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岡山フィル第54回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 Vn独奏:青木尚佳 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第54回定期演奏会


ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調

 ~ 休 憩 ~

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー

Vn独奏:青木尚佳

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 オーケストラも指揮者も『完全燃焼』したコンサートではなかったでしょうか。「もう1曲やれ」と言われても、もう絶対に無理・・・それほど燃焼度の高いコンサート。世界最高の世界を知る男が、手足となる相棒(新首席コンサートマスター)を得て、プロの奏者が本気で燃えた演奏会、岡山でしか聞けない、だからこそ僕にとって意味のあるコンサートでした。今日の会場を共にした聴衆も同じ思いではないだろうか。


  今回の一番の注目は、楽団史上初の「首席コンサートマスター」の就任。新コンサートマスターにドイツの南ヴェストファーレン州立フィルハーモニーのコンマスを38年間勤めた、岡山出身の高畑壮平さんが就任した。
 この人事には正直驚いた。2年前のJホールでの「高畑壮平と岡フィルのなかまたち」コンサートの時に、シェレンベルガーと岡山フィルに対する好意的な印象を語ってくださったときに、心の中で『この方が首席客演でもいいからコンサートマスターに来てくださったら』と思っていたが、まさかの常任ポストへの就任。驚天動地です。
 南ヴェストファーレン・フィルは、来日回数が少ないため、岡山の人には知名度は低いかもしれないですが、ルール工業地帯を抱えるノルトライン・ヴェストファーレン州の州立のオーケストラで、12型3管編成(約70人)規模の堂々たる常設オーケストラ。常任指揮者は日本でも人気のあるチャールズ・オリビエ=モンローといえば東京・関西のファンはピンとくるだろう。
 そのオーケストラのコンサートマスターが、故郷とはいえ非常設で発展途上の岡山フィルに来てくださるなんて、思ってもみなかった。

 シェレンベルガーの首席指揮者就任とともに、この高畑さんの首席コンマス就任。。。岡山で信じられないことが起きている。

 開演に先立って、その高畑新コンマスら5名の団員によるプレコンサートがあった。イタリアのバロック時代の作曲家:サンマルティーニの「弦楽合奏のためのシンフォニア」という曲。僕は初めて聞いたが、華やかで躍動感があって、すごくセンスのいい選曲です。


 開演15分前からは、高次事務局長の紹介で、シェレンベルガーさんと高畑さんのお二人によるプレ・トーク。
 シェレンベルガーさんのお話を高畑さんがドイツ語に翻訳、これでシェレンベルガーさんもオーケストラとの
コミュニケーションは格段に取りやすくなったと思う。お二人の信頼関係はすでに充分に醸成されていることがよく伝わってきた。


 1曲目のベートーヴェン/交響曲第2番。演奏が始まって、高畑コンマスの効果はすぐにわかった。これまでの定期演奏会からも、アンサンブル能力がみるみる向上している岡山フィルだが、ここへきて2段ほど上のレベルのオーケストラになったように感じた。
 そして、シェレンベルガーがいつもにも増して、オーケストラの要求レベルを上げているのがよく分かった。激しすぎるチェロバスの刻みや、第1・4楽章の随所でのベートーヴェンの感情が乗り移ったようなスフォルツァンドでは、シェレンベルガーのタクトに俊敏に、そして激しく反応し、その迫力に客席で思わずのけ反りそうになる、そして各楽器間の対話が極めて緊密で、アンサンブルの骨格ががっしりとしていること。


 家人とも話をしたのが、旋律の最後の部分やアクセントがかかる部分が「ドイツ語」的で、例えば母音のアクセントの強さや、英語のような曖昧な発語がないく一文字一文字が独立して発音される感じ、とか、子音のウムラート発音などの要素が、演奏される音楽のそこかしこに感じられ、それが演奏全体に骨太でかっちりとした印象を与えている。第4楽章の冒頭の演奏なんて、完全にドイツのオーケストラの節回しだった。

 シェレンベルガーと相性も良かった戸澤さんが客演コンマスの時の切れ味の鋭い演奏も良かったけれど、「外見は日本人ですが中身はほとんどドイツ人なんです」と語る高畑さんとシェレンベルガーは、ベートーヴェン解釈において、より気脈を通じるところがあるのだろう。ドイツ語の持つ言葉のテンポや発音が音楽の中に内包されて、それがより説得力を増していた。この音楽づくりにおいて高畑コンマスの果たした役割は非常に大きかったんじゃないだろうか。

 もちろん、岡フィルの健闘も素晴らしかったのだ。第1楽章の最後の一音がホールの残響として響き渡ったとき、「これぞ、ベートーヴェンの音」と思う素晴らしい響きだったし、第2楽章の弦楽器の美しさにも魅了された。
 一点、難点を言わせていただくと、以前から指摘している通り、やはり弦楽器奏者の中に何人かピッチを合わせきれない方がいて、この曲中何回か、その馬脚が見える局面があり、聴く方も一瞬、興がそがれてしまう。これだけオーケストラの演奏レベルが上がってくると、今まではわからなかった部分も見えてきてしまう。


 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲。「超新星の登場!」を実感した。
 青木尚佳さん、ロン=ティボー2位入賞の際は少し話題になった記憶があるのですが、今回、初めて聞きました。こりゃー、とんでもないソリストが現れましたですぞ!

 ティンパニと木管に導かれて、切ないメロディーが鳴った瞬間。


 「なんちゅう美しい音、こりゃすげー!!」


 と思いましたよ。音が太くて音圧も満点。高音の抜けの良さも尋常ではないレベル。オーケストラが割と容赦無く鳴っても(これまでの経験上、シェレンベルガーはソロ演奏でもオーケストラを鳴らす場面ではしっかりと
鳴らす印象)、まったく問題にしないパワフルさ。独特の輝きと味わい深さも兼ね備えている。1992年生まれというから、現在25歳?うそでしょ?20代の若手のソリストが、これほど堂々たる演奏と、テクニックだけではなく奏でる音の味わい深さは、心を惹きつけてやまない。
 青木さん、このまま演奏経験を積み重ねていけば、間違いなく世界の最前線で活躍するヴァイオリニストになる。そう確信した演奏でした。


 岡山フィルの伴奏も良かった。第2楽章の青木さんのこれ以上ない甘美なメロディーにつける、さざ波のようなストリングスの音を聴きながら、「この音はどこに出したって恥ずかしくない、堂々たるわが町のオケの音」と思いながら聴いていました。
 第3楽章では青木さんの圧倒的な存在感に、どんどん挑んて行って、両者の火花の散るような「競奏」はわが町のオーケストラながら天っ晴れな演奏でした。オーケストラがよくなれば、ソリストのソロも引き立つ。岡山に居たって世界レベルの芸術世界は体験できる。


