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日本センチュリー響第215回定期(1日目) 指揮 :シュトルンツ Pf:ダルベルト [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第215回定期演奏会(1日目公演)

R.シュトラウス/ピアノと管弦楽のためのブルレスケニ短調
ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲ニ長調
  ~ 休 憩 ~
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調

指揮:イジー・シュトルンツ
ピアノ独奏:ミシェル・ダルベルト
コンサートマスター:松浦奈々 

2017年3月10日 ザ・シンフォニーホール
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 ミシェル・ダルベルトのピアニズムに酔いしれ、ドヴォルザークの8番をセンチュリーサウンドで聴く愉しみに存分に浸ったコンサートでした。

 昨日の読響とは全く方向性の違うプログラムとはいえ、昨日の会心のブルックナーの残像・残音が頭のなかに鮮明に残っていて、自分でも「切り替えれるかな……」と心配だったんですが、さすがに大阪が誇る高性能オーケストラ、1曲目のR.シュトラウスの引き締まった音楽が聞こえた瞬間に引き込まれました。

  前半、ソリストが2曲も演奏し、アンコールまで披露。後半のドヴォルザークがこれまたセンチュリー自慢の管楽器のソロが胸がすくように決まる!チェロのハーモニーにも惚れ惚れします。シュトルンツは特にダイナミクスに関して結構小技を使ってくるんですが、その小技にセンチュリー響がピタリと着けるので、数多く聴いてきたこの曲を、経験の無いようなパースペクティブな音楽に仕上がっていた。

 センチュリー響、やっぱ、上手いです。演奏を聴きながら、「いや~ホント、いいオーケストラだよなぁ…」と、心のなかで唸ってました。

(続きは後日に更新)

 弦楽器の編成は前後半共に10型。1stVn10→2ndVn8→Vc6→Va6、上手奥にCb4。コントラバスの首席には広響から移籍した村田さんのお顔が見えます。管楽器は前半が3管で後半は2管編成でした。

 それにしても、客席が寂しい・・・目視で5割ぐらいしか埋まっていないように見える。実数はもっと少ないだろうから、45%ぐらいしか入っていないのではないか?
 センチュリー響がシンフォニー定期を2日公演体制に拡充してから3回目の鑑賞ですが、いまだに客席が満席に埋まっているのを見たことがありません。
 唯一の救いは、このザ・シンフォニーホールはこれだけ 空席があっても、その素晴らしい音響は健在。普通は8割ぐらいが埋まった時の想定で残響を考えられているが、さすがの天下の名ホール、普段より多少よく響くかな?といったぐらいで、音の輪郭はクリアで内声もよく聴こえる。

 センチュリーの演奏も、空席の目立つ客席をよそに、どの曲も熱のこもった、満足のいくものでした。この日の目的の一つはR.シュトラウスの「ブルレスケ」を初めて生で聴くこと。生で聴くと、これほどピアノパートが難曲だったとは、という驚きがあった。ダルベルトのピアニズムは硬質なしっかりとした音で、かつ色彩も豊か。名付けるとすれば、「カラフルソリッド」な音、ということになるか。これは僕にとってはかなり好きな音です。テクニックも申し分なく、なかなか聴く機会の無いこの曲を、見事な演奏で料理した。ティンパニの演奏も見事。ティンパニはもっとバシバシ叩くイメージがあったが、けっこう繊細なコントロールが求められ、ピアノ・オケ・ティンパニの対話が愉しい。

