野竜也 指揮 Vn:スム
2017/1/18 シェレンベルガー・セレクション ベスト・オブ・カルテット 

S級(非常に印象に残ったコンサート)
2017/10/8 岡山フィル第54回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 Vn独奏:青木尚佳
2017/8/11 日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期 No.36 ハイドンマラソン
2017/5/20 タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団 2017 福山公演
2017/2/5 広島交響楽団第23回福山定期演奏会 指揮:大友直人 Vn:川久保賜紀
2017/1/15 岡山フィル第51回定期演奏会 指揮:シェレンベルガー Vc:ウェンシン・ヤン Vn:松山冴花

A級(たいへん良かったコンサート)
2017/12/12 シェレンベルガーのメリーX’mas 岡山大学Jホール
2017/9/2 京都市交響楽団第616回定期演奏会(1日目) アクセルロッド指揮
2017/9/1 カフェ・モンタージュ 田村安祐美・小峰航一・佐藤禎・塩見亮
2017/7/9 岡山フィル第53回定期演奏会 指揮:三ツ橋敬子 Hr独奏:ドール
2017/6/15 ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団 姫路公演
2017/3/18 倉敷のヴィルトゥオーゾ室内楽コンサートVol.2
2017/3/10 日本センチュリー響第215回定期(1日目) 指揮 :シュトルンツ Pf:ダルベルト

 今年も、拙ブログをお読みいただきありがとうございました。感謝申し上げます。


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シェレンベルガーのメリーX’mas 岡山大学Jホール [コンサート感想]

 2017 Jホール・レインボーコンサート Vol.49
 『シェレンベルガーのメリーX’mas』
 
マンフレディーニ/クリスマス協奏曲(ソロ:高畑壮平、近藤浩子)
マルチェロ/オーボエ協奏曲(ソロ:シェレンベルガー)
トレッリ/クリスマス協奏曲(ソロ:高畑壮平、近藤浩子)
 ~ 休 憩 ~
J.S.バッハ/オーボエ・ダモーレ協奏曲(BWV1055)(ソロ:シェレンベルガー)
リチョッティ/協奏曲第2番(弦楽合奏)
J.S.バッハ/オーボエとヴァイオリンのための二重協奏曲(BWV1060)(ソロ:シェレンベルガー、近藤浩子)
 
岡山フィルハーモニック管弦楽団弦楽アンサンブル
コンサートマスター:高畑壮平
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 第九の記事より先にこちらを更新、第九は強烈な印象を残したので、忘れることはありません。後ほど更新します。
 
 10月にエリシュカの最終来日公演(大フィル)とイブラギモヴァの協奏曲演奏(日本センチュリー響)を聞き逃し、先週はゲルギエフ&マリインスキー劇場管@高松のチケットをフイにしてしまって、イマイチ不完全燃焼だったこの秋のコンサート巡りでしたが、捨てる神あれば拾う神あり、日曜日(バリバリの出勤日)の岡山フィルの第九を聴くことができ、本日は無理やり半ドンにしてシェレンベルガーと岡山フィルの公演を聴くことが出来た。第九の時にチラシが入っていて、やっぱりこのメンバー、このプログラムは聴きにいかにゃーおえんですよねぇ。
 
 今日の岡山フィル弦楽アンサンブルのメンバーは1stVnが高畑コンマス、奥野さん、石原さん、田中さん。2ndVnが入江さん河野さん、澤田さん。Vcは山本玲子さん、Cbは嶋田真志さん。チェンバロに小川園加さん、というメンバー。
 
 Xmasと聴くと、日本人の僕はすぐに浮かれた気分になってしまう訳だが、前半の2曲の「クリスマス協奏曲」は、祝祭的な中にも敬虔な祈りのような雰囲気を湛えていて、Xmasはあくまでキリストの誕生を祝う日なんだなあ・・・と今更ながらに噛みしめる。
 岡山フィルの弦楽アンサンブルは、シェレンベルガーさんが絶対の信頼を置く首席コンマスに、精鋭のベテランメンバー、気鋭の若手で構成されていて、なかなかの好演を聴かせる。高畑さんと近藤さんのソロの掛け合いの見事な音楽を聴いていると、今後はこの両コンマスが岡山フィルをますます発展させていくことは間違いないと確信させられる。
 しかし、やはりシェレンベルガーのソロは今回も凄かった!マルチェッロはバロックの作曲家だが、オーボエ版パガニーニのコンチェルトか!と突っ込みを入れたくなるような超絶技巧と高速パッセージや、第2楽章のメランコリックさ(映画にも使われるほど、名曲なんですね)などは、もはやロマン派のようなドラマチックさに溢れていた。第1楽章で「いや~さすが、シェレンベルガーやなあ!」と惚れ惚れさせられ、第2楽章の味わい深い音色にうるっと来て、第3楽章の超絶技巧でも魅せる魅せる。
 
 日曜日の第九と今日の前半の演奏について、岡山フィルは本当によくなった、と感慨にふけっていたが、後半の1曲目が、どうもうまくない。シェレンベルガーのオーボエは流石の一言だったが、寄せ木細工のような幾何学的なバッハのオーケストレーション、しかも少人数という厳しい状況に、十分に対応しきれていない。バッハの音楽は、少しのズレがきっかけで全体のアンサンブルが定まらなくなる危険を孕む、そんな場面が散見され、吹きながらも少し心配そうにオーケストラを振り返るシェレンベルガーの姿が印象に残った。
 まだまだ、シェレンベルガーさんに小編成のアンサンブルを鍛えてもらわないといかんなあ・・・

 それにしても、オーボエ・ダモーレって、なかなか聴く機会は無いし、それもシェレンベルガーの演奏っで聴けて、これだけでも今日無理してでも来て良かった。もう少し朴訥とした音だというイメージだったが、シェレンベルガーの手にかかると、これほど切れ味のある演奏ができる楽器なのか・・・と驚いた。「シェレンベルガーのオーボエ・ダモーレを聴いた」というのは、のちに自慢できる場面もあるだろう。
 
 後半2曲目は、トッププルトだけが残り、2-2-2-1-1の編成に。シェレンベルガーはお休みで、指揮者無しの高畑コンマスのアイコンタクトでの弦楽八重奏。これは見事な演奏だった。これを聴くと、先ほどのバッハは単純に弾き込み不足・リハ不足だったのかもしれない。オーケストラではファーストを弾く入江さんがセカンドに座ってよく歌う演奏を聞かせ、これまた歌心にかけては負けていられないとばかりに高畑コンマスの音楽と融合する。前半の近藤さん演奏も含め「これが、これからの岡山フィルの音の核になる音楽なんだなあ」と思いながら聴いていた。
 
