岡山大学鹿田キャンパスの「Jホール」での室内楽の新シリーズ企画 [コンサート情報]
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その6:岡山を文化デフレ社会から、文化芸術資本が循環する社会へ) [岡山フィル]
これまでのエントリーで、オーケストラが「独立採算」で存立可能
今回のエントリーのキーワードは、「文化資本デフレ社会」からの脱却と「文化・芸術資本が循環する社会」へ。
芸術家が集まらない街:岡山
岡山市の文化芸術振興ビジョンによると、市の全就業者数に占める
文化資本デフレ社会:岡山の問題点
文化デフレ社会=悪貨が良貨を駆逐する社会の犯人
岡山が本気で「芸術・文化都市」を目指し、「
しかし文化資本デフレを助長する、「悪貨が良貨を駆逐する」ような傾向は岡山市や岡山県など公
そして、もっと深刻なのは、公共セクターが脆弱な財政基盤を理由に、芸術や文化への予算を「ケチり」、芸術家やクリエイター達への報酬や対価を買い叩いていることだ。筆者は実際にそうした現場を多く目にしてきた。彼らの度し難いところは、そうした芸術・文化に対する「値切り」行為を恥ずかしげもなく堂々と「成果」として誇ってすらいるように見えることだ。
そうした公共セクターだが、東京資本の文化マネジメント組織や代理店に対しては、あっさりと財布の口を開いてしまう。田舎者根性が染みついている(失礼!)彼らは、東京の洗練された業界人たちに手玉に取るように操られ、莫大な資金をかっさらわれてしまう。私は岡山に住んで長いが、メンタリティの奥底には関西人としての東京への反骨精神があるので、「東京がなんぼのもんじゃ」とルサンチマンの塊のように奮闘しようと息巻いているのであるが(こういうメンタリティもどうかと思うが・・・)、『東京では話題になってるんですよ』という殺し文句に弱い公共セクターのゆがんだメンタリティを見ると、こちらまで力が抜けてしまうのだ。
そのモノが持つ価値は、「東京で話題になっていること」ではない
岡山という街にクリエイター・芸術家が集まり、彼らの創作活動や
岡山フィルについて言うと、例えば、スクールコンサートのギャラ
話は逸れるが、京都に「門掃き」という習慣がある。早朝に自分の家や店の前の道を掃除する習慣のことだが、この門掃きに使われる箒を専門に売っている店が存在する。1本1万円近い箒がコンスタントに売れていくそうだ。京都の人は本心を隠して「ホームセンターで売ってる安物の箒なんか、恥ずかしくて門掃きに使われへんわ」と理由を述べるのだが、本当のところは、やはり値段の高い箒は長持ちで掃き心地もが良く、塵が飛び跳ねにくいなど、機能面でも優れている。朝一番に行う仕事を気持ちよく行うために「1万円は払うても惜しない」、それが京都の人々の本心なのだろうと思う。
『「岡山都市ブランド」を育てるために、オーケストラを育てる、という発想への違和感
岡山市の様々なビジョンにかかれている。「
オーケストラは、お金がかかる。楽器演奏と音楽表現に文字通り人生を賭けた50名もの職人集団である。お金がかかるのは当然。岡山が「文化資本デフレ社会」から脱却するために、岡山の人々の価値観を転換し、最高レベルの技と芸術性に対し、正当な対価を払うという豊かな文化都市へ舵を切りなおすために、オーケストラを育てるという「敢えて困難な事業に立ち向かう」ことに意義があるのだと思う。
オーケストラがあることによる数値的な効果の分析は、次々回のエントリーに譲るとして、その機能面での利点は、社会・
「本物」の体験は、自然体験だけでは足りない
これは平田オリザさんの主張されていることのなのだが、
『いやいや、岡山には自然がある。自然の中でも「本物」の体験ができる』という意見があるかも知れない。確かに、自然の中でも体験も、「本物の体験」だろう、そこに異論の余地はない。しかい、関西で生まれ育ってきた私が断言するのは、都市部でも「本物の自然体験」は豊富に出来るということだ。都市部では鉄道などの公共交通が発達しているので、例えば私の実家があるところは渓流遊びや滝遊びができるようなところ(六甲山系)だったが、休日には関西一円からそうした自然を求めて集まって来ていた。私の家から神戸や大阪への通勤時間は1時間を切っていたから、昼間は渓流遊びをしているガキが、夜には劇団四季を見たり、大フィルのコンサートに行ったり、ということが日常的に出来る(実際は、そんなに頻繁には連れて行ってもらっていないが、関西に住んでいたからこそ「生」の様々な舞台芸術を体験できたことは事実だ)。
私も含めた働き盛り世代は本当に忙しい。少ない余暇時間も、仕事のためのスキルアップのために費やされ、美術館に行ったりオーケストラをはじめとする舞台芸術を観たり、プロスポーツの観戦にいったりする時間が取れない。そんな人がほとんどではないだろうか?