 2曲目はラヴェルの左手のための協奏曲。再びダルベルトの登場。オーケストラ主催の定期演奏会で、ソリストが(実質的な)協奏曲を2曲も弾くというのは、僕も初めての経験。ラヴェルのこのニ長調の協奏曲は、「のだめ」で有名になったト長調の協奏曲に比べると、演奏機会が少ないと感じる。僕自信は演目に上がると狙って聴きに行っているので、3回目の鑑賞だが、(3部構成の単一楽章のこの曲の)第1部の左手1本で弾かれるピアノの孤高さ、第2部のジャズのリズム、第3楽章のピアノの万華鏡のような繊細な色彩感、どれをとっても素晴らしい名曲だと思う。 
 そしてダルベルトの明晰でソリッドなピアニズムは、本当にこの曲に良く似合っていた。ラベル独特のジャズのリズムに乗って、オーケストラがかなり鳴るなかでも、ハッキリと聴こえる右に左に跳躍するようなピアノの音に「この部分ではこんな音が鳴っていたのか」との新たな発見があった。

 センチュリーとの共演でいえば、エリック・ル・サージュがト長調を演奏をしたときは、チケットを取っていながら、聞き逃してしまったが、ダルベルトの「左手のための・・・」を聴けたことは、一生耳に残ると思う。

 アンコールはフォーレの即興曲第3番。この演奏を聴いて、この方のリサイタルがあったら、必ず駆けつけたいと思う。

 後半のドヴォルザーク。前半ではソツの無いタクトで「只者ではない」と思った、本日の指揮者はイジー・シュトルンツ。初めて知った名前だった。実は、何を勘違いしたのか?チケットを買ったときはマルクス・シュテンツが振ると思い込んでいたが、1か月前のセンチュリーからのメールマガジンで、「シュトルンツ??・・誰?」と初めて気づいた。

 ドヴォルザーク独特の民俗色は薄く、堅牢な構築美が印象的。第1楽章の中間部で、チューバ+トロンボーンがこの曲のモチーフを低音で吠える上で、弦楽器がスラブ舞曲調に上昇音階を奏でる場面では、漆喰を何層も塗り込めたような重厚な響きを聴かせたと思ったら、第3楽章では演歌調にならずに颯爽とまとめ上げる手腕は見事。冒頭でも述べた通り、ダイナミクスの変化に小技を聴かせるのも、グザヴィエ・ロト、ハーディングなど、新世代の指揮者であること感じさせるが、「これ以上やるとやりすぎ」と思わせるところを心得ている感じがニクイ。

 この曲は本当に管楽器のソロが多いんですね。木管・金管は、流石センチュリーやなあと思わせる演奏だったが、弦がよく唄っていたのが印象的。特にチェロとヴィオラって、こんなにいい音が出てたっけ?と思うほど素晴らしかった!
 この日の演奏も、極めて誠実なものだった。5割も入っていない客席に向かって、最善を尽くす彼らの姿に、僕は率直に胸を打たれた。
 センチュリーは今、興業的な正念場を迎えている。府立オーケストラ時代からの課題だった演奏会収入の収益構造の改善のため、常任指揮者の飯森さんのもと、定期演奏会を2日連続開催する方法を導入した。しかし6つのオーケストラがひしめく経営環境、センチュリー同様に自治体補助が打ち切られた大フィルもキャパ2500人のフェスティバルホールに本拠地を移した後、空席を埋めることが出来ずにいる。センチュリーの現状は大フィルよりも厳しい、今回のコンサートの空席を見ると、そう思わざるを得ない。もう1年やって結果が出なければ、定期演奏会2日連続開催を(毎日新聞「関西の主要オーケストラ 集客に試行錯誤」より)あきらめるようだ。

 センチュリー響は、今年から土曜日公演の開始時間を14時に早めた。15時にホールを明け渡せば19時開始の公演に使える。ホールの借り賃を節約するためだと思われるが、前日に21時まで本番をやって、翌日午前中からゲネプロをこなすというのは、楽団員にとっては負担が大きい。しかも、2日連続で聴きに来る聴衆も居るから2日とも最高のクオリティを維持し続けなければならない。これは大変な事だと思う。
 京響の2日連続公演は、同じ時間に始まる土日に組まれているし、大フィルも金曜日ソワレと土曜日マチネという組み合わせのコンサートは減って来ている。