 最後のバッハのオーボエとヴァイオリンのための協奏曲。シェレンベルガーとこれまで岡フィルのコンサートミストレスを張ってきた近藤さんがソロを取る。これが本当に熱い演奏になった。
 首席指揮者とそのオーケストラのコンミスという立場をお互い脱ぎ捨てての真剣勝負、一人の音楽家同士の作り出す2つの世界が、時に対峙し、時に融合する。シェレンベルガーがこれまた鬼のように正確なピッチとフレージングで演奏し、演奏の正確性とテクニックの面では近藤さんが一歩譲った感はある(というか、オーボエ奏者:シェレンベルガーという怪物と、すべてにおいて互角に渡り合えるヴァイオリニストなんて一握りしかいないだろう)、しかし、二人のソロに導かれた音楽は、バッハの幾何学的な、あるいは宇宙的な世界にを描き出し、その迫力に圧倒された。
 終演後に、近藤さんに惜しみない拍手を送ったシェレンベルガーの姿と、会場の盛り上がりがすべてを物語っていたと思う。 
 
 しかし、このホールでのコンサートはいい演奏になる。シェレンベルガーさんが以前、語っていたように、彼自身がこの会場で演奏することを楽しみにしていることも大きい。特別に音響がいいわけでも居住性が高い(会議用の椅子ですから・・・)わけでもないけれど、最先端のデザインの建築物に包まれて、日光が降り注ぎ、ガラスを通して外の世界を感じながら聴くと、素直に自分の心を開いて、その音楽が作り出す世界に没頭できるように思う。
 そして。これはシェレンベルガーも狙ってやっていたのだろうが、岡山フィルには新・首席コンマスの高畑さんだけじゃなく、近藤さん、入江さん、他の奏者にも素晴らしい駒が揃っている。オーケストラとしての定期演奏会だけじゃなく、シェレンベルガーと高畑コンマスは、色々なことをやるんじゃないか?そんな予感のするコンサートでした。

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岡山フィル ベートーヴェン「第九」演奏会2017 [コンサート感想]

ベートーヴェン「第九」演奏会 2017


ベートーヴェン/「エグモント」序曲
  〃    /交響曲第9番ニ短調「合唱付き」


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー

管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団

首席コンサートマスター:高畑壮平


ソプラノ:浜田理恵

メゾソプラノ:福原寿美枝

テノール:松本薫平

バス:片桐直樹

合唱:岡山第九を歌う市民の会

合唱指揮:渡辺修身
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 今回のチラシ、デザイン(特にレイアウト)がめちゃめちゃカッコいい、ですよねぇ。


 予約時にいつもの特等席がすでに埋まっていたので、左サイドバルコニーの席に座ってみたら、これが大正解だった。シェレンベルガーとタクトと、それに反応するオーケストラのコンタクトが手に取るようにわかる。ファースト・ヴァイオリンも誰がどの音を出しているのか、弱音部は特によくわかる。たまには違う席に座ってみるもんです。でも、よくよく考えたら大阪のザ・シンフォニーホールや京都コンサートホールでは、ほとんどこの位置で聴いているんですよね。


 シェレンベルガーが岡フィルの第九を振るのはこれで2回目、しかし、前回はこれまでの『第九』で積み上げてきたもののうち、いい部分を研ぎ澄ます一方で、リズムや音のフレージングに大きく手を入れ「作為的な劇的さ」を極限まで削ぎ落とし、シェレンベルガーが本場で演奏し作り上げてきたベートーヴェンの最終交響曲そのものが持つドラマを、岡山に移植する挑戦的な演奏だった。そのため、大きな感銘を受けると同時に、オーケストラも合唱も十分に咀嚼しきれていない部分があったことも事実。


 今回は、特にオーケストラ演奏において前回粗削りで突破していった部分も、細部にまで念入りに作り込まれたものだった。


 編成は12型2管。下手(しもて)から1stVnが12→2ndVnが10→Vaが8→Vcが6で、上手(かみて)奥にコントラバスが6本。トランペットとトロンボーン、ティンパニが上手、その他パーカッションとホルンが下手に分かれて配置。合唱団は総勢150人。男女比率は1:2といったところか。


 1曲目のエグモント序曲から、鳴りっぷりの良い弦楽器の音が聴かれたが、前回から就任した首席コンマスの高畑さんによる効果か、響きが本当に柔らかくなった。次回あたりから首席奏者の試用期間がはじまりそうなので、他のオケからの客演首席奏者陣の助けを借りるのは最後になるだろう(※訂正 首席奏者の試用期間は3月定期からで採用の場合は来年7月から契約開始のようです)。しかし、見ている方のメンタル的な効果もあるだろうが、高畑さんを中心に「岡山フィル」の核がしっかりとあり、客演首席も含めて、シェレンベルガー&岡山フィルの理想の音を目指して、まとまっている印象を受ける。


 第九は、合唱団は第1楽章から入場し出番が来る手前で一斉に起立。声楽の4名は第3楽章から入場し待機。これも出番の手前で規律するという流れ。


 前回は、これまでの第九演奏の溜まった「澱」をそぎ落とそうとする、シェレンベルガーのタクトに、まるで始めて演奏するような緊張感に、見ている方もハラハラドキドキの演奏だったことを覚えているが、今回は安心して聴いていられた。しかし、演奏そのものはエキサイティング、かつ一瞬も聞き逃せないものだった。なんとなく流れる瞬間というものが無く、シェレンベルガーも切れ味の鋭いアーティキュレーションと、ダイナミクスの微調整による豊かな表情付けを要求。微に入り細に入り作り込まれた演奏になった。

 印象に残ったのは、第1楽章の第1主題では嵐の中の大伽藍とでもいうべき、巨大な世界がいきなり姿を現す。それに対し、安らぎを感じる第2主題では各フレーズがパースペクティブに整理され、その両者がまるで視界の見えない嵐の中と、雲が晴れて何か広い場所に出たような感覚になり、そこで確かに付点音符で偽装された第4楽章の「歓喜の歌」の主題がエコーする。シェレンベルガーのタクトと、今の岡山フィルの手に係れば、混沌としたこの楽章が、実は単なるカオスではなく、フーガの構造が整理されて、この世界のすべてが法則性を持っていることが示されるようだ。

 第2楽章は前回よりもいっそうテンポが速い!2階バルコニー席から覗き込むように見ていると、単純な繰り返しのようでいて、本当に難しい曲であることがわかる(特に中間部の管楽器泣かせっぷりのハンパ無さ!)。日本のオーケストラが陥りがちな「ズンチャズンチャ」のリズムではなく、ドイツ語圏のオーケストラのディクションを聴いているようだ。中間部の木管・ホルンの奏でる音からも、「歓喜の歌」のエコーが聴こえてくる。


 第3楽章は、近年の岡山フィルの代名詞となった、温かい弦のハーモニーを存分に堪能した。ベーレンライター版の第九は聴き慣れているはずが、シェレンベルガーはかなり速いテンポで小気味よく夢のような安寧な世界を描いてゆく。それは老人が走馬灯のように自らの人生を振り返る時間のようでもあり、青春真っただ中の青年が何かに夢中になっているさまを表しているようでもある。どちらにしても切ないまでの美しさが疾走するフレーズの中で息づいている。


 第3楽章から第4楽章はアタッカ気味に続く。今日の演奏を聴いてみると、個々の場面では、これまでの3楽章の主題を決して否定しているわけではなく、それまでの時間が「歓喜の歌」が生まれるための苗代の時間であった、そんな解釈だったように思う。

