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京都市交響楽団第587回定期演奏会 カム指揮 Pf:アルガマニヤン [コンサート感想]

京都市交響楽団第587回定期演奏会

シベリウス/交響幻想曲「ポヒョラの娘」
グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調
~休憩~
ニールセン/交響曲第4番「不滅」

指揮:オッコ・カム
ピアノ独奏:ナレ・アルガマニヤン

2015年2月22日 京都コンサートホール大ホール

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 ニールセンの不滅、オッコ・カム&京響の演奏にボロボロ泣きました(周りの人は引いてました…「ええっ!ニールセンで泣くの!?」てなもんでしょうが、僕は冷静では居られなかった)。

 この日も京響は凄かった。この感動は言葉では語り尽くせません。
 第四楽章の壮大なスケール、スローテンポでも密度を維持し続ける驚異的なスタミナ。大伽藍がたち現れるような圧倒的なフィナーレは、まるでマーラーの復活か?ブルックナーの五番か?いやいや、今聴いているのはニールセンなんだ。
 死ぬまでに一度でも、生演奏を聞きたい曲が何曲かありますが、そのなかでもニールセンの 交響曲第4番は筆頭格でした。これまで聴いた録音は二十数種類。生演奏だからとはいえ、響きの芳醇さ、オルガンが鳴っているのか?と思わずオルガン席を見てしまうような見事な和声の美しさ。
 不滅を宣言するかのような高らかな金管のユニゾン、それを支え白銀色の輝きを放射して鳴る弦のトレモロ。その瞬間に、目の前で の出来事を理性では受け止め切れずに涙をながしました。
 京響のこの日の演奏は、この曲の演奏史上の金字塔を打ち立てるものであると確信します。

(2月23日追記)

 京響の生演奏は去年の9月以来、定期は去年の6月以来でした。去年のエルガーでのエニグマ変奏曲でも「この完成度は凄い!」と舌を巻きましたが、1年足らずで更にここまで進化・深化するとは・・・楽器が鳴ってくれない、音響がいま一つと言われた京都コンサートホールすらも味方につけ、懐の深いクリア、かつ力強いサウンドに圧倒されました。
 1曲目はシベリウスのポホヨラの娘。
 シベリウスの冷たくも澄み渡った空気、曲の前半は濃霧の中の湖に船を浮かべているよう。弦楽器の極限までボリュームを絞ったピアニッシモなのに、音の粒がしっかり立っている。木管の音の幻想的な事、Clの小谷口さんやObの高山さんという超名手を温存してのこのレベルの高い木管陣の演奏。恐れ入りました。そしてそして、個人的に聴いていて最も気持ちが良かったのは、霧の中から立ち現れる朝日のようになる神々しい金管。クレッシェンドするところでの遠近感が凄い、遠くから近くに音が迫ってくるようで(音色を変化させているんですけど、並のオケではこんなにパリッと出来まへんって)、壮大に響きました。1曲目にして京響の実力の高さを改めて実感!
 2曲目はグリーグのピアノ協奏曲。このナレ・アルガマニヤンという女流ピアニストの方、聴きに行かれた方の間では美人で評判になっていますが(笑)12頭身ではないかと思う頭の小ささ、その一方で細くて女性的ながらもラフマニノフもビックリの長い指。しなやかにしなる腕。これだけ身体的特徴が我々モンゴロイドとは違うと、出てくる音色も違って当然。パワフルさとしなやかさと弱音部の美しさが、どれも高レベルで鼎立している。まさにグリーグの協奏曲はおあつらえ向きな選曲でした。ただ、打鍵が強い所では音の純度が低下する感じがありました。
 伴奏の京響も1曲目の霧の中のシベリウスから、方向を変化してクリアでロマンチックな響き。木管のソロも本当に見事。弦楽器も澄んだ響きでしたねぇ。この伴奏だけでごはん何杯でも行けそうなうまみが凝縮しています。
 このグリーグの第2楽章の演奏中に1階席の方が突然、倒れて意識不明の状態になられました。誰が見ても緊急を要する事態。座席の周囲の方々の迅速なチームワークで、倒れられた方を運び出されていました。私だったら動転してオロオロするばかり。それどころか、バルコニー席に座っていた私は様子がよく見えてしまったこともあって、動悸が止まらなくなり、第3楽章はやや上の空の状態で聴いていました。

