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ジョージ・マイケルが亡くなりました [日記]

 ジョージ・マイケルが亡くなりました。53歳という若さで…

 自分の小遣いで買った初めてのCDがジョージ・マイケルの「FAITH」。1時間以上かかる電車通学中に何度も聴きました。当時はCDウォークマンの時代で、教科書や参考書に占拠されたカバンの中に入れられるのはせいぜい10枚程度、それでもジョージ・マイケルの「Listen Without Prejudice Vol.1」は必ずカバンの中に入っていました。報道を見ると、やっぱりワム!時代の楽曲ばかりが流れていますが(だいたい、12月25日なんちゅー日に亡くなるから、ラストクリスマスばかり流されるんだよ!ジョージ!)、彼の伸びのある歌声が感じられるのは、このアルバムならではだと思います。


 何か自分の過去を形作っていたものが、ぽっかり欠けたような喪失感があって、今はちょっと元気が出ないですね。
 有名な曲の中で、僕が彼の最高傑作だと思うのは、「FAITH」に収録された「Kissing A Fool」


 こんなに素晴らしい曲なのに、彼の追悼ニュースで流される「代表作」に、この曲が入っていないのは解せないですね。30代~40代の世代の人は、絶対に1度は聴いている曲だと思うのですが…

 今年はこのエントリーが最後になると思います。クラシック音楽のコンサートの総括もしたいのですが、来年に取っておきます。

 皆さん、良いお年を!


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岡山フィルハーモニック管弦楽団 2017/2018シーズンプログラム [各地プロ・オケの年間プログラム]

 前回のエントリーで、「岡山フィルの来季のプログラムの発表は、たぶん年明け」と書いてしまいましたが、本日発表になりました(あやうく前回のエントリーがお蔵入りになるところやった)。

岡山フィル第53回定期演奏会
2017年7月9日(日)15:00~
 ブラームス/悲劇的序曲
 R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番
 ブラームス/交響曲 第3番
指揮:三ツ橋敬子
ホルン独奏:シュテファン・ドール

岡山フィル第54回定期演奏会
2017年10月8日(日)15:00~
 ベートーヴェン/交響曲 第2番
 ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲
 ベートーヴェン/交響曲 第7番
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン独奏:青木尚佳


岡山フィル特別演奏会 ~ニューイヤーコンサート~
2018年1月21日(日)15:00~
 モーツァルト/歌劇「魔笛」ハイライト
 リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ソリスト未定(岡山県にゆかりのある歌手の方々)


岡山フィル第55回定期演奏会
2017年3月11日(日)15時~
 ベートーヴェン/交響曲 第8番
 ショスタコーヴィッチ/交響曲 第5番
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
 定期演奏会年3回体制は維持しますが、前回エントリーで予想した通り、特別演奏会を入れて年4回(季節に1回)のサイクルを組んできたのは、定期演奏会を年4回にするための布石だと思います。
 さて、私が感じる来シーズンの聴きどころを書きたいと思います。

 まずシェレンベルガー以外の指揮者が久々に登場する7月の第53回定期演奏会。岡山のファンの熱烈なる再登場の要望を受けてのシュテファン・ドールの登場。忘れもしない去年のアンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演で聴かせた、R.シュトラウスのホルン協奏曲での迫力のある鮮やかな演奏!

 蒸し暑い7月の岡山シンフォニーホールがアルプスの麓の爽やかな夏の空気になりました。吹奏楽・オーケストラの管楽器を演奏する高校生は、1000円札を握りしめてB席ユースシートを買うべし!
 指揮者の三ツ橋さんは若手の実力派の指揮者です。女性指揮者(しかも美人)ということで話題になっていますが、鮮やかな指揮技術とスケールの大きい音楽づくりには定評があります(余談ですが、大阪の2管編成の某交響楽団は、思い切って三ツ橋さんを常任指揮者に据えてみてはどうか?とかねがね思っています。それぐらい僕は評価しています)。
 岡山フィルにとっても、楽団の今後のことを考えるとシェレンベルガーばかりが登場する状況に頼っているわけにはいかない。他の指揮者との共演で、いかに「岡フィルらしさ」を発揮していけるのか?三ツ橋さんと岡山フィルは相性がいいと踏んでいます
 この7月定演にはテーマがあって、それは「英雄」。R.シュトラウスのホルン協奏曲の調性は「英雄の調性」と言われる変ホ長調。後半のブラームスの交響曲第3番は、19世紀末の大指揮者、ハンス・リヒターが「ブラームスの英雄交響曲だ」といった、堂々たる内容を持つ曲です。

 10月の第54回定期演奏会は、ソリストに青木尚佳の登場。ロン=ティボー国際コンクールで第2位に入賞しています。このコンクールは極めてハイレベルなのが特徴で、日本人の優勝者には樫本大進や山田晃子らが知られていますが、1位以外の入賞者についても、米元響子(3位)、南紫音(2位)、有希・マヌエラ・ヤンケ(5位)、長尾春花(5位)、成田達輝(2位)と錚々たるメンバーが揃います。青木さんのブルッフがたいへん楽しみです。
 ブルッフのヴァイオリン協奏曲を挟むベートーヴェンの2つのシンフォニーも対照的。テーマは「絶望と絶頂」ということになるだろうか?ハイリゲンシュタットの遺書を書いた時期に書かれた2番、『傑作の森』の絶頂期に書かれた7番。しかしながら2曲とも明朗で快活な楽曲。シェレンベルガーはこの2曲をどう描き分けるのでしょうか。

