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アンサンブル・レ・ペッシュ [コンサート感想]

ルネスクラシックシリーズVol.6  アンサンブル・レ・ペッシュ
~郷土岡山が生んだ4人のオーボエ奏者たちとファゴット奏者による珠玉のアンサンブル~

バッハ/小フーガト短調 BWV578
クロンマー/2本のオーボエとイングリッシュホルンのためのトリオヘ長調
ジョリヴェ/オーボエとファゴットのためのソナチネ
岩村雄太/オーボエ四重奏のための「風のある情景」
ラヴェル/クープランの墓
  ~ 休憩 ~
多忠亮/宵待草
アンサンブル・レ・ペッシュのための坂本九メドレー(編曲:米倉由起)
ニュー・シネマ・パラダイス・メドレー(編曲:津上眞音)
バーンスタイン/ウェストサイド・ストーリー

Ob:板谷由起子、津上順子、沼佳名子、近藤那々子
Fg:児玉光生

2016年8月22日 ルネスホール

 月曜日夜の室内楽演奏会ということで、「ま、当日券で充分だろう」と思っていましたが,甘かった。行ってみると満席寸前!このホールで一番キャパが稼げる、長辺に舞台を置く配置だったにも関わらず、学生さんが補助席のパイプ椅子に座らされるなど、超満員でした。来年の公演は前売券の購入が必須。

 とにかく板谷さん(広響首席)と近藤さん(フランクフルト歌劇場管首席)が上手い!この二人の演奏を聴くだけでもチケット代を払って余りある。そこに沼さん(岡山フィル)と津上さん(瀬戸フィル)のが入ると、絶妙のアンサンブルに仕上がる。ファゴットにドイツで活躍中の児玉さん。

 出色だったのは、まずクープランの墓。沼さん・津上さんの岡山組がイングリッシュホルンに持ち替えての5本の管によるアンサンブルは、本当に色彩豊か。練習・リハーサルで様々な意見が出されて、よく練られたのか、一つとして同じバランス・色彩感のハーモニーは無く、目くるめく色彩の移り変わりに鳥肌が立ちました。
 近藤さんとファゴットの児玉さんによるデュオで演奏されたジョリヴェ。ジョリヴェの曲は、大阪クラシックで野津さんのソロ・フルートによる「5つの呪文」で虜になり、もう一度生演奏で聴けて僥倖でした。独特の呪術的な世界は病みつきになる。お二人の超絶技巧も見事という他ない。

 前半は純クラシック曲ながら、後半は聴きなじみのあるプログラム。個人的には、全曲、純クラシック曲が希望ですが、酷暑の夏、こういうプログラムもリラックスして楽しめてよかったかも。
 来年も開催を期待します。


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岡山大学Jホールレインボーコンサート Vol.33 [コンサート感想]

岡山大学 Junko Fukutake Hall レインボーコンサート Vol.33
~岡山から世界にはばたく若きヴィルトゥオーゾ達にエールを~

Vn:福田廉之介
クライスラー/ジプシーの女
  〃   /愛の悲しみ
  〃   /中国の太鼓
フォーレ/子守歌
モンティ/チャールダッシュ
クライスラー/ウイーン奇想曲
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン

Vn:長坂拓己
バルトーク/ルーマニア民族舞曲
ラヴェル/ツィガーヌ

Pf:中桐望
ショパン/ピアノソナタ第3番
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 午後から夏休みを取って岡山大学鹿田キャンパス内にあるJunko Fukutake Hall(通称:Jホール)へ。会場は大盛況。400人ぐらいは入っただろうか?既にピアニストとして地位を築き始めている中桐望に加え、地元の好事家の間で話題沸騰中の天才少年、福田廉之介、アンサンブル・セフィロトなど室内楽を中心に実績がある長坂拓己の3名が一堂に会する、ということで岡山フィルの団員さんをはじめ、多くの音楽関係者の方の姿が見られました。

 まず、福田さん。メニューイン国際コンクールジュニア部門での優勝以来、中学生にしてソロコンサートを何度も成功させている、今、岡山で最も注目されているヴァイオリニスト。僕は生演奏で聴くのははじめてでしたが、いやはや恐れ入りました。
 もう10代半ばにしてソリストとしての存在感は充分。素人耳ですが、既に技術的な穴は全く無いように感じる。表現の引き出しも多彩で、聴衆をどんどん魅了していく。
 岡山出身のヴァイオリニストといえば、現在、海外の室内楽のコンクールを総なめしている「クァルテット・ベルリン=トゥキョウ」の第1ヴァイオリニスト:守屋剛志さんの名前があがりますが、福田さんの演奏は、守屋さんに続く世界で評価されるヴァイオリニストへ確実に歩んでいることを感じさせます。
 チャールダッシュやツィゴイネルワイゼンの超絶技巧を涼しい顔で弾いて、聴衆を沸かせたと思ったら、愛の悲しみで、なんとも奥の深い表現を見せる。末恐ろしいヴァイオリニストです。