 バスが「おお友よ、このような調べではない。もっと快いものを歌おうではないか!」のところは、第1楽章から第3楽章までの否定ではなく、「もっとシンプルに、単純に感じよう」と諭しているのではないかと思うのだ。そして、隣人と友達になれさえすればよい、そのことに気付いた時点で勝ったようなもの、に繋がっていく。これって、親鸞聖人の「ただ念仏を唱えよ」と意味するところは同じなんじゃないかと思う。

 なぜこんなことを感じられたか?それは、この第4楽章の演奏が本当に心に染み入る演奏だったからだ。色々な人生を背負った人々が、ひとところに集まって、奏でるもの・歌うもの・聴くもの、その触媒として音楽が存在する。この日の演奏はオーケストラ、合唱、聴衆が三位一体となった演奏だったように思う。僕が岡山フィルの第九(時々、聴きに行くのをさぼっていますが)の中で、3指に入る演奏だったと思う。技術的な細かいところはわからないけれど、音程などは気になったところは皆無だったし、声に伸びがあり「人間の声ってこんなにカラフルなんだ」と感じた。舞台に乗っている方々の顔ぶれを見ると、年配の方から大学生風の方まで、バラエティに富んでいる。
 2年前にプロの合唱団を擁した読響の第九(大阪公演)を聴いた。そのとき、あまりの合唱の上手さに驚いて、本当に腰が抜けそうになった。しかし、あのプロの合唱は訓練された色彩の豊かさはあったが、天然色のカラフルさは無かったし、一人一人の個性的な声が折り重なった時に出る暖かいボリューム感は無かった。
 
 加えて、声楽の4名が素晴らしかった!関西二期会のスターたちがずらりと並んだキャストを見た時に、すでに名前で圧倒されていたのだけれど(笑)実際の演奏もやはり素晴らしかった。関西のプロオーケストラ主催の第九の歌手キャストと比べても、この岡山の第九、まったく見劣りしないメンバー。
 片桐さんのバスの冒頭を聴いただけで「おおうっ!」ののけぞりそうになる声量と声の質感。薫平さんのクリアな声、福原さんと浜田さんの二重奏は天女の舞のようだったし、特に浜田さんのハイトーンはヴィヴラートに頼らないピュアな音が心地よかった。
 
 合唱に参加された方のブログを拝見すると、舞台の上でも手ごたえを感じられていたようだ。そして、合唱の力演がオーケストラの演奏とも相乗効果が生み出された、とも。客席で聴いた自分と、舞台上の演奏者が同じように感じられていたことがわかって、うれしい気持ちになった。
 
 この曲の感動ポイントは無数にあるのだけれど、「神の前に!」のところとその後の大休止、残響豊富な岡山シンフォニーホールで毎回この部分を聴くと「教会に居るみたいだ」と思う。その後のトルコ行進曲調から有名な「歓喜の歌」に向かう部分も、何度聞いても感動的だ!今や、あの超大国のAHOな大統領が、ドAHOな政治決定をした直後だけに、ことさら今年の第九ではこの部分を聴くと、シラーやベートーヴェンの思いと歴史観に感銘を受ける。
 
 「わが抱擁を受けよ、何百万もの人々よ!」以降の部分も感動的だ(結局、どこを切り取っても感動的なのだが)。人数割合は少数の筈の男声から、力強い伸びのある合唱が聴こえ、女性の大きなものに包まれるような包容力のある声に心をゆだねる時間が愛おしい。私見ですが、お年を召めされた女声の歌唱には独特の魅力がある。特に、この中世の教会音楽の旋法で歌われる合唱の部分は本当に味わい深い。
 最後の「神々の輝きを!」のところは前回は快速テンポのまま突破していったが、今回はいったんテンポを落として、合唱が歌いきった後に一気に加速した。その前で高畑コンマスが「いくぞ~!」という感じで後ろを見渡したのが印象的。
 全体的には、前回同様の快速テンポで進める場面が多かったが、1度でも共演しているというのは大きなことのようで、オーケストラも合唱も、常に音楽の息づかい聞こえてくるような演奏。とはいえ、やはり大変な曲であるのは間違いなく、シェレンベルガーも定期演奏会でのベートーヴェンの他の交響曲よりも慎重にタクトを進めていたように思う。
 漏れ聞くところによると、来年は僕の岡山フィル第九鑑賞史上最高の演奏を聴かせてくれた、あの指揮者の再演のようで、今から楽しみです。


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京都市交響楽団第618回定期演奏会(1日目) 指揮:下野達也 Pf:フェドロヴァ [コンサート感想]

京都市交響楽団第618回定期演奏会(1日目公演)


ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調『皇帝』

 ~ 休憩 ~

アダムズ/ハルモニーレーレ


指揮:下野達也

ピアノ独奏:アンナ・フェドロヴァ

客演コンサートマスター:西江辰郎


2017年11月25日 京都コンサートホール大ホール

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 詳しくは後日更新しますが、もし、「ハルモニーレーレ?」聴いたことないし・・・。と躊躇している方がいたとしたら、まったく心配ご無用です。

 この曲、決して難解なゲンダイオンガクではありません。ミニマル・ミュージックの発展形としての音楽で、複雑なオーケストレーション、錯綜するリズム、容赦なくオーケストラ奏者に要求される特殊奏法など、演奏する方々は本当に大変な音楽でしょうが、京響の演奏は万全、羅針盤を指し示す下野氏のタクトも冴えわたっていて、この複雑な構造の音楽を「愉しめる」メニューとしてテーブルに乗せた下野&京響は見事!の一言です。

 何よりも、中年より下の世代の日本人が浴びるように聴いてきたアメリカのロックやポップス、ハリウッドの映画音楽などの様々なエッセンスが詰まっているように感じました。例に出して悪いのですが、メシアンの楽曲が『どこか遠い国の人たちの音楽』のような距離感を感じるとしたら、このアダムズのハルモニーレーレは、戦後アメリカ文化圏に良くも悪くも組み込まれた日本人には、「自分たちの血肉になっている音楽」のように思います。また、そうした背景を考えずとも、純粋な美しさと踊りだしたくなるようなリズムに溢れています。絶対に退屈はしませんよ。


(以下、後日追記)

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 お客さんの入りは8割ぐらいといったところか?プレトークで下野さんが「また下野がこんなマイナーな曲を取り上げて、と思われているかも知れませんが、それにも関わらず沢山の方にお越しいただいた」との言葉通り、これでよく入ったなあ・・・というのが第一印象。
 楽器編成は前半は16型2管編成、後半は4管編成で銅鑼やチェレスタ、チューブラベル、マリンバなど多彩な打楽器群が目を引く。
 弦五部はストコフスキー配置、1stVn16→2ndVn14→VC10→Va12、上手奥にコントラバスが8本。
 後半のハルモニーレーレの印象が強烈だったこの日のプログラムですが、前半のベートーヴェンのコンチェルト5番も素晴らしかった。フェドロヴァさんはウクライナの出身で、美貌と存在感のある容姿もあって、ロシアンピアニズムに寄った演奏をするのかと思いきや、非常に実直で音を的確に捉え、聞えるべき音がしっかりと耳に届く演奏に、こちらの背筋までピンと立ってしまう思いで聴きました。
 京響の伴奏は非常に柔らかでニュアンスに富んでいて、特に印象に残ったのが第2楽章。フェドロヴァさんの粒のたった音に付けていく京響の透明で清涼感のある音、両者の作り出す凛とした音楽世界の高潔さに心を打たれた。
 アンコールに演奏されたのは、月光ソナタの第3楽章。やはりこのピアニストは、激しい激情を感じさせつつも、1音たりとも勢いに任せて弾くと言うことが無い、このフェドロヴァさんのピアニズムを凝縮したような演奏だった。
 後半のジョン・アダムズのハルモニーレーレ。前半よりも心なしか空席が増えている、後半券で入場した人も居るだろうから、あるいは錯覚かも知れないが、演奏途中で出ていった人も何人か居た。しかし、大半のお客さんは、集中して聴いていた。特に50代以下の世代の人は共感を持って聞いたのではないかと思う。