 1月の特別演奏会:ニュー・イヤーコンサート。これもプログラムが凝っています。テーマは「古代エジプトからアラビア 夢の物語」
 『魔笛』はラムセス時代の古代エジプト。神官ザラストロとゾロアスター教との符合。フリーメイソンの暗号など謎の多い作品ではありますが、モーツァルトの時代のキリスト教・イスラム教の立教の前の時代を舞台に選んだ意味が大きい。シェエラザードは言うまでもなく「千夜一夜物語」。
 そこで提案なんですが、岡山シンフォニーホールにほど近いオリエント美術館とタイアップした企画なんかがあると面白い。

 「~岡山フィルニュー・イヤーコンサート特別企画~ 魔笛とアラビアンナイト」のような小さな企画展でもいいので、岡山の音楽文化と全国でも類を見ない公立の古代オリエント専門博物館とのコラボが見てみたいですね。
 3月の第55回定期演奏会のテーマは「古典回帰とアイデンティティ」
 ベートーヴェンの8番は古典回帰の形式を取りながら、新しい時代の空気を感じさせる画期的な作品。第3楽章のメヌエットを聴いて貴族の匂いを感じる人は皆無でしょう。ベートーヴェンはこの交響曲を自分の分身のように愛し、誰にも献呈しなかった唯一の交響曲。
 ショスタコーヴィチは反革命的作曲家の嫌疑をかけられ、刑務所か強制労働送りの崖っぷちで、この曲を作曲。ソ連当局の重鎮にも解りやすいよう、古典的な作風となった。シェレンベルガーが「革命」という副題をつけていないのも彼の良心を感じます。ショスタコーヴィチはこの曲のフィナーレに「私は(社会主義を・革命を)信じない!」という巧妙に隠された自己のメッセージを入れる。
 とまあ、聴きどころは尽きません。
 最後にシェレンベルガーと岡山フィルの今後について。これまでの4年間は「バランスを重視し、響きの美しさを追求した音楽」を追求してきたように思います。一方で、今年3月のドイツ・レクイエムや6月のマーラーでは、その瞬間に生まれるニュアンスや変化を大事にする新たな一面が垣間見えました。シェレンベルガーは関西フィルや日本センチュリー(これはソリストとして)との共演で、結構、「変化する」指揮を志向していたんですよね。
 現状の岡山フィルはシェレンベルガーのハイレベルな欲求に瞬時に反応できていないもどかしさは確かにあります。一方で、岡山フィルの合奏レベルは回を追うごとに向上しているのが解る。その速度は瞠目すべきスピードです。
 シェレンベルガー首席指揮者5年目のシーズンは、どんなシーズンになるんでしょうね。 

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岡山フィルの今後のプログラムの予想 [岡山フィル]

  日本各地のオーケストラの来年度の年間プログラムの発表が続いていますが、地元の岡山フィルの発表はおそらく年明け。それまでは色々な予想・妄想をして楽しむことにしましょう。
 予想の手がかりになるのは、今年の6月13日に山陽新聞に掲載された、首席指揮者:シェレンベルガー氏のインタビュー記事。
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 まず注目なのが「岡山シンフォニーホールでの演奏機会を増やしたい」ということ。これは定期演奏会の開催回数の増加を意味しているのではないか?と期待が膨らみます。シェレンベルガー就任以前と以後で、定期演奏会・オーケストラ主催の特別演奏会における総入場者数の推移を見ると。

(シェレンベルガー首席指揮者就任以前)
H22年 2777人(定期演奏会2回)
H23年 2988人( 〃 )
H24年 2809人( 〃 )
(シェレンベルガー首席指揮者就任以後)
H25年 4382人(定期演奏会2回+特別演奏会1回)
H26年 4085人(定期演奏会3回)
H27年 4335人 (定期演奏会3回)
 ということで、回数を1回増やしたこともあって着実に増加している。1回あたりの平均を取っても、
(就任以前)
H22年 1389人
H23年 1494人
H24年 1405人
(就任以後)
H25年 1460人
H26年 1362人
H27年 1445人

 ということで、定期演奏会の回数を2回→3回に増やしても、平均入場者数はほぼ横ばいで推移している。このデータを見ると確実に固定の聴衆がついて居る証拠で、年間2回では物足りなかった聴衆が多く、年間3回体制にしっかりと付いて来ていると思われます。

 この手応えなら3回から4回に増加することも可能なのでは無いでしょうか。年間4回になると、季節に1回づつとなり、現状では半年近くあいている期間もあるので、定期演奏会(マイシート)会員にとって、かなり満足度が高まりそうです。
 (※音楽の友によると、2017年度のシェレンベルガーの来日回数は4回。これ
        も岡山フィル定期4回に増加説を採る根拠の一つでもあります)
 
 次に注目なのが「オーケストラの基礎となる室内楽にも積極的に取り組んでいく」という言葉。3年前から岡山大学鹿田キャンパスにある「Jホール」で毎月のシリーズのコンサートがあり、室内楽も取り上げられています。他にも美術館や後楽園でのコンサートにも出演中、これをオーケストラの実力アップのために体系的に整理していこうと言うことかも知れません。
 平成30年頃に予定されている新岡山市民会館には商店街との動線になる空間に、コモンスペースも計画されていることから、岡山市の最重要課題の中心市街地の活性化の一つの有効な手段として、プロの演奏を気軽に聴くことが出来るような仕掛けを期待しています。
 シェレンベルガーのインタビューでは具体的なレパートリーについても、言及されていて、

 ベートーヴェンの交響曲:2番・4番・7番・8番
 
 これは確実に取り上げられるでしょう。

 他にも具体的に上がっているのが、 マーラーの交響曲:5番、大地の歌

 これも取り上げられると思いますし、2年に1回のペースで取り上げられている合唱付の楽曲として、交響曲第2番「復活」(編成上の問題がありますが)も可能性が高いと思います。