 青木尚佳さん、もうすっかりファンになってしまいましたですよ。地元に来たら必ず足を運ぼう、なんなら関西・広島でも時間と交通費払ってでも聴きに行きたい。次はブラームスのコンチェルトあたりを聴いてみたいですね。 

 アンコールは、山田耕作の「この道」



 後半が始まるころには1時間25分が経過。今年1月の定期もそうでしたがシェレンベルガーの組むプログラムはいつもボリューム満点。17時で終演することの方が少ないです(笑)。楽団員はクタクタになるんじゃないかと思いきや、第1ヴァイオリンの近藤さん、入江さん、上月さんらの設立当初からのメンバーのお顔には充実感が漲っています。
 この日の各パートの首席にも、他楽団からのエキストラの方がいらっしゃってました。今回は、コントラバスに黒川さん、フルートに中川さん、ファゴットに中野さん、となぜか京響色の強い助っ人メンバー(笑)広上&京響の快進撃の立役者の皆さんも、この日の岡山フィルのパート間のコミュニケーションが饒舌で、骨太な一体感のある演奏を評価してくださるのではないだろうか。他の助っ人の皆さんも含めて、本当に献身的に演奏してくださった。
 これまでは「コンマス+首席奏者の殆どが他楽団のエキストラ」という編成に、シェレンベルガーも遠慮して(あるいはチャレンジがしにくい足枷をはめられて)いたんだなあ、と思います。

 もう一つ大きな変化を感じたのは、ダイナミクスの振幅が、今までは7段階ぐらいだったのが、再弱音が+2段階、最強音一歩手前に+1段階ぐらい加わった感じ。第1楽章の8ビートのリズムとバランスを保ったまま、
再弱音に落として巧みにギアチェンジをしながら盛り上がっていく場面は鳥肌が立ちました。この曲もドイツ語的な節回しは健在。交響曲第1番では一部奏者のピッチのズレが気になったヴァイオリンも、よく弾き込まれているのかこの曲では感じません。


 第1楽章の提示部の繰り返しは無し、第4楽章で一か所、「あれっ?」と思う箇所があって、CDや生演奏で親しんでいたものとは違う楽譜かも。
 第2楽章は木簡陣のソロが見事、ここれもダイナミクスを広く取った劇的な表現が印象ん残ります。第3楽章は新コンマス体制の強みがいかんなく発揮。コミュニケーション量が豊富で、前半の第1番の第3楽章でも見せたのですが、ちょっと間を置いて、各パートが対話をしているような生き生きした表現が印象的。
 この日のコンサート、ここまでが非常にハイカロリーかつ異常な集中力連続だったので、「最後まで持つかな?」と心配したのもつかの間、シェレンベルガーのタクトの勢いは一層熱を帯びていきます。これほど激しいタクト捌きを見せたのは、東日本大震災被災者鎮魂のためのドイツ・レクイエム以来です。


 曲の中盤でも間を多用し、さながら「だるまさんが転んだ」を思い起こします。この曲、こんなにハイドン的な面白い仕掛けがあったんや、という発見あり。岡フィルも完全についていきます。
 終盤は少しづつ少しづつテンポも上げていっても全パートふるい落とされることはありません。シェレンベルガーも楽団員も高畑コンマスを信頼しているのが解ります。本当にいいオーケストラになったと思った大団円でした。

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 お客さんの入りは7割ぐらい?プログラムからすると満席になってもいい筈なんだけれど、これには理由がある。今週は「おかやま国際音楽祭」の開催中で、同じ日に「マーチング・イン・オカヤマ」が開催されており、岡山市内の吹奏楽関係者の多くはこちらに参加している。高校のブラバンの顧問をしている私の友人も「音楽祭かなんか知らんけど、音楽人口の少ないこの街で、イベントをかぶせるなんて愚の骨頂!」と、かなりお怒りだった。こんなにいい演奏をしているのに、いつも聞きに来ている方が来られないというのは、何のための音楽祭だろう?という疑問は消えない。昨年みたいに日程をずらしてほしかった。

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ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル 倉敷公演 [コンサート感想]

第102回くらしきコンサート ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル


モーツァルト : 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457
ショパン   : ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61「幻想ポロネーズ」
  ~  休 憩  ~
ヤナーチェク : 草陰の小径にて 第2集
J.S.バッハ : イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811


2017年10月3日 倉敷市芸文館

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 このコンサート企画が発表された際、『よくぞ、この方を招聘してくださった!』と思いました。そして、倉敷市芸文館という音響の優れた中規模ホールで聴けたのも僥倖。このホールでよく会場設定してくださったと思う。


 演奏は圧倒的だった。クラシック音楽の宿命であるこれまでの演奏の『蓄積』から自由になり、一音一音を再構築していくような演奏に、ただひたすら引き込まれ、ひれ伏しました。ピアノ演奏不感症(オーケストラや弦・管楽器の独走に比べて、ピアノ演奏で感動することが少なかった)の自分が、これほど心に沁みたのは何年振りかの出来事でした。


 アンデルシェフスキの演奏を聴くのは、今回が2回目。1回目はバンベルク響との共演で、その時は補聴器のハウリング音のため、彼の音楽を充分には楽しめなかった。あれ以来、万全の状態でアンデルシェフスキの音楽に触れたい、と熱望していたところに今回のコンサート企画が飛び込んできた。前日の反田恭平さんのコンサートも自重してこのコンサートに全精力を傾けた。


 1曲目のモーツァルトの幻想曲K.475とピアノソナタK.457は続けて演奏された。しかし、これは本当に違う作品番号の曲なのだろうか?ソナタの第1楽章は、幻想曲のモチーフが展開してできているようにしか感じない。それもそのはず、この曲はもともと連続して演奏されるように書かれているとのこと。

 アンデルシェフスキ(以下、アンデルさん)の深く、深く、精神の奥底に沈み込むような音に、しょっぱなから飲み込まれた。そんな暗黒の淵に光が差すように、モーツァルトのピュアな旋律が降り注ぐ、弱音への徹底したこだわり、全曲に渡って左手の彫りの深い音をフィールドに、右手の変幻自在な音楽が展開されていく。


 3曲目のショパンの幻想ポロネーズ。この曲はピアノを習っていた姉が、高校生のころに何度も弾き込んでいた曲で、間違いの多い箇所は嫌になるほど聴かされた曲(笑)私の実家は外壁のみの防音構造のリビングのピアノの音が、階段から僕の個室である2階の部屋に抜けていく構造になっていて、僕がどうしてもショパンが好きになれないのは、姉の練習を何千回何万回と聞かされてきたからかもしれない。

