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岡山フィル第50回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第50回定期演奏会

ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調
 ~休憩~
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫

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 マーラーに触れる前に、まずは前半のベートーヴェンの1番が白眉の出来で、特に弦のサウンドの厚みに圧倒されます。もはやこれは昔の岡山フィルの姿はみじんもない。3月のブラームスのドイツ・レクイエムから3ヶ月しかたっていないのに、益々響きが重厚になり音の輝きが増している!シェレンベルガーとの次の3年間、本当に楽しみになりました。

 さて、マーラーの1番。今回のコンサートで新たなシェレンベルガー氏の音楽性を目の当たりにしました。すっきりと見通しの良い、バランスの良いマーラー、そんな音楽を予想していましたが・・・

 まったく違った!!

 シェレンベルガー氏の指揮は、岡山フィル以外にも関西フィルとのショスタコーヴィチなども聴いてきましたが、バロックでも現代曲でもテンポと呼吸感を重視し、決して無理やりなもって行き方をしない。

 しかし、シェレンベルガーにとってもマーラーというのは狂気と異形の作曲家なのだと思い知らされました。テンポの変化と場面転換の劇的さ、マーラーの音楽が持つ躁鬱な音楽を、躁な部分は徹底的に躁状態で、陰鬱な部分は地獄の底まで沈み込むような鬱状態で描き切る。

 冒頭のフラジョレットは入念なリハの跡が感じられる、時空がゆがめられ、どこか異世界へ引きずり込まれたような感覚。第一楽章最後や第4楽章での、耳障りなほどのトランペット音を客席に打ち込み、第3楽章や第4楽章の中間部の夢のような美しい旋律も、いつの間にか蜃気楼に消え、暴力的ともいえる打楽器の打ち込み。シェレンベルガー氏がブラームスやショスタコーヴィチやオネゲルで魅せた絶妙のバランス感覚は影も形もない。

 シェレンベルガーにとってのマーラーは、やはり異形の作曲家。ブラームスがシンフォニーの最高到達点を極めた、最後の交響曲を書き上げてからわずか数年後にこんなとんでもないスケールの曲を書いた、カタストロフィーと隣り合わせの革新性。
 シェレンベルガーが、岡山フィルにおける重要なミッションとして考えておられる、「ドイツ音楽の神髄を楽団に植え付ける」その流れの中で必然的に定期演奏会のメニューに上ったマーラー・・・。

 ジェットコースターのような音楽の移り変わりに客席も振り回される、それだけにフィナーレのカタルシスは・・・これは岡山シンフォニーホールで聴いた色々なコンサートの中でも最上のものでした。岡山の聴衆は、一人の偉大な音楽家を首席指揮者に迎え、年月と回数を重ねて音楽の神髄を感じる旅路の重要なターニングポイントまで来た。そんな演奏会だったのかもしれません。

 それだけじゃない、それだけじゃないんです(なぜか2回繰り返すよ!)。フィナーレの次にシビレたのは第1楽章の最後の和音が成った後、一瞬弛緩する客席をよそに、ステージでは緊張感を持続したまますぐに第2楽章に入った。テンションがピークを保ったまま、この楽章はテンポを厳格に守り各パートの音の並びを強調する。これはバッハのフーガの技法みたいじゃないか!
 この楽章の動機が錯綜し畳みかけるように客席へ押し寄せる。シェレンベルガーは恐らく、この曲を2部形式と捕らえている。第3楽章~第4楽章はほとんどアタッカで演奏されえるから、ひとまとまりの音楽、という共通認識はある、しかし、第1楽章の盛り上がりの稜線をさらに引っ張るように第2楽章へ突入した、このなんともエキサイティングな展開のさせかたには本当に興奮させられました。

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(以下、追記です)

・配置は、前半が12型2管編成ステレオ(ストコフスキー)配置(ヴィオラがアウト)で、後半が14型4管編成。10型2管編成が標準サイズの岡山フィルの定期演奏会では滅多に見られない巨大編成でした。

・開演前にシェレンベルガー氏によるプレトークがあり、首席指揮者を新たに3年間引き受ける事になった事(その瞬間、大きな拍手がわきました)、今後もベートーヴェンやマーラーなど、ドイツ音楽を引き続き取り上げていく事などをお話しされた。

・そのプレトークでは岡山シンフォニーホールについても「世界的に見ても本当に素晴らしいホール」との最大の賛辞を贈った。実際、このホールは「マーラーホール」と言っていいんじゃないでしょうか?第1楽章冒頭のフラジョレットの超高周波からバスドラムの重低音、第3楽章での最弱音からフィナーレの大トウッティ。これだけのダイナミックレンジと解像度を誇るホールはなかなか無いのではないかと思う。大阪のザ・シンフォニーホールであれば、今回の演奏ほどオケが鳴ってしまうと、音が飽和状態になる。また、フェスティバルホールでは客席と舞台との距離が遠く、音の渦の中に身を置く、という感覚は得られない。京都コンサートホールは、音がタイトになり過ぎて、それはそれで楽しめるのだけれど、岡山シンフォニーホールでの潤いのあるサウンドを聴いてしまうと、物足りなさが残る。
 というわけで、このホールの潜在能力の高さを改めて思い知ったのでありました。

ベートーヴェン/交響曲第1番
・冒頭でも述べたとおり、ベートーヴェンの交響曲第1番の演奏が素晴らしかった。演奏の完成度という面では後半のマーラーをはるかに凌ぐ出来。

