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岡山フィル第54回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 Vn独奏:青木尚佳 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第54回定期演奏会


ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調

 ~ 休 憩 ~

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー

Vn独奏:青木尚佳

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 オーケストラも指揮者も『完全燃焼』したコンサートではなかったでしょうか。「もう1曲やれ」と言われても、もう絶対に無理・・・それほど燃焼度の高いコンサート。世界最高の世界を知る男が、手足となる相棒(新首席コンサートマスター)を得て、プロの奏者が本気で燃えた演奏会、岡山でしか聞けない、だからこそ僕にとって意味のあるコンサートでした。今日の会場を共にした聴衆も同じ思いではないだろうか。


  今回の一番の注目は、楽団史上初の「首席コンサートマスター」の就任。新コンサートマスターにドイツの南ヴェストファーレン州立フィルハーモニーのコンマスを38年間勤めた、岡山出身の高畑壮平さんが就任した。
 この人事には正直驚いた。2年前のJホールでの「高畑壮平と岡フィルのなかまたち」コンサートの時に、シェレンベルガーと岡山フィルに対する好意的な印象を語ってくださったときに、心の中で『この方が首席客演でもいいからコンサートマスターに来てくださったら』と思っていたが、まさかの常任ポストへの就任。驚天動地です。
 南ヴェストファーレン・フィルは、来日回数が少ないため、岡山の人には知名度は低いかもしれないですが、ルール工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州の州立のオーケストラで、12型3管編成(約70人)規模の堂々たる常設オーケストラ。常任指揮者は日本でも人気のあるチャールズ・オリビエ=モンローといえば東京・関西のファンはピンとくるだろう。
 そのオーケストラのコンサートマスターが、故郷とはいえ非常設で発展途上の岡山フィルに来てくださるなんて、思ってもみなかった。

 シェレンベルガーの首席指揮者就任とともに、この高畑さんの首席コンマス就任。。。岡山で信じられないことが起きている。

 開演に先立って、その高畑新コンマスら5名の団員によるプレコンサートがあった。イタリアのバロック時代の作曲家:サンマルティーニの「弦楽合奏のためのシンフォニア」という曲。僕は初めて聞いたが、華やかで躍動感があって、すごくセンスのいい選曲です。


 開演15分前からは、高次事務局長の紹介で、シェレンベルガーさんと高畑さんのお二人によるプレ・トーク。
 シェレンベルガーさんのお話を高畑さんがドイツ語に翻訳、これでシェレンベルガーさんもオーケストラとの
コミュニケーションは格段に取りやすくなったと思う。お二人の信頼関係はすでに充分に醸成されていることがよく伝わってきた。


 1曲目のベートーヴェン/交響曲第2番。演奏が始まって、高畑コンマスの効果はすぐにわかった。これまでの定期演奏会からも、アンサンブル能力がみるみる向上している岡山フィルだが、ここへきて2段ほど上のレベルのオーケストラになったように感じた。
 そして、シェレンベルガーがいつもにも増して、オーケストラの要求レベルを上げているのがよく分かった。激しすぎるチェロバスの刻みや、第1・4楽章の随所でのベートーヴェンの感情が乗り移ったようなスフォルツァンドでは、シェレンベルガーのタクトに俊敏に、そして激しく反応し、その迫力に客席で思わずのけ反りそうになる、そして各楽器間の対話が極めて緊密で、アンサンブルの骨格ががっしりとしていること。


 家人とも話をしたのが、旋律の最後の部分やアクセントがかかる部分が「ドイツ語」的で、例えば母音のアクセントの強さや、英語のような曖昧な発語がないく一文字一文字が独立して発音される感じ、とか、子音のウムラート発音などの要素が、演奏される音楽のそこかしこに感じられ、それが演奏全体に骨太でかっちりとした印象を与えている。第4楽章の冒頭の演奏なんて、完全にドイツのオーケストラの節回しだった。

 シェレンベルガーと相性も良かった戸澤さんが客演コンマスの時の切れ味の鋭い演奏も良かったけれど、「外見は日本人ですが中身はほとんどドイツ人なんです」と語る高畑さんとシェレンベルガーは、ベートーヴェン解釈において、より気脈を通じるところがあるのだろう。ドイツ語の持つ言葉のテンポや発音が音楽の中に内包されて、それがより説得力を増していた。この音楽づくりにおいて高畑コンマスの果たした役割は非常に大きかったんじゃないだろうか。

 もちろん、岡フィルの健闘も素晴らしかったのだ。第1楽章の最後の一音がホールの残響として響き渡ったとき、「これぞ、ベートーヴェンの音」と思う素晴らしい響きだったし、第2楽章の弦楽器の美しさにも魅了された。
 一点、難点を言わせていただくと、以前から指摘している通り、やはり弦楽器奏者の中に何人かピッチを合わせきれない方がいて、この曲中何回か、その馬脚が見える局面があり、聴く方も一瞬、興がそがれてしまう。これだけオーケストラの演奏レベルが上がってくると、今まではわからなかった部分も見えてきてしまう。


 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲。「超新星の登場!」を実感した。
 青木尚佳さん、ロン=ティボー2位入賞の際は少し話題になった記憶があるのですが、今回、初めて聞きました。こりゃー、とんでもないソリストが現れましたですぞ!

 ティンパニと木管に導かれて、切ないメロディーが鳴った瞬間。


 「なんちゅう美しい音、こりゃすげー!!」


 と思いましたよ。音が太くて音圧も満点。高音の抜けの良さも尋常ではないレベル。オーケストラが割と容赦無く鳴っても(これまでの経験上、シェレンベルガーはソロ演奏でもオーケストラを鳴らす場面ではしっかりと
鳴らす印象)、まったく問題にしないパワフルさ。独特の輝きと味わい深さも兼ね備えている。1992年生まれというから、現在25歳?うそでしょ?20代の若手のソリストが、これほど堂々たる演奏と、テクニックだけではなく奏でる音の味わい深さは、心を惹きつけてやまない。
 青木さん、このまま演奏経験を積み重ねていけば、間違いなく世界の最前線で活躍するヴァイオリニストになる。そう確信した演奏でした。


 岡山フィルの伴奏も良かった。第2楽章の青木さんのこれ以上ない甘美なメロディーにつける、さざ波のようなストリングスの音を聴きながら、「この音はどこに出したって恥ずかしくない、堂々たるわが町のオケの音」と思いながら聴いていました。
 第3楽章では青木さんの圧倒的な存在感に、どんどん挑んて行って、両者の火花の散るような「競奏」はわが町のオーケストラながら天っ晴れな演奏でした。オーケストラがよくなれば、ソリストのソロも引き立つ。岡山に居たって世界レベルの芸術世界は体験できる。


 青木尚佳さん、もうすっかりファンになってしまいましたですよ。地元に来たら必ず足を運ぼう、なんなら関西・広島でも時間と交通費払ってでも聴きに行きたい。次はブラームスのコンチェルトあたりを聴いてみたいですね。 

 アンコールは、山田耕作の「この道」



 後半が始まるころには1時間25分が経過。今年1月の定期もそうでしたがシェレンベルガーの組むプログラムはいつもボリューム満点。17時で終演することの方が少ないです(笑)。楽団員はクタクタになるんじゃないかと思いきや、第1ヴァイオリンの近藤さん、入江さん、上月さんらの設立当初からのメンバーのお顔には充実感が漲っています。
 この日の各パートの首席にも、他楽団からのエキストラの方がいらっしゃってました。今回は、コントラバスに黒川さん、フルートに中川さん、ファゴットに中野さん、となぜか京響色の強い助っ人メンバー(笑)広上&京響の快進撃の立役者の皆さんも、この日の岡山フィルのパート間のコミュニケーションが饒舌で、骨太な一体感のある演奏を評価してくださるのではないだろうか。他の助っ人の皆さんも含めて、本当に献身的に演奏してくださった。
 これまでは「コンマス+首席奏者の殆どが他楽団のエキストラ」という編成に、シェレンベルガーも遠慮して(あるいはチャレンジがしにくい足枷をはめられて)いたんだなあ、と思います。

