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バーミンガム市交響楽団2016 倉敷公演 山田和樹指揮 [コンサート感想]

第99回くらしきコンサート バーミンガム市交響楽団2016 倉敷公演

ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調
 ~ 休憩 ~
ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調

指揮:山田和樹
ピアノ独奏:河村尚子

2016年6月23日 倉敷市民会館

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 バーミンガム市交響楽団、ラトルが育て、現在はネルソンスが率いる名門オーケストラ。僕は、英国のオケのステレオタイプなイメージと、ラトル時代のEMIのイギリス作曲家の録音の印象から、「さぞかし、パワフルな管楽器の音が聴けるのだろうなぁ」と思っていたら、やっぱり実演を聴かなきゃわからないですね。管楽器よりも弦楽器部隊の非常に濃密な音が強く印象に残りました。管楽器は確かにパワフルやけど、逆にもう少しデリカシーが欲しい感じ。細かいミスも多かった印象。

 しかし、繰り返しますが、この弦楽器の音は強力ですねぇ。コントラバス二本を増強してたとはいえアンサンブルの分厚さはもちろんのこと、フレージングの呼吸の深さが印象的。だから、トゥッティの時には音がうねるうねる!
 ベートーヴェンの7番の第4楽章は、デッドな音響と広大な容積のある倉敷市民会館が、これ以上鳴らしたら音が割れちゃうんじゃ…というところまで物凄く鳴っていました。そして何よりも音楽的で溌剌とした演奏は魅了されますね。これもステレオタイプな思い込みですが、あのベートーヴェンのビートに効かせ方は、まさにロックの国の演奏じゃないかと思ってしまいます。
 今日はツアー初日でしたから、管楽器の方も調子が出てきたら、ツアー中盤以降はもう凄い演奏になるんじゃないか?

 しかし、今日のハイライトは、ラフマニノフのピアノ協奏曲だったかもしれない。
 曲の冒頭、事前のリハーサルの通りだったんでしょうが、オーケストラが音を抑さえることがなく、その「うねる」ものすごい音に河村さんのピアノが埋没しかかっていた。しかししかし!第1楽章の中盤に差し掛かると、途中から河村さんの強力な打鍵と、伸びのある音がどんどん客席に迫って来て、第3楽章では「すごい演奏を聴いてるよな、今」と感動の余りに目頭が熱くなりました。迫力の場面以外にもカデンツァでの粒の前の立ったアルペジオも素晴らしく聴かせるものでした。

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美観地区の本町の通り。開演50分前でも団員さんと思しき女性4人組がTシャツ姿のラフな格好で散策していました。

以下、細かい感想メモです

・14-12-10-8-8の14型ストコフスキー(ステレオ)配置、チェロが上手アウト、コントラバスは上手のチェロの後ろ。ラフマニノフが3管編成、ベートーヴェンが2管編成。ベートーヴェンの7番では、バロックティンパニに入れ替え(マレットはフェルト付きで、完全なピリオド系サウンドではなかった)。

「エグモント」序曲
・この曲から弦楽器の濃厚な響きは快調でした。1曲目の序曲なのに、山田さん、なかなか力の入ったタクトです。カーテンコールが起きましたが、時間の進行を気にしてか、山田さんは出てこられませんでした。そうなんです、今日のプログラムはなかなか盛りだくさんなのでした。

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
・なんだか久しぶりにこの曲を聴いた気がします。CDだとだいたい第2番とカップリングされていて、この第2番はコンサートでも頻繁にかかる曲のため、若干食傷気味で家ではほとんど聞かない。その道連れ・・・と言ったらなんですが、この3番もほとんど聴いていませんでした。

・改めて聴いてみて、この曲も本当に名曲ですよねぇ。協奏曲で涙するってことはほとんどない自分が、第3楽章の途中から目頭が熱くなって本当に困りましたもの。それはひとえに「伴奏」の枠を超えて熱演を繰り広げたオーケストラのうねりと、それに真っ向から対抗した河村さんのピアニズムに涙腺を刺激されたからだと思う。