 大阪のオーケストラ界に「七不思議」があるとすれば、一つ目は『小・中編成になると、これほどのハイレベルな演奏をするセンチュリー響に、なぜお客さんが入らない?』ということ。
 いや、ホント、大阪・関西のクラシック・ファンは勿体ないですよ。橋下徹によって補助金が打ち切られる騒動が起こったのは2008年のことだったと思う。その時僕は、京響の定期演奏会に向かう途中、京都コンサートホールの前でセンチュリーの楽団員さんの署名依頼に応じて少しお話をした。4月とは言え小雨が降る中で震えながら傘をさして立っていた姿は、普段の燕尾服を来てスポットライトを浴びている姿とは対照的だった。それでもその時「センチュリーは本当にいいオーケストラなんです。純粋にいい音楽を届けようと演奏してきた来ただけで、既得権に胡坐をかいているとは思っていなかった」、何人か集まったファンにそう語っていた。僕は「頑張ってください・・・」としか声を掛けられなかったが、そこから彼らは本当に頑張った、現在もかくも努力している。一時期は演奏水準の低下がささやかれたが、この逆境にも拘わらず、去年3回聴いたハイドン・シリーズでは「これは常設の小規模アンサンブルでは国内随一の水準やないか」と本当に驚いた。

 そう、もう一つのセンチュリー響に関する「不思議」は、今のセンチュリー響の厳しい経営環境にも関わらず、これほどの人材が集まってくるのはなぜか?
 楽団の経営を支えているのは、大阪府が実質的な「手切れ金」として渡された基本財産。20億近くあったものが、10億を切り、単純計算でいえばあと2年で底を尽きる。センチュリーは豊中のホールの指定管理者になり、オーケストラだけではなくホール(劇場)に付く文化庁の補助金などで多少は事業費の回転がよくなるだろうが、楽団経営単体でみると、よほどの大きなスポンサーが現れない限り、財政的にあと5年は持たないだろう。かくもお先真っ暗のオーケストラに、北口さん、丸山さん、水無瀬さん、小曲さん、村田さんはじめ、優秀な奏者が続々と入団している。

 ステージ上での雰囲気も良さそうだ。今回のコンサートでのダルベルトさんの演奏に対する楽団員の賛辞や、指揮者のシュトルンツへの賛辞を送る姿をみても、良好な雰囲気が伝わってくる。2008年に小泉和裕さんがマイクを持ってお通夜のように聴衆に語り掛けた時のような悲壮感は感じない。

 もしかしたら、楽団員は「いざというときは…」という覚悟を固めているのかもしれない、そして一つ一つの演奏会でセンチュリーらしい音楽を奏でよう、という一点で一致団結している。

 現実として、彼らはこれほどの実力の持ち主であるから、楽団が解散してもいくらでもつぶしが効くだろう。ボールは今、大阪の人々に投げられている。大阪が生み出した栄光のセンチュリー・サウンド。それを存続させるかどうか?彼らは、最善を尽くした、大阪の人々はそれに応えられるか?
 これほどの高性能オーケストラを失って最も損失を被るのは、未来の大阪の人々かも知れないのだ。 


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コメント 4

ぐすたふ

うーん、耳の痛いご意見ですが・・・・私は、ちょっと違う印象を持っています。

シンフォニー二日公演は、確かに1日あたりで見ると寂しいものですが、二日の合計では1日のキャパを上回っているように思えます。あと1年頑張れば、もしかしたら、という思いもあります。

加えて、ひろのみんさんのご指摘のように、奏者が集まってきていて、出て行くのが止まった、という点です。これは何かある、と考えるのが普通ですよね。

案外、あっと驚くことが1年後に用意されていると思いますよ。
by ぐすたふ (2017-03-20 00:40) 

