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シェレンベルガーが岡山の人々に開いた、世界への扉 [岡山フィル]

 本日は岡山フィルの3月の定期演奏会の先行発売日でした。もちろんマイシート(年間座席指定券)は確保しているのですが、私が土・日曜日が出勤日になるので、1枚はマイシートにしてもう一枚をバラ買いにしています。結果的には3回とも二人で行けそうなので、2枚マイシートでも良かったんですが(笑)

 今日はバタバタしていて、昼過ぎになってから1枚確保しているマイシートの隣を購入しようと電話したら、けっこう座席が埋まっています。なんとか近くの席は確保しました。
 3月はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」・第5番「運命」ということでチケットの出足は早そうですね。いい席は早めに確保しておいた方がいいかも知れませんよ。

 さて本題です。

 先日のカメラータ・ザルツブルグのコンサートの際に印象に残ったことがあって、まず、オーケストラのメンバーがパラパラと入場してきたときに拍手が起こった。これは岡山のコンサートではしばしば見かける光景です。しかし、オーケストラのメンバーの方は、まさか自分たちが入って来る時に拍手が起こるとは思っていなかったのか、あれほどの実力派の室内管弦楽団であながら、妙にそわそわしていたのが微笑ましかった。

 そのあと、ソリストの堀米さんと指揮者のシェレンベルガーが入場してきたときの拍手が凄かった。ソリストの堀米さんへの拍手も、もちろんあったでしょうが、会場の雰囲気はシェレンベルガーに対するものが(堀米さんには悪いけど)大勢を占めていたのではないかしら。

 あとから考えてみると、われわれ岡山の聴衆は歴史的な瞬間を経験したわけです。我が町のオーケストラの首席指揮者が、ヨーロッパの本場の(しかもそんじょそこらの楽団ではなく、あのカメラータ・ザルツブルグですから)オーケストラを引き連れて指揮台に上った。2つ前の記事にも書いたけれど「満員の聴衆で迎えられて、岡山の聴衆として面目を保てて良かった」という思い。
 カメラータ・ザルツブルグの楽団員・関係者んとっても、来日遠征の初日がツアーに帯同する指揮者の本拠地で、しかも満員で万雷の拍手で迎えられた、というのは強く印象に残ったはず。そのためか演奏も彼らの本気が伝わってくるものだった。

 「地方のグローバル化」とか色々言われているわけですけれど、岡山にとっては、あれほどの輝かしいキャリアを重ねたシェレンベルガー氏が 岡山という街を選び、首席指揮者で居てくれること、そのものが世界と岡山が繋がっている実感を体現するものであるなあ、と思います。
 しかし、残念ながら、このことを実感する幸福な時間を共有する市民は、まだまだ多くはない。西洋音楽に少しでも興味がある方は、西洋音楽の奔流の第一線で活躍した真のマエストロ、その人がステージに立つだけで様々な影響を与える稀有な存在。それを、岡山城下町で400年の繁栄を誇ってきた表町商店街の入り口の音楽ホールで体感できるのですから、ぜひ足を運んでほしいと思います。


2017年1月15日(日) 15:00~
岡山フィルハーモニック管弦楽団第51回定期演奏会「ニュー・イヤー・コンサート」

指揮/ハンスイェルク・シェレンベルガー
ヴァイオリン/松山冴花  チェロ/ウェン=シン・ヤン

チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
   〃    /ロココ風主題による変奏曲
J.シュトラウスⅡ/喜歌劇「こうもり」序曲
サン・サーンス/序曲とロンドカプリチオーソ
R.シュトラウス/歌劇「バラの騎士」組曲


2017年3月25日(土) 15:00~
岡山フィルハーモニック管弦楽団第52回定期演奏会

指揮/ハンスイェルク・シェレンベルガー

ベートーヴェン/交響曲 第6番 ヘ長調「田園」
ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調「運命」


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指揮者とオーケストラに関する雑感 [クラシック雑感]