少し脱線するが岡山フィルの定期演奏会で毎回募集する「市民モニ
岡山のロス・ジェネ世代が生み出してきた、「衣」「食」「住」の「本物志向」
そこに、2011年の震災以後の、東日本を中心とした移住者の急増や、ロス・ジェネ世代が消費者の中心としてイニシ
しかし、課題がないわけでは無い。
これらの世代が読んでいる「オセラ」という雑誌がある。
「おとな、暮らし、ときどきプレミアム」を合言葉に、上質な大人のライフスタイルを提案している雑誌で、いわゆる従来の「タウン情報誌」から一線を画した誌面になっている。
しかし、この雑誌には音楽文化、美術、アートなどの芸術・文化に関する記事が極めて少ない(ほとんど見たことがない)。
雑誌の誌面は、その雑誌の読者層の鏡だ。岡山の「本物」消費を牽引している世代にとっても、芸術やアートを消費するハードルはまだまだ高いのだと思うが、やはり心の養分となる芸術・アートへの消費の高まりがなければ、なんとなく外側だけの本物志向に陥ってしまうのではないだろうか。「文化・芸術の循環する社会」への移行は、この世代の消費の広がりが不可欠である。
『後楽園』を受け継いできた岡山だからこそ、「本物」を創造することは可能
次に、「文化・芸術の循環型社会」の中核となる、岡山フィル自身に必要なものは何か?について考えてみようと
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その5:安定財源のもたらす圧倒的な果実) [岡山フィル]
今回は「安定した財源」を持つオーケストラの経営数値を見てみよ
言うまでも無く、N響はNHKからの補助金が主な財源となってい
資金難に瀕する大フィルなどからすると「そのうち1億円くらいわ
しかし、N響の財務面での強さはそれだけではない。経営数値をも
もう一つ民間からの支援を見てみよう。
民間支援ランキング(2015年度)
1位の読響は経営母体の読売新聞社からの資金が計上されているの
安定したNHKからの14億円もの財源で演奏能力の向上と優秀な奏者を採用し、国内随一の
読響や都響など、財源が安定している他の在東京オーケストラも同
いわゆる「御三家」のオーケストラだけでなく、名古屋フィル(4位)、札響(9位)や広響(10位)、京響(13位)、群響(14位)などの地方都市オーケスト
市民の税金が原資の補助金を投入する過程には、納税者の理
公的支援に頼らない経営が理想なのは間違い無いが、一方で、地方都
このようにオーケストラにとって、『安定財源』の確保が経営上極めて重要であることがわかる。今回見てきたN響や大都市のオーケス
第4回で取り上げた大フィルを例に取ると1億7万円の公的補助を
翻って岡山の状況について考えてみると。岡山市が岡山フィルへの支援を表明し
行けなかった岡山フィルの第55回定期のプログラムを貰う [岡山フィル]
NHK交響楽団倉敷公演 指揮:ブルニエ Pf:上原彩子 [コンサート感想]
N響も冒頭からの弦の翳りのある音から「ハッ」とさせられ、
本当に、聴き応えのあるコンチェルトだった。
今のN響は、本当に充実していると感じる。
ブルニエも、さすがに歌劇場で実績のある指揮者。
岡山フィルの定期演奏会の回数は増えたし、
アンコールは、スラヴ舞曲集第2集から第2曲。
三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル 岡山公演 [コンサート感想]
「三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル」の感想の前に [クラシック雑感]
休憩時間中にはいり、いつもならロビーに出るのだが、「ロビーに出たら、また『携帯の電源を切れ』だのとオッサンが声を張り上げてるんやろうなあ・・・、そんなん、三浦さんの美音の余韻が台無しやん」と思って、ホールの中に引きこもっていたら、なんと、そのおっさんがホールの中に入ってきて、「携帯の電源を切れ、演奏が始まったら客席には入れない」と、注意をして客席を回っていた。ホンマ、首を絞めたろかと。
クァルテット・ベルリン=トウキョウ 2018冬 岡山ルネスH公演 [コンサート感想]
岡山フィル特別演奏会 ニューイヤーコンサート2018 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]
ゲストコンサートマスター:依田真宣
この素晴らしいホールに岡山フィルあり!
僕はこの曲について、愛の物語ではなく、人間不信に陥り暴君と化した権力者を、物語の読み聞かせセラピーで癒していく話、だと考えている。だから、アラビアンナイトの物語の上っ面をたんに音楽で語っているだけでは凡百の演奏に埋没してしまう。童話や昔話の中に、物事の心理や人間の業や性が描かれているように、この曲にも権力と人間の危険な関係、自我の崩壊によって新たな人格の再生があることなどを描いているように思う。

- アーティスト: シェレンベルガー(ハンスイェルク),デュティーユ,ベネット,サン=サーンス,プーランク,ボザ,ケーネン(ロルフ)
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2005/12/21
- メディア: CD
ベルリンの壁「解放」コンサート ベルリン・フィルによるベートーヴェンの7番 [クラシック音盤]
「ベルリンの壁 解放記念コンサート」
〃 /交響曲第7番
第4楽章の途中で「シェレンベルガーさんは、このコンサートについて思い返しているのではないか」と感じたのだが、そのコンサートにシェレンベルガーが参加していたかどうか、その時点ではわからなかったし(ベルリン・フィルともなると2人以上もも首席奏者を擁しているので、すべてのコンサートに乗るわけではない)、「いや、やはり目の前の演奏に集中しているのだ」とも感じたので、その時は別個のこととして考えるようにしていました。