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岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016 の県民優先チケット [岡山]

 10月2日から11月27日まで岡山カルチャーゾーン各地で開催される、岡山芸術交流の岡山県民向けの前売り券を買いました。

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 元々現代アートには疎くて、これだけ話題になっている瀬戸内国際芸術祭にも行ったことがないんですが、会場が自宅から自転車移動圏内に集まっているし、宇喜多氏以来400年の歴史を誇る岡山の元城下町地域を舞台に、各国の現代芸術家による作品展示が行われるということで気軽に楽しみたいと思います。

 ところがですね・・・

 開催2週間を切った地元の岡山。

 全っ然、盛り上がってない!!

 周囲の人に言っても「何それ」状態で、前売り券をJTBに買いに行っても「あまり出ていませんね~」との店員さんの声。
 
 9月26日現在で、岡山の観光ホームページにもバナー広告すら載っていません。しかも、『瀬戸内国際芸術祭+岡山の旅』というコーナーもあるのですが、そこには岡山芸術交流の事は一言も載っていない。

 本来は相乗効果を狙っていくべきなのに、どうしたことでしょう。役所はやる気あるのか?

 全国的には、現代美術の愛好家には、それなりに注目されているようで、「えっ、このアーティストもお日本に来るの?」というような、国内ではなかなか見ることが出来ない作品もあるようです。 

 生まれて初めて買った美術雑誌の「美術手帖」。絵描きが趣味の自分の親父が買っていたので、なじみはある雑誌でした。

 10月号のとじ込みを切り取ると、『Okayama Art Summit 2016 Guidebook』になります。ああ、開催地の岡山は静まり返っていても、コアな業界内ではホンマに話題なんやな~。

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(以下はどうでもいい話 飛ばしていただいてOKです)

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Alto de Campagne Vol.3 岡山公演 [コンサート感想]

Alto de Campagne Vol.3 岡山公演

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テレマン/4つのヴィオラのための協奏曲第1番ト長調
ルクレール/2つのヴィオラのためのソナタニ長調
ビゼー(編曲:對馬時男)/オペラ「カルメン」メドレー
 ~ 休憩 ~
對馬時男/4つのヴィオラのための四重奏曲第2番「夏たけなわ」(世界初演)
ヘンデル(編曲:ターティス)/2つのヴィオラのためのパッサカリア
ノックス/4つのヴィオラのためのマラン・マレ変奏曲(スペインのフォリアの主題による)

棚橋恭子、中村翔太郎、中村洋乃理、村田恵子

2016年9月23日 ルネスホール

 Alto de Campagneは「田舎風のアルト」の意。4人の出身者はそれぞれ鳥取・三田・笠岡・赤穂ということで、4人とも田園風景に馴染んだ田舎出身ということで結成された、珍しいヴィオラ四重奏のアンサンブル。

 棚橋さんはフリーランスだが、両中村さんはどちらもN響次席奏者、村田さんは都響の奏者ということで、4人とも極めてハイレベル。これほどのレベルのヴィオラ奏者が4人も揃うというのは、岡山のような地方都市ではなかなか見られないです。私は去年に続いて2回目の鑑賞。

 ヴィオラの音は理屈無しにいい音です。このカルテットがレベルが高く、どんな音を出すのかというイメージが豊かで、かつ統一されているから、これほどのいい音が鳴るのでしょう。アンサンブルでは深みとコクのあるサウンドが楽しめ、1曲家のテレマンにはよく登場した、ユニゾンではこんなに透明な音に重なるの?というほど、透明感のあるサウンドに酔いしれます。この4名の演奏を聴くと、なんで今までヴィオラ四重奏というジャンルが開拓されてこなかったのか?(実際に、ヴィオラ4本のための楽曲は極めて少ない、とのこと)不思議になります。

 2曲目のルクレールは、棚橋さんと中村洋乃理さんのデュオ、5曲目のヘンデル(ターティス編)は、中村翔太郎さんと村田恵子さんのデュオ。特にヘンデルの曲をベースに、ヴィオラの達人:ターティスが編曲した曲は、たいへんな難曲のようで、聴いてる方も力が入りました。

 ビゼーのカルメンの編曲も、ヴィオラのツボを心得た聴き応えのある編曲だったし、前回に引き続いての對馬さんのヴィオラ4本のための四重奏曲の第2弾、「夏たけなわ」は懐かしい日本の旋法を取り入れた非常に聴きやすい曲で、第3楽章の夕立なんて本当に雨がぽつぽつ→一気にザーッと降る感じが出ていて驚きました。
 最後のノックスの曲は、ヴィオラの特殊な奏法のデパートのような曲で、村田さんの事前の解説もあり、興味深く聞かせていただいた。