 ハイドンはザロモン・セットから。もしかするとオラトリオ「天地創造」あたりも視野に入っているかも知れません。

 シューマンは4曲の交響曲すべてに可能性がありますし(私は2番を是非取り上げてもらいたい!)、メンデルスゾーンは3番「スコットランド」4番「イタリア」5番「宗教改革」あたりでしょうか。合唱曲と言うことで2番「賛歌」の可能性もありますね。
 最後はソリストについて。シェレンベルガー氏の日本でのマネジメント事務所のアーティストとのブッキングの可能性が高いと思われますので、その線から出演が予想されるアーティスト調べてみると。
 
 ピアニスト:アンドレア・バケッティ、フランク・ブラレイ、児玉麻里、
       デジュー・ラーンキ、アレクサンドル・タロー、津田裕也
 ヴァイオリニスト:郷古廉、ヴィヴィアン・ハーグナー、
          ヴェロニカ・エーベルレ
 チェリスト:ヨハネス・モーザー、アントニオ・メネセス、
       パヴェル・ゴムツィアコフ
 管楽器ソリスト:シュテファン・ドール、アンドレアス・オッテンザマー
 声楽:ナタリー・シュトゥッツマン、藤村実穂子
 若手の郷古廉さんは東京・関西では大変な話題になっているヴァイオリニストで、岡山発登場するとなると、これは大注目です。
 ナタリー・シュトゥッツマンが、もし大地の歌を歌うと、関西からの集客も見込めます。なぜなら、2011年に大フィル定期で大地の歌を歌うはずだったのが、来れなかった。「シュトゥッツマンの大地の歌を聴きたかった」という話は未だに聞きますのでね。藤村実穂子さんは、関西のオーケストラでもほとんど共演できていないので登場すれば大変な事ですが、かなりハードルは高そう。
 シュテファン・ドールは去年7月のR.シュトラウスのホルン協奏曲で度肝を抜かれた岡山のファンも多かったはず。ぜひ再演を期待したいです。
 ヨハネス・モーザーも、今月のセンチュリー響いずみホール定期で聴いて、やはり大変な才能だと思い知らされました。倉敷には縁の深いモーザー、ぜひ岡山にも登場してほしいですね。

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マグノリア・サロンコンサート Ob:大森悠 Tp:秋月孝之 Pf岡純子 [コンサート感想]

マグノリア・サロンコンサート
オーボエ:大森 悠
トランペット:秋月 孝之
ピアノ:岡 純子

ヴィヴァルディ/2つのトランペットのための協奏曲ニ長調(Tp&Ob)
ハイドン/トランペット協奏曲(Ob)
サン=サーンス/歌劇『サムソンとデリラ』より「あなたの声で心は開く」(Tp&Ob)
モリコーネ/ミッション-ガブリエルのオーボエ(Tp)
コープランド/静かな都会(Tp&Ob) 

2016年12月10日 逸翁美術館マグノリアホール
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   昨日のセンチュリーの演奏が気持ち良すぎて昨晩は熟睡。目覚まし時計にも気づかず、ホテルのチェックアウト直前の11時まで寝てしまいました(笑)

 大編成の大フィルの翌日に、小編成のセンチュリーを聴き、最後は「室内楽なんかがあればなあ」と思ってアンテナを広げると、ありました!しかも、大フィルの秋月さんのトランペットと大森さんのオーボエが聴ける!ということで3連休の締めは、オーボエとトランペットとピアノという珍しい3重奏です。
 しかし、このお二人、昨日まで2日連続でショスタコーヴィチの10番を演奏していたんですよ(当然、トランペットもオーボエもハンパ無い出番の数々・・・)、オーケストラの奏者って本当にタフですよねぇ。
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 会場は阪急宝塚線池田駅から徒歩15分のところにある、絵に描いたような『閑静な住宅街』にありました。近くには阪急創業者の小林一三の邸宅もあることから、大正時代、大阪都心の煤煙と公害の都心部から、いわゆる田園都市を求めて逃れて来た裕福な人々のために作られた、高級住宅街開発の嚆矢となったところ。この、都心部と鉄道でつながった高級住宅街の開発ビジネスモデルは東急(田園調布)などに模倣されていく。

 コンサートは1時間程度の気軽な内容。しかし、演奏者は大フィルや関西フィルの首席級の奏者と、関西で名の知られた実力者ばかりで、どの回に行っても聴き応えのある内容。ホール内部は80席程度で、この出演者でこの人数では採算が合うはずも無く、阪急傘下の財団の持ち出しの事業なのでしょう。そして、それは阪急沿線の上品で落ち着いたイメージの維持に一役買っており、長い目で見ればペイできている。

 演奏の方は、このこじんまりとしたホールに響くトランペットとオーボエの音量はかなり強烈です。しかし、まったく耳障りで無く、お二人の吹く音色(ねいろ)に包まれる感じは本当に楽しい。
  秋月さんの音色は、秋空の抜けるような青空を思わせるような音。金管楽器なのに耳に障るような音が無く、木質感のある暖かい音がするんですよ。朝比奈晩年から現在までの録音を聴くと、特にブラームスやはりブルックナーの録音に、大フィルの音に溶け合いつつもあの暖かい音が聞こえてきます。
   大森さんが大フィルに入ったときは、その豊潤な音が衝撃的で(当時の大フィルにはいないタイプの音色)したが、一昨日の演奏でも、大フィルの木管のアンサンブルの中核といえます。今日のコンサートも、高音の抜けのいい素晴らしい音にため息しか出ません。

 今回のコンサートでは、通常オーボエが吹く曲をトランペットが、またはその逆を試みています。トークでは、オーボエとトランペットは倍音の構造や、息を送り込む管の狭さ、オーケストラの中では突き抜けた音を発する楽器で、よく似ているのでは無いか?ということで一つの実験を披露してくださいました。
 ベルリオーズの幻想交響曲の第3楽章冒頭、イングリッシュホルンとバンダのオーボエの掛け合い。このバンダの役を秋月さんがトランペットで演奏します。
 結果は、トランペットはやはりトランペットの音でしたが(笑)楽曲としての違和感は無く、音域や音の伸びはよく似ていました。
  演奏以外にも、話し出すと止まらなくなる大森さんのトークが面白く、こういう濃いキャラの方だったのか、という発見有り。
 アンコールはガブリエルのオーボエを、オーボエ&トランペットが交代で演奏。たいへん盛り上がりました。


