So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期 No.36 ハイドンマラソン [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団 いずみホール定期演奏会 No.36 ハイドンマラソン

ハイドン/交響曲第60番ハ長調「うっかり者」
ディッタースドルフ/コントラバス協奏曲第1番変ホ長調
ハイドン/交響曲第54番ト長調
 〃  /交響曲第78番ハ短調

指揮:飯森範親
コントラバス独奏:村田和幸
コンサートマスター:松浦奈々

2017年8月11日 いずみホール
DSC_0651.JPG

  僕にとっては半年ぶりのハイドンマラソン参加で、これが4回目。今日も1曲めから、「いや~、やっぱセンチュリー、上手いわ~」と唸ってしまう。

  まず、その音がいい!これぞ洗練の極み。弦のしなやかなハーモニーもさることながら(第二ヴァイオリンの水準は国内随一じゃないかしら)、ホルン・トランペットや木管陣の通奏される合いの手が惚れ惚れする。

  あと、何気に凄いと思うのが、ハイドンの104曲からなるシンフォニーのキャラクターを明確に描き分けていこうとしている。この4回で聞いた12曲のシンフォニーはどれも印象に残っている。

  生演奏で大いに驚嘆しても、録音を聴いてみると「あれ?」ということはままあるが、既に出ているセンチュリーの録音を聴く限り、驚異的な精度とクオリティ、瑞々しさは録音でも水準を超えています。もし飯森&センチュリー響でハイドン交響曲全集を完成させることが出来たら、クオリティにおいて、フィッシャーやドラティの全集を凌駕するものができると思う。今回ももちろんマイクが立っていた。

(詳細な感想は後日)

 楽器配置は、前半が1stVn:6ーVc:3ーVa:4ー2ndVn:6の対向配置で、コントラバスは1stVnとVcの後ろに2本、上手に配されたティンパニと対を成す位置に置かれています。ティンパニのマレットはやや硬質な音ではあるが、フェルトはついているものを使用。
 後半に入ると1stVn:8ーVc:4ーVa:5ー2ndVn:8とコントラバス3本に増強されていました。

 1曲目の交響曲第60番「うっかり者」。「うつけ者」や「うすのろ」といういい方もあるようです(笑)この曲が関西で演奏されるのは、広上さんがまだ京響のシェフに就任する前に、大フィルを指揮して以来だと思う。僕が初めてCDで聴いたのは7,8年前の事だろうか、ハイドンらしい軽妙洒脱な音楽が続いていると、突如、演奏が止まり、思わずソファから飛び上がって「なんだなんだ?」と思っているとチューニングが始まって、元の演奏に戻る、という仕掛けに驚き、『これ、実演で聴けないかな・・・』と思っていた。
 今回、ようやく念願(?)が叶ったわけであるが、「うっかり者」の仕掛け以上に、楽曲そのものも魅力的。プログラムにもあったとおり、「疾風怒濤期」の次の年代の楽曲ですが、第1楽章のアダージョのあと、あるいは第4楽章、最終楽章の疾走感はハイドンのシンフォニーの醍醐味が詰まっている。それに加えて第5楽章の澄み切った、そして(特に第5楽章など)メランコリックさも内包していて、おそらくこうした作風はモーツァルトなどにも影響を与えたのだろう。
 心が洗われるようなこの第5楽章のあとに、例の「うっかり」の仕掛けが際立つ。アダム・フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドン管との録音は、チューニング前の音は、それほど露骨にピッチが外れた演奏では無かったが、今回のセンチュリーの演奏は、かなり派手にピッチをわざと外して、飯森さんと楽団員さんの小芝居も堂に行ったものだった。マイクが立っているので皆笑いをこらえようとしていたが、飯森さんが客席に振り向いたのを合図に、みな堪えていた笑いを解放した。このあたり、SACDでどのように仕上げて来るのか、演奏とはまた別の楽しみも出来ました。
 
 2曲目はディッタースドルフのコントラバス協奏曲第1番、団内ソリストとして、首席コントラバス奏者の村田さんが登壇。村田さんは、広響でも団員ソリストとして協奏曲の舞台に立っていたのだが、僕は広響時代にはそのソリストとしての実力を耳にすることは無かった。
 今回、ソロを聴いた感想は、「この村田さんを逃した広響は、非常に痛いなあ」というもの。センチュリー往年の名物奏者だった奥田さんのような圧倒的な力感で引っ張るというタイプではないが、素性のいい上品なソロ演奏(それでいてよく楽器が鳴ること!)は、センチュリーのカラーにこの上なく合っています。
 この曲、NMLで事前に2回ほど聴いていた(エデン・ラーチのソロで、アムステルダム・フランツ・リスト室内管弦楽団の録音)のだが、聴きやすいメロディーが続くものの、なにか引っ掛かりがなくて、2回とも居眠りをしてしまう体たらく。しかし、生演奏で聴くといい曲ですねぇ。音源で聴いた印象よりも技巧が要求されるし、ときおり用いられるハーモニクス奏法に、「コントラバスってこんな音もだせるんや!」という貴重な経験もあり。
 白眉だったのは第2楽章、村田さんのソロはもちろん センチュリーの伴奏が美しすぎて・・・夢見心地の中に響くコントラバスの低音のゆったりとしたソロに魅了されました。正直、この曲でこんなに幸せな気持ちにさせてくれるとは思ってなかったです。