 もう一つ大きな変化を感じたのは、ダイナミクスの振幅が、今までは7段階ぐらいだったのが、再弱音が+2段階、最強音一歩手前に+1段階ぐらい加わった感じ。第1楽章の8ビートのリズムとバランスを保ったまま、
再弱音に落として巧みにギアチェンジをしながら盛り上がっていく場面は鳥肌が立ちました。この曲もドイツ語的な節回しは健在。交響曲第1番では一部奏者のピッチのズレが気になったヴァイオリンも、よく弾き込まれているのかこの曲では感じません。


 第1楽章の提示部の繰り返しは無し、第4楽章で一か所、「あれっ?」と思う箇所があって、CDや生演奏で親しんでいたものとは違う楽譜かも。
 第2楽章は木簡陣のソロが見事、ここれもダイナミクスを広く取った劇的な表現が印象ん残ります。第3楽章は新コンマス体制の強みがいかんなく発揮。コミュニケーション量が豊富で、前半の第1番の第3楽章でも見せたのですが、ちょっと間を置いて、各パートが対話をしているような生き生きした表現が印象的。
 この日のコンサート、ここまでが非常にハイカロリーかつ異常な集中力連続だったので、「最後まで持つかな?」と心配したのもつかの間、シェレンベルガーのタクトの勢いは一層熱を帯びていきます。これほど激しいタクト捌きを見せたのは、東日本大震災被災者鎮魂のためのドイツ・レクイエム以来です。


 曲の中盤でも間を多用し、さながら「だるまさんが転んだ」を思い起こします。この曲、こんなにハイドン的な面白い仕掛けがあったんや、という発見あり。岡フィルも完全についていきます。
 終盤は少しづつ少しづつテンポも上げていっても全パートふるい落とされることはありません。シェレンベルガーも楽団員も高畑コンマスを信頼しているのが解ります。本当にいいオーケストラになったと思った大団円でした。

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 お客さんの入りは7割ぐらい?プログラムからすると満席になってもいい筈なんだけれど、これには理由がある。今週は「おかやま国際音楽祭」の開催中で、同じ日に「マーチング・イン・オカヤマ」が開催されており、岡山市内の吹奏楽関係者の多くはこちらに参加している。高校のブラバンの顧問をしている私の友人も「音楽祭かなんか知らんけど、音楽人口の少ないこの街で、イベントをかぶせるなんて愚の骨頂!」と、かなりお怒りだった。こんなにいい演奏をしているのに、いつも聞きに来ている方が来られないというのは、何のための音楽祭だろう?という疑問は消えない。昨年みたいに日程をずらしてほしかった。

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ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル 倉敷公演 [コンサート感想]

第102回くらしきコンサート ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル


モーツァルト : 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457
ショパン   : ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61「幻想ポロネーズ」
  ~  休 憩  ~
ヤナーチェク : 草陰の小径にて 第2集
J.S.バッハ : イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811


2017年10月3日 倉敷市芸文館

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 このコンサート企画が発表された際、『よくぞ、この方を招聘してくださった!』と思いました。そして、倉敷市芸文館という音響の優れた中規模ホールで聴けたのも僥倖。このホールでよく会場設定してくださったと思う。


 演奏は圧倒的だった。クラシック音楽の宿命であるこれまでの演奏の『蓄積』から自由になり、一音一音を再構築していくような演奏に、ただひたすら引き込まれ、ひれ伏しました。ピアノ演奏不感症(オーケストラや弦・管楽器の独走に比べて、ピアノ演奏で感動することが少なかった)の自分が、これほど心に沁みたのは何年振りかの出来事でした。


 アンデルシェフスキの演奏を聴くのは、今回が2回目。1回目はバンベルク響との共演で、その時は補聴器のハウリング音のため、彼の音楽を充分には楽しめなかった。あれ以来、万全の状態でアンデルシェフスキの音楽に触れたい、と熱望していたところに今回のコンサート企画が飛び込んできた。前日の反田恭平さんのコンサートも自重してこのコンサートに全精力を傾けた。


 1曲目のモーツァルトの幻想曲K.475とピアノソナタK.457は続けて演奏された。しかし、これは本当に違う作品番号の曲なのだろうか?ソナタの第1楽章は、幻想曲のモチーフが展開してできているようにしか感じない。それもそのはず、この曲はもともと連続して演奏されるように書かれているとのこと。

 アンデルシェフスキ(以下、アンデルさん)の深く、深く、精神の奥底に沈み込むような音に、しょっぱなから飲み込まれた。そんな暗黒の淵に光が差すように、モーツァルトのピュアな旋律が降り注ぐ、弱音への徹底したこだわり、全曲に渡って左手の彫りの深い音をフィールドに、右手の変幻自在な音楽が展開されていく。


 3曲目のショパンの幻想ポロネーズ。この曲はピアノを習っていた姉が、高校生のころに何度も弾き込んでいた曲で、間違いの多い箇所は嫌になるほど聴かされた曲(笑)私の実家は外壁のみの防音構造のリビングのピアノの音が、階段から僕の個室である2階の部屋に抜けていく構造になっていて、僕がどうしてもショパンが好きになれないのは、姉の練習を何千回何万回と聞かされてきたからかもしれない。

 たぶん・・・プロフェッショナルな演奏でこの曲を聴くのは初めてだった・・・と思う。「なんなんだ、この曲、全然違う曲に聞こえる!」音源で聴いた他の巨匠たちの音楽とも違う。過去の演奏をブラッシュアップしたような・・・そんな生易しいものではない、脱構築の工程を経て再構成されたような、一つ一つの音符すべてにアンデルシェフスキの思想が宿り、意味を持って聞き手に迫ってくる。最後の激しい部分ではピアノの弦が切れるんじゃないかと心配するほどの強い打鍵で、自分の奏でる音楽を聴衆に問うてきた。思わず目の奥が熱くなってくるが、何とかこらえる。


 休憩をはさんだ後のヤナーチェク。前半のモーツァルトとショパンは、その2人の作曲家への僕のイメージを完全に覆す、内省的な音楽だったが、このヤナーチェクでは、もの悲しさと翳りを内包しつつも、プリミティブな魅力を湛えた演奏。プログラムノートには、この時期のヤナーチェクは娘を失うなどの悲しみに打ちひしがれていたようだが、時に心に寄り添い、時に躍動するアンデルさんの音楽には悲しみや辛さといった単色の感情では表せない奥深さがある。


 ヤナーチェクからバッハも、休憩を入れることなく続けて演奏された。それはまるでホールの隅々にまで満たしたアンデルさんの音楽世界を、聴衆の拍手によって破られることを嫌っているようだ。

 この日のホールの中の雰囲気はすこぶる良かった。お客さんは、800席ほどのキャパのホールに8割程度の入り。アンデルシェフスキほどのソリストのコンサートなのに満員にならないのか・・・と驚いたが(でも、ド平日のソワレの割にはよく入ったとみることも出来るかな・・・)、それがある種の「少数精鋭」効果を発揮して、雑音のまったくない理想的な空間だったように思う。

 バッハのイギリス組曲第6番。この演奏が圧巻だった。途中から頭が真っ白になって、純白の石づくりの堅牢な建築物の中に、アンデルさんの音楽と自分の魂だけがそこにある、そんな錯覚を覚えた。この大きな大きな音楽は、オーケストラが演奏するブルックナーの交響曲にも充分対峙してしまうだろう。一音一音が収まるところに収まる気持ちよさ、対位法が駆使された旋律同士の隙のない対話が音楽をどんどんと高みへと昇華していく。

 第1曲のプレリュードと第7局のジーグなどは、ほかの巨匠の演奏よりもかなりテンポが速かったと思う。それでいてこの完璧さ。技巧を前面に出すタイプのピアニストではないアンデルさんだが、ここの演奏はその音楽世界とともに、職人芸にも痺れさせられた。


 アンコールはなんと3曲も。それもこじゃれたアンコールピースなどではなく、ショパンのマズルカを3曲も!