 アンコールは2曲あったようなんですが、後半に備えてトイレに駆け込んで、すこし胃の中のモノを出してすっきりさせて戻ってみると。アンコールの演奏、凄くいい演奏だったんでしょうねぇ。アルガマニアンさん、万雷の拍手を浴びておられました。
 実はこの日、体調は最悪だったんですよ。朝から頭痛があったんですが、せっかくの京都、朝一で六波羅密寺に行って、はじめて空也上人の立像を拝んだ後・・・
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 一旦ホテルに戻ろうと電車に乗っているときに持病のめまいや動悸の発作が出て・・・。友人との約束もキャンセルし、ホテルのチェックアウトも午後1時半まで延長して貰って、薬を飲んで寝込んでしまいました。その間も脂汗でシャツを2回着替える状態。
 普通はこの体調だと帰路に着くんですけど、ニールセンの4番はどうしても聴きたかった。十七歳で出会って以来(僕と同世代の方ならわかるであろう、あの『スペース・オペラ』と言われたアニメの大作で取り上げられていたのがきっかけ、と書くとニンマリすることでしょう(笑))、「死ぬまでに一度、生で聴きたい曲」の筆頭だったこの曲、家で何十種類の録音を聴きながら、でも「生演奏で聴くことが叶うだろうか・・・」と思いながら23年待って、ようやく生演奏に手が届くところまでたどり着いた。
  その体調不良を推して行った京響の演奏・・・こんな超弩級の演奏が聴けるなんて。本当に自分の人生には時々素晴らしい時間が訪れてくれる、本当に京響に感謝です。
(2月27日追記)またまた5日経っての更新ですが、今回は完成です。
 配置は前半は14型の2管編成でしたが、メインのニールセンは16型に増強。この曲の魅力は、なんといっても全曲を通じて支配する劇的ともいえる緊張感です。その緊張感を切らさないために、全曲を1楽章形式で通して演奏されますが、構成は4部に分かれている。
 1部と4部は劇的で壮大で宇宙的、特に下降音階の長調の第2主題が(このターラーラ・ラーラーラの部分だけを追いかけて行けば、この曲はそれほど難しい曲ではなく、すぐに馴染めると思います)、最後の最後に救済のメロディー、まさに「滅ぼし得ざるもの」の音楽を謳い上げるときに、最大のハイライトを迎えます。その響きは光の世界の中に身を置くような感動をもたらせてくれ、この40分弱の曲を生命肯定的なオラトリオのように感じさせてくれる。
 各パートのソロ演奏も難所揃いで、どれも素晴らしすぎるソロだった。第1部の冒頭のあとのチェロの山本裕康さんのソロも胸を打つものであったし、第3部での弦楽器の室内楽の演奏も何とも言えない緊張感に漲っていました。
 例の曲を貫通する救済のメロディーを導入するオーボエの木管、あるいは第2部はもはや京響の誇る木管パートの見本市のよう。この曲を通底する緊張感を維持しつつも、心が解きほぐされるような柔らかな牧歌(デンマークは欧州屈指の酪農国)が見ごと。
 京響の金管も非常に強力でした、特に長調の第2主題の下降音階(「滅ぼし得ざるもの」のテーマ)を金管が演奏する場面では、鳥肌が立ちっぱなしでした。その金管を支える弦がトレモロのプラチナのような輝きを放つ音も見事。
 ティンパニも言わずもがな、今まで聴いたどの録音にも遜色のないダブルティンパニのパフォーマンスで、カーテンコールの際にオッコ・カムは、ひな壇中央と上手の最上段に居る奏者を手招きして呼び寄せて、ステージ上で披露、この時の拍手のボルテージは僕が京都コンサートホールで聴いたもっとも盛り上がったカーテンコールでした。
 第4部はかなりのスローテンポと言ってもいいでしょう。しかし、錯綜する各楽器の音がこれほどクリアに聴こえたことはない、ダブルティンパニは僕は機関砲の連射の音だと思っていましたが、オッコ・カムの演奏のテンポだと空爆の音に聴こえますね。ニールセンがこの曲の作曲を開始したのが1914年で第一次世界大戦は本格的な空爆戦となった戦争ですから、中立国とはいえ、あの手この手で強大なドイツ帝国の脅威にさらされていたデンマークで恐怖の中で生活したニールセンの実感のこもった戦争の狂気の音なのでしょう。