 僕はこの曲に本当に心底感動した。しかし、この感覚は不思議だ。情感あふれるメロディーが有るわけでもなく、同じモチーフが執拗に繰り返され、それらが少しづつ和音をずらしていく・・・、徐々に高まっていく高揚感に導かれて、自分の心臓の鼓動が共鳴して音楽との不思議な一体感がたまらなかった。 下野さんのプレトークは、音楽における和声の移り変わりの妙技を、頭で考えずに感覚で受け取って楽しんでください」という趣旨のことを仰ったが、まさにそういう楽しみ方をさせてくれたのだと思う。


 この曲は、NMLで3種類(MTT、ワールト、ラトルの3種類)の録音の中から、抜きんでて演奏精度が高いラトル&バーミンガム市響の演奏が気に入り、CDまで購入して車の中でも何度も聴いた。しかししかし、この日の京響の演奏はこのバーミンガム市響の演奏を軽く凌駕するものだったのだ!もちろん生演奏マジックというのもあるだろう。生演奏ならではの愉悦としては、CDでは到底捕らえきれなかった音や構造が見えたことだった。パート1冒頭の打楽器+金管を中心に不規則なテンポで打ち込まれる音に、チューブラベルがあれほど劇的な余韻を残していること、あるいはパート3が、まるで人工的な明かりの全く無い離島から天の川を見上げた時のような、まさに綺羅星のごとき輝きがあることなどは、まさに生演奏を聴かなければわからなかった
 
 しかし、京響の演奏は「生演奏マジック」だけでは説明の付かない、「桁違い」の演奏だったように思うのだ。
 まず、京響の音が引き締まった音で、音符を正確にとらえつつ、音楽の持つエネルギーを見事に昇華させていた。特にパート1やパート3の終結部の、クライマックスへの音楽のエネルギーの持って生き方や各楽器間のモチーフの激しい応酬の中でも一糸乱れぬアンサンブルの緻密さ、あるいは曲全体において見られたパート間の緊密な連携、なだらかな稜線を描くようなしなやかなダイナミクスなど、ほとんどの要素で京響が上回っていた。CDの方が上回っていたのは、パート2中間部の金管のハイトーンの力感、この1点のみ。
 もっと瞠目するのは、全曲40分間のうち2/3近くの時間を不定型なリズムが占めるが、そのリズムに合わせる管楽器のタンギングと弦のボウイングの精度が驚異的で、楽器間の対話にも全く隙が無い。バーミンガム市響のCD録音が決して弛緩していたり乱れていたりするわけでは無いのだが、両者比べるとその差は歴然としているのだ。


 下野&京響は曲に対する深い共感のうえに立脚し、両者は「この曲は絶対に評価されてしかるべき曲」との強い思いで客席を魅了した。それが証拠に、終演後の拍手やブラボーのボルテージは、普段は心の内をさらけ出さない京都人をして、かくも熱狂的にさせるのか、と驚いた。3回目のカーテンコールでの指揮者を湛える楽団員の足踏みも、楽団員からの心からの賛辞と満足感・達成感から沸き上がってきたものだったし、それに対して下野さんがこの曲の緑色のスコアを掲げた瞬間の会場での盛り上がりは、この「ハルモニーレーレ」が、この1200年の都において傑作と認められた瞬間を祝ったようだった。今後、この曲は京響の有力なレパートリーの一つになっていくのだろうと思う。

 ベルリオーズの幻想交響曲が、フランス革命後の時代の雰囲気を運んでくる楽曲なら、この曲はオイルの匂いと、アメリカという超大国の栄華を象徴する曲として、(下野さんの言う通り)22世紀ごろには重要なレパートリーになっている、そう確信してしまう説得力が京響の演奏にはあった。
パート1の冒頭は、サンフランシスコ湾に現れた巨大タンカーの様子が描かれているが、このパートを貫いていたのは、走り出したらもう誰にも止められない、我々の文明社会の疾走感を表しているようだ。一見、人類史上最高の栄華を極めたような我々の文明社会は、いうまでもなく化石燃料に命脈を握られている、足場の危うい文明。この曲もいつでも音符の積み上げが壊れたら、曲全体までも壊れてしまうような危うさを内包している。演奏的には危うい場面は一度も無かったが、各楽器パートがレイヤー構造で透けて見えるようなオーケストレーション、しかもミニマルミュージック特有のモチーフの繰り返しで出来ているこの曲は、おそらくミスが1箇所でもあれば、素人でも気づいてしまうだろうが、そういう場面は全くなかった。


 パート3の美しさは広大な北アメリカ大陸、いや、もはや宇宙そのもののといってもいいスケール感を導き出している。どこかSF映画のサントラで耳にしたような気がする和音がそこかしこに聞えてきて、この曲が僕らの世代の曲であることを証明している。
 僕は、パート1の始めの方で提示された和音が、後半部に戻ってくる場面でまず、涙した。自分でもなんでこれほど共感するのか、分からなかったが、パート3でも同じように涙があふれた。「まさかこの曲で涙を拭うことになるとは・・・・」と自分でも信じられない思いだったが、この楽曲の持つ同時代性に心が共鳴し、そして下野&京響の実にヒューマンなアンサンブルに感動したのだろうと思う。


 今年はこれまでに2回、ここ3年だけでも9回、京響の演奏に接している。別の曲ではあるが、それらと比較しても今回は群を抜いている。このオーケストラはこれほどまでの潜在能力・底力があったのか・・・ということを思い知った。今年もまだあと1月あるが、このコンサートが今年のベストコンサートになることは間違いないと思う。

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アークティック・フィルハーモニー管弦楽団 岡山公演 [コンサート感想]

アークティック・フィルハーモニー管弦楽団 岡山公演


オルセン/アースガルズの騎行

グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調(*)

 ~ 休 憩 ~

チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調「悲愴」


指揮:クリスチャン・リンドバーグ

ピアノ独奏:ペーター・ヤブロンスキー(*)