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日本センチュリー響 いずみ定期No.33 飯森範親指揮 Vc:ヨハネス・モーザー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期演奏会 No.33 ハイドンマラソン

ハイドン/交響曲第2番ハ長調
 〃  /チェロ協奏曲第1番ハ長調
 〃  /交響曲第50番ハ長調
 〃  /交響曲第88番ト長調「V字」

指揮:飯森範親
チェロ:ヨハネス・モーザー
コンサートマスター:松浦奈々

2016年12月9日 いずみホール

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 またまた来てしまいましたハイドン・マラソン。これで3回連続?関西地方の外からこれだけ通っているのって僕ぐらいじゃないかしら(爆)
 それもこれも、センチュリーのハイドン演奏がとにかく魅力があるから。難しいことを考えずに黙って座席に座っていればよい。極上のアンサンブルが極上のいずみホールの空間こだまし、頭の上から降り注ぐ。そして、ハイドンの天才的なアイデア・オーケストレーション・アーティキュレーションが、その愉悦を頂点まで導いてくれます。時間が短いからトイレの心配とかしなくてもゆったりとした気分で席に就ける。最高の2時間なんですよね。

  しかし今日のハイライトはヨハネス・モーザーのチェロ協奏曲だったかも知れません。大原美術館のギャラリーコンサートで、その才能を一度は耳にしたはずだったんですが、いやーすごかったですねえ。第3楽章なんてオーケストラに向かって挑発する挑発する、でもセンチュリーが見事に応えて(モーザーの挑発を受けてたった、松浦コンサートミストレスはじめ、センチュリーの楽団員さんの楽しそうなこと!)、これぞ生演奏の醍醐味、室内合奏だんの醍醐味、協奏曲の醍醐味でした。会場のボルテージの上がりっぷりは、ジャズの即興演奏のライブのような雰囲気でした。「大阪にセンチュリー有り!」を存分に実感しました。

 今回は最初期と中期、最後に後期の交響曲をプログラミング。2番はエステルハージ家に仕える前の1757年~59年の作品(一説には1761年作とも)、チェロ協奏曲は1761年の作曲、エステルハージ家に雇われた直後の作品。50番は1773年作曲で、そのころには同家の宮廷楽長に出世。88番は少し時代が飛んで1787年の作曲で、エステルハージ家時代最晩年の作品。ハイドン以外の作曲家で、同時期の曲と歴史上の出来事を並べてみると・・・

○2番は20代後半。1759年に亡くなったヘンデルはすでに1740年代には作曲のピークを過ぎていたし、大バッハの息子:C.P.Eバッハやグルックが活躍していた頃だが、独立した交響曲は書いておらず、オペラやオラトリオの中での「シンフォニア」というバロックの形式を守っている。1757年にプラッシーの戦いが、大陸では七年戦争の真っ最中で、イギリスの覇権が確立されつつある時代です。

○50番は41歳。モーツァルトがザルツブルグの大司教に反旗を翻して出て行く時期。ウィーンでは18歳年下で交流を深めていたサリエリが活躍。7年戦争で急速に力をつけたプロイセンとロシアによるポーランド分割(第1次)、アメリカ独立の引き金となったボストン茶会事件。世俗的・宗教的権威がまだま強力だったが、新しい時代への萌芽が見られる、そんな雰囲気か。

○88番は55歳、モーツァルトは「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」といった後世に残る傑作群を作曲中。両者の交流も盛んでいわゆる「ハイドン・セット」の献呈も受けている。その31歳のモーツァルトに16歳のベートーヴェンが会いに行っている。時代はフランス革命前夜の静けさ、しかしマグマに突き動かされるように熱気を帯びていた時代。

 なんでこの年代を整理したかというと、前半の2曲と55番、88番に行くにしたがって、楽曲の内容が見事に変わっていっているのを、今回のコンサートで実感したからです。特に、88番の演奏が始まった時の響 に「これは、もう・・・新しい時代の花が開きかけている!」と驚いたんですよ。ベートーヴェン以後の楽曲が溢れている時代に生きる自分は、ハイドンの104曲の作品群は「どれも似たようなもの」としか感じていなかった。このシリーズ3回目にして、ハイドンほど時代の激流に対応し、絶えず変化していった作曲家は居ない、との感想を持ちました。

 そしてハイドンの交響曲を聴くと、シンフォニーのルーツがわかる。ハイドンが交響曲を自らの創作活動の柱の一つに据えようとしていた時代は、まだ同時代の作曲家はオペラやオラトリオに「シンフォニア」の形で管弦楽曲を置いていたに過ぎない。自然、「この交響曲を人々に楽しんでもらうために、いかに楽しめる『仕掛け』を入れていくか?」ということを考えたに違いない。
 その中で色々な試行錯誤があり、その試行錯誤が後世のシンフォニストに受け継がれる。50番の冒頭を聴いたとき。「これはモーツァルトの交響曲34番が始まったんじゃ無いか?」としか思えなかった。作曲年代は当然にハイドンの方が早い。モーツァルトはほとんどパクリすれすれの線を狙いながら、この50番の冒頭のアイデアを取り入れた。それだけハイドンの独創性と、その創作の有用性の証左でしょう。