 この第4部では京響のオーケストラとしての表現力を骨の髄まで堪能思案した。マーラーやR.シュトラウスだったら色々な楽器を使って色彩豊かに表現できるんですが、ニールセンの4番は、打楽器なんてティンパニしかないんですよ。僕もCDで聴いているときはモノクロームのような世界観を持つ曲、そんな印象だったんですが、京響の演奏でこんなにも色彩感があるとは思いませんでした。
 オッコ・カムは緊張感を維持しつつも、大げさに表現することは無く、全体として非常に呼吸の深い演奏に仕上げていました。冷涼なサウンドと熱く爆発する場面でのハイカロリーなタクトにはやっぱり北欧の人だなあと思います。
  今まで二十数種類聴いてきたこの曲の録音の中で、自分が好きなのは
〇ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 デンマーク放送交響楽団
〇サイモン・ラトル指揮 デンマーク国立交響楽団
 最後の救済のメロディーがフーガ帳に高らかに歌い上げられる場面のゆったりとした呼吸の深い足取り、ここで心がブルブル震えてなんとも言えない感情が体を突き抜けました。この曲の最後にこんな生命肯定的な、天からの啓示のような輝かしい瞬間があったなんて・・・
 先にあげた2つの演奏は、ここの部分を力強く謳い上げることはあっても、人間の手の及ばない偉大な力が、すべてを洗い流して魂を救済してくれる、というそこまでのものは感じません。
 カム&京響の演奏はどの演奏よりも素晴らしかったばかりか、この曲の本質をもっとも体現した演奏ではなかっただろうか。それだけじゃなく、フィンランド人のオッコ・カムと日本の・京都のオーケストラだから表現できた演奏ということが言えると思う。 
 オッコ・カムは「カレワラ」の国の人であるし、我々も自然を愛する日本人、今日とは世界中にその存在感を示す仏教の都でもある。
 オッコ・カム&京響の演奏は、大きな船に乗って、輝きの向こうへ漕ぎ出しているような。大いなる力に守られているような、そんな大乗仏教的な世界観のように思いました。この曲にそんなスケールの大きな真理を感じるとは・・・。
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 今回の演奏でも確信しました。京響はもう世界屈指のレベルのオーケストラである、と。日本には世界中のオーケストラが来日してくれますが、近年の来日オーケストラのプログラムのマンネリ化は本当に酷くて、ニールセンの4番なんて絶対にやってくれません。
 京響の来季のプログラムは、やや保守化しましたが、それでも「この曲を世界トップレベルの演奏で聴いたなら・・・」と思う曲はたくさんあります。
やはり音楽は生演奏で聴かなければいけないんですよ。今年も何度も北山に足を運ぶことになりそうです。
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ぐすたふ

是非是非、また京都にお越しくださいませ。

二日公演、二日とも聴くに値するプログラムが、二つはあると存じまする(笑)。

また、ご一緒させてください。
by ぐすたふ (2015-02-28 22:07) 

ヒロノミンV

>ぐすたふさん
 こちらにもコメントありがとうございます!

 いろいろ気になるプログラムはあるのですが、6月・7月は都合をつけて聴きに行きたいと思っています。
 こちらこそ、ぜひご一緒させてください!
by ヒロノミンV (2015-03-01 00:00) 

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