 たぶん・・・プロフェッショナルな演奏でこの曲を聴くのは初めてだった・・・と思う。「なんなんだ、この曲、全然違う曲に聞こえる!」音源で聴いた他の巨匠たちの音楽とも違う。過去の演奏をブラッシュアップしたような・・・そんな生易しいものではない、脱構築の工程を経て再構成されたような、一つ一つの音符すべてにアンデルシェフスキの思想が宿り、意味を持って聞き手に迫ってくる。最後の激しい部分ではピアノの弦が切れるんじゃないかと心配するほどの強い打鍵で、自分の奏でる音楽を聴衆に問うてきた。思わず目の奥が熱くなってくるが、何とかこらえる。


 休憩をはさんだ後のヤナーチェク。前半のモーツァルトとショパンは、その2人の作曲家への僕のイメージを完全に覆す、内省的な音楽だったが、このヤナーチェクでは、もの悲しさと翳りを内包しつつも、プリミティブな魅力を湛えた演奏。プログラムノートには、この時期のヤナーチェクは娘を失うなどの悲しみに打ちひしがれていたようだが、時に心に寄り添い、時に躍動するアンデルさんの音楽には悲しみや辛さといった単色の感情では表せない奥深さがある。


 ヤナーチェクからバッハも、休憩を入れることなく続けて演奏された。それはまるでホールの隅々にまで満たしたアンデルさんの音楽世界を、聴衆の拍手によって破られることを嫌っているようだ。

 この日のホールの中の雰囲気はすこぶる良かった。お客さんは、800席ほどのキャパのホールに8割程度の入り。アンデルシェフスキほどのソリストのコンサートなのに満員にならないのか・・・と驚いたが(でも、ド平日のソワレの割にはよく入ったとみることも出来るかな・・・)、それがある種の「少数精鋭」効果を発揮して、雑音のまったくない理想的な空間だったように思う。

 バッハのイギリス組曲第6番。この演奏が圧巻だった。途中から頭が真っ白になって、純白の石づくりの堅牢な建築物の中に、アンデルさんの音楽と自分の魂だけがそこにある、そんな錯覚を覚えた。この大きな大きな音楽は、オーケストラが演奏するブルックナーの交響曲にも充分対峙してしまうだろう。一音一音が収まるところに収まる気持ちよさ、対位法が駆使された旋律同士の隙のない対話が音楽をどんどんと高みへと昇華していく。

 第1曲のプレリュードと第7局のジーグなどは、ほかの巨匠の演奏よりもかなりテンポが速かったと思う。それでいてこの完璧さ。技巧を前面に出すタイプのピアニストではないアンデルさんだが、ここの演奏はその音楽世界とともに、職人芸にも痺れさせられた。


 アンコールはなんと3曲も。それもこじゃれたアンコールピースなどではなく、ショパンのマズルカを3曲も!

 ショパン/マズルカハ短調op.56-No.3、マズルカロ長調op.56-No.1、マズルカop.59-No.1


 コンサートの只中のアンデルさんは、本当に厳しい雰囲気で、その厳しさに会場には戸惑ったような雰囲気さえ漂っていたんですけれど、コンサートが終わると本当にサービス精神が旺盛で、サイン会まで開いてくださって・・・。21世紀は巨匠の時代は終わった・・・なんて言ってる人もいるけれど、アンデルシェフスキは今の時代に生きる本物の巨匠です。


 年に何回もピアノのソロコンサートに行くことはない自分ではありますが、今まで足を運んだピアノのソロコンサートの中で、ベスト1のコンサートになった。


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※中秋の「十四夜」、望月よりも少し欠けた月が味わい深い

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音楽の友9月号の『来日演奏会情報2018』から来季の岡山フィルを予想する [岡山フィル]

 もう10月号がでているので「今更」な感じですが、毎年買っている音楽の友9月号、来日演奏家情報ネタ。



 といっても(初めに書いときますが)シェレンベルガーさん以外の来日演奏家情報はここでは触れません。最近は、来日オーケストラなどへの興味も沸かなくなってきています。唯一、サイモン・ラトルがロンドン響と来日するので、「ようやく3万円以下でラトルを聴ける機会があるなあ(爆)」と思ったぐらい。


 興味があるのはなんといっても、われらが岡山フィル首席指揮者のシェレンベルガー氏の情報。


 2018年1月と3月の岡山来訪については、すでにプログラムも発表済み。


2018年1月18日(日)15:00開演 岡山シンフォニーホール

岡山フィルハーモニック管弦楽団特別演奏会「ニュー・イヤー・コンサート」

 モーツァルト/歌劇「魔笛」ハイライト
       第1幕より「私は鳥刺し」
             「なんと美しい絵姿」
        第2幕より「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
              パパパの二重唱  ほか
 リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード

独唱/ザラストロ:渡邉寛智  タミーノ:柾木和敬  夜の女王:阪本清香

   パミーナ:池田尚子  パパゲーナ:川崎泰子  パパゲーノ:鳥山浩詩   
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー


2018年3月11日(日)15:00開演 岡山シンフォニーホール
岡山フィルハーモニック管弦楽団第55回定期演奏会

 ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調
 ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー


 1月は京響と名フィルにも吹き振りで登場するそうですが、徐々にシェレンベルガーさんの指揮者としての音楽性の高さに気付く人が増えてきているようで、財政厳しい岡山フィルのファンとしては気が気じゃありません。少し前に兵庫PACを振ったとき、エキストラで参加していたN響の茂木大輔さんがシェレンベルガーの指揮を高く評価していたり、最近、東京のオーケストラによく登場するのも(10月は読響、新日本フィル)、岡山フィルにエキストラで来ていた奏者が推薦してるんじゃないかと疑ってます。


 年度が替わって5月にも来日する予定になっています。シェレンベルガーさんの公式ホームページにもあるように・・・

モーツァルト/交響曲第40番ト短調

マーラー/交響曲「大地の歌」

 が有力です。日程はシェレンベルガー氏のHPには「5月20日」とありますが、どうやら「5月27日」が正しいようです。


 音友では5月以降の来日は2018年3月のみ掲載されていますが、シェレンベルガー氏のHPでは10月に来日する予定になっているので、この時期にも登場するとみて間違いないでしょう。岡山フィルとの契約は、年に3回の定期的な演奏会を振るようになっているらしい(地元新聞社情報)ので、第九とニューイヤーコンサートは別の指揮者に任せる可能性が高そうですね。


 10月と3月の定期演奏会のプログラムを予想してみると、まず挙げられるのはシリーズで取り上げているベートーヴェンとブラームス。ともに第4交響曲がまだ残っています。

 シェレンベルガー氏のインタビューではハイドン、シューマン、メンデルスゾーン、それからマーラーの交響曲第5番なども取り上げると述べています。


 過去のコンサートを振り返ってみると、オーケストラの実力向上と聴衆の「経験値」を上げ、良質な聴衆を育てていくためには、やはり古典派~ドイツロマン派を網羅的に取り上げることは確実。そこに、飽きが来ないようにいい塩梅でR.シュトラウスやマーラー、オネゲルのような演奏効果の高い楽曲を入れてきています。


