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日本センチュリー響第217回定期演奏会(1日目) 指揮&Vn:シトコヴェツキー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第217回定期演奏会(1日目公演)
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アダムス/管弦楽のためのフォックストロット「議長は踊る」
コリリアーノ/「レッド・バイオリン」組曲
シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 


指揮・ヴァイオリン独奏/ドミトリー・シトコヴェツキー
コンサートマスター:後藤龍伸


2017年6月16日 ザ・シンフォニーホール


三曲とも空前の名演!


アダムスはセンチュリーの超高性能オーケストラの実力を遺憾なく発揮。

「レッドヴァイオリン」組曲は、シトコヴェツキーのヴァイオリン独奏に度肝を抜かれ(シトコヴェツキーは、デュメイ級のソリスト、と言えば大阪の方には伝わるだろうか)、センチュリーの伴奏が神がかってます。奏者たちのアンサンブルのセンスが、ほんと、皆さん、半端ない。

 シューマンの二番、僕は第三楽章で泣きました。なんと美しく透明な音色!第四楽章はもはや神がかっていた。
 いや、ほんまに大袈裟な話やなくて、行ける人は明日、絶対聞きに行った方がいいです。満足できなければ、僕は坊主になってもいい。

 それを取り急ぎお伝えします。

 今日は勝利(?)の美酒に酔います!

*******************

 今日の編成は12型の編成、前半は通常配置だったが、後半のシューマンは対向配置。前半はピアノやチェレスタ、様々なパーカッションが居並ぶ。チューブラベルが1本しか無いのは2曲目のコリリアーノで1音のみたった1回だけ(すこぶる効果的に)使われるから。
 アダムスはいわゆる「ミニマル・ミュージック」で、ライヒらの第1世代の次の第2世代にあたるらしい。この曲からは実験音楽の雰囲気はほとんど感じられず、表現のための音楽となっている。同じモチーフがテンポも音階も徐々にズレていき、さながら瞬間瞬間、模様を代えていく万華鏡を音楽にしたよう。和音に調性感も感じられてとても聴きやすい。

 ピアノなどの鍵盤楽器でも同じ音を同じテンポで弾き続けるのは、実はたいへんな技術が必要のはず。ましてや木管・金管が同じ質感でタンギングを続けるのは驚異的な集中力というほかないです。それに加えて寄せては返す波のようにダイナミクスの変化を付けていく。技術と集中力が要求されるのに、誰かが突出してもいけないし誰かが不十分でもいけない。中間部でゆったりとした東洋風のモチーフに代わる場面もスムーズで(「江青」をイメージしているそう)、その瞬間に空気感が変わる。この色彩感、アンサンブルのセンス!ハイレベルな奏者が揃っているセンチュリーだからこそ堪能できた演奏だろうと思う。


 2曲目は、「レッド・ヴァイオリン」組曲。 NMLで2回ほど「予習」したんですが、とりあえず中間部のバスドラム+ティンパニの2発の音にビックリしないように気をつけなあかん(笑)ということしか分からなかったです。
 ところが、実演で聴いてみると、1曲目とはまた違った形で空間的な広がりのある曲で、様々な弦の特殊奏法が(特にフラジョレットでの倍音が)空間的な広がりを生み出し、ザ・シンフォニーホールの音響の良さを存分に生かし、スピリチュアルでデモーニッシュな世界を描き出していた。とにかくセンチュリーの伴奏が上手いのですよ!シトコヴェツキーがカデンツァ風の、ずっとソロ演奏が続く部分を演奏している最中でも、時々オーケストラが入ってくる場面があるんですが、そこの場面のキュー出しはシトコヴェツキーには不可能。でも、どのパートもドンピシャで入ってくる。ロマン派の楽曲のような一定の流れや、暗黙のテンポ感などは皆無の曲なのに・・・、これは凄い事をやっている。チェロの北口さんのソロも、シトコヴェツキーを向こうに回して一歩も引かない上手さ。何よりも、全体のバランス・アンサンブル感覚が素晴らしい!センチュリーの一人ひとりの奏者のアンサンブル・センスの高さが無ければ、なかなかこうは演奏できないと思う。