2017年10月19日 岡山シンフォニーホール
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 プログラムのメインはチャイコフスキーの『悲愴』交響曲。
 これが僕が経験した中で、最もハイペースな『悲愴』でした。第1楽章が特に早く、テンポが早いだけでなく、通常パウゼを取る部分もほとんど間をおかずにサクサク進んでいく。あっという間に駆けていった印象。
 だからといってあっさりとした演奏だったわけではありません。リンドバーグの躍動的なタクトに導かれ、通常のテンポであれば見えなかった、次々に受け渡されるモチーフの展開の妙味や、ロシア音楽特有のリズム感が引き出され、なかなか得難い経験でした。


 細かい感想は後日更新します。

 それにしても若い、躍動的なオーケストラですね~。燕尾服ではなくスーツにネクタイ姿。楽団員さんの皆さんも人懐っこくて、出来立てほやほやのオーケストラであることを逆手にとって、新感覚のオーケストラという印象です。紹介動画も最高にイケてます。



 このオーケストラは 2009年にノルウェー政府によって設立。北極圏の都市全般を拠点に活動しているとのこと。ホームページを見るとフルサイズのコンサートオーケストラから室内管弦楽団、オペラまでフルラインナップの活動を行っている。
 オーケストラ全体の実力は、首席奏者はヨーロッパの一流どころに比べると、今一歩な印象が残ったが、管の2番手以降やトゥッティ奏者にいい奏者が多く、オーケストラ全体のレベルとしてはかなりのレベルだと思います。
 世界的にオーケストラの経営危機が言われ、実際に淘汰される時代に、新たに出来たオーケストラに一挙に優秀な奏者が集まって出来た。そんな印象を受けます。


 1曲目のオルセンの曲は 大河ドラマのテーマ音楽メドレーのような大変耳になじみやすい曲で、リンドバーグのスポーティーなタクトによく反応して、なかなかの熱演でした。それにしてもよく鳴ります。岡山フィルが最近とみに、よく鳴るようになった印象だが、さすがにここまでは鳴らないですねぇ。管楽器が特にパワフル。


 楽器の配置は10型2管編成。1stVn10→2ndVn7→Va6→VC6、上手奥にコントラバスが5本。管楽器がパワフルなだけに、バランス的にはヴァイオリン・ヴィオラがもう2本づつ欲しいところ。


 2曲目のグリーグのコンチェルト。細かい部分までアクセントを入れて土俗的な風合いを出すオーケストラに呼応して、ヤブロンスキーもアクセントを強めに演奏。一方で、繊細な部分は粒が綺麗に立っていて息をのむほどに美しい。 第3楽章のオーケストラが大音量で奏でられる部分も、まったく音量で負けていないのは、さすが。スウェーデン生まれの彼にとっては、この曲などは何十回と弾いているだろう。安定した演奏の中に聴かせどころがちりばめられていました。あまりにもスムーズに演奏してしまうので、正直、「この人の潜在能力はまだまだ底が深いんだろうな」という印象が残ったのも正直な感想。


 アンコールに演奏されたドビュシーの前奏曲から「花火」、これが匂い立つようなニュアンスたっぷりで、抜群によかった。次回はショスタコーヴィチの協奏曲やラフマニノフの3番あたりを聴いてみたい。


 メインのチャイコフスキーの『悲愴』交響曲。この曲に持っているイメージを完全にリセットさせられる演奏に最初は戸惑った。とにかくテンポが速い、陰鬱なメロディーも「ことさら暗く演奏するのは趣味が合わない」とばかり、流してしまう。第1楽章の途中から「先入観を取り去って聴かないと楽しめない」と思い、ただ、心を開き、体に沁み込んで来る音楽そのものを感じるように聴いた。
 すると、チャイコフスキーの緻密に計算された設計が透けて見えるようで、そして何よりすべての瞬間がはかない「美しさ」に溢れている。第1楽章終結部から第2楽章にかけての、爽快な美しさは生命肯定的なもので、「この曲に、こんな一面があったのか」と驚きながら聴いていた。このリンドバーグの解釈には賛否両論あるだろうが、僕の結論はこれはこれで「アリ」だ。

 オーケストラは細かいミスを気にすることなく、黒い衣装で登場した前半とは違う、紫の衣装を着たリンドバーグの(休憩前後で『お色直し』をする指揮者を初めて見ました、エンターテイナーやなあ)飛び跳ねるような指揮に呼応して、第3楽章では体操の集団演技を見ているような、スポーティーな演奏となった。ティンパニ・バスドラムを舞台奥ではなく、上手の前よりに配置していることもあって、打ち込みがクリアに聴こえてくる。

 第4楽章へはアタッカで繋げたが、この楽章もことさらに悲劇的に演奏しない。それだけに曲想の美しさが
感じられる演奏になった。
 ストリングスにヨーロッパのオケ独特のコクや、北欧オケ独特の透明感といった大きな特徴が無いのが、少し
物足りなかったが、まだ創立8年ということを考えると、今後の課題ということになるだろうか。

 ともあれ、岡山でこのレベルのオーケストラの演奏は、目下年に1,2回ぐらいしか聴く機会が無いわけで、
そういう意味では次回の来岡が楽しみなオーケストラです。


 アンコールにステンハンマルのカンタータ「歌」の間奏曲を持ってくるあたりは抜群のセンス。もう1曲は
リンドバーグがトロンボーンの妙技を見せたチャールダッシュ。会場は大いに盛り上がった。

 お客さんの入りは・・・うーむ、甘めに見積もって6割ぐらいでしょうか。市内の高校生も招待した様子でした。

 海外のオーケストラの公演といえば、長らく事務所売り出し中の若手の奏者がセットになって付いてくる場合が多く、ソリストの実力・経験に比してオーケストラが性能をもて余しているようなものが多かったが、最近は実力も実績もあるソリストをつけることが多いように思う。若手奏者にもチャンスは必要だが、彼らの履歴書に「名門○○フィルと共演し、好評を博した」の一文を付け加えるために、我々が高いチケット代を払わされる理由はないのですから。


 今回のツアー全体の招聘元はプロ・アルテ・ムジケ。これまで光籃社が担ってきた部分を同社が穴を埋めてくれているようだが、今年5月のタンペレ・フィルといい、いいオーケストラとソリストをつけて魅力的なプログラムを引っ提げてきている。この事務所の招聘事業は信用して積極的に足を運ぼうと思った次第。


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 ロビーではノルウェーにちなんだミニ絵画作品展が行われていた。5月のタンペレ・フィルの公演時にはミニ「ムーミン展」があったり、色々な工夫がありますね。

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岡山フィル第54回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 Vn独奏:青木尚佳 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第54回定期演奏会


ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調

 ~ 休 憩 ~

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー

Vn独奏:青木尚佳

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 オーケストラも指揮者も『完全燃焼』したコンサートではなかったでしょうか。「もう1曲やれ」と言われても、もう絶対に無理・・・それほど燃焼度の高いコンサート。世界最高の世界を知る男が、手足となる相棒(新首席コンサートマスター)を得て、プロの奏者が本気で燃えた演奏会、岡山でしか聞けない、だからこそ僕にとって意味のあるコンサートでした。今日の会場を共にした聴衆も同じ思いではないだろうか。