 楽団専属の首席奏者を一気に11人も入れる来年度は、色々な意味で勝負の年であり、飛躍の年でもあります。今から年間プログラムの発表が楽しみです。

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クラシックコンサートをつくる。つづける。 平井滿・渡辺和 /共著 水曜社 [読書(音楽本)]

クラシックコンサートをつくる。つづける。―地域主催者はかく語りき―


平井滿・渡辺和 共著 水曜社




 音楽ジャーナリストの渡辺和さんのブログで、時折、編集過程について紹介されていた本書。長年、地域主催者をなさっている平井滿さんとの共著で、ついに日の目を見たということで早速購入。


BOOKデータベースより================================

 有名ホールで行うものだけがクラシック演奏会ではない。
 人々がバブルに翻弄されていた時代、華やかさとは正反対の手法でクラシック音楽の命脈を保ってきた人々がいる。
 高いレベルの演奏を手頃な料金で成立させる企画力、音楽ホールもピアノも無い中での運営など北海道から沖縄まで、地域に根ざしたクラシックコンサートをつくってきた団体を紹介し、新しい時代の文化事業のあり方とまちづくりを提言する。


【目次】
1章 あるプロデューサーの取り組み
  鵠沼サロンコンサート、横浜楽友会、海老名楽友協会
2章 座談会 活動20 年・会員500 名に育まれるコンサートづくり
  葉山室内楽鑑賞会
3章 全国の小規模民間主催者たち
 〈その1〉 楽友協会
  NPO 法人えべつ楽友協会/ 木更津音楽協会/ 茅ヶ崎市楽友協会/静岡音楽友の会/ 浜松音楽友の会

  /アン・ディ・ムジーク愛媛/ かんまーむじーくのおがた/ ビューローダンケ
 〈その2〉 いまに生きるサロン
   ジョンダーノ・ホール/ 西方音楽館/ アートスペース・オー/ 宗次ホール/ ながらの座・座

  / カフェ・モンタージュ/ ノワ・アコルデ
 〈その3〉 労音の挑戦
  米子勤労者音楽協議会/ 人吉勤労者音楽協議会
  〈その4〉 市場をにらんだ運営
  有限会社神奈川芸術協会
  〈その5〉 コンサート制作のプロができること
  いわき室内楽協会/ くらしきコンサート
  番外編:ホノルル室内楽協会
 

 本書を振り返って 対談 地方民間鑑賞団体はどこへ行く
 地方民間主催者・サロン・小規模ホールリスト

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 この本は、例えばオーケストラ事務局や音楽家のマネジメント事務所などの大掛かりな主催者は想定しておらず、地方自治体系列のホールや財団主催の文化事業などの公的資金を使った(意地悪に言えば、資金集めに苦労しない「親方日の丸」の)運営主体も想定していない。

 対象としているのは「地域の民間主催者・サロン・小規模ホール」です。まずは音楽愛好家が集まってコン
サートを主宰する楽友協会的な形態、次に個人がサロンに人を呼ぶような形態で運営しているもの、あるいはごく小規模(100人前後)の空間でコンサートを開催するライヴハウスのような小規模民間ホール。そして、バブルの荒波を生き抜いた地方の労音組織。


 本書の特徴的な眼差しとして挙げられるのが「つくる。」だけではなく、「つづける。」という視点を重視している、ということ。バブルのころに、地方自治体のあり余る公的資金をバックにした運営主体が、バブル崩壊後に潮を引くように撤退。その間に全国にあった小規模な民間主催者がズダズダにされてしまった。平井さんは、その罪について強く断罪する。
 地域文化を創造していくためには「つづける。」ことも重要。お金があるから始め、資金が続かなくなったらやめちゃう、公共部門がそんな無責任な運営をしてきたこの国の実態。色々考えさせられますね。 


 それと、こうした小規模門間主催者によるコンサートを支えているのは、旺盛な供給側(演奏者側)の欲求。演奏家はどんなに小さな会場でも、自分の音楽に真剣に耳を傾ける熱心な聴衆がいるところで、演奏したいという欲求があること。


 その欲求は、日本を代表するアーティストはもとより、海外の演奏家にもみられるとのこと。「受け手があっての音楽家」という当たり前のことですが、大規模なプロモーションの恩恵に浴することができる音楽家がいる一方で、多くの金銭的な見返りは無いが、自らの演奏を披露する場を求める、こうしたプロの音楽家の欲求が質の高い小規模民間主催者の質の高いプログラムを支えている。


 ちょうど今月、この本で紹介されている、京都の「カフェ・モンタージュ」と倉敷の「大原美術館ギャラリー
コンサート」に行ってきたこともあり、興味深く読みました。『山陽型ノブレス・オブリージュ』として紹介された「くらしきコンサート」「大原美術館ギャラリーコンサート」を主宰する「三楽」は、クラボウ創始者の大原一族によって運営され、倉敷に所有する土地の地代などが運営費に充てられている、ということは地元では知られていたが、主宰者の大原れいこさんが強調されていたように(!)、クラボウやクラレは一銭のお金も出していないことは初めて知りました(むしろ、ベネッセなどの他の地元企業が支援しているとのこと)。資金面だけではなく、自治体系の主催者との棲み分けなど、これほどご苦労されているんだな、ということを改めて認識したしだい。
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 「カフェ・モンタージュ」についての記事も興味深い。あの柱のないライヴ空間は中古物件だったそうで、カフェ&ライヴ会場になる前は、なんとも京都らしい、ある商売のお店だった、とか、京都在住のチェリストに「東ベルリンの有名な地下の音楽キャバレーのノリが、ここにはある」と言わしめたり、従来の「クラシック音楽が聴けるサロン」のイメージとはかなり異なった、尖った空間について書かれています。
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 一般のクラシック音楽ファン向けに書かれた本ではありませんが、小さい会場でのコンサートや室内楽のコンサートなどによく足を運ぶ方なら、興味深い記事ばかりでしょう。絶対に読む価値アリです。巻末に『地方民間主催者・サロン・小規模ホールリスト』が付いているのも魅力です。

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大原美術館第148回ギャラリーコンサート ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット [コンサート感想]

大原美術館第148回ギャラリーコンサート

ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット


ダウランド(小早川麻美子 編)/もし私の訴えが
野平一郎/シャコンヌ~ヴィオラ四重奏のための(2000)
       -J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番による
バルトーク(ルドゥメーニ 編)/トランシルヴァニアの夕べ
バルトーク/44の二重奏曲から
 ~  休 憩  ~
杉山洋一/ヴィオラ四重奏のための「子供の情景」(原曲:R.シューマン)
       大原美術館委嘱作品 世界初演
ピアソラ(小早川麻美子 編)/「単語の歴史」より売春婦(1900)・カフェ(1930)
     〃          /エスクアロ(鮫)