・河村さん、パワフルな演奏が持ち味の一つでもありますが、ピアノ・ピアニッシモの表現の繊細さも今回際立って良かったです。第1楽章のカデンツァで、咳一つない緊張感で会場を支配していました。カデンツァの終わりで第1楽章の主題が戻ってくるところのオケとの息も絶妙で、ここでまず感極まりそうになった。

・第2楽章はラフマニノフの甘く切ない旋律に、粒の立ったキラキラした河村さんのピアノの音が絡む。それは絶妙のバランスでした。

・第3楽章は超絶技巧の連続、河村さんとヤマカズさんは、取り立ててあおる事も大袈裟に間をおく事も無く、きわめて正攻法でこの楽章を攻め込みます。この楽章は古今のピアノ協奏曲の中でも、オーケストラとの「協奏」では最高傑作なのではないかと思います。そう思わせるものが河村さんのピアノにはあったと言う事です。

・残響の少ない倉敷市民会館で、ピアノ演奏するのは大変なんですよ。僕は2階席の上段(ほぼ毎度の定位置)に座っていたんですが、あのツイメルマンでも音が充分に飛んで来なかったり不満を感じる演奏があった。それを全く不足のない音量と解像度で鳴らしきった。年齢的にもこれから最も油の乗った時期に差し掛かるんでしょうね。河村さんから目が離せません。

・あれだけの力演のあとに、なんとソリストアンコールがあった。ラフマニノフのエチュード、作品33-8。しみじみとした曲でクールダウンできました。

ベートーヴェン/交響曲第7番
・後半のベートーヴェンの7番は、全体的にはやや「勢いに任せた」感じはあったものの。
木管の合いの手や第1楽章終結部へ向かう場面の盛り上げ方・持って行き方など、山田さんのアイデアあふれる演奏でした。

・第2楽章へはアタッカで突入。必要以上に暗い雰囲気にせず、力強さを強調した演奏でした。

・第3楽章は14型のオーケストラなのに、パート間のコミニュケーションがものすごく豊富。奏者の皆さん、「パパパ・・・・」と口づさみながら、眉を動かしながら、体も動かしながら、めいめいが紀に乗って演奏しているのが分かる。こういうの、日本のオーケストラはもっとやってほしいなあ(でも広響さんとかは、けっこうこんなノリかも)。

・第4楽章は文句なしの大団円。チェロバスが音を引っ張りながらヴァイオリンとやり取りする部分の、音の分厚さがハンパねぇ~!

・リズム的には、裏拍をガツンと強調してましたね。こりゃー何度も書きますが、ロックですね。最後のシーンではティンパニが結構拍を追い込み気味に取って、他のパートもそれに負けじと、でもみんな口元が笑いながら演奏しているし(笑)こりゃ凄い7番でした。

・山田さんは、本来このオーケストラにポストを持っているわけではなく、地元の定期演奏会に登場し、その流れでの日本ツアーだったとはいえ、「日本ツアーだから、日本人指揮者なんかい!」という雰囲気がオケの中から生まれたとしても不思議ではない。最近はあんまり見かけなくなりましたが、昔はそういうツアー、多かったですよね。それにも関らず、指揮者とオーケストラの関係はすこぶる良好のようで(で、ないと、ああいった突っ込んだ共同作業は出来ないでしょう)、楽団を掌握出来ている。「ヤマダとなら、面白い事が出来る」という雰囲気が明らかに感じられるんです。いやはや、今後がますます楽しみになりますね。

・アンコール曲はウォルトンの「ヘンリー5世」より「彼女の唇に触れて別れなん」という曲。こういう選曲は山田さん、本当にセンスがいいですね。スイス・ロマンド管の時はシュレーカーのマドリガルでした。あれも良かった。


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日本センチュリー響いずみホール定期No.31 飯森範親指揮 Ob:シェレンベルガー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期演奏会
ハイドンマラソン