 ショパン/マズルカハ短調op.56-No.3、マズルカロ長調op.56-No.1、マズルカop.59-No.1


 コンサートの只中のアンデルさんは、本当に厳しい雰囲気で、その厳しさに会場には戸惑ったような雰囲気さえ漂っていたんですけれど、コンサートが終わると本当にサービス精神が旺盛で、サイン会まで開いてくださって・・・。21世紀は巨匠の時代は終わった・・・なんて言ってる人もいるけれど、アンデルシェフスキは今の時代に生きる本物の巨匠です。


 年に何回もピアノのソロコンサートに行くことはない自分ではありますが、今まで足を運んだピアノのソロコンサートの中で、ベスト1のコンサートになった。


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※中秋の「十四夜」、望月よりも少し欠けた月が味わい深い

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大原美術館第148回ギャラリーコンサート ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット [コンサート感想]

大原美術館第148回ギャラリーコンサート

ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット


ダウランド(小早川麻美子 編)/もし私の訴えが
野平一郎/シャコンヌ~ヴィオラ四重奏のための(2000)
       -J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番による
バルトーク(ルドゥメーニ 編)/トランシルヴァニアの夕べ
バルトーク/44の二重奏曲から
 ~  休 憩  ~
杉山洋一/ヴィオラ四重奏のための「子供の情景」(原曲:R.シューマン)
       大原美術館委嘱作品 世界初演
ピアソラ(小早川麻美子 編)/「単語の歴史」より売春婦(1900)・カフェ(1930)
     〃          /エスクアロ(鮫)


ヴィオラ:今井信子
  〃 :ファイト・ヘルテンシュタイン
  〃 :ウェンティン・カン
  〃 :ニアン・リウ


2017年9月16日 大原美術館本館2階ギャラリー

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 毎年楽しみにしていたアルト・ドゥ・カンパーニュ(ヴィオラ四重奏団)の岡山公演が、今年は開催されないことに落胆してたが、なんと今井信子さんと若手ヴィオラ奏者で結成された「ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット」が大原美術館に来るということで、楽しみにして足を運びました。

 いつもの事ながら、会場は満員。下手の出入り口付近、モネの睡蓮を横目に見ながら観賞する位置で聴きます。


 オーケストラの楽曲で主に内声を担い、そのオーケストラの音の厚みはヴィオラ・セクションのレベルで決まるとさえ言われる重要なセクション。クラシック音楽ファンならその重要性は理解しつつも、やはり地味な存在と感じてしまうヴィオラ。
 開演に先だって、主催者の大原謙一郎さんが今井さんを紹介する言葉に、「ヴィオラでもリサイタルを開いて聴衆を魅了することが出来る、そのことを証明した第一人者」との紹介があった。


 今井信子の存在感の大きさと心にしみる音は格別。その今井さんの弟子のニアン・リウは力強さとピュアな音に魅力がある。こちらも今井さんの弟子ヘルテンシュタインの明るい響きと技巧の高さ、すでに指導者として名を馳せるウェンティン・カンの安定感と気品のある音。それぞれが特徴を打ち出し、4人の個性が合わさった時の音が本当に心地よかった。ヴィオラの音には人を陶然とさせるものがある、改めてそう感じさせられた。


 悲しみを湛えつつもヴィオラの柔らかいハーモニーを存分に楽しんだダウランドの小作品の後、拍手をする間もなく2曲目のバッハのシャコンヌに突入。この曲でこのカルテットの実力のベールは解かれた。深いボウイングから奏でられる太い音が幾何学的に絡み合い、感情など一切入る余地のない冷静かつ完璧な演奏なのに、聴く者の精神は高揚していく。

 始まって15分もしないうちにすごい演奏を聞かせてもらった。


 次はバルトークの2曲。特にバルトークの真骨頂である民族音楽をモチーフとした「44の二重奏曲より」では、こういうサロンコンサートならではの趣向が凝らされ、原型となった民族音楽の演奏とバルトーク自身によるピアノ独奏の音源が披露され、それに続くような形で演奏に入った、会場を満たすロマの響きに導かれ、バルトークがフィールドワークによって集めて回ったいろいろな音楽を追体験するような趣向。基本的には二重奏で演奏され、色々な組み合わせて聴けたのは面白かった。四重奏で演奏される部分での合奏も見事。


 休憩中には「ヴィオラだけの演奏かどうかを抜きにして考えても、これだけのバリエーションのあるコンサートはなかなかないよね」等の周囲の会話に心の中で相槌を打つ。


 次は、杉山洋一さんの作曲による委嘱作品。これは大変な技巧が必要な曲、ではあるんだけれど、遊び心に富んでいて、もう大人になった今ではとらえどころのない子供が見る風景を再現していた。曲の冒頭から終始、時空が曲がるような音に会場からは笑みが漏れるが、4人の奏者はいたって真剣!これほどのハイレベルなヴィオラ奏者4人が、超絶技巧や特殊奏法を駆使して、こんなかわいらしい子供の世界を描く…、これこそアート
なのだと思う。


 最後の2局のピアソラも、圧倒的だった。「タンゴの歴史」の「売春婦」という曲は、「ピアソラの曲にもこんなに快活な曲があるんや」との発見あり。他の曲は独特の哀愁に満ちたリズムに酔いしれた。ピアソラに関しては今井さんが3人の若手・中堅奏者に主導権を任せ、自身もノリノリの演奏を展開。いや、本当にお若いです。

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 アンコールにシューベルトの歌曲。編曲はなんとピアニストの北村朋幹さんとのこと。このギャラリーコンサートの常連ピアニストで、ヴィオラカルテットを演奏することを聞きつけて、半ば強引に「先方から楽譜を送ってきた」とのこと。この美術館でのサロンコンサートが触媒になって、色々な音楽家と聴衆が交流し、こうした思わぬ贈り物に接することもある。

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 「日本に京都があってよかった」は、京都のキャッチコピーだが、この日の僕の気分は、「僕の住む隣町が倉敷で、そしてそこに大原美術館があってよかった」という思いだった。


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京都市交響楽団第616回定期演奏会(2日目) アクセルロッド指揮 [コンサート感想]

京都市交響楽団第616回定期演奏会(2日目公演)

武満徹/死と再生
R.シュトラウス/交響詩「死と変容」
ベルリオーズ/幻想交響曲

指揮:ジョン・アクセルロッド
2017年9月3日 京都コンサートホール大ホール
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 やっぱり今日も白眉だったのは、ベルリオーズの幻想交響曲。
 1日目の度肝を抜かれた演奏から一夜開けてもクオリティはまったく変わらず、ってことは、この演奏がまごうことなく現在の京響の実力。昨日はあまりの調和的美しさと、ビシバシ決まる後半2楽章の追い込みに、泣きそうになるぐらい感銘を受けたが、今日は耳が慣れてきたこともあって、細かい部分まで聴きとれ、興奮しっぱなしだった。心の中でずっと「京響うまいなー」「すごいなー」とつぶやいていた感じ。
 昨日は座席の関係で、そう聞こえたのかな?程度の認識だったが、今日は逆サイドに座って改めて思ったのだけれど、第5楽章の鐘、こんなに大胆に鳴らす演奏は初めてかも。
 9/8追記
 この演奏を2日聴く幸運(日曜日は本来は勤務日で、休みが取れたのも幸運)を神に感謝したい。冒頭でも書いた通り、京響の演奏は、R.シュトラウスは昨日を上回る、武満とベルリオーズは、極めて高水準だった昨日と並ぶ演奏を聴かせてくれた。
 武満の「死と再生」は、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)にも音源が無く、昨日が初聴きでなかなか曲全体がつかめなかったが、2回も生演奏で聴いてみると、前半2曲は同じ「死」とそこからの「魂の浄化や再生」という素材を共有しながら、こうも違うものか、と思った。
 R.シュトラウスの「死と変容」が作曲された1988年は、人間一人一人の魂や精神に重さがあった時代だったのだろう。しかし、武満の音楽からは個人や個性というものから解脱した魂の浮遊しか感じない。国や文化の違いももちろんあるだろうが、20世紀前半の大量殺戮の時代の前と後という要素がやはり大きいと感じる。 
 一方で、最後の解決和音に象徴されるように、武満の音楽の美しさも感じることが出来た。