 センチュリーの演奏。今回も好調を維持していた。いや「好調」という言葉を使うのは失礼か。センチュリーらしい極めてハイレベルで品格の高い演奏でした。これぞ、まさに大阪が生んだ格調高いセンチュリー・サウンドです。
 編成は第2番とチェロ協奏曲、そして第50番はいつもの6型対向配置。1vn6→vc3→va4→2Vn6、コントラバスはオルガンの真下に2本。88番は8型に増員。

 第2番の第1音が響いた瞬間からため息が出る(前回も同じことを書いたような気がしますが(笑)。ときおりヴィヴラートを抑えめでピュアトーンを響かせながら、極上のバランスで整った音楽が展開されていく。それにしてもこの曲が交響曲第『2』番とは!と驚いていたら、ハイドンの交響曲の附番は必ずしも作曲順とは限らないとのこと。だとしても初期の作品であることには違いが無く。優美なモチーフがしっかりとした構成の中に息づいていく。老獪さすら感じさせるソツの無い曲でした。
 2曲目のチェロ協奏曲は非常にロマンティックな旋律が魅力。モデラートで心地よい速さで奏でられる快活な第1楽章。ロマンチックな第2楽章。そして、第3楽章はチェロの超絶技巧(解説には「18世紀中ごろとしては、破天荒なほどの技巧が駆使されている」との記述)に合いの手を入れるように、オーケストラからも仕掛けられるチェロ独奏付き合奏協奏曲のようになっている。
 冒頭でも述べた通り、ソリスト良し!オーケストラ良し!の痛快な名演!一つ文句を言わせていただくと、「曲が短すぎるがな!」ということ、こんな幸せな時間はもう10分ぐらいは続いて欲しい。心底そう感じた見事な協奏曲でした。

 3曲目の50番は、何かの式典がはじまりそうな華麗な冒頭に始まり、旋律が法則性を持って幾何学的に進行していく、あの折り目正しいハイドンの音楽が展開していく。楽章構成もアダージョ→アレグロの第1楽章、アンダンテの第2楽章、メヌエットの第3楽章、プレストの最終楽章。既に交響曲の形が完成されている。それでいて、第3楽章の中間部では弦のトップ同士の室内楽的な掛け合いがあったり、バロック時代の残り香もある。センチュリーの演奏は軽快で贅肉の全くない引き締まったサウンドで、それでありながら音に艶と独特の輝きがある。これは、本当に見事な音だと思う。弦や木管だけでなく、トランペットの祝祭的な響きにも酔いしれる。

 4曲目の88番は、これは編成を2人づつ増やしたことで、華やかさが増した。これまでオーソドックスな指揮だった飯森さんが、この曲から結構緩急をつけはじめるんですよね。それによって、この曲がバロックの時代から解き放たれて、古典派も通り越して、ロマン派の薫りすら漂っていたんです。ハイドンが時々使う休止は和音の美しさを、ホールの残響を使って聴衆に聴かせるという仕掛けであることが解る。これってブルックナーの手法ですよね。第1楽章の対位法を駆使したモチーフの展開のさせ方は、明らかにベートーヴェンを経由してドイツ・ロマン派の作曲家に受け継がれていく。そしてその華やかな展開部はセンチュリーの緻密なアンサンブルで見事に表現されていく。いやー気持ちええ~、ホンマに気持ちのええ時間。こんな理屈抜きで気持ちのいい音楽を、年に4回も聴ける大阪の人は幸せや。

 「お前、今更何を言うとるねん!」と言われそうですが、飯森&センチュリーは、このスタイルを守りつつ、104曲すべて違う表情をホンマニ描き分けるんやなあ・・・と、当たり前のことに、ただただ驚嘆しています。今回は、88番が始まった時に、時代のドラスティックな転換点が見えた。「時代が変わった」ことを感じさせてくれ、近代ヨーロッパの歴史上も非常に重要な時間を長生きした、ハイドンの人生を感じさせてくれました
 そして1曲の中に秘められた物語(楽章)の描き分け。この88番の第1楽章の華やかさ、第2楽章の刹那さ、宮廷音楽というより民俗音楽に近い第3楽章、ほとんどロマン派の…シューマンの交響曲の最終楽章のような疾走感と起伏のある第4楽章。なんとエッセンスの多様であること、そしてセンチュリーの表現の引き出しの多様であることか。
 
 ハイドン104曲のシンフォニーを演奏する企画が今回も含めて8割の近くの客席を埋め続けるなんて、東京か大阪でしか出来ないし、センチュリーのサウンドはこれぞ品格のある大大阪時代の音楽。大阪を現在牛耳る政治家さんたちは、お金が右から左に動くだけの「カジノ」を中心とした、金持ちが有り余る金をとことん非生産的な事に使う「IRの誘致」に躍起だけれども、いつか、足元にある財産に気づく日が来るでしょうか?例えば、このセンチュリーのサウンド。こんな音はなかなか聴けませんよ。前日の大フィルだって70年間培ってきた独自のサウンドはまだ錆び付いてなんかない。こうした、「税金を投入する価値無し!」とされた財産が、その価値が再発見されんことを祈ります。


大阪フィル第504回定期演奏会 フルシャ指揮 Pf:河村尚子 [コンサート感想]

大阪フィルハーモニー交響楽団 第504回定期演奏会(1日目)