ヴィオラ:今井信子
  〃 :ファイト・ヘルテンシュタイン
  〃 :ウェンティン・カン
  〃 :ニアン・リウ


2017年9月16日 大原美術館本館2階ギャラリー

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 毎年楽しみにしていたアルト・ドゥ・カンパーニュ(ヴィオラ四重奏団)の岡山公演が、今年は開催されないことに落胆してたが、なんと今井信子さんと若手ヴィオラ奏者で結成された「ザ・イマイ・ヴィオラ・カルテット」が大原美術館に来るということで、楽しみにして足を運びました。

 いつもの事ながら、会場は満員。下手の出入り口付近、モネの睡蓮を横目に見ながら観賞する位置で聴きます。


 オーケストラの楽曲で主に内声を担い、そのオーケストラの音の厚みはヴィオラ・セクションのレベルで決まるとさえ言われる重要なセクション。クラシック音楽ファンならその重要性は理解しつつも、やはり地味な存在と感じてしまうヴィオラ。
 開演に先だって、主催者の大原謙一郎さんが今井さんを紹介する言葉に、「ヴィオラでもリサイタルを開いて聴衆を魅了することが出来る、そのことを証明した第一人者」との紹介があった。


 今井信子の存在感の大きさと心にしみる音は格別。その今井さんの弟子のニアン・リウは力強さとピュアな音に魅力がある。こちらも今井さんの弟子ヘルテンシュタインの明るい響きと技巧の高さ、すでに指導者として名を馳せるウェンティン・カンの安定感と気品のある音。それぞれが特徴を打ち出し、4人の個性が合わさった時の音が本当に心地よかった。ヴィオラの音には人を陶然とさせるものがある、改めてそう感じさせられた。


 悲しみを湛えつつもヴィオラの柔らかいハーモニーを存分に楽しんだダウランドの小作品の後、拍手をする間もなく2曲目のバッハのシャコンヌに突入。この曲でこのカルテットの実力のベールは解かれた。深いボウイングから奏でられる太い音が幾何学的に絡み合い、感情など一切入る余地のない冷静かつ完璧な演奏なのに、聴く者の精神は高揚していく。

 始まって15分もしないうちにすごい演奏を聞かせてもらった。


 次はバルトークの2曲。特にバルトークの真骨頂である民族音楽をモチーフとした「44の二重奏曲より」では、こういうサロンコンサートならではの趣向が凝らされ、原型となった民族音楽の演奏とバルトーク自身によるピアノ独奏の音源が披露され、それに続くような形で演奏に入った、会場を満たすロマの響きに導かれ、バルトークがフィールドワークによって集めて回ったいろいろな音楽を追体験するような趣向。基本的には二重奏で演奏され、色々な組み合わせて聴けたのは面白かった。四重奏で演奏される部分での合奏も見事。


 休憩中には「ヴィオラだけの演奏かどうかを抜きにして考えても、これだけのバリエーションのあるコンサートはなかなかないよね」等の周囲の会話に心の中で相槌を打つ。


 次は、杉山洋一さんの作曲による委嘱作品。これは大変な技巧が必要な曲、ではあるんだけれど、遊び心に富んでいて、もう大人になった今ではとらえどころのない子供が見る風景を再現していた。曲の冒頭から終始、時空が曲がるような音に会場からは笑みが漏れるが、4人の奏者はいたって真剣!これほどのハイレベルなヴィオラ奏者4人が、超絶技巧や特殊奏法を駆使して、こんなかわいらしい子供の世界を描く…、これこそアート
なのだと思う。


 最後の2局のピアソラも、圧倒的だった。「タンゴの歴史」の「売春婦」という曲は、「ピアソラの曲にもこんなに快活な曲があるんや」との発見あり。他の曲は独特の哀愁に満ちたリズムに酔いしれた。ピアソラに関しては今井さんが3人の若手・中堅奏者に主導権を任せ、自身もノリノリの演奏を展開。いや、本当にお若いです。

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 アンコールにシューベルトの歌曲。編曲はなんとピアニストの北村朋幹さんとのこと。このギャラリーコンサートの常連ピアニストで、ヴィオラカルテットを演奏することを聞きつけて、半ば強引に「先方から楽譜を送ってきた」とのこと。この美術館でのサロンコンサートが触媒になって、色々な音楽家と聴衆が交流し、こうした思わぬ贈り物に接することもある。

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 「日本に京都があってよかった」は、京都のキャッチコピーだが、この日の僕の気分は、「僕の住む隣町が倉敷で、そしてそこに大原美術館があってよかった」という思いだった。


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過去1年の印象に残ったコンサート【自己紹介代わりに・・・】 [自己紹介]

 最近(過去1年間)聴きに行ったコンサートの中で、特に感動した・印象に残ったコンサートについて書いた感想をピックアップします。演奏の巧拙や周りの評価に関係なく、自分が感動したものだけをピックアップしています。自己紹介代わりになるかな。

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京都市交響楽団第616回定期演奏会(2日目) アクセルロッド指揮 [コンサート感想]

京都市交響楽団第616回定期演奏会(2日目公演)

武満徹/死と再生
R.シュトラウス/交響詩「死と変容」
ベルリオーズ/幻想交響曲

指揮:ジョン・アクセルロッド
2017年9月3日 京都コンサートホール大ホール
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 やっぱり今日も白眉だったのは、ベルリオーズの幻想交響曲。
 1日目の度肝を抜かれた演奏から一夜開けてもクオリティはまったく変わらず、ってことは、この演奏がまごうことなく現在の京響の実力。昨日はあまりの調和的美しさと、ビシバシ決まる後半2楽章の追い込みに、泣きそうになるぐらい感銘を受けたが、今日は耳が慣れてきたこともあって、細かい部分まで聴きとれ、興奮しっぱなしだった。心の中でずっと「京響うまいなー」「すごいなー」とつぶやいていた感じ。
 昨日は座席の関係で、そう聞こえたのかな?程度の認識だったが、今日は逆サイドに座って改めて思ったのだけれど、第5楽章の鐘、こんなに大胆に鳴らす演奏は初めてかも。
 9/8追記
 この演奏を2日聴く幸運(日曜日は本来は勤務日で、休みが取れたのも幸運)を神に感謝したい。冒頭でも書いた通り、京響の演奏は、R.シュトラウスは昨日を上回る、武満とベルリオーズは、極めて高水準だった昨日と並ぶ演奏を聴かせてくれた。
 武満の「死と再生」は、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)にも音源が無く、昨日が初聴きでなかなか曲全体がつかめなかったが、2回も生演奏で聴いてみると、前半2曲は同じ「死」とそこからの「魂の浄化や再生」という素材を共有しながら、こうも違うものか、と思った。
 R.シュトラウスの「死と変容」が作曲された1988年は、人間一人一人の魂や精神に重さがあった時代だったのだろう。しかし、武満の音楽からは個人や個性というものから解脱した魂の浮遊しか感じない。国や文化の違いももちろんあるだろうが、20世紀前半の大量殺戮の時代の前と後という要素がやはり大きいと感じる。 
 一方で、最後の解決和音に象徴されるように、武満の音楽の美しさも感じることが出来た。