 2曲目の「死と変容」。これは1日目とは全く違った演奏になった。特に木管陣の音に華やかさが出て、弦の音も初めから潤いがあった。病と死の恐怖にのたうち回る場面は、そもそも様々な音が錯綜しているのだが、その錯綜する音楽が完璧なコントロールで演奏された。
 しかしそれでも、後半の「幻想交響曲」のパフォーマンスの高さには追い付いていなかったかな、というのが正直なところ。違いは木管にあるように感じた。前半の木管は首席奏者を温存しての演奏。それでここまで演奏できるのだから、すごいことには違いないが、首席が出て来ると音楽の音色だけでなくオケ全体の動きや反応がまったく変わるんですよ。

 そのベルリオーズ、冒頭にも書いた通り2日目も凄い演奏になった。
 この幻想交響曲は、最近だけでもメルクル&大フィルとロト&読響の演奏にも接してきた。メルクル&大フィルも流麗で大フィルの潜在能力を引き出した演奏に感銘を受けたが、今やオーケストラの絶対的能力という点では大フィルは京響には敵わない。読響の演奏は、それはハイレベルな演奏だったが、フランソワ=グザヴィエ・ロトのピリオド奏法を基調にした急進的な解釈は、面白くはあったけれども、僕の感覚では今回のアクセルロッド&京響の抗いがたい美しさに軍配を上げたい。
 失礼ながら、西日本では随一の首席奏者陣を誇る京響ではあるが、トゥッティ奏者となると、読響などの東京のオーケストラの陣容には敵わないと思う。しかし、音楽はそれだけではないということも今回の演奏で感じた。京響の演奏は、ひとことで言えば、極めてイマジネーティブでクリエイティブかつイノベーティブであった(ひとこととちゃうやん!)

 1日目には、やはり音楽の作り出す熱狂的な空気に飲み込まれて、理屈抜きに心が動かされた部分があったが、2日目を聴いてみると、指揮者とオーケストラとの信頼関係の間で緻密に設計され、計算し尽くされての、この悪魔的熱狂なのだということがよく解った。それが証拠に、トゥッティでの各パートのバランスは完璧だったし、フォーカスを当てるパートがどこなのかもよく見える一方で、内側で動いているパートの音もよく聴こえてきた、第4楽章のモチーフの繰り返しの部分の弦楽器の激しい運指の部分も、恐ろしいまでに完璧な演奏だった。弦は第5楽章でも大トゥッティのホールが震撼するような場面でも部分でも音が埋もれることが無かったし、ベルリオーズの偏執的とも思える、グロテスクな音を出すための仕掛けもすべて完璧な演奏で答えた。

 今回が4回目の共演となるアクセルロッドとは、厚い信頼関係が出来ているのだろう。指揮者とともに緻密に音楽の下ごしらえをして、本番では、少しでも気を抜くと血しぶきが飛びそうな、両者の真剣での立ち回りを展開し、本番の聴取の前でイマジネーティブでクリエイティブな演奏を完璧にやり切った。2日目の後半2楽章のアクセルロッドさんの煽りは1日目以上だったが、京響は余裕を持って音楽に昇華させているように思えた。
 しかし、第5楽章の最後、チューバが怒りの日の旋律を咆哮する「ウラ」で鳴っているはずの弦が、アクセルロッドさんの突き刺すようなタクトに答えて、ストリングスが「空間がねじ曲がったんじゃないか?」というほど壮絶に鳴ったのにはビックリした。生演奏であんな音を初めて聴いたし、CDでもブロムシュテット&ドレスデン・シュターツカペレのライヴ演奏のものしか聴いたことが無い。あれには最後にやられたなあ。凄いものを聴かせてもらった。

 今の京響は、本当に恐ろしいまでのオーケストラだと思う。

 この日の客の入りは、土曜日よりも若干減って7割ぐらいの入り。なんと勿体ない!
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京都市交響楽団第616回定期演奏会(1日目) アクセルロッド指揮 [コンサート感想]

京都市交響楽団第616回定期演奏会(1日目公演)


武満徹/死と再生
R.シュトラウス/交響詩「死と変容」
ベルリオーズ/幻想交響曲

指揮:ジョン・アクセルロッド
コンサートマスター:泉原隆志

2017年9月2日 京都コンサートホール大ホール
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 京響の感想をここにしたためるたびに、「凄い」「上手い」「文句なし」など、賛辞・美辞麗句を並びたてるんですけど。。

 今日の後半のベルリオーズの演奏の切れ味・隙のなさ・迫力・表現の多彩さ、すべてについて「参りました!」と、言うほかはありません。

 アクセルロッドのスリリングな真剣な挑発に、真剣に「倍返し」をしてみせた、後半の2楽章は圧巻の一言、作曲された時代のファナティックな雰囲気を、そら恐ろしいまでに表現してみせた。

 安らかな牧歌で始まり、これ以上ない緊張感で終わる中間楽章。そして、第二楽章の舞踏会の華やかさや儚さは、木管陣の奮闘が光る。大フィルから移籍した上野さんを含む木管陣は再び磐石の布陣になった。夢のような調和と美、世界を見渡しても、京響の木管はトップクラスだ。ずっとこの調和と美を味わっていたい、そう思わせるものがあった。

 「死と変容」は、変容(浄化)のモチーフが出てくる中盤から最後までは見事な演奏。幻想交響曲でもそうだったが、弦楽器の分厚い響きは、かつての京響のイメージを覆すに充分。ただし、この曲の前半は…。明日の楽しみのために敢えて感想は書かないで置こうと思う。

※9/3追記、意味深な書き方になったが、「死と変容」は特に事故やミスがあったわけでありません(笑)後半に比べて、ちょっと・・・・物足りなかった、というだけです。


9/8追記

 あのコンサートから一週間が経とうとしているが、じっくりPCの前で腰を据える時間が取れなかった。それでも、まだ頭の中に鮮明に残っているのは、それだけ素晴らしい演奏に接したということだろう。

 オーケストラの編成は14型、1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10、チェロの後ろにコントラバス。チェロの首席にはN響の藤森さんが座りました。渡辺穰さんがフォアシュピーラーに座ったため、ファーストVnのトッププルトは泉原さんとのダブルコンマス。楽団のアクセルロッドさんに対する期待が伺われます。お客さんの入りはう~ん、7割5分といったところでしょうか・・・。

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 武満徹の「死と再生」は管楽器を入れない弦楽合奏での演奏。特にヴィオラ・チェロの響きに透明感があり、純水が滴り落ちるような魅力的な音を奏でていた。ハーモニクス奏法なども駆使する、技巧的な側面もある曲だが、京響はまったく安定していた。京響の特質は武満に合っていると思うので、もっと演奏されて欲しいな、と思う。
 アクセルロッドさんのプレトークによると、この曲のナチュラルな、寄せては返す波のような音のダイナミクスは、生命と死の輪廻転生を意味しているとのことだった。決して聞きにくい曲では無いが、この曲全体の意味するところは1日目では理解が出来なかった。最後の解決される和音が印象的。プログラムの1曲目とは思えない盛大なカーテンコールとなった。
 
 2曲目はR.シュトラウスの「死と変容」。この日のプログラムは3曲とも、「生と死」が共通テーマになっている。この「死と変容」の第1の主題がモチーフとなる前半は、病魔に冒された一人の男が夢うつつの中で闘う様を描いている。この前半部分については京響はR.シュトラウスの緻密なオーケストレーションを見事に再現していた。が・・・、プレトークでのアクセルロッドさんの説明から感じられる思い入れ、あるいは実際のタクトに比べて、オーケストラが一種冷めているというか、楽譜の音は確実に捉えて再現性は高いのだろうけれど、言葉は悪いが「無難」に徹したパフォーマンスとの印象を持った。特に木管の切れ味がイマイチで、オーケストラ全体のハーモニーの見通しも(昨今の京響の実力を思うと)、どうにも冴えない印象が残った。
 ところが、魂が浄化されて天に昇る様を描く第2の主題(よくCMやTV番組の効果音でよく耳にするモチーフ)が変奏する曲の後半になってくると、音に俄然、艶が出て、浄化のテーマが高らかに演奏された後のゆっくりとした場面では、かなりいい音が鳴るようになった。