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番ホ短調

指揮:ヤクブ・フルシャ
ピアノ独奏:河村尚子
コンサートマスター:田野倉雅秋

2016年12月8日 フェスティバルホール
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 会場の入りは大阪交響楽団定期(ザ・シンフォニーH)と重なったこともあってか、65%ぐらいの入りだったでしょうか?今回、フルシャの指揮に初めて接してみて、「これは将来、確実にトップ10指に数えられるような大巨匠になる」と確信しました。
 次回、大フィルでフルシャのタクトを見れるかどうかわからない、次回はもしかしたら1万数千円出さないと見られないかも知れない、それなのに空席がこれだけあると少しさみしいですね。
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 前半は12型2管編成でした。河村さんは6月の倉敷でのバーミンガム市響とのラフマニノフの3番の演奏が、それはもう凄まじいものだったので、かなり期待していました。 2階席の2列目の右翼席で、ピアノに隠れてピアニストの顔しか見えない席。実はこの席が曲者だった。ピアノの音が鳴った瞬間、「あれっ?」と思った。別の部屋でピアノが鳴っているような、そんな感覚。徐々に耳がなじんで来ましたが、それでも遠くで鳴っている(間接音しか聞こえない)感じは常にありましたね。このホール、箱がドでかい分、ピアノ・ソロを聴くためには、中央よりに座らないと行けません。ショスタコーヴィチのことも考えて金管の音を直接受けない位置をわざわざ選んだのがいけなかった。 

 それでも、河村さんのピアノ、やはり良かった。音の芯と輪郭がはっきりしていて、ペダルの使い方は、あくまで音の輝きを放つために使うなど、音像がぼやけることがない。河村さんのピアノに付けるフルシャのタクトも見事だし、逆にオーケストラの音に呼応して河村さんの音もシンクロする。先ほど座席のことでネガティブなことを書いたが、この巨大ホールでアルペジオの一つ一つの音(しかも間接音)が極めてクリアに響くというのは凄い技術ですよね。アンコールはスカルラッティのソナタヘ長調だったんですが、これも非常にクリアな音を響かせていました。

 オーケストラがその風が広葉樹を撫でるような音を出すと、呼応して水滴が泉に落ちるようなみずみずしい音で応え、逆にピアノが強い槌音のような打鍵で仕掛けると、オーケストラは硬質なアタックで応える。あるべき音がそこに有り心地よいベートーヴェンの形式感を感じさせると同時に、決して「協奏」的ではないこの曲を一体となって作り上げていく。

 それにしても大フィル、見事な音です。ピアノの序奏に続いてオーケストラが入ってきた瞬間、中欧のオーケストラのような深みのあるしっとりとした弦にはっとする。「今日は大フィルの音が出ている!」そう感じる。
 第2楽章の冒頭の弦のユニゾンも大フィルの弦を堪能。なんといういぶし銀の音!第3楽章はリズムとテンポは、軽快だが音尻までしっかりと鳴らすスタイルは、大フィルと合っている。正統的な王道を行くベートーヴェンの音楽を堪能しました。

 さあ、後半のショスタコーヴィチの10番。今年はこの曲を取り上げるオーケストラが多いようですが、僕も2月に広島交響楽団で聴いていて、今年2回目。高関さんのタクトによる広響の演奏は見事なもので、「現在の大フィルにあれを凌駕するものを期待して良いのか?」若干不安を持っていた。

 編成は16型(1Vn16→2Vn14→Vc10→Va12、上手広報にCb8)でチェロバスを厚めにした3管編成。元々16型4管編成の大フィルとしては中核のレパートリーといっていい。

 まず、フルシャの解釈。この曲にまつわる様々なエピソードに振り回されない、という姿勢は徹底されていたように感じた。殊更おどろおどろしくしたり、音に深い意味を持たせよう、という強い意図では無く、音楽そのものが持つ響きの美しさや不気味さやリズムを浮かび上がらせる。
 最も印象的だったのは、楽譜に書かれているであろう音価を大事にしきちんと伸ばしきる。それによって大フィルの持つ深みのあるサウンドを生かし切ったこと。それはあの高速な第二楽章でも徹底されていて、弦の音を「ザッザッ、ザザザッ」と叩き鳴らすのではなく「ズワッ ズワッ」と音価いっぱいに音尻にアクセントを置く、これを高速テンポで奏でる大フィルも凄いし金管も木管も音の出し入れとバランスが絶妙なセンスを感じた。ここでは打楽器陣がやや置いていかれる感じがあったものの、何かに追い立てられる雰囲気が良く出ていたので結果オーライでしょう。

 第1楽章では、2度上昇の3音+3度上昇の3音の不気味なモチーフから、フレーズの一つ一つに稜線を描くような抑揚をとる。ダイナミクスを極めて広く要求し、一方で最弱音の部分は神経質にならない塩梅を保つ。
 第1楽章のクラリネットがDEsCH音型の変形モチーフに先導される、中間部。もっとも盛り上がる部分を、フルシャはインテンポに、かつ端々まで目の行き届いたタクトで進めた。2月に広響で聴いたのと同じ曲なのか?と思ったほど、この曲で初めて聴く響きに満たされた。まるでバッハの音楽を聴いているような、いや逆に現代音楽のミニマルミュージックのような形式美・様式美がそこにあった。
 スネアが登場して、ヴァイオリン群の高音のユニゾンがフェスティバルホールの空間に濃密に響き渡り、そして震撼した。弦の音でこの巨大ホールが震撼したのを聴いたのは、ホールこけら落とし公演のマーラー『復活』以後、初めてのことでした。あのときはかなり力業で持って行った感があったが、今回の大フィルは軽々と弾いているようだ。打楽器・金管がかなりの音量で鳴っても、それを突き抜けて弦の音が聞こえてきて、高度なバランスを保って響く。
 これほど濃密な響きを出し続ける楽団員は、相当しんどかったのでは?と思いますが、客席から見ていると、奏者の全員が極めて弾きやすそうに弾くんですよ。オーケストラの持っているポテンシャルが引き出されていく気持ちよさに、楽団員が陶酔しているようにも見えました。