 普段は内声をやることが多い楽器だからか、どの演奏も聴き手の耳に心地よいアンサンブル。激しい場面もありましたが、それでも耳に届く音は尖りのないヴィオラ独特のしなやかな音。ヴィオラの音を「聴く」、というよりも、途中からは頭を空っぽにして「音を浴びる」ようなイメージで聴きました。
 鳥取・姫路・三田・広島・東京とツアーで巡っていくようです。お近くの人はお勧めのコンサートです。

 アンコールはパッヘルベルのカノン、そして「ふるさと」。


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京響スーパーコンサート 広上淳一指揮 Vn:五嶋みどり [コンサート感想]

京響スーパーコンサート

モーツァルト/歌劇「後宮からの逃走」序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
  ~ 休憩 ~
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」

指揮:広上淳一
管弦楽:京都市交響楽団
ヴァイオリン独奏:五嶋みどり
コンサートマスター:豊島泰嗣

2016年9月11日 京都コンサートホール大ホール
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 盛りだくさんのコンサート、終わってみたら2時間35分の長丁場、もうおなか一杯のコンサートでした。
 まず、五嶋みどりのチャイコフスキーのコンチェルト。この方のヴァイオリンはもう別格です!1フレーズ1フレーズを疎かにしない、といったらありきたりの事のようですが、この方は本当に疎かにしないし、聴く方も疎かに聴くことなんてできない。弱音部の繊細な表現は、客席の固唾を飲む音が聞こえてきそう。別世界の静寂を作り出しています。
 演奏開始前からオーケストラからただならぬ緊張感が漂っていて、演奏が始まるとその緊張感が客席に感染。何なんでしょう?このピリピリする緊張感。僕の妄想ですが、もしかしたら、明日、この世界が滅亡することが決まっていて、僕以外の人はそのことを知っている。だから世界のみどりさんのヴァイオリンを聴きに来た。美しくも凛として、運命を受け入れようとしているような、異常な昂奮。そんな世紀末的なチャイコフスキーのコンチェルト。
 それに付ける京響の伴奏も、文句な!!世界一流のソリストを相手に、プロのオケマンがそのプライドに賭けて、全力で支え・協奏する。するとこんな稀有なコンサートになる、その証明のような演奏でした。

 メインのシェエラザードは、いやはや、もう何も言うことが出来ないですね。脱帽です、別格です。広上さんの就任記念定期で取り上げられたこの曲、木管金管のソロも多く、キャッチーな旋律と劇的な展開が、広上&京響のカラーに合うのか、節目節目に演奏されてきましたが、これほどの水準の演奏を聴けるとは・・・。
 広上さんのタクトのもとで、全てに於いてパフォーマンスがハイレベルで、ため息しか出ない。 京響を聴く度に「凄い凄い」を連発してますが、もう、京響に対して「凄い」という言葉を使うことは失礼かもしれません。これが今の京響のまごうことなき実力。
 広上さんは「国内トップの実力に成長した」とおっしゃったが、海外の一流どころとも充分に渡りあえる演奏でした。こんなオーケストラがある京都市民の皆さんが本当に羨ましいし、だからこそ、空気の読めない唐突な拍手や、カーテンコールのボルテージが最高潮の時に、椅子をバッタンバッタン音を立ててホールを後にする聴衆の姿に落胆…(大多数の人は最後まで昂奮を共有しましたが)。

(9月17日、更新)

 9月9日の夕方から京都入りして、初秋の嵯峨野を中心に観光。雨上がり後の秋晴れということで、空気が澄んで景色が本当に美しかった。その上に旅の最後に五嶋みどりのヴァイオリンの音に心を射貫かれ、京響の絢爛豪華なサウンドの渦に身を任せる。最高の旅になった。

↓嵯峨野の大河内山荘からの比叡山と京都市内。空気が澄んでいました。
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 相方もこのコンサートを本当に楽しみにしており(というより、チケット争奪戦に参戦して見事に勝ち取ったのは相方)、前回、二人で京響を聴いたのは去年の6月の小泉和裕指揮のブルックナー4番。僕はその後何回か聴いているので、相方に「その時も凄かったけど、そこからワンランクも2ランクも上を行く演奏になると思うで」と予言していましたが、京響のパワフルさ・まばゆいばかりの音色の輝きは、去年どころか僕が前回聴いた5月の定期演奏会から比べても1ランク上を行くものでした。