 今日は、ある指揮者の方(仮にZ氏とします)が書かれたブログについて、思うところがあったので記事にしました。事情を知っている方は「ああ、あのことか」とわかると思いますが、混乱に拍車をかけるのは本意では無いので、知らない人は「なんのことやら」という記事になっていますがご容赦ください。

 話は、財政面で窮地に追い込まれた『オーケストラX(以下Xオケ)』が、もっと集客を伸ばして収益構造を改善するために、指揮者Z氏が任命されたところまでさかのぼります。

 それまでX市に多大なる貢献をしてきたXオケ。事実、市民が気軽に参加できるまちかど音楽祭でクラシック音楽のイベントとしては空前の5万人以上を集客し、街の人々を彼らの磨き抜いた技で魅了し、また野外演奏会では雨の中でも必死で演奏するXオケのメンバーに胸を打たれた市民は多く居た。

 しかし、政変が起こり、政変を支持する熱狂的な市民たちが、「彼らの仕事は公(おおやけ)のお金を投入する価値なし」との暴論に同意し、Xオケを経済的に追い詰めると同時に、楽団員たちは自分たちの仕事が認められないことに落胆し自信を失いつつあった。

 そんな逆境のなか指揮者Z氏が就任。Z氏がすべき仕事は、①彼らの仕事の価値は他には代えられないものであり、自信を取り戻させ前指揮者の全盛の時代の勢いを取り戻すこと。➁楽団創設者が手塩にかけて築いてきた歴史と伝統を継承し、オンリー・ワンの存在を維持すること。この2つだと私は思っていた。

 しかし、Z氏が行ったのは、楽団員のプライドをズタズタに引き裂くような演奏批判と伝統の奏法の否定だった。しかもネット上に晒すという方法で。
 それでも楽団員は批判を真摯に受け止めた一方で、ある楽団員は「ネットに書くのではなく直接言ってほしい」との意見表明をした。楽団創設以来の危機の苦境の中、ともに頑張っていくはずのリーダーが、後ろから鉄砲で打ちかけた。こんな状態では両者に真の信頼関係は生まれ得ないだろう。書き込みは1日で消去されたことも謎として残った。

 今の世の中、「言いたいことを言うことが正義」「自分の意見を押し殺して言いたいことを言わないのはバカ」、そんな価値観が大手を振ってまかり通っている。
 私に言わせれば、こういう主張をする手合いは『子供』なのだ。彼らは「リスクを取って自己責任で自分の意見を言う」ことが、なれ合いのムラ社会の日本を変えるのだ!などと思っているが、ほとんどの場合、彼らは自分が起こした混乱を自分で収拾することがはない。

 少し話はそれるが、私の友人にX市で教師をしている者が居るが、「言いたいことを言うことが正義」の政治家どもが、何の考えも無しに導入した公募校長が不祥事で辞職した後、子供や地域や親の信頼回復のために、砂を噛むような思いをしながら事態を収拾したそうだ。
 その政治勢力は大変な思いをしながら事態を収拾して回っている、真面目で善良な人々をバカにし。逆に「またムラ社会のやり方で根回しをしている」と吹聴して混乱を煽る。人心は荒廃し様々な分野で優秀な人材ほど流出していく。オーケストラ業界もその例に漏れない。

 話を元に戻す。Xオケは500回の記念定期演奏会を迎えた。その際もZ氏は「500回という数字に意味は無い」と言った。関係者は逆境にある楽団の中でも目出度い節目を盛り上げようと、様々な企画を行った。採算を度外視し、長年のファンのために特別記念誌まで作った、そんな関係者の努力と汗に思いをはせることが出来る人間なら、あえて言わなくてもいい「格好付け」「自己演出」の言葉は言わないはず。Z氏は要するに『子供』なのだ。

 今回、記事を書いた理由はZ氏がまたネットにXオケの内情を暴露したからだ。今回は確かに悪口は書いていない、しかし「Xオケは良くなった」と単純に書けばいいのに、以前の演奏批判を蒸し返し、挙げ句、1日でその記事が削除されたのは、「事務局長に口止めされた」と暴露した。要するに自分が良くした、ということを強調したいのだろう。これを見て「これではXオケの楽団員さんたちの立場が無い」と心底心配する。