ハイドン/交響響第19番
モーツァルト/オーボエ協奏曲ハ長調
 ~ 休憩 ~
ハイドン/交響曲第58番
  〃 /交響曲第7番「昼」

指揮:飯森範親
オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー 
コンサートマスター:荒井英治

2016年6月17日 いずみホール
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  このコンサート、まず第一目的はシェレンベルガー氏のソロで、それはシェレンベルガー氏の挑発に見事に応えた飯森&センチュリーの柔軟性もあって、シェレンベルガーの音楽性を120%引き出した見事なコンチェルトでした。

  そして、第二目的だったはずのセンチュリーのハイドンマラソンシリーズ、まずセンチュリーが水を得た魚のようにピチピチの音楽を聴かせてくれる、そしてその純度の高いピュアトーンと、アンサンブルの自由闊達さと精度の高さが理想的なバランスで成立している。

  お世辞抜きで、このサイズ(6ー2型対抗配置では)国内最高峰級のレベルではないでしょうか?少なくとも西日本には敵はいないと思う。

  僕もハイドンを聴く愉悦に浸った。これはまさに人生の愉悦の時間です。それはこの上なく心地のよい時間であり、またスリリングな体験でもありました。

  今年の関西遠征は、大フィルと京響を中心に予定を組んでいますが、このセンチュリーのハイドンシリーズも考慮に入れないと!とりあえず8月は行くことに決めました。

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(いずみホールは、ホール階外壁を改装中でした)

・いきなり余談ですが、地下鉄の駅を降りると、物凄い人数の女性たちが僕と同じ方向に向かっている。「これはセンチュリーも隅に置けない、いや、まさかな」と思っていたら、途中、大阪城ホールの方への分かれ道でサヨナラとなった。韓流アイドルのコンサートだったらしい。そしてホテルニューオータニ北側の落ち着いた並木道で、ようやくコンサートに行く落ち着いた気持になる。

・編成は6-6-4-3-2の対向配置。曲によってチェロバスを減じていた。

・客席は8割程度の入りでした。ハイドンって日本では人気が無い印象なんですけど、これはリピーターが付いている感じがしますね。会場の雰囲気も一体感があって、この企画も2年目に入ってオケと観客の間に、一種の戦友のような雰囲気があります。

・このシリーズをずっと通して登場しているらしい通奏低音のチェンバロ担当のエスカンデさん。ずっと音楽を支え続ける、その則からはみ出ることのない、響きが薄くなるところでは自らも薄く徹しないといけない役割を良心的にこなしていく。実は尋常な技術と集中力が必要なんやないだろうか。このシリーズの目の肥えた客には解っているらしく、カーテンコールではひときわ盛大な拍手をもらっていた。

交響曲第19番
・この曲で、もうセンチュリーの響きに心を鷲づかみにされた。格調の高い柔らかい音、ノンビブラート奏法を重しつつも尖った音は皆無。6型の編成であるから一人でも異質な音が出れば大変に目立ってしまうだろうが、そんな奏者は皆無。そう、全員が極めてハイレベルで、「センチュリーの音」が頭の先からつま先まで体に沁み込んでいる感じ。

・19番の第3楽章のメヌエット。これを聴いているときに先日の岡フィルのマーラー1番の第2楽章を思い出していたんですよ。2つか3つのモチーフが対位法とフーガで構築的に盛り上がっていく、マーラーだってハイドンからず~っと繋がっていく作曲家なんだな。と改めて感じた。

モーツァルト/オーボエ協奏曲
・2曲目はモーツァルトのオーボエ協奏曲。シェレンベルガーは岡山フィルではハイドンのオーボエ協奏曲を演奏したこともあるが、集客や少し違ったテイストのモノを入れて変化を持たせているのだろう。

・もし違ってたらゴメンナサイ。シェレンベルガーはオーボエを何本か持っていると思うのですが、今回は岡山大学Jホールで奥さんとのデュオで使用していた者と色が同じ(赤みがかった茶色)。このオーボエは音量は少し抑え目ながらものすごく柔らかい音が出る印象があります。いずみホールの音響や容積を考慮して、ベストな選択をしたものと思う。

・やはりシェレンベルガーのオーボエは(今や岡山でだって聴けるんですが!)大阪へ足を運ぶ価値がありました。オーボエってこれほどやわかい音が出るもんなんですね。カデンツァでは地上と天の声の会話のように、いずみホールの残響を使って伸びやかな演奏を聴かせた。