 しかし、冒頭でも書いたとおり、この日のハイライトが後半の幻想交響曲だったことに、異論を挟む方はいないだろう。その幻想交響曲。第1楽章の提示部の繰り返しは無かったが、第4楽章は繰り返しあり。第2楽章はコルネット付きで演奏された。
 冒頭からオーケストラの音が違った。フルートに導かれ翳りのある曲想が展開していく冒頭のストリングスの美しさから、「これは相当な名演奏になる」と確信した。「想い人」のテーマが流れて曲調が明るくなってからは、かなりの快速テンポで飛ばした。ストリングスの華やかな輝きが印象に残った(特に、音楽家の恋に高鳴る鼓動を表す部分のストリングスの刻みは、「こんな音がでるんだ」と驚くほどの輝きがあった)が、それにも増して木管の上手さが目立った。フルート首席の上野さんも京響の木管陣の音のテクスチュアにマッチし、柔らかく華やかな音を先導している。
 アクセルロッドの指揮は、流れを重視しつつも、盛り上がるような場面の直前には少しテンポを落としてねっとりと攻めていく。この第1楽章もそうで、最も盛り上がる場面の直前、オーボエがソロを取る部分では、じらすようにねっとりと歌い上げた後徐々に加速。ダイナミクスの抑揚も自然ではあるが大きな起伏を伴って聴く者の期待感を煽った。そして音楽は最高潮に達し、ティンパニも加わっての場面では、宝石箱をひっくり返したよう(月並みな表現やなあ・・・)なトゥッティを、怒濤の勢いで演奏する。ホント、なんども書いて申し訳ないが、京響から、いや、日本のオーケストラからこんな音が出るんだ、この音をどう言葉で表現したらよいのか、ついに僕は見つけることが出来ていない。音は磨きに磨き抜かれ、勢いに任せているようで、実に一音一音に神経が通った緻密な音作りに舌を巻いた。

 アクセルロッドさんは、楽章間の休憩はたっぷり取っていた。それだけオーケストラに負荷がかかっている、と見ることも出来るだろう。
 第二楽章も木管陣が極上のハーモニーを奏でる。こんなに柔らかくも美しい音が出せるんですね。この日の木管の音はこれまで僕が聞いてきた中で(海外のオーケストラも含めて)最高のハーモニーを聞かせてくれたと思う。2台のハープの連携も見事。どちらかが引っ張るわけではなく、両者が拮抗するように見事にシンクロしていた。弦楽器もまけてられへん、とばかりに、この楽章で多用されるトリル・装飾音は匂い立つような華の薫りを漂わせる。あまりにも美しすぎて、これが現実の舞踏会では無く、あくまで夢想・妄想の世界の中であることを饒舌に語っているようにも思える。


 第三楽章は、冒頭はくっきりとした色調で始まった。オーボエのバンダは下手側の3階バルコニー席後ろで演奏。今日(1日目)は上手の3階バルコニーで聴いているので、バンダの演奏者もよく見える。
 ホント木管のことばかり書いてしまうんですが、この楽章の鍵を握るオーボエをはじめ、クリネットのソロといい、フルートのソロといい、そしてハモるところの極上の音といい、本当に素晴らしい。他にもたくさん聴き所があるのに、自分の耳が木管の音を追ってしまう。
 ストリングスの「ザザザッザザザッ」という刻みは、第1楽章の鼓動とは違う。「想い人」と幸せな時間を過ごす男の鼓動と気持ちの高まりだろう。非常にフレッシュな音色を出していた。
 曲の後半に向かうにつれ、徐々に病的なけだるさが充満してきたのもアクセルロッドさんの解釈か。アヘン中毒者が見る夢を描いているようだ。一説によると、この曲の主人公である『音楽家』は、「想い人」をこのあたりで殺してしまったようだ。それが証拠に、イングリッシュホルンの呼びかけに応えるのは、おどろおどろしい雷鳴のみ。そんな情景がくっきりと浮かんでくる演奏。

 第4楽章~第5楽章は、第1、2楽章とは対照的。このシンメトリー構造はマーラーも参考にしたのだろうと思う。両極端な世界を対比的に描くのには格好の構造で、マーラーの5番、この幻想交響曲がそれに成功している。
 この2楽章の京響の演奏は、そら凄い者だった。この曲は非常に演奏効果が上がるため、コンサートでよく取り上げられる曲。僕が初めて生コンサートに行ったときも幻想交響曲だった。しかし、満足させる演奏・・・となると、なかなか難しいのではないか。技術や音量・アンサンブル能力など、オーケストラの総合力が試されるからだろう。
 京響の演奏は、特にこの後半2楽章について、もう言葉にならないような物凄い演奏だった。この曲の持つ悪魔的狂気、この曲を生み出したファナティックな時代の雰囲気、それらがオーケストラに乗り移ったかのような鬼気迫る演奏だった。前半2楽章と第3楽章が、磨き抜かれた美しい音楽を聴かせただけに、京響の表現力の幅の広さに圧倒されまくった。
 第4楽章のギロチンの場面から、醜く質した「想い人」が魔女や妖怪たちに交じって踊る様を描く場面のクラリネットの描写力は見事。ホント、小谷口さんのクラリネットの表現力には毎回魅了される。

 アクセルロッドは、このオーケストラのいい部分を引き出すと同時に、ところどころ挑発的にオーケストラを煽っている部分があって、それが最後の2つの楽章では両者の痺れるような緊張感が見どころの一つだった。京響はアクセルロッドの挑発に『倍返し』で応えたように感じた。最後の部分の追い込みは、基調となるテンポが速かったために、今まで聴いたこの曲のアッチェレランドの中でも最速だったが、まったく瑕疵の無い、完璧なバランスの演奏で応えてしまった。

 アクセルロッドさんは、経歴から逆算すると1960年代半ばの生まれということで、50歳前後の働き盛り。指揮者としては中堅の年齢だが、音に対する感覚は若い世代に近いと感じた。油絵の具を塗りつぶすような音作りを嫌い、大トゥッティの場面でも内声部の動きの可視化をはかり、音楽全体をパースペクティブに見せる音楽づくりだ。
 しかし、彼のすごみ、そして京響の底なしの実力を感じたのは、むしろ2日目の公演だった。それについては、記事を改めようと思う。

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 日よけに隠れてしまっているので、今まで気づきませんでしたが、ホールの2階ロビーからは如意が岳(右大文字)が見えるんですね。初秋の空にうかぶ稜線にしばし見とれてしまいました。

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カフェ・モンタージュ 田村安祐美・小峰航一・佐藤禎・塩見亮 [コンサート感想]

カフェ・モンタージュでの1時間

ブラームス/ピアノ四重奏曲第1番

ヴァイオリン:田村安祐美
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:佐藤禎
ピアノ:塩見亮


2017年9月1日 カフェ・モンタージュ
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 会場のカフェ・モンタージュには、カフェ営業の時には行ったことがありましたが、ライブははじめて。

ぎちぎちに詰めても70人ぐらいしか入らない空間に響きいたブラームスのピアノ四重奏の濃密なこと! まるで音楽が僕の襟首を掴んで、異世界に連れて行かれるような感覚になった。

 コンサートホールで聴く時の音楽を浴びる、という感覚とは全く違う。格闘技のリングサイドかぶり付きで見ている感覚。

 これは、まさにコンサートというより、ライブだ。


 地下鉄丸太町駅から地上に上がると、落ち着いた中京の町家が並ぶ。実はこのあたりは祖父の代まで住んでいた場所。家があった場所が麩屋町二条なので、このカフェモンタージュからは目と鼻の先で、なんとなく親近感がわく。

 角地に建つコンクリート打ちっぱなしの建物には、すでに開演を待つ列が出来ている。ライブスペースは半地下状になっていて、大きな音を出しても近所迷惑にならないような構造になっている。