 この日のプログラムは、かなり分量にボリュームがあり(じっさい、終演時間は21:15になった)、「巻き」が入っていたのか(笑)休憩も10分ほどで予鈴代わりのオルガンの放送が入る。
 54番は、まさに疾風怒濤期の曲。序奏の後の主題も魅力的で、疾走するような弦の刻み、ホルンやトランペットの勇壮な咆哮、後期の交響曲に勝るとも劣らない傑作です。この曲の特長の一つは、(この時代にしては)長大な第2楽章。よくよく聴いてみると、この楽章なんてロマン派の雰囲気を湛えているように思う。シューマンのアダージョ楽章を聴いているような耽美的な音楽に深く沈んでいく。センチュリーのノンヴィヴラートがこれまた美しいんですよ。このハイドンマラソンではモダン奏法とピリオド奏法を融合させて、人間の五感が最も気持ちの良いポイントを突いているような絶妙のバランスを感じます。弦4部の首席同士の掛け合いも見事!
 第4楽章は前述のアダム・フィッシャーの演奏よりも、より突っ込んだ快速テンポで進めていくが、センチュリーの音はいっそう輝きを増していく。

 最後の78番は、104曲中10曲しかないという短調で始まる交響曲。この曲はハイドンらしいかっちりとした形式感の中にも波がひいては返すようなダイナミクスと、短調から快活な長調への場面転換のコントラストが見事。冒頭にも書いたが、飯森さん&センチュリーのハイドン、1曲1曲のキャラクターの違いを、見事に描きわけている。僕は本の5年前まで「ハイドンのシンフォニーって同んなじような曲が多いなあ」と思っていたのだから、このシリーズに何回か参加したことは、僕のクラシック音楽鑑賞人生にとっては、本当に貴重で重要な経験になった。
 センチュリー響の響きはいっそう輝きを増して、僕の脳をマッサージしてくれているような感覚になる。ホンマに気持ち、エエーんですよ!この感覚はこのセンチュリーのハイドンでしか味わえない。 

 客席の雰囲気もよかった!ブラボーがまるで歌舞伎の屋号の掛け声(「松島屋~」「音羽屋~」みたいな)のように絶妙のタイミング。で堂にいった玄人のブラボーがかかる。大阪の目利きという目利き達が、このセンチュリーのハイドンの価値を認めて、集まって来ている感じがある。その一方で、今回はお盆休みということもあってか、若い聴衆も多かった。当日券を買い求める列が長く伸びていて、95%ぐらいの埋まり具合。

 この6型~8型の編成では、西日本ではセンチュリーがいちばんなのは間違いないが、東京でもこのクオリティを出せるオーケストラは少ないのでは?ノンヴィヴラート奏法のクオリティーも高い。もしセンチュリー響が東京にあったら毎回、満席に近い動員をたたき出すだろう。でも、やはり西日本の拠点である大阪に、今後もずっと居てほしいオーケストラ。これからも出来る限り聴きに行きます。

 当日、大阪に向かう新幹線が、名古屋での豪雨の影響で立ち往生。30分ほど遅れて新大阪に到着したため、ゆっくり食事をとる時間が無くなってしまいました。「まあ、ホールで軽食でもとるかな…」と思って大阪城公園駅を降りたら、お店など何も無いと思っていた公園入口に大きな「JO-TERRACE]なる施設が出来ていて、たこ焼きを食べることが出来ました。
DSC_0652.JPG

 史跡公園にカフェなどの施設を設置するのは全国的なトレンドになってるんですね、岡山の石山公園も、これほどの規模は無理にしても、市民が憩える施設になればいいですね。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岡山大学交響楽団 2017サマーコンサート [コンサート感想]

岡山大学交響楽団 2017サマーコンサート
ムソルグスキー(R=コルサコフ編)/交響詩「禿山の一夜」☆
チャイコフスキー/バレエ音楽「眠れる森の美女」より
  ~ 休 憩 ~
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調「英雄」
指揮:保科洋、秋山隆(☆のみ)
2017年7月22日 岡山シンフォニーホール