 私はXオケのコンサートの席でZ氏が他の指揮者の演奏批判をするのを聴いて、「音楽を聴きに来たのに、なんでこんな不愉快な思いをせなあかんのか」と思い、Z氏の出るXオケのコンサートには行っていない。だから、彼がどこまでXオケを良くしたのかの物差しを持たない。
 
 しかし、こんな言動をするリーダーに誰がついていきますか?前指揮者はXオケの悪口を一切言わなかった。それどころか創立指揮者の音楽作りに感服し、「世界中探してもどこにも無い音」と言った。
 僕が忘れられないのは、前指揮者がドイツの楽団を率いてX市に来た際、楽屋裏でのファンとの会話の中で、あるファンが「ドイツのオーケストラは、Xオケとは違いますね。凄い音ですね」と言ったとき、「Xオケだって凄いですよ、あんな音を出せるオーケストラはドイツにも無い。もし、物足りなかったとしたら僕の指揮が下手なんです」と真剣な目をして話していた。
 オケを一切批判せず「自分の指揮が下手」と全責任を負う指揮者、ネットに何度も批判を展開し、周囲の努力と汗を自己演出の薄っぺらい言葉で無にする指揮者。僕は後者を支持することは出来ない。

 Xオケの歴史と伝統に根差した独特のサウンド、あの魅力は抗いがたいものがある。これからもずっとあの音楽を聴かせてほしいし、そのための応援は惜しまないが・・・Z氏にこのまま期待して、願いを託していいのか?僕は今、ジレンマの中にいる。


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カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演 モーツァルト「レクイエム」 [コンサート感想]

岡山シンフォニーホール25周年記念
カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演

モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218
  〃   /レクイエムニ短調 K626

管弦楽:カメラータ・ザルツブルグ
ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子
ソプラノ:秦茂子
メゾソプラノ:アンナ・モロツ
テノール:セサル・アリエタ
バリトン・アイザック・ガラン
合唱:岡山バッハカンタータ協会
合唱指揮:佐々木正利

2016年11月19日 岡山シンフォニーホール
DSC01501.JPG
※Okayama Art Summit 開催中ならではの、リアム・ギリック作品と岡山シンフォニーホールとの共演

 風邪をこじらせて止まらない咳のため、コンサート出撃を1か月以上自粛しておりました。久しぶりに聴いた、それも強度が誇る合唱団とワールドクラスの独奏陣、それにそれに「黄金のカメラータ・サウンド」!本当に酔いしれました。何より満席で我らの街の首席指揮者:シェレンベルガーを迎えられたのが嬉しい!聴衆の温かい拍手に団員さんも笑顔・笑顔で応えてくれました。

 カメラータ・ザルツブルグはシャンドル・ヴェーグの時代の繊細で柔らかいサウンドから、ロジャー・ノリントンのシャープなサウンドへと色々な歴史をたどってきていますが、シェレンベルガーの作る音楽はヴェーグの時代を感じさせる柔らかい繊細なサウンドを基調に、ダイナミックな場面では6型の室内オケ編成とは思えないくらいかなり迫力がありました。

(11月20日 追記) 

 カメラータ・ザルツブルグは、モーツァルト音楽教育の総本山であるとともに、モーツァルト研究のメッカである、ザルツブルグ・モーツアルテウム音楽大学の教授と学生によって設立、ザルツブルグ音楽祭でのホストオーケストラも務め、シャンデル・ヴェーグの時代の「カメラータ・サウンド」はもはや伝説となっている。モーツァルトのスペシャリスト達です。
 一方でプログラムを見て驚いたのが、日本人系のお名前を4人も拝見したこと。ザルツブルグ・モーツアルテウム音大の系譜に連なる奏者でないと入団できないと思い込んでいたのですが、ノリントンの時代にモーツアルテウム音楽院出身者以外からの採用を積極的に行っているとのこと。