 シトコヴェツキーのソロも超絶技巧の連続で、そのテクニックに対してため息が漏れるのだけれど、それ以上に、なんと悲しみを湛えた音なんだろう、その胸が締め付けられるような音に聴き入ってしまう。「レッド・ヴァイオリン」という映画は見たことが無いが、そのヴァイオリンが様々な人間の手に渡る過程で、壮絶な出来事が起こっていただろうということが、音楽を聴くだけで想像できる。
 コリリアーノの楽曲が持つ、深い深い悲しみと闇、のぞき込むと、その深さに足に震えが来るような不気味な運命的なモチーフが、深く心に刻まれた。

 プログラムに、有栖川有栖さんがコラムで書かれていたとおり、「これは映画もみてみないとなあ」と思いました。

 終演後の拍手は、徐々にボルテージが上がっていき、4回目のカーテンコールが一番盛り上がった。アンコールはバッハの無伴奏パルティータ第2番からサラバンド。レッド・ヴァイオリンの雰囲気を引き継いだような非常に厳しい世界を描いていました。


 そして、後半はシューマンの交響曲第2番。僕にとっては特別な曲なんです。30代の前半のある時期、何をやっても上手くいかない時期があった。仕事がオーバーフロー状態になり、人間関係にも悩み、健康状態は最悪、深い信頼関係があると信じていた友人に裏切られ、大切な人を失ったり、これほど悪いことが重なるものなのか?というほど悪いことが重なり、体も心も壊れてしまった。
 過労で入院中に本当に憑きものが付いたように聴いたのが、このシューマンの交響曲第2番だった。この曲の第3楽章を聴くと、病院の窓から見えた大きな川に沈む夕日を思い出す。その時聴いていたのは バーンスタイン&ウィーン・フィルのもの。快活なようでいて、第2楽章の狂気・狂騒。第3楽章は自我が崩壊していくような病的な演奏、第4楽章はバラバラになりつつあった自我をすんでのところで維持し、自分を鼓舞していくような演奏。そんな演奏に没入した覚えがある。


 生演奏では7,8年前に大植さんが大フィルを振ったとき、初めてこの曲の生演奏を聴いた。やや躁鬱的な起伏はさすがに師匠譲りと感じたものの、磨き抜かれた大フィルの弦の音を中心に組み立て、全体的には生命肯定的で前向きな演奏だったように思う。僕もその頃には体も精神も健康を取り戻していたので、大いに感銘を受けた。

 この曲の録音はおそらく20枚は持っていると思うが、今は、一番バランスが取れているサヴァリッシュ&ドレスデン国立管、もしくは情熱的で壮大にドラマティックに描いた、ルイージ&ウィーン響の演奏を愛聴盤にしている。


 そして今回のシトコヴェツキー&センチュリーの演奏。センチュリー自身、十八番の曲と自認している曲のようで「レパートリー感」がベースにある確信を持った演奏。シトコヴェツキーのタクトは、さすがにヴァイオリニストだけあって、弦の音に厚みが有り、つやがあり磨き抜かれた輝きをセンチュリーから引き出していた。木管も大活躍するこの曲、精緻でニュアンスにとんだ木管はさすがにセンチュリー。シトコヴェツキーのタクトは純管弦楽曲として真面目に積み上げていく感じで、思い入れや感情移入を排した解釈。しかし、だからこそこの曲の持つ病的な執拗さと不安定さと死の予感、そして第2,4楽章におけるシューマンの激情を浮き彫りにした。

 第1楽章の途中から音楽がどんどん凝縮し高揚していき、この昂奮は生演奏でもCDでも経験したことが無い種類のものだった。一瞬、拍手が沸いたのも頷けるほどの熱演。第3楽章では弦5部が泣きに泣いて・・・ドレスデン・シュターツカペレやバンベルク交響楽団のような中欧のオーケストラでしか聴けないものだと思っていた音が、センチュリーで聴くことで来た。