 まず、1曲目のモーツァルトからして音が違います。最先端のピリオド奏法ではなく、あくまでモダンなモーツァルトですが、オーストリアのオーケストラが出しそうなしなやかな音色を出しています。演奏の精度はまだまだこんなもんじゃない、という感じではありましたが、その高貴な響きだけで満足させるものでした。

 冒頭にも書いたとおり、五嶋みどりのチャイコフスキーのコンチェルトが、この日の目玉で、一般発売後数分で完売だったようです。会場の前には「チケット売ってください」と書かれたボードを持った人が居て、ヤフオクやオケピなどが定着した現在では、こんな光景は珍しいでしょう。同じプログラムで行われた東海地方ツアー3公演も全て完売だったというから、みどりさんの音楽を渇望している人がいかに多いかがわかる。

 コンサート前のプレトークで、自らNPO法人の代表をつとめ、音楽を通じて障害者と社会をつないでいく様々な取り組みを行っている。実際、岡山の障害者福祉施設の「旭川荘」のミュージックアカデミーでも五嶋さんの活躍を目にしたことがありますが、五嶋さんにとってはこうした活動はボランティアのレベルに止まらず、演奏活動と車の両輪を成すぐらいの大事な営みなのだろう。

 演奏は、それは凄まじい緊張感に貫かれ、どこまでも美しく広がりのある音楽だった。チャイコフスキー独特の甘い甘いメロディーラインを強調することなく、弱音部や高音部、第二楽章などの緩徐部分に、今回の演奏の真骨頂があったように思う。広上さんが以前ラジオで、音楽の前では指揮者も演奏者も全てをさらけ出されてしまう、ということをおっしゃっていた。世界屈指のヴァイオリニスト:MIDORIの一流の技と音を聞いたと同時に、まさに五嶋みどりという人間の全てがさらけ出されたすごみがあった。たとえ世界が明日終わっても、今、この瞬間に集中する。これほどの演奏を前にしては、聴いている人間の無用なプライドや凝り固まった概念や知識はガラガラと崩れてしまう。

 実は今回のコンサート、曲目を見たとき、少しがっかりしたところがあった、「なぜ、ブラームスやシベリウスじゃないのか?」と・・・。ところが、演奏がふたを開けてみると、食傷気味になっていたチャイコフスキーのコンチェルトが、まったく違う世界があることが分かった。甘いトロトロのメロディーは、全くの濁りのない皓然とした音列に姿を変え、緩徐楽章のメランコリックな世界は、菩薩が見守る天上の世界のようだった。そこを京響のフルートやクラリネット、ファゴットが、菩薩の使徒のように宙を舞う・・・。広上さんもオーケストラも、五嶋さんの描き出す世界を全力で表現し、見事に描ききった。京響がこのレベルのオーケストラだからできたのだと思う(協奏曲の前の、尋常ならざる緊張感は見ている人間もピリピリと伝わってくるものがあったが、あれこそ「MIDORIの世界を描ききる」というプロのオケマンとしての矜持がにじみ出たものだったろう。チャイコフスキーさん、「もう飽きた」なんて思って本当にすみません。あなたが作った音楽はもっと奥が深かったことを、MIDORIさんに教えられました。

 最終楽章での五嶋さんとオーケストラの掛け合いも見事であった。京響も高速テンポの追い込みをものともしない。音楽的には真剣での斬り合いのようなぎりぎりのせめぎ合いがあった演奏だったが、技術的にはオーケストラは極めて安定していた。以前聴いた、五嶋みどり&バイエルン放送交響楽団とのベートーヴェンのコンチェルト。そのときのBRSOにもひけを取らない見事な伴奏を見せてくれました。

 アンコールも真剣モード、1曲目はバッハの無伴奏パルティータ第2番からサラバンド。おそらく2曲目は予定外だったと思うが、とにかく拍手が鳴り止まないのですよ。同じくバッハの無伴奏パルティータ第3番からプレリュード。その演奏の後、会場からは期せずして2000人の大きな感嘆のため息が漏れた。

  後半は、客演コンマスとして新日本フィルの豊島泰嗣さんがコンマスを務めたが、このソロがさすがだった。特にチェロの山本さんとの掛け合いは絶品。
 冒頭に書いたとおり、僕が広上&京響のシェエラザードを聴くのは、2008年の常任指揮者就任記念定期以来だったが、この8年の間にもう全く別のオーケストラです。以前から名手揃いで特に繊細で緻密な表現力が素晴らしいオケだったが、今は音の迫力・押し出しが違う。音がホールの中をうねるように、渦を巻いて聴衆を魅了する。広上さんが振ると京響は本当に自然体でもの凄い演奏をやってのける。