 チケット代は2000円。今回は演奏時間は約45分の曲、1曲勝負。そうだとしても安い。70人入っても売り上げは14万円。奏者たちの手元にわたるのはごくわずかだろう。

 今回のメンバーはピアニストの塩見さんに、京響のメンバー3名。塩見さんはブラームスのピアノが含まれる
室内楽曲を少しづつコンプリートしていっている最中とのこと。公演は8/31日と9/1の2日連続公演。弦楽3名は京響の定期演奏会のリハーサルの真っ最中の時期の筈(じっさい、3名とも本番にも乗ってらっしゃった)。なんとタフなことか。

 ピアノ四重奏の編成は、ヴィオラが内声をやるだけでなく、ヴァイオリンを受けて丁々発止のやり取りを受けて立つ場面が多い。いわば弦楽四重奏でいうと第2ヴァイオリンとヴィオラの役目、両方担う感じ。

 その小峰さんのヴィオラの存在感がハンパ無い。ここ数年、室内楽の生コンサートを聴いて、ヴィオラ奏者のレベルの高さが、満足度に比例するとの実感があり、この日はいう事の無いバランスだった。 この曲、第1楽章の冒頭で示されるモチーフは、決して馴染みやすくはない。どこか落ち着きどころのない雰囲気が漂っていて、無調音楽の世界を切り開いたシェーンベルクが偏愛したというのもなんとなく得心がいく。
 でも、流石にブラームス、曲が展開するにつれ、ロマンティックでメランコリックな世界が目くるめくように展開する。

 冒頭にも書いた通り、小さい空間に響くプロの本気の演奏にはガツン!とやられた感じ。19世紀にもこんな感じの小さい空間で数十人の人々が大いに楽しんだことだろう。


 室内楽の新たな世界に触れた一夜だった。

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日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期 No.36 ハイドンマラソン [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期演奏会 No.36 ハイドンマラソン

ハイドン/交響曲第60番ハ長調「うっかり者」
ディッタースドルフ/コントラバス協奏曲第1番変ホ長調
ハイドン/交響曲第54番ト長調
 〃  /交響曲第78番ハ短調

指揮:飯森範親
コントラバス独奏:村田和幸
コンサートマスター:松浦奈々

2017年8月11日 いずみホール
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  僕にとっては半年ぶりのハイドンマラソン参加で、これが4回目。今日も1曲めから、「いや~、やっぱセンチュリー、上手いわ~」と唸ってしまう。

  まず、その音がいい!これぞ洗練の極み。弦のしなやかなハーモニーもさることながら(第二ヴァイオリンの水準は国内随一じゃないかしら)、ホルン・トランペットや木管陣の通奏される合いの手が惚れ惚れする。

  あと、何気に凄いと思うのが、ハイドンの104曲からなるシンフォニーのキャラクターを明確に描き分けていこうとしている。この4回で聞いた12曲のシンフォニーはどれも印象に残っている。

  生演奏で大いに驚嘆しても、録音を聴いてみると「あれ?」ということはままあるが、既に出ているセンチュリーの録音を聴く限り、驚異的な精度とクオリティ、瑞々しさは録音でも水準を超えています。もし飯森&センチュリー響でハイドン交響曲全集を完成させることが出来たら、クオリティにおいて、フィッシャーやドラティの全集を凌駕するものができると思う。今回ももちろんマイクが立っていた。

(詳細な感想は後日)

 楽器配置は、前半が1stVn:6ーVc:3ーVa:4ー2ndVn:6の対向配置で、コントラバスは1stVnとVcの後ろに2本、上手に配されたティンパニと対を成す位置に置かれています。ティンパニのマレットはやや硬質な音ではあるが、フェルトはついているものを使用。
 後半に入ると1stVn:8ーVc:4ーVa:5ー2ndVn:8とコントラバス3本に増強されていました。

 1曲目の交響曲第60番「うっかり者」。「うつけ者」や「うすのろ」といういい方もあるようです(笑)この曲が関西で演奏されるのは、広上さんがまだ京響のシェフに就任する前に、大フィルを指揮して以来だと思う。僕が初めてCDで聴いたのは7,8年前の事だろうか、ハイドンらしい軽妙洒脱な音楽が続いていると、突如、演奏が止まり、思わずソファから飛び上がって「なんだなんだ?」と思っているとチューニングが始まって、元の演奏に戻る、という仕掛けに驚き、『これ、実演で聴けないかな・・・』と思っていた。
 今回、ようやく念願(?)が叶ったわけであるが、「うっかり者」の仕掛け以上に、楽曲そのものも魅力的。プログラムにもあったとおり、「疾風怒濤期」の次の年代の楽曲ですが、第1楽章のアダージョのあと、あるいは第4楽章、最終楽章の疾走感はハイドンのシンフォニーの醍醐味が詰まっている。それに加えて第5楽章の澄み切った、そして(特に第5楽章など)メランコリックさも内包していて、おそらくこうした作風はモーツァルトなどにも影響を与えたのだろう。
 心が洗われるようなこの第5楽章のあとに、例の「うっかり」の仕掛けが際立つ。アダム・フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドン管との録音は、チューニング前の音は、それほど露骨にピッチが外れた演奏では無かったが、今回のセンチュリーの演奏は、かなり派手にピッチをわざと外して、飯森さんと楽団員さんの小芝居も堂に行ったものだった。マイクが立っているので皆笑いをこらえようとしていたが、飯森さんが客席に振り向いたのを合図に、みな堪えていた笑いを解放した。このあたり、SACDでどのように仕上げて来るのか、演奏とはまた別の楽しみも出来ました。
 
 2曲目はディッタースドルフのコントラバス協奏曲第1番、団内ソリストとして、首席コントラバス奏者の村田さんが登壇。村田さんは、広響でも団員ソリストとして協奏曲の舞台に立っていたのだが、僕は広響時代にはそのソリストとしての実力を耳にすることは無かった。
 今回、ソロを聴いた感想は、「この村田さんを逃した広響は、非常に痛いなあ」というもの。センチュリー往年の名物奏者だった奥田さんのような圧倒的な力感で引っ張るというタイプではないが、素性のいい上品なソロ演奏(それでいてよく楽器が鳴ること!)は、センチュリーのカラーにこの上なく合っています。
 この曲、NMLで事前に2回ほど聴いていた(エデン・ラーチのソロで、アムステルダム・フランツ・リスト室内管弦楽団の録音)のだが、聴きやすいメロディーが続くものの、なにか引っ掛かりがなくて、2回とも居眠りをしてしまう体たらく。しかし、生演奏で聴くといい曲ですねぇ。音源で聴いた印象よりも技巧が要求されるし、ときおり用いられるハーモニクス奏法に、「コントラバスってこんな音もだせるんや!」という貴重な経験もあり。
 白眉だったのは第2楽章、村田さんのソロはもちろん センチュリーの伴奏が美しすぎて・・・夢見心地の中に響くコントラバスの低音のゆったりとしたソロに魅了されました。正直、この曲でこんなに幸せな気持ちにさせてくれるとは思ってなかったです。

 この日のプログラムは、かなり分量にボリュームがあり(じっさい、終演時間は21:15になった)、「巻き」が入っていたのか(笑)休憩も10分ほどで予鈴代わりのオルガンの放送が入る。
 54番は、まさに疾風怒濤期の曲。序奏の後の主題も魅力的で、疾走するような弦の刻み、ホルンやトランペットの勇壮な咆哮、後期の交響曲に勝るとも劣らない傑作です。この曲の特長の一つは、(この時代にしては)長大な第2楽章。よくよく聴いてみると、この楽章なんてロマン派の雰囲気を湛えているように思う。シューマンのアダージョ楽章を聴いているような耽美的な音楽に深く沈んでいく。センチュリーのノンヴィヴラートがこれまた美しいんですよ。このハイドンマラソンではモダン奏法とピリオド奏法を融合させて、人間の五感が最も気持ちの良いポイントを突いているような絶妙のバランスを感じます。弦4部の首席同士の掛け合いも見事!
 第4楽章は前述のアダム・フィッシャーの演奏よりも、より突っ込んだ快速テンポで進めていくが、センチュリーの音はいっそう輝きを増していく。