 これは一段も二段も違うステージの演奏だと、会場の皆が高揚していく中での、第3楽章。ショスタコーヴィチの思い人(秘書をしていたエリミーラ・ナジーロヴァという女性)のイニシャルが隠されているというフレーズが何度も登場。何度も登場するホルン信号をホルンの高橋さんが表情豊かに吹き分ける。と同時に、この音楽は凍てつくロシアの荒涼たる大地を表しているようにも感じる。
 中間部のおどけたワルツも殊更に皮肉めいたニュアンスを入れることをせず、音楽そのものに語らせる。ホルンの高橋さんの音が神がかっていて、最初は遠くから、もっと遠くからの最弱音、一方で最高潮で放たれたホルン信号の迫力たるや!完璧!ショスタコーヴィチは何を言いたかったのだろうか?と思わずには居られない。思い人への思いを決壊させたかのようにも思えるし、一人孤独に耐える男の叫びにも聞こえる。長く感じるこの楽章が全く長く感じない。

 第4楽章の冒頭は、第3楽章からの連続性、その中に徐々に暖かい空気が感じられる。速いテンポでサクサク進むようで、一つ一つの音符に神経が行き届いている。それがこの曲の隠された狂気を見え隠れさせる。
 途中で空気が一変、すばしっこいテンポになっても弦の豊かな響きはいっそう輝きを増していく。歯ごたえは最後まで衰えなかった。時折、テンポのギアを上げる時に、「もっともっと」とフルシャが腕を振り回すのを見ていると、もう少し切れ味のあるテンポの切り替えを要求していたのかも知れない。2日目公演は、1日目よりもさらに練られた演奏だったようだ。
 この第4楽章なんて弦だけで無く、木管の音までが生気を得て輝きを増している。確かに大フィルのサウンドだけれど、こんなに重厚で輝かしいサウンドが出るものなのか?

 このオケの特質を見抜いて濃密なサウンドを引き出したフルシャが凄いんでしょうが、こうした人が首席客演指揮者でもいいから就いてくれたら、と思ってプロフィールを見たら、なんとあの名門バンベルク交響楽団の常任指揮者に就任予定とか。指揮が終わったらあんなに礼儀正しく初々しさすら感じがさせるのに、やはり若い才能は放ってはおかれないんですね。
 プログラムを見ると、陣容は相変わらず整っておらず、苦しい。今回も27人ものエキストラが乗っている。しかしそれでも大フィルらしさ全開の演奏が展開されたというのは、フルシャのタクトだけでなく、やっぱりこのオーケストラ一流のプロ根性でしょう。本当に最高の音楽をありがとうございました。

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関西のオーケストラの2017/2018シーズンのプログラム概観(その2) [各地プロ・オケの年間プログラム]

 関西のオーケストラの来年度のプログラムについて、今回は日本センチュリー交響楽団、大阪交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団についてメモをしておきます。
※関西フィルのシーズンは2017.1~12

日本センチュリー交響楽団
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 僕が来年度、一番注目しているのが日本センチュリー交響楽団です。センチュリーは小編成になったら無敵のハイレベルなアンサンブルで、先日聴いたカメラータ・ザルツブルグと比べても、決して引けを取りません。
 去年のエントリーで 豊中文化芸術センターの指定管理者になったことで、去年「これはセンチュリーにとってもかなり有効な打開策になると思います」と書きましたが、来年度のプログラムを見てみると、この豊中名曲シリーズが成功すれば、センチュリーは資金面でかなり見通しが立って来ると感じます。
 現在は府からの補助がゼロになった楽団にとって生命線は文化庁の補助。それがオーケストラに対して付く補助金だけでなくホールの運営も手がけることで、劇場・音楽堂に対する補助金を活用することも出来るようになる。豊中文芸センターにとっても、オーケストラがあるとこで室内楽のコンサートなども展開できる。両者にとってWin-Winの関係。スポンサー企業も順調に数を増やしていて、もうかつての「公務員オケ」ではなくなりました。それもこれも人口30万人の地方都市でオーケストラを経営する飯森さんの手腕によるところが大きいのではないかと思います。
 あとはシンフォニー定期の集客力を上げられるかどうかが、カギになって来るでしょうね。
 プログラムでいうと、何といってもイブラギモヴァが登場する10月定期は必聴と言えます。昨年に引き続き名曲が中心ですが、前プロ・後プロのどちらかにひねりの聴いたプログラムが入っていて、今年度はほとんど食指が伸びなかった(チャイPコンとか苦手な曲が多かった・・・)のと対照的に、来季はシトコヴェツキー・シューマン2番の6月定期、秋山・シベリウス1番の10月定期、飯森・ガヴリリュク・ブル4の1月定期あたりを注目しています。
 ハイドン・マラソンのいずみホールシリーズは、全曲演奏会の宿命ともいえるマイナーな曲が多い一年になりそうですが、楽団自慢のソリスト陣(ホルン・コントラバス)が楽しみです。
大阪交響楽団
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 昨年は児玉音楽監督から外山ミュージック・アドバイザーに体制が変わって、かなり名曲路線に戻した感じがありました。来期のシンフォニー定期は少し大響らしさが垣間見えますが、遠征してまで(往復7000円の交通費をかけてまで)聴きに行きたいか、というと、「う~ん」というところです。
 僕が関西まで聴きに行く動機は、
①岡山では聴けないプログラム
②めちゃめちゃ上手い演奏を聴きたい
③これは大フィル限定だけど、大フィルのサウンドを浴びたい
 この3つです。大響は大響サウンドとまで言えるような特徴は無いですし、めちゃめちゃ上手オケかというと疑問符が付く。「珍しいプログラムであれば・・・」というのは児玉さんの時には特徴だったんですけど、今はそれほどでもない。
 名曲コンサートといずみシリーズで1日2回公演という「薄利多売」路線を突き進んでいて、この「デフレ戦略」で楽団が疲弊しないか・・・危惧するところです。堺市に本拠地を置いて、地域密着を標榜したのもつかの間、大阪南部での主催公演はほとんど見られません。やはり関西のクラシック音楽の人口ボリュームは、大阪北部。堺にいいホールがあれば、センチュリーの豊中のような事業が展開できるんでしょうが。
 外山アドバイザー体制になって2年目、大響が独自のサウンドと特徴を打ち出して、ネット上でも話題になる様な存在になれば・・・注目していきたいと思います。まずは、公益社団法人の認可が取れるような経営基盤の強化が課題でしょうか。
関西フィルハーモニー管弦楽団
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 今年は結局、関西フィル・フィルに足を運ぶことはありませんでしたが、ここのオーケストラは特徴的なサウンドを持っています。極めて人懐っこいというか、人間味が溢れている感じです。デュメイが音楽監督になってから、室内楽にも力を入れていて、室内楽の親密な感じがオーケストラのサイズになっても感じられるオーケストラです。
 このオケも京響やセンチュリーに比べると、めちゃめちゃ上手いオケ、というわけではないですが、いい聴衆もついていてコンサートの後には、楽団員さんとファンが一緒に談笑する姿があちこちで見かけます。
 関西フィルは組織的にもユニークで、特定非営利法人によって経営されている。友の会の会員一人一人が構成員となって、楽団を支えている。組織もスリムになり経営の自由度もある。
 来季もデュメイが登場する回が注目ですね。あと藤岡さんのRVW5番とシベリウス5番の日はかなり注目しています。  