 広上さんの体全体を使ったタクトで、ダイナミクスはナチュラルにかつ劇的に変化し、テンポは自在に流れるように変化し、1ミリの綻びも生じない。各パートのキューも、「ここで出ろ!」という感じではなく、「さあ、この流れに乗って皆さんのタイミングで~」と軽やかに合図、それに答えて弦は芳醇で高雅な音を出し、小谷口・高山・上野(大フィルからの客演でしたね)・中野の木管の名人たちが、絶妙のタイミングで入って自信を漲らせてソロを張る。
 どんな映画や演劇よりも、音楽・・・ただ音楽だけでドラマティックな音楽絵巻物を魅せて頂いた。

 今回の演奏のハイライトは第2楽章と第4楽章だろうと思う。第2楽章のトロンボーン→トランペットで開始される中間部の動機が登場し、弦のピチカートをバックに奏でられるクラリネットのソロ(小谷口さんのソロ、やっぱり絶品だった!)。そしてインテンポでVn2部の刻みの中でチェロ・ヴィオラが動機を奏で、弦2部は強いピチカートで心臓の鼓動を会場に響かせる。木管打楽器の先導するマーチもほれぼれする音。
 映像の力を借りるが、要するにこの部分ですね(うーん、ピチカートが弱い)。
https://youtu.be/17lEx0ytE_0?t=16m45s
 あの高貴で煌びやかなサウンドは、まるで中欧の名門オーケストラが奏でるシェエラザードのような輝きと風格があった。

 京響は、京都市の直営から財団法人による運営に移行し、シネマコンサートや、X Japanのhideなど、ポピュラー音楽のスターたちと共演したりして、「さすがに北欧・アメリカでオーケストラの経営に関わってきた広上さんやなあ」と、その斬新な取り組みに関心を持って見ていたが、そういったある種の「異種格闘技」の経験が色々な事が貪欲にオーケストラに吸収されているようで、表現の選択肢の圧倒的な多彩さ、イマジネーションの豊富さがこのシェエラザードでわかりました。

 クラシック音楽館で、京響が取り上げられたときに、リハーサルでの広上さんのユーモアあふれる(しかし、抽象的な表現・・・その回は「道路工事のドリルのようにドンドンドンと勝手にリズムを刻んで入っていく感じですね~」という面白い表現をされていた)喩えに、記者が「抽象的な表現なので、人によってイメージが異なってくるのではないですか?」との質問に対して、ヴィオラの高村さんが「違っていていいんです」と答えていたのが印象に残っている。100人のオーケストラに100人のイメージがあってもいい、そして楽譜に何が書いてあるか、そしてそれをどうやって音にしていくか、それは人生を賭けて技を磨いているプロの奏者が一番よくわかっている。広上さんは各奏者の個性を損なわず、オケのメンバーの能力を信頼し、自由なイメージを一つの方向性に収斂させ、一気に音楽のエネルギーに変えて客席を巻き込んでいく。それは再現芸術というよりも創造芸術といっていいのだと思います。

 その広上さんがカーテンコールの最後に「これからも京響を支えてください、皆さんの支えが無いと京響は生きていけないんです!お願いします!」と深々と頭を下げたのが強く印象に残った。これだけ楽団の実力を高め、定期演奏会を2日開催に持ち込むまでに聴衆を集めてもなお、広上さんの頭の中には「まだまだ経営基盤は盤石じゃない」との思いがあるのだ…。アメリカで楽団の経営難と、リストラに苦悩する楽団員に直面したり、京都の隣の街では大衆が選んだ政治勢力により、『街の顔』だったオーケストラが危機に瀕している。経営再建に奔走しているのは、かつての京響の常任指揮者だ。会場では、広上さんのユーモアと取ってる節もあって笑いも起こったが、広上さんは本気なのだと思う。
 

 一点、とてもとても残念だったのは、演奏後にしばしの静寂を求めるステージ上に対して、そんな空気を切り裂くようなフライング拍手・・・。あれはあんまりだ、あそこで広上さんが腕を下ろすまで静寂に包まれたら非の打ち所のないコンサートになったのに・・・。フライング拍手をした人は猛省すべき、これは芸術破壊行為、仏像に傷を付けるようなものです。

 アンコールは武満徹の「3つの映画音楽」から「他人の顔 ワルツ」。フライング拍手にがっかりした心を癒やしてくれました。あんな目に遭わされても、舞台上から「皆さんが支えてくれないと、オーケストラは生きていけないんです、引き続きお願いします」と頭を下げたマエストロに、京響の聴衆はどう応えていくのか?私も「芸術破壊行為」だけはしないように心してまた行きたいと思います。