・あと、指揮者やオケメンバーの息気遣いの中に入り込んで、時折挑発したりしながら(飯森さんって、コンチェルトのタクト、やっぱり上手いですねぇ)、大いに音楽を楽しんでい。悔しいけれど、岡フィルと演った(2007年)ときよりもソリストとオケの対話量が豊富だった。でも、今、岡フィルとこの曲をやったら分からへんけどね。

・第3楽章はオケもシェレンベルガーも大いに遊んだ。で、若干シェレンベルガーさん、息切れな印象もあったけど、それ以上の愉悦があった。最高のコンチェルトでした。

交響曲第58番
・3曲目はこの日演奏された3曲のシンフォニーの中では最も、構成がしっかりしている。いわゆる疾風怒濤期の初期の曲になるようだ。

・第3楽章のメヌエットは、タターッという付点音符のリズムが全曲を貫く。その弦楽器の音の伸びやかな音、そこに絡む木管+ホルンの柔らかさ、これぞハイドンを聴く愉悦だと、天井を仰ぎながら聴いていた。

・第4楽章は疾風怒濤の楽章、ベートーヴェンのシンフォニーのスケルツォの源流を見る思いがしたし、シンコペーションのリズムがどんどん盛り上がっていく昂揚感、それなのに突然訪れるフィナーレは、ドヴォルザークの第8番の最終楽章にも応用されたアイデア。ハイドンの交響曲を聴くことは、後年のシンフォニー作曲家のネタ帳を覗き見るようなわくわく感がある。


交響曲第7番「昼」
・最後に7番「昼」。交響曲の父と言われるハイドンが、まだ父になっていないころ、まだまだ交響曲というジャンルは確立されていなかった。そのことがよくわかる曲でもあるし、それだけ形式的な自由さが眩しい。

・要するに、この曲は『合奏協奏曲』なんですね。だからこの日は、前半のモーツァルトのオーボエ協奏曲と、この曲と、コンチェルトを2曲聞いたような美味しさがある。さすがに飯森さん、よく寝られたプログラムだわ。

・冒頭のゆったりした序奏からして、若かりしハイドンの野心が感じられる作品です。対向配置のヴァイオリンの独奏の掛け合いにチェロが絡んで、さらにオーボエも絡んでいく。

・ソロを取る楽器以外の通常のパート譜を演奏する楽器も、絶妙の塩梅で全体のアンサンブルを柔らかくかつ引き締まったものに整えて行く。それぞれのパートにリーダーたちはソロに取られてリードできないにも関わらず、まったくそんなことを感じさせない。この曲を聴いているときに「センチュリーのアンサンブルは国内最高峰、少なくとも西日本では敵なしだ」との思いを強くした。

・第2楽章は、まるでオペラのアリア(解説には伴奏付レチタチーヴォと書かれてありました)のように悲劇的な伴奏に、応えて荒井英治さんのヴァイオリンが歌いに歌う。音楽は明転して、フルートに導かれて天国的な世界へ。いやはや、こうして聴くと、この交響曲「昼」ってなんでもありでんな(笑)

・第3楽章に入ると、今度はコントラバスまでソロに参加させられる、ハイドンの交響曲ではよくありますよね→コントラバス独奏。ソロは村田さん(でよろしかったでしょうか?)、こんな上手いコントラバス奏者が、ハイドンの時代にはおれへんやろ(笑)とツッコミを入れたくなるほど、見事な演奏。

・最終楽章までコンチェルト・グロッソ交響曲が前回。フルートだって難しい。ストップ・アンド・ゴーの多い構成にも余裕のアンサンブル。この曲をメインに持ってきた理由が分かりました、会場も大いに盛り上がりました。

・ハイドンの交響曲104曲を全曲演奏する。こんな企画が興業として可能なのは。東京と大阪だけだろうと思う。飯森さんは経営的な苦境の中にありながらも、大阪のオーケストラだから出来ること、大阪の聴衆のプライドをくすぐる様な企画を考えて、実行に移したということでしょう。じっさい、このシリーズの固定のお客さんが沢山ついている様子。そりゃーハイドンの交響曲104曲を全曲聴けたら、自慢になるよね。
 完走を目指している方は、ぜひ頑張って通ってください。