 次に長坂さん。情熱的な演奏で、ヴァイオリンの弦が切れる、というハプニングがあったほど。しかし、素人耳で聴いても、技術的には課題を多く抱えていることが分かる。ただ、もっと技術を高めたい!という欲求があるから、単身・ハンガリーで修業を積んでいるのでしょう。今後の進化に期待したい。ただ・・・
 音楽を聴きに行くことが好きだから、そして岡山の演奏家にもっと活躍してほしいから、ここからはあえて厳しいことを書きます。まず、彼が醸し出す全体的な雰囲気が良くない。聴衆へ向けたお辞儀一つをとっても、後半に出てきた中桐さんの美しい所作と比べると、なんとなくルーズな雰囲気がある。服装がだぶついていて演奏中も姿勢が悪く、全体的にだらしない雰囲気が漂っている。また、福田さんのように、大きな呼吸感で客席を巻き込んでいくようなことが無く、彼の呼吸感が客席に伝わってこない。
 彼に必要なのは正しい姿勢と呼吸を身に着けることではないかと思う。座禅・茶道・合気道・・日本には姿勢と呼吸法を矯正する様々な文化がある。回り道に思えることでもブレイクスルーの契機になることはある。
 それから服装と髪型は聴衆の感性にも影響を及ぼす。髪型で個性を主張するというのは、聴衆の心理的ハードルを上げる。例えば(例に出して申し訳ないが)及川浩治や田村響のような圧倒的なテクニックとオーラがあれば、金髪も演奏者の個性の一つとして印象に残るだろう。しかし、奇抜な髪型で目を引いた演奏者が技術的に物足りなかったら・・・、誠実で真面目な服装の演奏者よりも不満は大きくなる、ヘタをしたら「二度と足を運んでやるものか」となるものだ。
 クラシックのコンサートのチケットを購入するボリュームゾーンは、40代~70代だろう。クラシック音楽の演奏家として生きて行く、ということは、人生の酸いも甘いも噛み分けたこうした世代の大人たちに、身銭を切らせて、時間を使わせて、足を使わせて会場に来させなければならない。この厳しい事実を彼は自覚しているのだろうか。後半に登場した中桐さんの一本筋の通った気持ちの良い所作や姿勢、華やかだが清潔感のある服装や髪形。これらは大いに参考になったはず。

 休憩後には中桐さんのピアノ。彼女の所作は本当に美しく、マイクを使ってのお話の内容も知的でショパンへの思いを感じさせるもの。演奏を始める時の集中力と背中越しでも感じられるオーラ。どれをとってもソリストとしての資質は盤石です。
 僕は、ショパンが本当に苦手で、海外・国内の名だたるピアニストの演奏でも、演奏中に他の事を考えて我に返る自分に愕然としたり・・・。マーラーやブルックナーのシンフォニーなら、70分であろうが90分の長丁場であろうが、1秒たりとも集中力を切らすことが無いのに・・・。ショパンとは本当に相性がよくない。唯一、120分ずっと集中して聴けたピアニストは横山幸雄さん。
 しかし、中桐さんのショパンのピアノソナタは(今回、1曲だけだが)そういったことが無く、集中して聴けた。本当にいい曲だ。感情に過度に溺れることが無く、一音一音大切にし、作曲者へのリスペクトが伝わってくる演奏でした。ピアノもセミコンサートサイズで、万全な環境ではないはずだったが、そんなことを跳ね返す素晴らしい25分間だった。


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日本センチュリー響いずみホール定期No.32 飯森範親指揮 pf:小山実稚恵 [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団いずみホール定期演奏会No.32  ハイドン・マラソン
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ハイドン/交響響第9番
モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番「ジェナミ」
 ~ 休憩 ~
ハイドン/交響曲第27番
  〃 /交響曲第70番

指揮:飯森範親
ピアノ独奏:小山実稚恵
コンサートマスター:荒井英治

 6月にセンチュリーのハイドンマラソンに初めて参加。その(もはや健全な麻薬と言ったら差し支えがあるか)極上サウンドに惚れ込み再び参加。
 改めて実演に接してみると、こんな高水準な室内オーケストラを4500円で聴ける喜び。この極上のサウンド、すごいよセンチュリー響。
 いずみホールのふかふかの椅子に美を沈めて聴く、輝かしくもしなやかでたおやかで、それでいて何が起こってもびくともしない(センチュリー、上手いから何も起こりようがないんですが)堅牢なアンサンブルを聴く安心感。27番なんてめちゃめちゃアグレッシブな演奏なのに、サウンドのまろやかさはいささかも損なわれず、古典派交響曲を聴く手応え歯応え耳応えに、70番を聴き終わった瞬間に「余は満足じゃ」と言ってしまいそうになりました。
(8月15日 追記)