 プログラムノートの小味淵さんの「苦悩から歓喜へという普遍的なプラン」による作曲された。引っ越しによって鬱病などの病状が回復した快気祝い、との解説があったが、僕は、どうしてもそうは思えないのである。最初にトランペットで弱弱しく提示されたド・ソの2音のモチーフは、この曲の間中、ずっと見え隠れする。それはベートーヴェンの5番のようにすっきりと解決されるものではなくて、中間の音が無い不安定なドとソの音が、曲中所々で顔を出し、サブリミナル効果として頭の中に刷り込まれてる。まるで幻聴や幻覚を見ているように、決して解決されることが無い。

 第4楽章の最後は和音で解決されて終わるかに見えるが、不安を掻き立てるドとソの音は頭の中に残り続ける。

 マーラーも病的な音楽世界を描いた人だったが、一方でちゃんと現実へ戻って来れる(色んな意味で)力のある人だった。しかし、シューマンはそこまで起用じゃなかったんだと思う。日常の自明性が崩れていく恐怖は想像を絶するものがある。

 この日のセンチュリーのシューマンの2番は、執拗に繰り返されるモチーフが完璧に表現されていた。互いのパートを聴き合い、アンサンブルを研ぎ澄ませて、鬱蒼としたシューマンのオーケストレーションを白日の下に描き出し、ありのまま」のシューマンを聴くことが出来た充実感がある。生きること、そのものが「病み」を内包してそれでも進んでいく・・・。強いメッセージを感じた。それはあたかもセンチュリーが置かれている状況=これほどのハイレベルな演奏を展開しているのに、もしかするとあと数年で終焉を迎えるかも知れない運命、その運命を受け入れて突き進んでいくような力強さを感じた演奏でした。


 終演後は5割程度しか埋まっていない客席から、まるで満席のように拍手とブラボーが飛びます。ああ、ここに集った人々、みなが称えるような名演奏だったのだなあ、と実感しました。
 しかし、「おか割」券で足を運んだ翌日の演奏会では、なお一層充実した演奏を聴くことが出来たのですが、これはまた次の記事に書きたいと思います。


 今回、阪急中津駅から徒歩でザ・シンフォニーホールに向かいました。

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 中津駅を降りて驚いた!ここだけ「昭和」で時間が止まっていました。


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 ガード下を抜けて、北梅田ヤードのそばの道路を通ります。丁度、グランフロント大阪のビル群を背後から見る感じ



 以外にも新梅田シティまで徒歩6分、ザ・シンフォニーホールまで徒歩15分と言ったところ。帰りは梅田から帰ると思いますが、往路は意外とこのルートは使えると感じました。 

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ひま人

同じ会場にいらっしゃったんですね
客席に元「大フィル」の「長原幸太」さんもいてビックリでした
聞いた事ない楽しい曲で嬉しかったのですが、空席が多くて寂しい感じもしました
せっかく近くに素晴らしい会場(シンフォニー・フェスティバル・いずみetc)が多々あるので、近所の方もぜひ聞きに来てほしいもんです
by ひま人 (2017-06-17 15:48) 

ヒロノミンV

>ひま人さん
 コメントをありがとうございます。
 前半2曲も内容の濃い傑作で、後半は自分の好きなシューマん2番、盛りだくさんのプログラムで大満足でした。
 日記も拝見しました。僕もこれまではセンチュリーを大フィル・京響に比べると多くは聞いてこなかったのですが、今回のコンサートで考えを改めます。今後はこのセンチュリーのコンサートをもっと聴きたいと思いました。
 あれだけの演奏を、あの寂しい空席では・・・。楽団員のメンバーも名手ぞろいで、大編成・巨匠路線の大フィルと、中規模で洗練を極めた演奏をするセンチュリーで、住み分けが可能なように思います。勿体ないです。

普段は大フィル・関フィル党の方々も、一度聴けば瞠目するレベル
by ヒロノミンV (2017-06-18 20:19) 

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