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大阪フィル第499回定期演奏会 スピノジ指揮 [コンサート感想]

大阪フィルハーモニー交響楽団 第499回定期演奏会

ラ・ヴェル/ラ・ヴァルス
  〃  /ボレロ
 ~ 休憩 ~
ショスタコーヴィチ/室内交響曲ハ長調
プロコフィエフ/古典交響曲ニ長調

指揮:ジャン=クリストフ・スピノジ
コンサートマスター:田野倉雅秋

2016年6月18日 フェスティバルホール
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 全体の感想としては、プログラムもひねりが効いているし、スピノジも一筋縄ではいかない曲者で、大いに楽しめた、いい演奏会でした。
 僕はラヴェルの「ラ・ヴァルス」という曲が好きで、これが大フィルのプログラムに上がっているとなれば聴きに行かない訳にはいかない。しかも先月、京響で聴いたばかりで、「比較」して聴いてみたいという意地の悪い楽しみもありました。
 スピノジさんのラ・ヴァルスは、先月のウィーンからみたラヴェルを表現したゲッツェル&京響とは違って、変化と柔らかさを愉しむものとなりました。

 しかしこのスピノジさん、普通の指揮者はあまりやらない動きをしますな。
 首席指揮者の井上道義も真っ青の、踊るような指揮。しかもそれが見事に音楽に反映されていく。タイプとしてはミッキーよりも広上さんに近いかも?

 ただ・・・ラ・ヴァルスもボレロもそうだったんですが、今日の大フィルは管高弦低、いや弦が低いといってしまったら語弊があるな、木管金管のサウンドの迫力に比べると、弦が腰高で思ったほど客席に飛んでこなかった。いつもは2階のB席(4,5列目あたりの屋根かぶり席)に座るのを今回は少々奮発してA席(2回1列目)に座ったにも関わらず、です。
 先月の定期も、演奏があまりにも充実していたために感じなかったんですが、弦楽器のあのパワフルなサウンドがさく裂した場面はなかった気がします。

 後半のショスタコーヴィチ(バルシャイ編)の室内交響曲で、あることに気付く。ヴィオラパートの音が以前とは全然違う、よく言えば洗練されてシャープなサウンドにはなっているけれど、以前の多少荒々しい所がありながら腹に堪えるような豊かなヴィオラの音がしない。

 この感じ、覚えがあるなあ、と思って気が付いたのが、3月に聴いた新日本フィルの演奏。あの時も「ほんまに上手い!んやけど、弦がもうちょっとパワーがあれば・・・」と思ったのを思い出しました。

 僕が大阪まで大フィルを聴きに来る動機は、あの天井からナイアガラの瀑布のように圧(の)してくるような大フィルサウンド、あれを味わいにわざわざ交通費を払ってやってくるんです、でも、今回は…一度もそういう瞬間が無かった…。
 これはプログラム的なものもあるでしょう。次は8月の大植さんとのブルックナー9番に来る予定なので、その時に一定の結論は自分の中で出ると思います。
 でも、ブログやtwitter上では、最近の大フィルの演奏は総じて評判がいいです。僕のように感じているのはごくごく少数派でしょうね。

 あっ、室内交響曲、ピリリとした緊張感とショスタコーヴィチの動機がどんどん展開していく構成力には圧倒されました。名演と言っていいと思います。
 最後のプロコの古典交響曲も、スピノジ節全開なところに大フィルが戸惑っているような印象を受けたものの、4楽章それぞれの表情が違ってて、楽しめました。
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 年に3,4回しか、大フィルを聴きに来れませんが、アンサンブルはかなりレベルアップが図らてますね。何より指揮者の棒に対する反応速度が格段に上がったと思います。音も非常に洗練されてきていて、でも、それが行きすぎると大フィルでしか聴けない個性・魅力がスポイルされてくる部分もあるのかな?難しいところですが。東京のオケのサウンドにどんどん近づいてしまったら、なんだか淋しいですね。