ヒロノミンV

>ぐすたふさん
 少し感情に乗って書き過ぎた件はご容赦ください。

>二日の合計では1日のキャパを上回っているように思えます。
 確かに集客は増えましたし、ハイドンシリーズでの客席の様子を拝見すると、新たな聴衆層が形成されつつあるのを感じます。
 今のセンチュリーは演奏者に対する報酬はそれほど削っていないのではないかと思います。加えて公式ホームページに楽団員個人のコンサートも広報するなど、「ヴィルトウオーゾ集団による小編成オーケストラ」という方向性は明確になっています。
 飯森さんの方針だと思いますが、今、大阪で最も奏者の顔が見える、奏者の実力が発揮しやすい環境を作っているのが、人材が集まる要因だと思います。
 しかし、オーケストラの経営にウルトラCは無く、支出に見合った収入を確保する以外に道はありません。
 しかし、豊中文芸センターでの収入分(劇場・音楽堂への支援)も合わせても、恐らく年間ベースで2億円程度は不足する状態が続くと思います。
 現在の経済状況で、これだけのお金を確保できるのか?という疑問が残ってしまいます。

 太田府知事の時代から問題になっていたセンチュリー響の存続問題が、「既得権益」の代表として祀り上げられてから9年が経ちましたが、あの騒動はなんだったのか?あれから本当に大阪は良くなっているのか?そして「政治が文化を支配下に置くためのアーツカウンシル」は都市文化の継承性の確保や都市ブランドの向上のために機能しているのか?検証する時に来ていると思います。
by ヒロノミンV (2017-03-20 21:02) 

ヒロノミンV

 以下は蛇足としてお読みください(笑)
 大フィルも含めた大阪のオーケストラの存続問題は、大阪の中だけで議論している限り、解決の道はないと思っています。
 解決の道はただ一つ、『東京』が独占している富を分散させること以外にない。西日本の中心都市だった大阪にはそこを頑張って欲しい。

 NHKは全国の視聴者から受信料を徴収しながら、N響は全公演の9割を東京・関東で行っています。新国立劇場も国の税金を投入して、東京で完結してしまっている。文化庁の補助金についても、最終的には東京に本拠地のある業界団体と官僚、東京に住む著名人のさじ加減一つで決まってしまいます。
 大阪の人々は「民力」で解決しようとしますが、国の構造が東京中心の官僚国家になり、その官僚機構が「民力」すらも東京に集めるベクトルに向けている以上、大阪の民力で解決するというのは絵空事になってしまいます。

 文化国家として立国していくために、西日本に拠点を作る。例えばロンドンのBBC響に対するマンチェスターのBBCフィルハーモニックのように、NHKの予算で東京のN響と大阪のNHKセンチュリー響の活動を支援する、的な。
 文化庁の移転を、一部でも実現させつつある京都を見習って、官僚機構の枠組みを政治力で変えて行くぐらいの泥臭い政治力が必要です。大阪維新は口だけ番長で、こうした国家機構を相手にした喧嘩は、おしなべて腰砕けです。

 大阪の人々は人が好過ぎるのです。大阪の凋落は大阪自身の問題から生じたと思っている。違うんです。東京の官僚機構が戦略的に大阪の力を削いできたのです。江戸時代のように政治は江戸、経済は大坂、という多様な国家像を彼らは望まなかった結果です。
 話がかなり大それた方向に行きました。
by ヒロノミンV (2017-03-20 21:21) 

ぐすたふ

いえいえ、ご指摘の点は、私も大きく同意します。

ただ、東京から見た「文化」の再配分先が、「京都」であるところがなかなか・・・・京都のしたたかさには、舌を巻きますね。

それが仕方のないところなのであれば、豊臣家が滅亡したように、大フィルは大阪とともに消滅せざるを得ず、センチュリー、関西フィル、大阪響が、北、東、南と小国を分割した形で生き残るのかもしれません。
by ぐすたふ (2017-03-20 22:51) 

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