  今回の一番の注目は、楽団史上初の「首席コンサートマスター」の就任。新コンサートマスターにドイツの南ヴェストファーレン州立フィルハーモニーのコンマスを38年間勤めた、岡山出身の高畑壮平さんが就任した。
 この人事には正直驚いた。2年前のJホールでの「高畑壮平と岡フィルのなかまたち」コンサートの時に、シェレンベルガーと岡山フィルに対する好意的な印象を語ってくださったときに、心の中で『この方が首席客演でもいいからコンサートマスターに来てくださったら』と思っていたが、まさかの常任ポストへの就任。驚天動地です。
 南ヴェストファーレン・フィルは、来日回数が少ないため、岡山の人には知名度は低いかもしれないですが、ルール工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州の州立のオーケストラで、12型3管編成(約70人)規模の堂々たる常設オーケストラ。常任指揮者は日本でも人気のあるチャールズ・オリビエ=モンローといえば東京・関西のファンはピンとくるだろう。
 そのオーケストラのコンサートマスターが、故郷とはいえ非常設で発展途上の岡山フィルに来てくださるなんて、思ってもみなかった。

 シェレンベルガーの首席指揮者就任とともに、この高畑さんの首席コンマス就任。。。岡山で信じられないことが起きている。

 開演に先立って、その高畑新コンマスら5名の団員によるプレコンサートがあった。イタリアのバロック時代の作曲家:サンマルティーニの「弦楽合奏のためのシンフォニア」という曲。僕は初めて聞いたが、華やかで躍動感があって、すごくセンスのいい選曲です。


 開演15分前からは、高次事務局長の紹介で、シェレンベルガーさんと高畑さんのお二人によるプレ・トーク。
 シェレンベルガーさんのお話を高畑さんがドイツ語に翻訳、これでシェレンベルガーさんもオーケストラとの
コミュニケーションは格段に取りやすくなったと思う。お二人の信頼関係はすでに充分に醸成されていることがよく伝わってきた。


 1曲目のベートーヴェン/交響曲第2番。演奏が始まって、高畑コンマスの効果はすぐにわかった。これまでの定期演奏会からも、アンサンブル能力がみるみる向上している岡山フィルだが、ここへきて2段ほど上のレベルのオーケストラになったように感じた。
 そして、シェレンベルガーがいつもにも増して、オーケストラの要求レベルを上げているのがよく分かった。激しすぎるチェロバスの刻みや、第1・4楽章の随所でのベートーヴェンの感情が乗り移ったようなスフォルツァンドでは、シェレンベルガーのタクトに俊敏に、そして激しく反応し、その迫力に客席で思わずのけ反りそうになる、そして各楽器間の対話が極めて緊密で、アンサンブルの骨格ががっしりとしていること。


 家人とも話をしたのが、旋律の最後の部分やアクセントがかかる部分が「ドイツ語」的で、例えば母音のアクセントの強さや、英語のような曖昧な発語がないく一文字一文字が独立して発音される感じ、とか、子音のウムラート発音などの要素が、演奏される音楽のそこかしこに感じられ、それが演奏全体に骨太でかっちりとした印象を与えている。第4楽章の冒頭の演奏なんて、完全にドイツのオーケストラの節回しだった。

 シェレンベルガーと相性も良かった戸澤さんが客演コンマスの時の切れ味の鋭い演奏も良かったけれど、「外見は日本人ですが中身はほとんどドイツ人なんです」と語る高畑さんとシェレンベルガーは、ベートーヴェン解釈において、より気脈を通じるところがあるのだろう。ドイツ語の持つ言葉のテンポや発音が音楽の中に内包されて、それがより説得力を増していた。この音楽づくりにおいて高畑コンマスの果たした役割は非常に大きかったんじゃないだろうか。

 もちろん、岡フィルの健闘も素晴らしかったのだ。第1楽章の最後の一音がホールの残響として響き渡ったとき、「これぞ、ベートーヴェンの音」と思う素晴らしい響きだったし、第2楽章の弦楽器の美しさにも魅了された。
 一点、難点を言わせていただくと、以前から指摘している通り、やはり弦楽器奏者の中に何人かピッチを合わせきれない方がいて、この曲中何回か、その馬脚が見える局面があり、聴く方も一瞬、興がそがれてしまう。これだけオーケストラの演奏レベルが上がってくると、今まではわからなかった部分も見えてきてしまう。


 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲。「超新星の登場!」を実感した。
 青木尚佳さん、ロン=ティボー2位入賞の際は少し話題になった記憶があるのですが、今回、初めて聞きました。こりゃー、とんでもないソリストが現れましたですぞ!

 ティンパニと木管に導かれて、切ないメロディーが鳴った瞬間。


 「なんちゅう美しい音、こりゃすげー!!」


 と思いましたよ。音が太くて音圧も満点。高音の抜けの良さも尋常ではないレベル。オーケストラが割と容赦無く鳴っても(これまでの経験上、シェレンベルガーはソロ演奏でもオーケストラを鳴らす場面ではしっかりと
鳴らす印象)、まったく問題にしないパワフルさ。独特の輝きと味わい深さも兼ね備えている。1992年生まれというから、現在25歳?うそでしょ?20代の若手のソリストが、これほど堂々たる演奏と、テクニックだけではなく奏でる音の味わい深さは、心を惹きつけてやまない。
 青木さん、このまま演奏経験を積み重ねていけば、間違いなく世界の最前線で活躍するヴァイオリニストになる。そう確信した演奏でした。


 岡山フィルの伴奏も良かった。第2楽章の青木さんのこれ以上ない甘美なメロディーにつける、さざ波のようなストリングスの音を聴きながら、「この音はどこに出したって恥ずかしくない、堂々たるわが町のオケの音」と思いながら聴いていました。
 第3楽章では青木さんの圧倒的な存在感に、どんどん挑んて行って、両者の火花の散るような「競奏」はわが町のオーケストラながら天っ晴れな演奏でした。オーケストラがよくなれば、ソリストのソロも引き立つ。岡山に居たって世界レベルの芸術世界は体験できる。


 青木尚佳さん、もうすっかりファンになってしまいましたですよ。地元に来たら必ず足を運ぼう、なんなら関西・広島でも時間と交通費払ってでも聴きに行きたい。次はブラームスのコンチェルトあたりを聴いてみたいですね。 

 アンコールは、山田耕作の「この道」



 後半が始まるころには1時間25分が経過。今年1月の定期もそうでしたがシェレンベルガーの組むプログラムはいつもボリューム満点。17時で終演することの方が少ないです(笑)。楽団員はクタクタになるんじゃないかと思いきや、第1ヴァイオリンの近藤さん、入江さん、上月さんらの設立当初からのメンバーのお顔には充実感が漲っています。
 この日の各パートの首席にも、他楽団からのエキストラの方がいらっしゃってました。今回は、コントラバスに黒川さん、フルートに中川さん、ファゴットに中野さん、となぜか京響色の強い助っ人メンバー(笑)広上&京響の快進撃の立役者の皆さんも、この日の岡山フィルのパート間のコミュニケーションが饒舌で、骨太な一体感のある演奏を評価してくださるのではないだろうか。他の助っ人の皆さんも含めて、本当に献身的に演奏してくださった。
 これまでは「コンマス+首席奏者の殆どが他楽団のエキストラ」という編成に、シェレンベルガーも遠慮して(あるいはチャレンジがしにくい足枷をはめられて)いたんだなあ、と思います。