 多少どん臭くても愚直なサウンド、半テンポ遅れて、「ドスーン!」腹に響く、あのサウンドが懐かしいです。

・編成は14型のステレオ(ストコフスキー)配置、お客さんの入りは良好で、1・2階席が8割がた埋まっていた。

・ボレロの管楽器は、皆さん素晴らしい演奏でした。サックスのお二人は何者?めちゃめちゃ上手いだけでなく、柔らかい音色が最高でした。

【余談】
フェスティバルホールの南側、土佐堀川を挟んで大同生命本社ビルがあるんですが、連ドラで有名になった「加島屋」(ドラマ中は「加野屋」)跡の碑が立っていて、今回初めてじっくりお参り(?)しました。
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 時々やっているグルメレポ。今回は、大阪駅前第1ビルの「長屋オムライス」に行きました。チキンライスベースのオムライスを注文。ふわトロの卵とブラックペッパーがピリリと聴いたチキンライスによく合います。チキンライスのチキンが、小さく刻んだものではなく、ほとんどチキンソテーのような大きさ、あまり重いものを胃に入れたくないコンサート前にはピッタリのメニューかも。
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岡山フィル第50回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第50回定期演奏会

ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調
 ~休憩~
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫

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 マーラーに触れる前に、まずは前半のベートーヴェンの1番が白眉の出来で、特に弦のサウンドの厚みに圧倒されます。もはやこれは昔の岡山フィルの姿はみじんもない。3月のブラームスのドイツ・レクイエムから3ヶ月しかたっていないのに、益々響きが重厚になり音の輝きが増している!シェレンベルガーとの次の3年間、本当に楽しみになりました。

 さて、マーラーの1番。今回のコンサートで新たなシェレンベルガー氏の音楽性を目の当たりにしました。すっきりと見通しの良い、バランスの良いマーラー、そんな音楽を予想していましたが・・・

 まったく違った!!

 シェレンベルガー氏の指揮は、岡山フィル以外にも関西フィルとのショスタコーヴィチなども聴いてきましたが、バロックでも現代曲でもテンポと呼吸感を重視し、決して無理やりなもって行き方をしない。

 しかし、シェレンベルガーにとってもマーラーというのは狂気と異形の作曲家なのだと思い知らされました。テンポの変化と場面転換の劇的さ、マーラーの音楽が持つ躁鬱な音楽を、躁な部分は徹底的に躁状態で、陰鬱な部分は地獄の底まで沈み込むような鬱状態で描き切る。

 冒頭のフラジョレットは入念なリハの跡が感じられる、時空がゆがめられ、どこか異世界へ引きずり込まれたような感覚。第一楽章最後や第4楽章での、耳障りなほどのトランペット音を客席に打ち込み、第3楽章や第4楽章の中間部の夢のような美しい旋律も、いつの間にか蜃気楼に消え、暴力的ともいえる打楽器の打ち込み。シェレンベルガー氏がブラームスやショスタコーヴィチやオネゲルで魅せた絶妙のバランス感覚は影も形もない。

 シェレンベルガーにとってのマーラーは、やはり異形の作曲家。ブラームスがシンフォニーの最高到達点を極めた、最後の交響曲を書き上げてからわずか数年後にこんなとんでもないスケールの曲を書いた、カタストロフィーと隣り合わせの革新性。
 シェレンベルガーが、岡山フィルにおける重要なミッションとして考えておられる、「ドイツ音楽の神髄を楽団に植え付ける」その流れの中で必然的に定期演奏会のメニューに上ったマーラー・・・。

 ジェットコースターのような音楽の移り変わりに客席も振り回される、それだけにフィナーレのカタルシスは・・・これは岡山シンフォニーホールで聴いた色々なコンサートの中でも最上のものでした。岡山の聴衆は、一人の偉大な音楽家を首席指揮者に迎え、年月と回数を重ねて音楽の神髄を感じる旅路の重要なターニングポイントまで来た。そんな演奏会だったのかもしれません。