 会場は完売御礼こそ出なかったものの。ほぼ満員でした。シェレンベルガーは我らが街の首席指揮者ですから、なんとか満員になって欲しいと思っていましたが、これで岡山のファンにとっては面目が保たれましたね。

 当日は、楽団員さんと思しきグループの方が、芸術交流やその関連イベントに足を運んだりされていて、コンサートも満員で迎えられたことで、「アート感度の高いスモールシティ」として大いにアピールできたんじゃ無いかと。倉敷公演もあった前回来日の際には倉敷の美観地区も訪れているでしょうから、岡山のいいイメージを持って帰っていただけたのではないでしょうか。

 そして、このコンサート、プログラムが凄いですよね。後半のレクイエムで声楽4人+合唱団も投入するのに、前半には独墺系楽曲の重鎮、堀米ゆず子を登板してくるわけですから、どこまで力が入ってんねん!って話ですよ。ホンマ。

 まずはモーツァルトの5曲のヴァイオリン協奏曲の中で、最も美しくかわいらしい4番。20歳に満たない年齢で書かれたこの曲は、モーツァルトの天才性を存分に感じられる曲で、ペガサスが天を駆けるかのような爽快感があります。出だしはですね、正直、「あれっ?!」と思ったんですよ。悪くは無かったです、しかし、フツーに上手いオーケストラがちょっといい音を出した、そんな感じに受け止めました。ところが数分たつと、あの匂い立つような「カメラータ・サウンド」の香りが漂いだし、第2楽章での美しさは特筆ものでした。立ち上がりに時間がかかったのは大きな原因があって、の日は最低気温16度の最高気温22度の雨天。梅雨でもここまで蒸し暑くはないぞ、というほど湿度が高かったです。かといって空調を入れるほどの気温では無く、会場の湿度もかなり高かった。

 母国のオーストリアでは経験したことが無いような環境だったんじゃないでしょうか?満員のお客さんがいっそう湿度を上げたことも多分にあるでしょう、はじめは手探りのアンサンブルだったに違いありません。しかし、さすがに世界屈指の室内オーケストラ、ましてやモーツァルト演奏に関しては人後に落ちない存在であらねばならない、そんな矜持がそうさせるんでしょうか。瞬間瞬間にみずみずしい音楽が立ち上がっていく。ハーモニーが疾走しながらも猫の目のように表情が移り変わっていく。シェレンベルガーもオーケストラをある程度コントロールする岡山フィルと時とは違って、オケとソリストから生まれるニュアンスを、どう料理していくかを楽しんでいるかのようです。いやはや、ものすごいモーツァルトです。若い頃のモーツァルト独特の怖いものは何も無い、才気あふれる音楽の対話と冗談を楽しみました。なかなかこの「饒舌さ」は味わえるものではありません。

 湿度が高い悪条件は堀米さんも同様、高温の部分で音がかすれる場面はあったにせよ、そういった条件をまったく問題にしない、さすがの風格と演奏度胸。充分な存在感でありながら、カメラータ・サウンドの邪魔をしない雑味を加えない、あの輝くようなアンサンブルに見事に付けていく。岡山フィルと共演した、ブラームスのコンチェルトで見せた、大地に根が生えたような圧倒的な重厚なソロとは全く違った表現を堪能しました。

 メインはモーツァルトのレクイエム。モーツァルトの合唱曲に初めて接したのはアヴェ・ヴェルム・コルプスだった。クリスマスケーキを目当てに近所の教会にクリスチャン一家の友達に連れていかれた時に、合唱隊が歌っていて、なんて綺麗な音楽だろうと思ったことを覚えています。
 モーツァルトの合唱曲は、人間か書いたものでは無いような、まるで神が授けたもうたとしか思えないような無垢な美しさに満ちあふれていますが、このレクイエムも極めつけでしょう。

 そして、現在も某CMで使われている、前半のハイライトとなるディエス・イレ(怒りの日)の激しさ、後半のサンクトゥスの輝かしさを筆頭に、一大ドラマになっている。この日演奏されたのはジュースマイヤー補筆版では無く、バイヤー補筆版とのこと。