 もう一つ大きな変化を感じたのは、ダイナミクスの振幅が、今までは7段階ぐらいだったのが、再弱音が+2段階、最強音一歩手前に+1段階ぐらい加わった感じ。第1楽章の8ビートのリズムとバランスを保ったまま、
再弱音に落として巧みにギアチェンジをしながら盛り上がっていく場面は鳥肌が立ちました。この曲もドイツ語的な節回しは健在。交響曲第1番では一部奏者のピッチのズレが気になったヴァイオリンも、よく弾き込まれているのかこの曲では感じません。


 第1楽章の提示部の繰り返しは無し、第4楽章で一か所、「あれっ?」と思う箇所があって、CDや生演奏で親しんでいたものとは違う楽譜かも。
 第2楽章は木簡陣のソロが見事、ここれもダイナミクスを広く取った劇的な表現が印象ん残ります。第3楽章は新コンマス体制の強みがいかんなく発揮。コミュニケーション量が豊富で、前半の第1番の第3楽章でも見せたのですが、ちょっと間を置いて、各パートが対話をしているような生き生きした表現が印象的。
 この日のコンサート、ここまでが非常にハイカロリーかつ異常な集中力連続だったので、「最後まで持つかな?」と心配したのもつかの間、シェレンベルガーのタクトの勢いは一層熱を帯びていきます。これほど激しいタクト捌きを見せたのは、東日本大震災被災者鎮魂のためのドイツ・レクイエム以来です。


 曲の中盤でも間を多用し、さながら「だるまさんが転んだ」を思い起こします。この曲、こんなにハイドン的な面白い仕掛けがあったんや、という発見あり。岡フィルも完全についていきます。
 終盤は少しづつ少しづつテンポも上げていっても全パートふるい落とされることはありません。シェレンベルガーも楽団員も高畑コンマスを信頼しているのが解ります。本当にいいオーケストラになったと思った大団円でした。

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 お客さんの入りは7割ぐらい?プログラムからすると満席になってもいい筈なんだけれど、これには理由がある。今週は「おかやま国際音楽祭」の開催中で、同じ日に「マーチング・イン・オカヤマ」が開催されており、岡山市内の吹奏楽関係者の多くはこちらに参加している。高校のブラバンの顧問をしている私の友人も「音楽祭かなんか知らんけど、音楽人口の少ないこの街で、イベントをかぶせるなんて愚の骨頂!」と、かなりお怒りだった。こんなにいい演奏をしているのに、いつも聞きに来ている方が来られないというのは、何のための音楽祭だろう?という疑問は消えない。昨年みたいに日程をずらしてほしかった。

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ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル 倉敷公演 [コンサート感想]

第102回くらしきコンサート ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル


モーツァルト : 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457
ショパン   : ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61「幻想ポロネーズ」
  ~  休 憩  ~
ヤナーチェク : 草陰の小径にて 第2集
J.S.バッハ : イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811


2017年10月3日 倉敷市芸文館

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 このコンサート企画が発表された際、『よくぞ、この方を招聘してくださった!』と思いました。そして、倉敷市芸文館という音響の優れた中規模ホールで聴けたのも僥倖。このホールでよく会場設定してくださったと思う。


 演奏は圧倒的だった。クラシック音楽の宿命であるこれまでの演奏の『蓄積』から自由になり、一音一音を再構築していくような演奏に、ただひたすら引き込まれ、ひれ伏しました。ピアノ演奏不感症(オーケストラや弦・管楽器の独走に比べて、ピアノ演奏で感動することが少なかった)の自分が、これほど心に沁みたのは何年振りかの出来事でした。


 アンデルシェフスキの演奏を聴くのは、今回が2回目。1回目はバンベルク響との共演で、その時は補聴器のハウリング音のため、彼の音楽を充分には楽しめなかった。あれ以来、万全の状態でアンデルシェフスキの音楽に触れたい、と熱望していたところに今回のコンサート企画が飛び込んできた。前日の反田恭平さんのコンサートも自重してこのコンサートに全精力を傾けた。


 1曲目のモーツァルトの幻想曲K.475とピアノソナタK.457は続けて演奏された。しかし、これは本当に違う作品番号の曲なのだろうか?ソナタの第1楽章は、幻想曲のモチーフが展開してできているようにしか感じない。それもそのはず、この曲はもともと連続して演奏されるように書かれているとのこと。

 アンデルシェフスキ(以下、アンデルさん)の深く、深く、精神の奥底に沈み込むような音に、しょっぱなから飲み込まれた。そんな暗黒の淵に光が差すように、モーツァルトのピュアな旋律が降り注ぐ、弱音への徹底したこだわり、全曲に渡って左手の彫りの深い音をフィールドに、右手の変幻自在な音楽が展開されていく。


 3曲目のショパンの幻想ポロネーズ。この曲はピアノを習っていた姉が、高校生のころに何度も弾き込んでいた曲で、間違いの多い箇所は嫌になるほど聴かされた曲(笑)私の実家は外壁のみの防音構造のリビングのピアノの音が、階段から僕の個室である2階の部屋に抜けていく構造になっていて、僕がどうしてもショパンが好きになれないのは、姉の練習を何千回何万回と聞かされてきたからかもしれない。

 たぶん・・・プロフェッショナルな演奏でこの曲を聴くのは初めてだった・・・と思う。「なんなんだ、この曲、全然違う曲に聞こえる!」音源で聴いた他の巨匠たちの音楽とも違う。過去の演奏をブラッシュアップしたような・・・そんな生易しいものではない、脱構築の工程を経て再構成されたような、一つ一つの音符すべてにアンデルシェフスキの思想が宿り、意味を持って聞き手に迫ってくる。最後の激しい部分ではピアノの弦が切れるんじゃないかと心配するほどの強い打鍵で、自分の奏でる音楽を聴衆に問うてきた。思わず目の奥が熱くなってくるが、何とかこらえる。


 休憩をはさんだ後のヤナーチェク。前半のモーツァルトとショパンは、その2人の作曲家への僕のイメージを完全に覆す、内省的な音楽だったが、このヤナーチェクでは、もの悲しさと翳りを内包しつつも、プリミティブな魅力を湛えた演奏。プログラムノートには、この時期のヤナーチェクは娘を失うなどの悲しみに打ちひしがれていたようだが、時に心に寄り添い、時に躍動するアンデルさんの音楽には悲しみや辛さといった単色の感情では表せない奥深さがある。


 ヤナーチェクからバッハも、休憩を入れることなく続けて演奏された。それはまるでホールの隅々にまで満たしたアンデルさんの音楽世界を、聴衆の拍手によって破られることを嫌っているようだ。

 この日のホールの中の雰囲気はすこぶる良かった。お客さんは、800席ほどのキャパのホールに8割程度の入り。アンデルシェフスキほどのソリストのコンサートなのに満員にならないのか・・・と驚いたが(でも、ド平日のソワレの割にはよく入ったとみることも出来るかな・・・)、それがある種の「少数精鋭」効果を発揮して、雑音のまったくない理想的な空間だったように思う。