 最後の78番は、104曲中10曲しかないという短調で始まる交響曲。この曲はハイドンらしいかっちりとした形式感の中にも波がひいては返すようなダイナミクスと、短調から快活な長調への場面転換のコントラストが見事。冒頭にも書いたが、飯森さん&センチュリーのハイドン、1曲1曲のキャラクターの違いを、見事に描きわけている。僕は本の5年前まで「ハイドンのシンフォニーって同んなじような曲が多いなあ」と思っていたのだから、このシリーズに何回か参加したことは、僕のクラシック音楽鑑賞人生にとっては、本当に貴重で重要な経験になった。
 センチュリー響の響きはいっそう輝きを増して、僕の脳をマッサージしてくれているような感覚になる。ホンマに気持ち、エエーんですよ!この感覚はこのセンチュリーのハイドンでしか味わえない。 

 客席の雰囲気もよかった!ブラボーがまるで歌舞伎の屋号の掛け声(「松島屋~」「音羽屋~」みたいな)のように絶妙のタイミング。で堂にいった玄人のブラボーがかかる。大阪の目利きという目利き達が、このセンチュリーのハイドンの価値を認めて、集まって来ている感じがある。その一方で、今回はお盆休みということもあってか、若い聴衆も多かった。当日券を買い求める列が長く伸びていて、95%ぐらいの埋まり具合。

 この6型~8型の編成では、西日本ではセンチュリーがいちばんなのは間違いないが、東京でもこのクオリティを出せるオーケストラは少ないのでは?ノンヴィヴラート奏法のクオリティーも高い。もしセンチュリー響が東京にあったら毎回、満席に近い動員をたたき出すだろう。でも、やはり西日本の拠点である大阪に、今後もずっと居てほしいオーケストラ。これからも出来る限り聴きに行きます。

 当日、大阪に向かう新幹線が、名古屋での豪雨の影響で立ち往生。30分ほど遅れて新大阪に到着したため、ゆっくり食事をとる時間が無くなってしまいました。「まあ、ホールで軽食でもとるかな…」と思って大阪城公園駅を降りたら、お店など何も無いと思っていた公園入口に大きな「JO-TERRACE]なる施設が出来ていて、たこ焼きを食べることが出来ました。
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 史跡公園にカフェなどの施設を設置するのは全国的なトレンドになってるんですね、岡山の石山公園も、これほどの規模は無理にしても、市民が憩える施設になればいいですね。


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岡山大学交響楽団 2017サマーコンサート [コンサート感想]

岡山大学交響楽団 2017サマーコンサート
ムソルグスキー(R=コルサコフ編)/交響詩「禿山の一夜」☆
チャイコフスキー/バレエ音楽「眠れる森の美女」より
  ~ 休 憩 ~
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調「英雄」
指揮:保科洋、秋山隆(☆のみ)
2017年7月22日 岡山シンフォニーホール

 前半の「禿山の一夜」と「眠れる森の美女」は、オーケストラもよく鳴っているうえに、岡大オケ伝統のダイナミクスの振幅を大きくとった、ドラマティックな演奏。技術的にもまったく非の打ちどころのない演奏だった。特に眠れる森の美女は、学生オケとは思えない、弱音部の安定感のある演奏と、トゥッティでの「これぞチャイコフスキーの音!」と思わせる、パワフルな金管と、それに押されない弦の鳴りっぷり、木管の豊かな響きと切れ味抜群の打楽器、それらを高次元でミックスさせたハーモニーと迫力に唸った。プロ顔負けの演奏を聴かせた。

 チャイコフスキーとベートーヴェンを指揮した保科先生は、今年4月に脳出血で倒れ、6月まで入院されていたとのこと。ほとんど退院直後の状態での登壇で、現在も左半身の自由がきかない状態での指揮であったが、発せられる「気」「パワー」には物凄いものがあった。しかも、暗譜での指揮。ふつう、この状態だと立ってるだけでも辛いはずなのに、なんという凄い方なのだ、と改めて尊敬の念を強くした。
 
 後半のベートーヴェンの英雄に入ると、チャイコフスキーのようにはいかなかったが、低音から高音へとピラミッド状に音を積み上げていくような、ベートーヴェンの音がしっかりと聞こえたのはさすが。この曲の持つ疾走感やドラマチックさ、保科先生と学生たちの共同作業で作り上げた、自然礼賛・生命肯定的な音楽世界に心を動かされた。
 ホルンやオーボエ、クラリネットのソロも見事なもので、若いからこそ吹ける切なさにあふれていた。12月はマーラーの5番を取り上げるようですが、保科先生のご快復を心よりお祈りするとともに、オーケストラの皆さんの奮闘を期待して待ちたいと思います。

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アンサンブル・レ・ペッシュ [コンサート感想]

アンサンブル・レ・ペッシュ 郷土岡山が生んだ4人のオーボエ奏者による珠玉のアンサンブル


ヘンデル/オラトリオ『ソロモン』より「シバの女王の入城」
ヴラニツキ/2本のオーボエとイングリッシュホルンのための三重奏曲ハ長調
ヴィラ=ロボス/オーボエとファゴットのための二重奏曲
 ~ 休 憩 ~
モーツァルト/ディベルティメント第8番
ムソルグスキー/組曲『展覧会の絵』

板谷 由起子(広島交響楽団首席)
津上 順子(瀬戸フィルハーモニー交響楽団)
沼 佳名子(岡山フィルハーモニック管弦楽団)
近藤那々子(フランクフルト歌劇場管弦楽団首席)
児玉 光生(ファゴット、南西ドイツフィルハーモニー)

2017年7月21日 ルネスホール


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 会場は満員でした。勉強のために聴きに来た高校生たちが座る座席が無く、地べたに座らされているほどの満員。
先日の岡山フィルと言い、岡山のクラシック音楽界、盛り上がって来てます。

 それもこれも、このオーボエ4本+ファゴトット1本のアンサンブルのハイレベルなのを皆さんご存知だからだろう。


  1曲目のハイドンから、この5名の抜群のアンサンブルに夢見心地にさせられます。2曲目のヴィラニツキはモーツァルトの親友とのこと、作風はバロックの雰囲気を残しつつも典型的な古典派の作風で、聴きやすいうえになかなかの佳曲。この曲は板谷さん、津上さん、沼さんの瀬戸内海を挟んだ3つのオーケストラの奏者の共演となりましたが、長く仕事を一緒にしている仲間のように息がぴったり合っていて、特に和音の響きに魅了されました。
 3曲目のヴィラ=ロボスは、ドイツで活躍する2名による二重奏。2つの楽器が独立して動く場面が多く、丁々発止の掛け合いあり、超絶技巧ありの難曲の筈ですが、この2人にかかれば軽々と演奏してしまう。


 後半に入って会場はびっしり満員。モーツァルトのディベルティメントの和音も本当に心地よい、モーツァルト独特のメロディー末尾の洒落たトリルをサラッと演奏してしまうところがカッコイイ。
 そして最後は木管の室内楽としては大曲の「展覧会の絵」。ムソルグスキーのピアノ曲というよりも、ラベルのオーケストラ編曲版をベースにしているように思いますが、オーボエ、オーボエ・ダ・モーレ、イングリシュホルン、ファゴットだけで、これほどの色彩を生み出せるのか!と驚愕することしきり。
 印象に残ったのは、オーボエ・ダ・モーレ、イングリッシュホルン、ファゴットだけで演奏された「古城」のメランコリックな空気、そして近藤さんの技巧が光った「殻付きのひなの踊り」や「リモージュの市場」、あのラベルの編曲版の色彩がオーボエ属だけで見事に表現。コンサートとして大変満足度が高いばかりか、希少な経験をさせていただきました。
 次回も管弦楽曲ベースの曲を、敢えてのオーボエ属・ファゴットのみの演奏で聴きたいですね。

 アンコールに、津上さんのご子息の真音さんの編曲によるリベルタンゴ、次回は真音さん作曲の楽曲もプログラムに載せるそうで、これも楽しみです。

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岡山フィル第53回定期演奏会 指揮:三ツ橋敬子 Hr独奏:シュテファン・ドール [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第53回定期演奏会

ブラームス/悲劇的序曲

R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番
 ~ 休憩 ~
ブラームス/交響曲第3番

指揮:三ツ橋敬子
ホルン独奏:シュテファン・ドール
ゲストコンサートマスター:山本友重


 恐らく、この日のコンサートを聴いたほとんどの方は「シュテファン・ドールのホルン!!これに尽きる!!」そう言うでしょう。今回で2回目のドールのホルン、音が鳴った瞬間に思わずのけ反ってしまう凄い音!