 2曲目の「死と変容」。これは1日目とは全く違った演奏になった。特に木管陣の音に華やかさが出て、弦の音も初めから潤いがあった。病と死の恐怖にのたうち回る場面は、そもそも様々な音が錯綜しているのだが、その錯綜する音楽が完璧なコントロールで演奏された。
 しかしそれでも、後半の「幻想交響曲」のパフォーマンスの高さには追い付いていなかったかな、というのが正直なところ。違いは木管にあるように感じた。前半の木管は首席奏者を温存しての演奏。それでここまで演奏できるのだから、すごいことには違いないが、首席が出て来ると音楽の音色だけでなくオケ全体の動きや反応がまったく変わるんですよ。

 そのベルリオーズ、冒頭にも書いた通り2日目も凄い演奏になった。
 この幻想交響曲は、最近だけでもメルクル&大フィルとロト&読響の演奏にも接してきた。メルクル&大フィルも流麗で大フィルの潜在能力を引き出した演奏に感銘を受けたが、今やオーケストラの絶対的能力という点では大フィルは京響には敵わない。読響の演奏は、それはハイレベルな演奏だったが、フランソワ=グザヴィエ・ロトのピリオド奏法を基調にした急進的な解釈は、面白くはあったけれども、僕の感覚では今回のアクセルロッド&京響の抗いがたい美しさに軍配を上げたい。
 失礼ながら、西日本では随一の首席奏者陣を誇る京響ではあるが、トゥッティ奏者となると、読響などの東京のオーケストラの陣容には敵わないと思う。しかし、音楽はそれだけではないということも今回の演奏で感じた。京響の演奏は、ひとことで言えば、極めてイマジネーティブでクリエイティブかつイノベーティブであった(ひとこととちゃうやん!)

 1日目には、やはり音楽の作り出す熱狂的な空気に飲み込まれて、理屈抜きに心が動かされた部分があったが、2日目を聴いてみると、指揮者とオーケストラとの信頼関係の間で緻密に設計され、計算し尽くされての、この悪魔的熱狂なのだということがよく解った。それが証拠に、トゥッティでの各パートのバランスは完璧だったし、フォーカスを当てるパートがどこなのかもよく見える一方で、内側で動いているパートの音もよく聴こえてきた、第4楽章のモチーフの繰り返しの部分の弦楽器の激しい運指の部分も、恐ろしいまでに完璧な演奏だった。弦は第5楽章でも大トゥッティのホールが震撼するような場面でも部分でも音が埋もれることが無かったし、ベルリオーズの偏執的とも思える、グロテスクな音を出すための仕掛けもすべて完璧な演奏で答えた。

 今回が4回目の共演となるアクセルロッドとは、厚い信頼関係が出来ているのだろう。指揮者とともに緻密に音楽の下ごしらえをして、本番では、少しでも気を抜くと血しぶきが飛びそうな、両者の真剣での立ち回りを展開し、本番の聴取の前でイマジネーティブでクリエイティブな演奏を完璧にやり切った。2日目の後半2楽章のアクセルロッドさんの煽りは1日目以上だったが、京響は余裕を持って音楽に昇華させているように思えた。
 しかし、第5楽章の最後、チューバが怒りの日の旋律を咆哮する「ウラ」で鳴っているはずの弦が、アクセルロッドさんの突き刺すようなタクトに答えて、ストリングスが「空間がねじ曲がったんじゃないか?」というほど壮絶に鳴ったのにはビックリした。生演奏であんな音を初めて聴いたし、CDでもブロムシュテット&ドレスデン・シュターツカペレのライヴ演奏のものしか聴いたことが無い。あれには最後にやられたなあ。凄いものを聴かせてもらった。

 今の京響は、本当に恐ろしいまでのオーケストラだと思う。

 この日の客の入りは、土曜日よりも若干減って7割ぐらいの入り。なんと勿体ない!
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京都市交響楽団第616回定期演奏会(1日目) アクセルロッド指揮 [コンサート感想]

京都市交響楽団第616回定期演奏会(1日目公演)


武満徹/死と再生
R.シュトラウス/交響詩「死と変容」
ベルリオーズ/幻想交響曲

指揮:ジョン・アクセルロッド
コンサートマスター:泉原隆志

2017年9月2日 京都コンサートホール大ホール
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 京響の感想をここにしたためるたびに、「凄い」「上手い」「文句なし」など、賛辞・美辞麗句を並びたてるんですけど。。

 今日の後半のベルリオーズの演奏の切れ味・隙のなさ・迫力・表現の多彩さ、すべてについて「参りました!」と、言うほかはありません。

 アクセルロッドのスリリングな真剣な挑発に、真剣に「倍返し」をしてみせた、後半の2楽章は圧巻の一言、作曲された時代のファナティックな雰囲気を、そら恐ろしいまでに表現してみせた。

 安らかな牧歌で始まり、これ以上ない緊張感で終わる中間楽章。そして、第二楽章の舞踏会の華やかさや儚さは、木管陣の奮闘が光る。大フィルから移籍した上野さんを含む木管陣は再び磐石の布陣になった。夢のような調和と美、世界を見渡しても、京響の木管はトップクラスだ。ずっとこの調和と美を味わっていたい、そう思わせるものがあった。

 「死と変容」は、変容(浄化)のモチーフが出てくる中盤から最後までは見事な演奏。幻想交響曲でもそうだったが、弦楽器の分厚い響きは、かつての京響のイメージを覆すに充分。ただし、この曲の前半は…。明日の楽しみのために敢えて感想は書かないで置こうと思う。

※9/3追記、意味深な書き方になったが、「死と変容」は特に事故やミスがあったわけでありません(笑)後半に比べて、ちょっと・・・・物足りなかった、というだけです。


9/8追記

 あのコンサートから一週間が経とうとしているが、じっくりPCの前で腰を据える時間が取れなかった。それでも、まだ頭の中に鮮明に残っているのは、それだけ素晴らしい演奏に接したということだろう。

 オーケストラの編成は14型、1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10、チェロの後ろにコントラバス。チェロの首席にはN響の藤森さんが座りました。渡辺穰さんがフォアシュピーラーに座ったため、ファーストVnのトッププルトは泉原さんとのダブルコンマス。楽団のアクセルロッドさんに対する期待が伺われます。お客さんの入りはう~ん、7割5分といったところでしょうか・・・。