 それだけじゃない、それだけじゃないんです(なぜか2回繰り返すよ!)。フィナーレの次にシビレたのは第1楽章の最後の和音が成った後、一瞬弛緩する客席をよそに、ステージでは緊張感を持続したまますぐに第2楽章に入った。テンションがピークを保ったまま、この楽章はテンポを厳格に守り各パートの音の並びを強調する。これはバッハのフーガの技法みたいじゃないか!
 この楽章の動機が錯綜し畳みかけるように客席へ押し寄せる。シェレンベルガーは恐らく、この曲を2部形式と捕らえている。第3楽章~第4楽章はほとんどアタッカで演奏されえるから、ひとまとまりの音楽、という共通認識はある、しかし、第1楽章の盛り上がりの稜線をさらに引っ張るように第2楽章へ突入した、このなんともエキサイティングな展開のさせかたには本当に興奮させられました。

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(以下、追記です)

・配置は、前半が12型2管編成ステレオ(ストコフスキー)配置(ヴィオラがアウト)で、後半が14型4管編成。10型2管編成が標準サイズの岡山フィルの定期演奏会では滅多に見られない巨大編成でした。

・開演前にシェレンベルガー氏によるプレトークがあり、首席指揮者を新たに3年間引き受ける事になった事(その瞬間、大きな拍手がわきました)、今後もベートーヴェンやマーラーなど、ドイツ音楽を引き続き取り上げていく事などをお話しされた。

・そのプレトークでは岡山シンフォニーホールについても「世界的に見ても本当に素晴らしいホール」との最大の賛辞を贈った。実際、このホールは「マーラーホール」と言っていいんじゃないでしょうか?第1楽章冒頭のフラジョレットの超高周波からバスドラムの重低音、第3楽章での最弱音からフィナーレの大トウッティ。これだけのダイナミックレンジと解像度を誇るホールはなかなか無いのではないかと思う。大阪のザ・シンフォニーホールであれば、今回の演奏ほどオケが鳴ってしまうと、音が飽和状態になる。また、フェスティバルホールでは客席と舞台との距離が遠く、音の渦の中に身を置く、という感覚は得られない。京都コンサートホールは、音がタイトになり過ぎて、それはそれで楽しめるのだけれど、岡山シンフォニーホールでの潤いのあるサウンドを聴いてしまうと、物足りなさが残る。
 というわけで、このホールの潜在能力の高さを改めて思い知ったのでありました。

ベートーヴェン/交響曲第1番
・冒頭でも述べたとおり、ベートーヴェンの交響曲第1番の演奏が素晴らしかった。演奏の完成度という面では後半のマーラーをはるかに凌ぐ出来。

・パンフレットにはハイドンの影響のことが書かれてあったが、この曲を聴くとベートーヴェンの才気と革新性がまぶしい。

・シェレンベルガーが引き出すベートーヴェンの音は、第3番「英雄」でも9番「合唱付き」でも、きわめて正統派・王道を行くものだ。今回もそうだった。重厚にして俊敏だが、肩に力が入らず自然体で音が出ているのが分かる。この先何十年、岡フィルのベースとなる音になるのだろう。3月の5番・6番のコンサートが本当に楽しみです。

マーラー/交響曲第1番「巨人」
・今回もエキストラ奏者がたくさん入っていました。この曲を演奏するためには、岡山フィルの編成では到底かなわないし、今回は木管・金管に加えて弦舞台にも東京や大阪のオーケストラの腕利きたちを集めた。これには賛否両論あるだろうし、僕自身もブログで批判した事もある。しかし、今は首席指揮者にシェレンベルガー氏を頂き、ドイツ音楽の神髄を岡フィルに伝授する事を重要なミッションと位置付けている。マーラーや1月のR.シュトラウスをレパートリーの一つに加える事は、楽団の今後の事を考えても極めて重要な事であるというシェレンベルガー氏の想いは強く伝わってくる。岡フィル自身も楽団の個性のディレクションが明確になり、音も成熟化してきている。今回の演奏でもフィナーレで金管が咆哮し多彩な打楽器が打ち鳴らされる中でも、確かに岡山フィルの、シェレンベルガーの音が聞こえてきた。音楽の骨格は岡フィルの音だ、といって間違いは無いと思う。そのことが何よりも嬉しくて、フィナーレでは泣けました・・・