 それも、コンチェルトだけでなく、後半プログラムの交響曲にまで1番ホルン奏者として演奏してくださり、その存在感は絶大でした。


 会場の入りは8割ぐらいでしょうか?3階席の様子は見てませんが、客席はかなり埋まっていたようです。編成はいずれの曲も12型のストコフスキー配置。1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、コントラバスは上手奥に6。シェレンベルガーはチェロをアウト側に配置しますが、三ツ橋さんはヴィオラをアウトに配置しています。


 1曲目の悲劇的序曲。1曲目とは思えない大変な熱演でした。あまりの熱演に拍手も大きかった。しかし、私には重厚ではあるが、少々力みの強い演奏に感じられた。音も大きな音が鳴っているようで、ここ最近の岡フィルのホールの空間全体を鳴らす、という感じには至らず・・・。三ツ橋さんのタクトはオーケストラをドライブする力が強いが、それが力みに繋がっていなければいいが・・・と危惧していました。


 2曲目は、ある意味本日のメインディッシュになってしまいそうな、「ホルン王」(初めて聴いたこの表現。今回のコンサートのチラシに載ってた(笑))シュテファン・ドールによるR.シュトラウスのホルン協奏曲第2番。2年前の岡フィルとアンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演の際に聴かせてくれた、ホルン協奏曲第1番の演奏が凄すぎて・・・。あのホルンをもう一回聴ける!嫁さんともども何日も前から楽しみにしていました。

 「パーンパーン、パパパパーン♪」という最初の1フレーズが聴こえた瞬間、やっぱり度肝を抜かれた。やっぱりこの人のホルンは別格だわ。第1番の親しみやすい曲想に比べると、ちょっと構成が複雑な分、この曲は馴染むのが難しい筈なんですが、ドールさんのホルンの音、その表現の引き出しの多彩さをただひたすら追うだけで充分な愉悦に浸ることが出来る。今回は、先週、ちょっとプレッシャーのかかる仕事の後で、疲労感と頭痛に悩まされていたのだが、そういったものをドールさんのホルンの音が本当に吹き飛ばしてしまった。聴き終わった後、明らかに頭がすっきりしているのだ。

 第3楽章のパッセージなんて、並のホルン奏者なら演奏不可能な超絶技巧が必要だと思うのだが、まるで体の一部のように軽々と吹いて見せる。マシュマロのように柔らかい音色から、パリッとしたドイツ独特の音色まで、変幻自在に音色を変化させる。特に最後のパリッと響かせた倍音は胸がすくような思いで気持ちよく聴いた。この第3楽章のホルンの音を聴いていて、不思議な感覚になった。この雄大に鳴るホルンの音は、本当にステージ上のホルン奏者が吹いているのだろうか?なぜなら、ホールそのものが鳴っているようにしか、僕の耳には聞こえなくなっていたから、ドールさんがこのホールで演奏するのは恐らく3回目の筈だが、このホールの響きを完全に掌握しているようだ。
 

 オーケストラの伴奏も安定していて、特に第1楽章での1番ホルン(読響の久永さん)との掛け合いは聴きものだった。久永さんは、後半にドールさんが1番に座った関係で、後半は降り番になってしまったが、天下のシュテファン・ドールのホルンを向こうに回しての朗々とした演奏、これだけで存在感を示してくれた。


 後半のブラームスの交響曲第3番。勇壮なファンファーレ調の冒頭から音が違った。1曲目の悲劇的序曲には力みを感じ、アンサンブルもやや平板な印象だったのに対し、このブラームスの3番ではアンサンブルに明らかに奥行きと深みがでて、奏者もいい具合に力が抜けて、ホールの隅々まで最近の好調時の岡フィルの音が響き渡った。1曲目では、あの響きはシェレンベルガーにしか引き出せないのか?と若干不安がよぎっただけに、安堵したというのが正直なところ。
 三ツ橋さんのオーケストラのドライブは見事だった。弱音部分での繊細さや、音楽が高揚する部分でのダイナミクスの持って生き方は流石の一言。

 そして何よりもシュテファン・ドールが入ったことによって、金管・木管にズバンと大きな柱が通り、彼の音に皆が引っ張られ、これまでの岡山フィルからは聴いたことが無いような音が聴こえる瞬間がたびたびあった。ドールさんは恐らくオーケストラに溶け込むことに腐心しておられ、あまり目立たないようにしておられたように思うが、なんにせよ一人だけ全然音が違うので、どうしても耳でドールさんのホルンの音を追ってしまう(笑)それはオーケストラの奏者も同じではなかっただろうか?特に管楽器は彼が基準に(あるいは到達点として)音を作っていった演奏ではなかったか。
 第1楽章の10分過ぎの冒頭のファンファーレ調の再現部では、ベルリン・フィルの首席ホルニストの音とはかくや!と思わせる強奏で、協奏曲に続いて会場の聴衆の度肝を抜いた。
 夢のような時間はそれだけではなく、第2楽章の木管との掛け合いの部分でも、心が洗われるようなホルンの音に涙が溢れそうになる。なんと切ない…なんと心の現れる音であることか…。そして、それに応じた木管陣の音も素晴らしかった。
 第3楽章の終盤のホルン・ソロでは、ブラームスの孤独感を切ないまでに表現。

 オーケストラもドールさんに引っ張られ、三ツ橋さんの躍動感のあるタクトにも導かれハリとツヤのある素晴らしい音を堪能させてもらった。三ツ橋さんは、第4楽章では両足をどっしりと構え、手を大きく広げ、音楽を手繰り寄せたり開放したりするように、ダイナミックな指揮でオーケストラを引っ張った。僕自身は、この曲に関して内省的な面にクローズアップされた演奏が好きなので、激情ほとばしるような今回の演奏は好みではないはずなのだが、三ツ橋&岡フィルの世界にどっぷりと浸かり、確かな手ごたえのある演奏に、気が付けば喝采を送っていた。
 終演後の拍手は「熱狂的」ともいえるもので、ドールさんに対する賛辞とともに、回を追うごとに音楽の高みを上りつつある岡山フィルへの賛辞もあったのではないかと思う。

 定期演奏会には珍しく、アンコールもありました。「どこかで聴いたことがあるよなあ…」と思っていたら、ブラームスのセレナーデ第1番より第5曲「スケルツォ」。そういやあ、カンマーフィルハーモニー広島で聴いたなあ。
 最後の最後までドールさんが大活躍で、正直「こんなに働かせてええんかいな!」と思ったほど。これだけ吹いても全くケロッとした笑顔で拍手を受けるドールさん、素敵すぎる!
 三ツ橋さん、もし今後も岡山フィルにご縁があるならば、定期的に振っていただきたいですね。


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 終演後、いつものように夕食を求めて表町商店街へ。普段は夕方になると閑散としている上之町のあたりが、コンサート帰りの人波でごった返している(手前から奥向かう人のほとんどが、コンサート帰りの客)。今後は10月、12月、1月、3月・・・と、ほぼ2カ月おきに岡山フィルの定期演奏会が続きますが、例えばコンサートの客に表町商店街で使えるクーポン券などを配って、経済波及効果などを計測してみてはどうだろう。幅広い世代・性別・職業の人々が集まるオーケストラのコンサートが、中心市街地のにぎわいを生み出す起爆剤になりうることが証明されると思う。

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