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 武満徹の「死と再生」は管楽器を入れない弦楽合奏での演奏。特にヴィオラ・チェロの響きに透明感があり、純水が滴り落ちるような魅力的な音を奏でていた。ハーモニクス奏法なども駆使する、技巧的な側面もある曲だが、京響はまったく安定していた。京響の特質は武満に合っていると思うので、もっと演奏されて欲しいな、と思う。
 アクセルロッドさんのプレトークによると、この曲のナチュラルな、寄せては返す波のような音のダイナミクスは、生命と死の輪廻転生を意味しているとのことだった。決して聞きにくい曲では無いが、この曲全体の意味するところは1日目では理解が出来なかった。最後の解決される和音が印象的。プログラムの1曲目とは思えない盛大なカーテンコールとなった。
 
 2曲目はR.シュトラウスの「死と変容」。この日のプログラムは3曲とも、「生と死」が共通テーマになっている。この「死と変容」の第1の主題がモチーフとなる前半は、病魔に冒された一人の男が夢うつつの中で闘う様を描いている。この前半部分については京響はR.シュトラウスの緻密なオーケストレーションを見事に再現していた。が・・・、プレトークでのアクセルロッドさんの説明から感じられる思い入れ、あるいは実際のタクトに比べて、オーケストラが一種冷めているというか、楽譜の音は確実に捉えて再現性は高いのだろうけれど、言葉は悪いが「無難」に徹したパフォーマンスとの印象を持った。特に木管の切れ味がイマイチで、オーケストラ全体のハーモニーの見通しも(昨今の京響の実力を思うと)、どうにも冴えない印象が残った。
 ところが、魂が浄化されて天に昇る様を描く第2の主題(よくCMやTV番組の効果音でよく耳にするモチーフ)が変奏する曲の後半になってくると、音に俄然、艶が出て、浄化のテーマが高らかに演奏された後のゆっくりとした場面では、かなりいい音が鳴るようになった。


 しかし、冒頭でも書いたとおり、この日のハイライトが後半の幻想交響曲だったことに、異論を挟む方はいないだろう。その幻想交響曲。第1楽章の提示部の繰り返しは無かったが、第4楽章は繰り返しあり。第2楽章はコルネット付きで演奏された。
 冒頭からオーケストラの音が違った。フルートに導かれ翳りのある曲想が展開していく冒頭のストリングスの美しさから、「これは相当な名演奏になる」と確信した。「想い人」のテーマが流れて曲調が明るくなってからは、かなりの快速テンポで飛ばした。ストリングスの華やかな輝きが印象に残った(特に、音楽家の恋に高鳴る鼓動を表す部分のストリングスの刻みは、「こんな音がでるんだ」と驚くほどの輝きがあった)が、それにも増して木管の上手さが目立った。フルート首席の上野さんも京響の木管陣の音のテクスチュアにマッチし、柔らかく華やかな音を先導している。
 アクセルロッドの指揮は、流れを重視しつつも、盛り上がるような場面の直前には少しテンポを落としてねっとりと攻めていく。この第1楽章もそうで、最も盛り上がる場面の直前、オーボエがソロを取る部分では、じらすようにねっとりと歌い上げた後徐々に加速。ダイナミクスの抑揚も自然ではあるが大きな起伏を伴って聴く者の期待感を煽った。そして音楽は最高潮に達し、ティンパニも加わっての場面では、宝石箱をひっくり返したよう(月並みな表現やなあ・・・)なトゥッティを、怒濤の勢いで演奏する。ホント、なんども書いて申し訳ないが、京響から、いや、日本のオーケストラからこんな音が出るんだ、この音をどう言葉で表現したらよいのか、ついに僕は見つけることが出来ていない。音は磨きに磨き抜かれ、勢いに任せているようで、実に一音一音に神経が通った緻密な音作りに舌を巻いた。

 アクセルロッドさんは、楽章間の休憩はたっぷり取っていた。それだけオーケストラに負荷がかかっている、と見ることも出来るだろう。
 第二楽章も木管陣が極上のハーモニーを奏でる。こんなに柔らかくも美しい音が出せるんですね。この日の木管の音はこれまで僕が聞いてきた中で(海外のオーケストラも含めて)最高のハーモニーを聞かせてくれたと思う。2台のハープの連携も見事。どちらかが引っ張るわけではなく、両者が拮抗するように見事にシンクロしていた。弦楽器もまけてられへん、とばかりに、この楽章で多用されるトリル・装飾音は匂い立つような華の薫りを漂わせる。あまりにも美しすぎて、これが現実の舞踏会では無く、あくまで夢想・妄想の世界の中であることを饒舌に語っているようにも思える。


 第三楽章は、冒頭はくっきりとした色調で始まった。オーボエのバンダは下手側の3階バルコニー席後ろで演奏。今日(1日目)は上手の3階バルコニーで聴いているので、バンダの演奏者もよく見える。
 ホント木管のことばかり書いてしまうんですが、この楽章の鍵を握るオーボエをはじめ、クリネットのソロといい、フルートのソロといい、そしてハモるところの極上の音といい、本当に素晴らしい。他にもたくさん聴き所があるのに、自分の耳が木管の音を追ってしまう。
 ストリングスの「ザザザッザザザッ」という刻みは、第1楽章の鼓動とは違う。「想い人」と幸せな時間を過ごす男の鼓動と気持ちの高まりだろう。非常にフレッシュな音色を出していた。
 曲の後半に向かうにつれ、徐々に病的なけだるさが充満してきたのもアクセルロッドさんの解釈か。アヘン中毒者が見る夢を描いているようだ。一説によると、この曲の主人公である『音楽家』は、「想い人」をこのあたりで殺してしまったようだ。それが証拠に、イングリッシュホルンの呼びかけに応えるのは、おどろおどろしい雷鳴のみ。そんな情景がくっきりと浮かんでくる演奏。

 第4楽章~第5楽章は、第1、2楽章とは対照的。このシンメトリー構造はマーラーも参考にしたのだろうと思う。両極端な世界を対比的に描くのには格好の構造で、マーラーの5番、この幻想交響曲がそれに成功している。
 この2楽章の京響の演奏は、そら凄い者だった。この曲は非常に演奏効果が上がるため、コンサートでよく取り上げられる曲。僕が初めて生コンサートに行ったときも幻想交響曲だった。しかし、満足させる演奏・・・となると、なかなか難しいのではないか。技術や音量・アンサンブル能力など、オーケストラの総合力が試されるからだろう。
 京響の演奏は、特にこの後半2楽章について、もう言葉にならないような物凄い演奏だった。この曲の持つ悪魔的狂気、この曲を生み出したファナティックな時代の雰囲気、それらがオーケストラに乗り移ったかのような鬼気迫る演奏だった。前半2楽章と第3楽章が、磨き抜かれた美しい音楽を聴かせただけに、京響の表現力の幅の広さに圧倒されまくった。
 第4楽章のギロチンの場面から、醜く質した「想い人」が魔女や妖怪たちに交じって踊る様を描く場面のクラリネットの描写力は見事。ホント、小谷口さんのクラリネットの表現力には毎回魅了される。