 最近まで僕はこの曲が苦手だった。どの演奏とは言えませんが、60~70年代の大巨匠時代の重厚な演奏で苦手になってしまった。しかしその後、色々なアプローチの演奏が出てきて、すっきりと聴かせる演奏が主流になりようやくこの曲が好きになってきたところでした。やっぱりモーツァルトに過剰な重々しさは似合わない。

 今回のカメラータ・ザルツブルグ&岡山バッハカンタータ教会の演奏の全体を貫いていたのは、疾走感であった。モーツァルトの音楽にしばしば感じられる、まるで馬車に揺られるような疾走感。語弊を恐れずに言うと、ビートが効いた感じ。シェレンベルガーが好んで使う表現では「音楽からパルスを感じた」ということになるでしょうか。かといって、オーケストラの音が軽量級だったかというと、決してそうではなく、セクエンツィアの第3曲「ラッパは驚くべき音を」やサンクトゥスあたりのダイナミックさは「これが6型室内オーケストラの音か?」と思うような荘厳な音で聴衆を圧倒した。

 合唱団も見事な演奏。男声パートが人数が少ないが、全体のバランスは良かった。メンバー表を見ると、プロの声楽歌手たちも名を連ねており、そりゃあこの完成度もさもありなん。終始乱れることのないアンサンブルと、主旋律と内声部それぞれがパースペクティブに整理され、オーケストラも含めてあるべき音があるべき姿で鳴って、なんともいえない高揚感で満たされ本当に鳥肌が立った。

 声楽は、このホールでの歌唱はお馴染みになった秦さんが、堂々の歌唱で、メゾのモロツさん、バリトンのガランさんもさすがに本場の名歌手の本領を発揮して素晴らしかった。テノールのアリエタは声質が若く(実際に26歳とまだ若い)、少し違和感があったもののオペラのテノールのような華は、この曲にはそもそも無用であって、充分に役割を果たした感じだった。

 この曲に感じるもう一つの謎・・・モーツァルトは果たして信仰心があったのか?コロレド大司教に代表される、当時の宗教権威に対する反抗心はあったことは確実で、バッハの受難曲やカンタータのような、神への絶対的帰依というものが音楽から感じられにくかった。しかし、この日のコンサートを聴いて、宗教的権威への信仰心は気迫だったかも知れないが、音楽も含めたこの世に存在する者の創造主への信仰の心は確実にあった人なのだろうなあ。と感じた。もっともこの曲はモーツァルト自らの手では完成しなかったのであるが・・・

 余談ですが、東京公演を聴いた方の感想の中に合唱団のピッチについて指摘する人が居たが、岡山公演では全く感じなかったし、この合唱団においてピッチの違和感を感じたことなど一度もない。岡山からなぜアマチュア合唱団を呼ぶのか?という疑問も呈されていたが、この合唱団は前述のとおり、声楽で飯を食っている人も多く参加し、ヴィンシャーマンやリリング、シュライヤーからも評価され、ドイツまで遠征してCDも出している、いわばセミプロの合唱団だ。
 前情報とは恐ろしいもので、そういった知識がなく単に「岡山くんだりから来たアマチュア」という先入観があると、ピッチも合わなく聴こえるのか?東京と地方、音楽の本質について考えさせられる記事だった。



 この岡山公演が今回の来日ツアーの最初だったみたいですね。明日は岡山バッハカンタータ協会も帯同して東京公演、他にもモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会(杉並公会堂)、なんていうのもあります!
 武蔵野文化財団のチラシが物凄くツボに嵌りました・・・
カメラータ・ザルツブルク1-thumb-1000xauto-7149[1].jpg

 まあ、でも岡山はプログラムは違いますが、『炎吹き出すモーツァルトの祭典』『本気度MAXで臨む特別公演』というのも、コンサートを聴いた後では、あながち大げさでもないように感じますから、東京方面の皆さんはぜひ検討の価値アリかと思いますよ。


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