 バッハのイギリス組曲第6番。この演奏が圧巻だった。途中から頭が真っ白になって、純白の石づくりの堅牢な建築物の中に、アンデルさんの音楽と自分の魂だけがそこにある、そんな錯覚を覚えた。この大きな大きな音楽は、オーケストラが演奏するブルックナーの交響曲にも充分対峙してしまうだろう。一音一音が収まるところに収まる気持ちよさ、対位法が駆使された旋律同士の隙のない対話が音楽をどんどんと高みへと昇華していく。

 第1曲のプレリュードと第7局のジーグなどは、ほかの巨匠の演奏よりもかなりテンポが速かったと思う。それでいてこの完璧さ。技巧を前面に出すタイプのピアニストではないアンデルさんだが、ここの演奏はその音楽世界とともに、職人芸にも痺れさせられた。


 アンコールはなんと3曲も。それもこじゃれたアンコールピースなどではなく、ショパンのマズルカを3曲も!

 ショパン/マズルカハ短調op.56-No.3、マズルカロ長調op.56-No.1、マズルカop.59-No.1


 コンサートの只中のアンデルさんは、本当に厳しい雰囲気で、その厳しさに会場には戸惑ったような雰囲気さえ漂っていたんですけれど、コンサートが終わると本当にサービス精神が旺盛で、サイン会まで開いてくださって・・・。21世紀は巨匠の時代は終わった・・・なんて言ってる人もいるけれど、アンデルシェフスキは今の時代に生きる本物の巨匠です。


 年に何回もピアノのソロコンサートに行くことはない自分ではありますが、今まで足を運んだピアノのソロコンサートの中で、ベスト1のコンサートになった。


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※中秋の「十四夜」、望月よりも少し欠けた月が味わい深い

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大原美術館第148回ギャラリーコンサート ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット [コンサート感想]

大原美術館第148回ギャラリーコンサート

ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット


ダウランド(小早川麻美子 編)/もし私の訴えが
野平一郎/シャコンヌ~ヴィオラ四重奏のための(2000)
       -J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番による
バルトーク(ルドゥメーニ 編)/トランシルヴァニアの夕べ
バルトーク/44の二重奏曲から
 ~  休 憩  ~
杉山洋一/ヴィオラ四重奏のための「子供の情景」(原曲:R.シューマン)
       大原美術館委嘱作品 世界初演
ピアソラ(小早川麻美子 編)/「単語の歴史」より売春婦(1900)・カフェ(1930)
     〃          /エスクアロ(鮫)


ヴィオラ:今井信子
  〃 :ファイト・ヘルテンシュタイン
  〃 :ウェンティン・カン
  〃 :ニアン・リウ


2017年9月16日 大原美術館本館2階ギャラリー

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 毎年楽しみにしていたアルト・ドゥ・カンパーニュ(ヴィオラ四重奏団)の岡山公演が、今年は開催されないことに落胆してたが、なんと今井信子さんと若手ヴィオラ奏者で結成された「ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット」が大原美術館に来るということで、楽しみにして足を運びました。

 いつもの事ながら、会場は満員。下手の出入り口付近、モネの睡蓮を横目に見ながら観賞する位置で聴きます。


 オーケストラの楽曲で主に内声を担い、そのオーケストラの音の厚みはヴィオラ・セクションのレベルで決まるとさえ言われる重要なセクション。クラシック音楽ファンならその重要性は理解しつつも、やはり地味な存在と感じてしまうヴィオラ。
 開演に先だって、主催者の大原謙一郎さんが今井さんを紹介する言葉に、「ヴィオラでもリサイタルを開いて聴衆を魅了することが出来る、そのことを証明した第一人者」との紹介があった。


 今井信子の存在感の大きさと心にしみる音は格別。その今井さんの弟子のニアン・リウは力強さとピュアな音に魅力がある。こちらも今井さんの弟子ヘルテンシュタインの明るい響きと技巧の高さ、すでに指導者として名を馳せるウェンティン・カンの安定感と気品のある音。それぞれが特徴を打ち出し、4人の個性が合わさった時の音が本当に心地よかった。ヴィオラの音には人を陶然とさせるものがある、改めてそう感じさせられた。


 悲しみを湛えつつもヴィオラの柔らかいハーモニーを存分に楽しんだダウランドの小作品の後、拍手をする間もなく2曲目のバッハのシャコンヌに突入。この曲でこのカルテットの実力のベールは解かれた。深いボウイングから奏でられる太い音が幾何学的に絡み合い、感情など一切入る余地のない冷静かつ完璧な演奏なのに、聴く者の精神は高揚していく。

 始まって15分もしないうちにすごい演奏を聞かせてもらった。


 次はバルトークの2曲。特にバルトークの真骨頂である民族音楽をモチーフとした「44の二重奏曲より」では、こういうサロンコンサートならではの趣向が凝らされ、原型となった民族音楽の演奏とバルトーク自身によるピアノ独奏の音源が披露され、それに続くような形で演奏に入った、会場を満たすロマの響きに導かれ、バルトークがフィールドワークによって集めて回ったいろいろな音楽を追体験するような趣向。基本的には二重奏で演奏され、色々な組み合わせて聴けたのは面白かった。四重奏で演奏される部分での合奏も見事。


 休憩中には「ヴィオラだけの演奏かどうかを抜きにして考えても、これだけのバリエーションのあるコンサートはなかなかないよね」等の周囲の会話に心の中で相槌を打つ。


 次は、杉山洋一さんの作曲による委嘱作品。これは大変な技巧が必要な曲、ではあるんだけれど、遊び心に富んでいて、もう大人になった今ではとらえどころのない子供が見る風景を再現していた。曲の冒頭から終始、時空が曲がるような音に会場からは笑みが漏れるが、4人の奏者はいたって真剣!これほどのハイレベルなヴィオラ奏者4人が、超絶技巧や特殊奏法を駆使して、こんなかわいらしい子供の世界を描く…、これこそアート
なのだと思う。


 最後の2局のピアソラも、圧倒的だった。「タンゴの歴史」の「売春婦」という曲は、「ピアソラの曲にもこんなに快活な曲があるんや」との発見あり。他の曲は独特の哀愁に満ちたリズムに酔いしれた。ピアソラに関しては今井さんが3人の若手・中堅奏者に主導権を任せ、自身もノリノリの演奏を展開。いや、本当にお若いです。

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 アンコールにシューベルトの歌曲。編曲はなんとピアニストの北村朋幹さんとのこと。このギャラリーコンサートの常連ピアニストで、ヴィオラカルテットを演奏することを聞きつけて、半ば強引に「先方から楽譜を送ってきた」とのこと。この美術館でのサロンコンサートが触媒になって、色々な音楽家と聴衆が交流し、こうした思わぬ贈り物に接することもある。

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 「日本に京都があってよかった」は、京都のキャッチコピーだが、この日の僕の気分は、「僕の住む隣町が倉敷で、そしてそこに大原美術館があってよかった」という思いだった。


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