 アクセルロッドは、このオーケストラのいい部分を引き出すと同時に、ところどころ挑発的にオーケストラを煽っている部分があって、それが最後の2つの楽章では両者の痺れるような緊張感が見どころの一つだった。京響はアクセルロッドの挑発に『倍返し』で応えたように感じた。最後の部分の追い込みは、基調となるテンポが速かったために、今まで聴いたこの曲のアッチェレランドの中でも最速だったが、まったく瑕疵の無い、完璧なバランスの演奏で応えてしまった。

 アクセルロッドさんは、経歴から逆算すると1960年代半ばの生まれということで、50歳前後の働き盛り。指揮者としては中堅の年齢だが、音に対する感覚は若い世代に近いと感じた。油絵の具を塗りつぶすような音作りを嫌い、大トゥッティの場面でも内声部の動きの可視化をはかり、音楽全体をパースペクティブに見せる音楽づくりだ。
 しかし、彼のすごみ、そして京響の底なしの実力を感じたのは、むしろ2日目の公演だった。それについては、記事を改めようと思う。

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 日よけに隠れてしまっているので、今まで気づきませんでしたが、ホールの2階ロビーからは如意が岳(右大文字)が見えるんですね。初秋の空にうかぶ稜線にしばし見とれてしまいました。

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カフェ・モンタージュ 田村安祐美・小峰航一・佐藤禎・塩見亮 [コンサート感想]

カフェ・モンタージュでの1時間

ブラームス/ピアノ四重奏曲第1番

ヴァイオリン:田村安祐美
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:佐藤禎
ピアノ:塩見亮


2017年9月1日 カフェ・モンタージュ
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 会場のカフェ・モンタージュには、カフェ営業の時には行ったことがありましたが、ライブははじめて。

ぎちぎちに詰めても70人ぐらいしか入らない空間に響きいたブラームスのピアノ四重奏の濃密なこと! まるで音楽が僕の襟首を掴んで、異世界に連れて行かれるような感覚になった。

 コンサートホールで聴く時の音楽を浴びる、という感覚とは全く違う。格闘技のリングサイドかぶり付きで見ている感覚。

 これは、まさにコンサートというより、ライブだ。


 地下鉄丸太町駅から地上に上がると、落ち着いた中京の町家が並ぶ。実はこのあたりは祖父の代まで住んでいた場所。家があった場所が麩屋町二条なので、このカフェモンタージュからは目と鼻の先で、なんとなく親近感がわく。

 角地に建つコンクリート打ちっぱなしの建物には、すでに開演を待つ列が出来ている。ライブスペースは半地下状になっていて、大きな音を出しても近所迷惑にならないような構造になっている。

 チケット代は2000円。今回は演奏時間は約45分の曲、1曲勝負。そうだとしても安い。70人入っても売り上げは14万円。奏者たちの手元にわたるのはごくわずかだろう。

 今回のメンバーはピアニストの塩見さんに、京響のメンバー3名。塩見さんはブラームスのピアノが含まれる
室内楽曲を少しづつコンプリートしていっている最中とのこと。公演は8/31日と9/1の2日連続公演。弦楽3名は京響の定期演奏会のリハーサルの真っ最中の時期の筈(じっさい、3名とも本番にも乗ってらっしゃった)。なんとタフなことか。

 ピアノ四重奏の編成は、ヴィオラが内声をやるだけでなく、ヴァイオリンを受けて丁々発止のやり取りを受けて立つ場面が多い。いわば弦楽四重奏でいうと第2ヴァイオリンとヴィオラの役目、両方担う感じ。

 その小峰さんのヴィオラの存在感がハンパ無い。ここ数年、室内楽の生コンサートを聴いて、ヴィオラ奏者のレベルの高さが、満足度に比例するとの実感があり、この日はいう事の無いバランスだった。 この曲、第1楽章の冒頭で示されるモチーフは、決して馴染みやすくはない。どこか落ち着きどころのない雰囲気が漂っていて、無調音楽の世界を切り開いたシェーンベルクが偏愛したというのもなんとなく得心がいく。
 でも、流石にブラームス、曲が展開するにつれ、ロマンティックでメランコリックな世界が目くるめくように展開する。

 冒頭にも書いた通り、小さい空間に響くプロの本気の演奏にはガツン!とやられた感じ。19世紀にもこんな感じの小さい空間で数十人の人々が大いに楽しんだことだろう。


 室内楽の新たな世界に触れた一夜だった。

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古代オリエント 『カミとヒトのものがたり』 岡山市立オリエント美術館 [展覧会・ミュージアム]

古代オリエント 『カミとヒトのものがたり』 岡山市立オリエント美術館


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美術館ホームページから
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 科学が発達する以前、人びとは世界のはじまりや成り立ちを理解するために神々の存在に思い至り、神々と人間が織りなす物語によって説明しようとしてきました。これを私たちは神話と呼んでいます。現代にまで伝わる古代神話は今でも魅力的です。実際、私たちが親しんでいる現代の小説や映画などにも古代神話とよく似たストーリーのものも多く見られます。古代世界においても現代社会においても神話や物語は、エンターテインメントでもあり、社会的知識や道徳を共有するためのものでもあったと考えることもできます。
 本展では、ギリシア・ローマからエジプト、メソポタミア、インド、中国、日本にまで至る広大なオリエント世界の神話や物語を、そこに登場する神々や物語の一場面を表現した工芸作品などを展観しながら紹介します。物語を楽しみながら、私たちの暮らしや社会における神話の意味・役割についても改めて考えてみたいと思います。


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 普段は西暦順あるいは王朝順に展示を見ていく形が多いですが、今回の展示は「神話ごとの展示」になっていました。陸と海のシルクロード上にあるギリシア・ローマ→エジプト→メソポタミア→南アジア→中国、そして日本の神話にまつわす遺物・美術品が展示されます。


 自覚したのは、自分が古代神話についてあまりにも「無知」だということ、ギリシア神話については(趣味のクラシック音楽の理解のために)多少の知識はあったが、エジプトはアモン=ラーとラー=アトムの違いも解らなかったし、メソポタミアやインドの神々については固有名詞としてしか知らない。

 自己弁護(笑)ではないか、よほどの教養人でもない限り、これら古代文明の神話について理解できている人はいないのではないかと思う。


 西暦別や王朝別の展示であれば、頭の中の年表を広げて理屈で理解しようとし、人々の生活や権力者の統治の過程で生まれ・作り出され・語り継がれた「神話」について、これほどじっくりと考えなかっただろう。


 会場には夏休みの宿題にしようという子供たちが多かった。一つ一つの神話については子供の方が砂に浸み込む水のように吸収がはやいでしょうね。


(後日、感想は追記するかも・・・・です)

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