・先にも書いた通り、シェレンベルガー氏のこの曲の解釈は、とてもドラマティックなものだった。美しい部分はより美しく、グロテスクな部分はよりグロテスクに…、弱音部では神経質とも言えるほどの緊張感。しかし、これはマーラー解釈の極めて王道だと思う。

・シェレンベルガー氏の「ドイツ音楽の神髄を岡山フィルに伝えていきたい」という言葉の重みを、今更ながらに感じている。ベートーヴェンから芽生えた自我が、このマーラーの時代には極大化し、下々の人間には聴こえないとされる「ムジカ・ムンダーナ」を作ろうとした。まさに音楽のバベルの塔。ドイツ音楽の神髄に触れるということは、マーラーのような極限の美と醜悪の矛盾と、それを超えた人間賛歌を感じるということなのだと、思い知らされました。

・マーラーの音楽は宇宙的ともいえる巨大な音楽である一方で、人間の嫉妬や怒りと言った負の感情を内包する。だから、指揮者は全人格をもって自分をさらけ出してこの音楽に向かわなければならないのだろう。
 それを聴く僕たちは時に熱烈に感動し、時に失望もする。そして、シェレンベルガーはとても大きな人だった。そのことが改めて分かった。第4楽章のフィナーレは、人間の負の部分もすべて包み込んで、とても大きな大きな音楽が鳴り響いた。人間肯定的な賛歌だった。

・先にも述べたとおり、「これはシェレンベルガーじゃないと出せない音だ!」と思ったのが第2楽章。今でも頭の中で成り続けるこの熱気を、僕は忘れないだろう。

その他
・一方で、お客さんの入りは6割(1200人)程度かで少々さみしかった。3月の上岡&新日本フィルのマーラー1番(倉敷市民会館)も5割弱ぐらいだったし、マーラー1番でこれほど空席が出るとは正直ショックでした。岡山でのオーケストラ文化のすそ野って、まだまだこの程度なんだなあ・・・と思って少々悲しくなったのだ。

・終演後はたくさんのブラボーが飛んだ。中にはあの濁声の名物オヤジも混ざっておったが、まあ今回は許してやろう。僕はジーンとした感動に襲われてしまって、ブラボーを叫ぶ事は無かったんだけれど、その分拍手は沢山しました。

・終演後、ホルンパートで唯一、今回舞台に乗っていた岡フィル団員の奥村さんが、助っ人奏者たちに祝福されていた(読響の久永さんをはじめ、みんなええ人や~)。今回、本当にいい雰囲気のオーケストラだった。エキストラ奏者と岡フィル団員さんとの間に壁や垣根といったものが少なかったのでは?感じた。

・オーケストラが席を立っても拍手が鳴り止まず、いわゆる一般参賀状態(オーケストラが掃けた後も拍手が止まらずに、指揮者だけがステージに登場するという、ごく稀に起きる現象)になるか?と思ったが、シェレンベルガーが直ぐにステージに戻って、帰りかけてたコンマスの戸澤さんもコンマス席に戻ったものだから、なんだかごちゃごちゃになったが、会場は笑いに包まれていい雰囲気で終われた。
・細かいところではパンフレットがA5サイズの冊子形式になっていて、大フィルや京響など、常設の都市オーケストラのものと同じ体裁になっていた。中身も楽団の構成メンバーや賛助会員の名簿などが掲載され、これを見て岡山フィルの新時代を感じさせた。

・ロビーには第1回からのチラシが並べられた。そこには「ユースシート300円」との表示があり、以前ブログにうろ覚えで書いた。『岡フィルはたしか300円で聴けた』というのが間違いなかった事が証明された(笑)一つ一つ見ていくと本当に懐かしく思い出されると同時に、僕はまだまだ全体の2/3ぐらいしか聴いていない事が分かった。すべての回聴いた人は果たしているのか?なんていう想像を巡らせるのも楽しい。

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