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関西のオーケストラの2017/2018シーズンのプログラム概観(その1) [各地プロ・オケの年間プログラム]

 昨日、京都市交響楽団が来季のプログラムを発表して、関西の5オケの年間プログラムが出そろいました。その中で今日は京響と大フィルについて概観してみたいと思います。

京都市交響楽団の来季プログラム

大阪フィルハーモニー交響楽団の来季プログラム

♪京都市交響楽団
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 広上さんがさらに3年間の契約更新で12年の長期政権に。国内では札響の尾高さん、広響の秋山さんなどに次ぐ長期政権。東京・関西のオケでは最近、例が無いのでは?
 下野さんが常任首席客演指揮者に昇格?これで「常任」と名の付く指揮者が3人、「首席」と名の付く客演指揮者が2人いるというのも変な感じですが(爆)、高関さんは東京シティ・フィルに、下野さんは広響の常任指揮者に就任しましたから、とにかくいい指揮者を囲い込んでおこう、というポスト広上まで見据えた指揮者陣に目がくらみそうです。
 京響に関しては「京響の驚異的にハイレベルな緻密なアンサンブルを聴きに行く」、それ自体に意味があって、プログラムは京響の緻密で色彩に飛んだサウンドを聴ける曲目なら何でもいいんですが、今年度はやや保守的なプログラム、特に独墺モノが多くなりました。高関さんのブル5は大フィルがまだ好調を維持していた頃に聴いて素晴らしかったので、今の京響でどういう風になるか注目。ズーカーマンの7月、ボリス・ベルキンの10月、ムストネンの2月は流石のソリスト陣で「いや~、京響、お金あるんやなあ」と思いました。アクセルロッドの9月、ジェームズ・ジャッドの1月は京響の機能性の高さが生かせるプログラムで、これも注目。
 結局、年間通してほとんど注目公演、ということになりますかね。

 
♪大阪フィルハーモニー交響楽団 
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 来シーズンの定期演奏会のラインナップ発表の前日に、井上首席指揮者の退任と、尾高ミュージック・アドバイザー(2018年4月から音楽監督に就任予定)の就任が発表されました。とはいうものの、尾高さんの登場回数が1回しかないのと、東京定期演奏会の中止、井上さん自身が来年度に向けて具体的な意欲を語っていた経緯を見ると、事実上の更迭だと思われます。
(※東京定期演奏会について、一旦、情報がすべて消えたあと、この2か月半前の時期に突如賦活しました。なんかバタバタしている感はありますが、花道を飾って欲しいです)
 私は尾高体制移行には全面的に賛成です。少なくとも現状よりは楽団の経営的にも演奏レベルも向上すると思っています。井上さんは楽団を厳しく鍛え直している、ように見えたが、結局は自己演出・自己主張が先に立ち、『大人のリーダー』として人心を掌握し財務的にも陣容面でも弱り切っている楽団を立て直すことはできなかった。これ以上の事を書くのは、ご本人の意向もあるので、ブログに書くのはこれで止めときます。
 それに加えて痛恨なのは来シーズンは楽団創立70周年の記念の年にも関わらず、監督も常任も居ない状態で迎えなければならないこと。60周年のベートーヴェン・チクルスのような目玉イベントが組めなかったのは、ファンとしては本当に悲しい事態です。
 結果的に定期演奏会を12人の指揮者で振り分けることになり、総花的ではあるが豪華な陣容になったことは、地方遠征組としては楽しみが増えたともいえます。準メルクル、インバル、エリシュカ、バッティストーニ・・・大植英次も含めて、ヨーロッパで実績を充分に積んだ巨匠たちが、これでもか!とばかり登場しますね。正直、来年は遠征の軸から大フィルを外そうと思っていたんですが、この陣容では外すわけには行きません。
 尾高さんのモーツァルト後期3大交響曲も、このラインナップの中では目立ちませんが、非常に挑戦的だと思います。
 SNSで大フィルの団員さんの演奏に関して、悪しざまに罵る様な書き込み(特に今年の9月は酷かった…)が多く私は「大阪クラシックや星空コンサートで、市民のためにあれだけのパフォーマンスを見せてきた楽団員さんに、なぜここまでコテンパンに書けるものか?」、疑問に思っています。一方、ブロガーさんの多くは「ここの部分は、こういう作曲者の意図であるから、もっとデリケートな音が欲しい」など、理性的・理論的な意見が多く納得できます。今、弱りに弱っているオーケストラをSNSの脊髄反射的批判で、これ以上追い詰めるのはどうか?と思います。
次回はセンチュリー、関フィル、大響について概観してみたいと思います。

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