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※開演前に撮影
 お客さんの入りは9割5分。キャパ800人のいずみホールとはいえ、ほぼ満員の盛況。客席の雰囲気も非常に良好で、皆さん集中しつつもリラックスして耳を傾ける。
 今回のハイドン、3曲とも本当に素晴らしすぎです!1曲目の9番の冒頭から、それは象徴されていた。冒頭の3つの音の輝かしい音、マイルドにブレンドされた木管と弦、すっきりとしつつも厚みのある弦のトレモロ。センチュリーから発せられる音楽のどれもこれもが非常に練られていて、超ハイレベルかつ絶妙のバランスと味付けを効かせてくる。これを客席で聴いていると本当に気持ちがいいのですよ。
 続いてモーツァルトのピアノ協奏曲第9番。最近の研究で、「ジェナミ」というスペル・発音が正しいことがわかってきたそうです。
 小山さんのピアノは先月につづいての鑑賞。チャイコフスキーやラフマニノフ弾きという一般的なイメージがよりも、僕は小山さんのは、このモーツァルトやシューマンが聴きものだと思っています。ソリストもオーケストラもモーツァルトの一筆書き・天衣無縫さの魅力を引き出した好演でした。座席の位置が悪く(中段の最右翼の席)、演奏をする小山さんの手元が全く見えませんでしたが、肩から上を見ているだけで指の周りまで透けて見えるような不思議な感覚になりました。
 演奏の内容とは別に、ひとつ感じたこと。モーツァルトの音楽とハイドンの音楽の違いがこれほど違うのか!ということです。前述のとおり、モーツァルトは「一筆書きですらすらと書ききった魅力」というものがありますが、ハイドンの構築美と職人技、そして絶妙なアイデア・遊びの奥深さをセンチュリーのこのシリーズで知ってしまうと、モーツァルトの初期の楽曲というのは、どうしても聴き劣りする、というのが正直な感想でした。
 27番の両端楽章はまさに疾風怒濤。センチュリーも一気呵成に突っ込んでいく、それなのに音のまろやかさやハイドン独特の幾何学的な美しさの世界はいささかも損なわれないことに心底痺れた。第2楽章のすべてノンビブラートでの演奏。次代の趨勢とはいえ完全なピリオド演奏というのは僕はあまり好きではないのだが、こういう効果的にノンビブラートのピュアトーンを使う演奏は、本当に心が洗われる。8型~10型のセンチュリーは何でもやってしまう器用さがあります。

 最後の70番、一度聴いたら忘れない変則的なリズムで開始するこの曲。生演奏のインパクトを差し引いても、手持ちのドラティ&フィルハーモニア・フンガリカ、フィッシャー&オーストリア=ハンガリー・ハイドン管、両名盤を凌駕する完成度を誇った演奏。これほどのアンサンブルの厚みと機動力と、しなやかさを鼎立させた演奏は無いのではないか?トランペット・ホルンがとにかく上手い。ティンパニ・木管も負けていないし、弦部隊もすべてのプルトの奏者の実力がハイレベル。世界中見渡しても、現時点でのモダン楽器によるハイドン演奏のトップレベルにあると感じた演奏でした。

 今回の3曲を聴いただけでも、ハイドンというのは後の作曲家に膨大な影響を与えていったのかよくわかる。27番の両端楽章はシューマン2番のスケルツォにつながっているように思うし、70番の変則的なリズムはニールセン3番などを思わせる。まさにシンフォニーの源流。モーツァルトの41番の大フーガもハイドンの70番がなければ、存在しなかったのでは、とも思う。

 そして2回接しただけでわかるセンチュリーが描くハイドンの世界の深化。6月のシリーズの演奏会よりも、なおいっそうレベルの高い演奏になっていた。まるで伝統工芸品のようなディテールまでの作り込み、そして泉のように湧き出る豊かなニュアンス、全てが深化している印象を受けました。6月の演奏だって相当レベルの高い演奏だったのに、「まだ上に行けるの!」と驚嘆するしかない。終演後も、まるでブルックナーの交響曲を聴いた後のような、客席の熱さと拍手喝采。センチュリーのメンバーも皆さんもかなり手応えがあったのだろう。顔が紅潮し、たいへんな満足感に満たされている様子でした。
 休憩中や終演後の雰囲気も本当に良くて、たぶん質の高い常連客がしっかりついているのでしょう。まさにセンチュリーのハイドンは、格調高く上質な、しかも極めて饒舌な大阪らしい音楽でした。
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 今も堺筋沿いや中之島に残る瀟洒な大正建築。あるいは阪神間モダニズムと言われた文化人たちのサロン、その後いったん焼け野原になった後に朝比奈隆を中心に据えて、大阪の文化人たちが支援し築き上げた関西の音楽文化。センチュリーのハイドンはその正統たる系譜に並ぶものだと思う。
 朝比奈隆はベートーヴェン・ブルックナー・ブラームスで、音楽の「モダンシティ・大大阪時代」を作り上げた。センチュリーはその特色を生かしてハイドンで大阪の音楽文化の正統的系譜を進んでいる。

 やはり大阪にはドイツ音楽がよく似合うのです。おそらく飯森さんは、こういった大阪の歴史や文化をかなり研究してこのシリーズを企画した。休憩時間のサロン的空気は、僕が子供時代にフェスティバルホールの赤絨毯のラウンジで羨望をもって見つめたあの空気と同じものです。その空気に、今、(僕は大阪の人間ではないけれど)当事者・時代の共有者として立ち会えている。このコンサートで得られる幸福感・満足感はそうしたところからも来ているのだと思います。

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