・パンフレットにはハイドンの影響のことが書かれてあったが、この曲を聴くとベートーヴェンの才気と革新性がまぶしい。

・シェレンベルガーが引き出すベートーヴェンの音は、第3番「英雄」でも9番「合唱付き」でも、きわめて正統派・王道を行くものだ。今回もそうだった。重厚にして俊敏だが、肩に力が入らず自然体で音が出ているのが分かる。この先何十年、岡フィルのベースとなる音になるのだろう。3月の5番・6番のコンサートが本当に楽しみです。

マーラー/交響曲第1番「巨人」
・今回もエキストラ奏者がたくさん入っていました。この曲を演奏するためには、岡山フィルの編成では到底かなわないし、今回は木管・金管に加えて弦舞台にも東京や大阪のオーケストラの腕利きたちを集めた。これには賛否両論あるだろうし、僕自身もブログで批判した事もある。しかし、今は首席指揮者にシェレンベルガー氏を頂き、ドイツ音楽の神髄を岡フィルに伝授する事を重要なミッションと位置付けている。マーラーや1月のR.シュトラウスをレパートリーの一つに加える事は、楽団の今後の事を考えても極めて重要な事であるというシェレンベルガー氏の想いは強く伝わってくる。岡フィル自身も楽団の個性のディレクションが明確になり、音も成熟化してきている。今回の演奏でもフィナーレで金管が咆哮し多彩な打楽器が打ち鳴らされる中でも、確かに岡山フィルの、シェレンベルガーの音が聞こえてきた。音楽の骨格は岡フィルの音だ、といって間違いは無いと思う。そのことが何よりも嬉しくて、フィナーレでは泣けました・・・

・先にも書いた通り、シェレンベルガー氏のこの曲の解釈は、とてもドラマティックなものだった。美しい部分はより美しく、グロテスクな部分はよりグロテスクに…、弱音部では神経質とも言えるほどの緊張感。しかし、これはマーラー解釈の極めて王道だと思う。

・シェレンベルガー氏の「ドイツ音楽の神髄を岡山フィルに伝えていきたい」という言葉の重みを、今更ながらに感じている。ベートーヴェンから芽生えた自我が、このマーラーの時代には極大化し、下々の人間には聴こえないとされる「ムジカ・ムンダーナ」を作ろうとした。まさに音楽のバベルの塔。ドイツ音楽の神髄に触れるということは、マーラーのような極限の美と醜悪の矛盾と、それを超えた人間賛歌を感じるということなのだと、思い知らされました。

・マーラーの音楽は宇宙的ともいえる巨大な音楽である一方で、人間の嫉妬や怒りと言った負の感情を内包する。だから、指揮者は全人格をもって自分をさらけ出してこの音楽に向かわなければならないのだろう。
 それを聴く僕たちは時に熱烈に感動し、時に失望もする。そして、シェレンベルガーはとても大きな人だった。そのことが改めて分かった。第4楽章のフィナーレは、人間の負の部分もすべて包み込んで、とても大きな大きな音楽が鳴り響いた。人間肯定的な賛歌だった。

・先にも述べたとおり、「これはシェレンベルガーじゃないと出せない音だ!」と思ったのが第2楽章。今でも頭の中で成り続けるこの熱気を、僕は忘れないだろう。

その他
・一方で、お客さんの入りは6割(1200人)程度かで少々さみしかった。3月の上岡&新日本フィルのマーラー1番(倉敷市民会館)も5割弱ぐらいだったし、マーラー1番でこれほど空席が出るとは正直ショックでした。岡山でのオーケストラ文化のすそ野って、まだまだこの程度なんだなあ・・・と思って少々悲しくなったのだ。

・終演後はたくさんのブラボーが飛んだ。中にはあの濁声の名物オヤジも混ざっておったが、まあ今回は許してやろう。僕はジーンとした感動に襲われてしまって、ブラボーを叫ぶ事は無かったんだけれど、その分拍手は沢山しました。

・終演後、ホルンパートで唯一、今回舞台に乗っていた岡フィル団員の奥村さんが、助っ人奏者たちに祝福されていた(読響の久永さんをはじめ、みんなええ人や~)。今回、本当にいい雰囲気のオーケストラだった。エキストラ奏者と岡フィル団員さんとの間に壁や垣根といったものが少なかったのでは?感じた。

・オーケストラが席を立っても拍手が鳴り止まず、いわゆる一般参賀状態(オーケストラが掃けた後も拍手が止まらずに、指揮者だけがステージに登場するという、ごく稀に起きる現象)になるか?と思ったが、シェレンベルガーが直ぐにステージに戻って、帰りかけてたコンマスの戸澤さんもコンマス席に戻ったものだから、なんだかごちゃごちゃになったが、会場は笑いに包まれていい雰囲気で終われた。
・細かいところではパンフレットがA5サイズの冊子形式になっていて、大フィルや京響など、常設の都市オーケストラのものと同じ体裁になっていた。中身も楽団の構成メンバーや賛助会員の名簿などが掲載され、これを見て岡山フィルの新時代を感じさせた。

・ロビーには第1回からのチラシが並べられた。そこには「ユースシート300円」との表示があり、以前ブログにうろ覚えで書いた。『岡フィルはたしか300円で聴けた』というのが間違いなかった事が証明された(笑)一つ一つ見ていくと本当に懐かしく思い出されると同時に、僕はまだまだ全体の2/3ぐらいしか聴いていない事が分かった。すべての回聴いた人は果たしているのか?なんていう想像を巡らせるのも楽しい。

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