 前半の「禿山の一夜」と「眠れる森の美女」は、オーケストラもよく鳴っているうえに、岡大オケ伝統のダイナミクスの振幅を大きくとった、ドラマティックな演奏。技術的にもまったく非の打ちどころのない演奏だった。特に眠れる森の美女は、学生オケとは思えない、弱音部の安定感のある演奏と、トゥッティでの「これぞチャイコフスキーの音!」と思わせる、パワフルな金管と、それに押されない弦の鳴りっぷり、木管の豊かな響きと切れ味抜群の打楽器、それらを高次元でミックスさせたハーモニーと迫力に唸った。プロ顔負けの演奏を聴かせた。

 チャイコフスキーとベートーヴェンを指揮した保科先生は、今年4月に脳出血で倒れ、6月まで入院されていたとのこと。ほとんど退院直後の状態での登壇で、現在も左半身の自由がきかない状態での指揮であったが、発せられる「気」「パワー」には物凄いものがあった。しかも、暗譜での指揮。ふつう、この状態だと立ってるだけでも辛いはずなのに、なんという凄い方なのだ、と改めて尊敬の念を強くした。
 
 後半のベートーヴェンの英雄に入ると、チャイコフスキーのようにはいかなかったが、低音から高音へとピラミッド状に音を積み上げていくような、ベートーヴェンの音がしっかりと聞こえたのはさすが。この曲の持つ疾走感やドラマチックさ、保科先生と学生たちの共同作業で作り上げた、自然礼賛・生命肯定的な音楽世界に心を動かされた。
 ホルンやオーボエ、クラリネットのソロも見事なもので、若いからこそ吹ける切なさにあふれていた。12月はマーラーの5番を取り上げるようですが、保科先生のご快復を心よりお祈りするとともに、オーケストラの皆さんの奮闘を期待して待ちたいと思います。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

アンサンブル・レ・ペッシュ [コンサート感想]

アンサンブル・レ・ペッシュ 郷土岡山が生んだ4人のオーボエ奏者による珠玉のアンサンブル


ヘンデル/オラトリオ『ソロモン』より「シバの女王の入城」
ヴラニツキ/2本のオーボエとイングリッシュホルンのための三重奏曲ハ長調
ヴィラ=ロボス/オーボエとファゴットのための二重奏曲
 ~ 休 憩 ~
モーツァルト/ディベルティメント第8番
ムソルグスキー/組曲『展覧会の絵』

板谷 由起子(広島交響楽団首席)
津上 順子(瀬戸フィルハーモニー交響楽団)
沼 佳名子(岡山フィルハーモニック管弦楽団)
近藤那々子(フランクフルト歌劇場管弦楽団首席)
児玉 光生(ファゴット、南西ドイツフィルハーモニー)

2017年7月21日 ルネスホール


IMAG0410.jpg
 会場は満員でした。勉強のために聴きに来た高校生たちが座る座席が無く、地べたに座らされているほどの満員。
先日の岡山フィルと言い、岡山のクラシック音楽界、盛り上がって来てます。

 それもこれも、このオーボエ4本+ファゴトット1本のアンサンブルのハイレベルなのを皆さんご存知だからだろう。


  1曲目のハイドンから、この5名の抜群のアンサンブルに夢見心地にさせられます。2曲目のヴィラニツキはモーツァルトの親友とのこと、作風はバロックの雰囲気を残しつつも典型的な古典派の作風で、聴きやすいうえになかなかの佳曲。この曲は板谷さん、津上さん、沼さんの瀬戸内海を挟んだ3つのオーケストラの奏者の共演となりましたが、長く仕事を一緒にしている仲間のように息がぴったり合っていて、特に和音の響きに魅了されました。
 3曲目のヴィラ=ロボスは、ドイツで活躍する2名による二重奏。2つの楽器が独立して動く場面が多く、丁々発止の掛け合いあり、超絶技巧ありの難曲の筈ですが、この2人にかかれば軽々と演奏してしまう。


 後半に入って会場はびっしり満員。モーツァルトのディベルティメントの和音も本当に心地よい、モーツァルト独特のメロディー末尾の洒落たトリルをサラッと演奏してしまうところがカッコイイ。
 そして最後は木管の室内楽としては大曲の「展覧会の絵」。ムソルグスキーのピアノ曲というよりも、ラベルのオーケストラ編曲版をベースにしているように思いますが、オーボエ、オーボエ・ダ・モーレ、イングリシュホルン、ファゴットだけで、これほどの色彩を生み出せるのか!と驚愕することしきり。
 印象に残ったのは、オーボエ・ダ・モーレ、イングリッシュホルン、ファゴットだけで演奏された「古城」のメランコリックな空気、そして近藤さんの技巧が光った「殻付きのひなの踊り」や「リモージュの市場」、あのラベルの編曲版の色彩がオーボエ属だけで見事に表現。コンサートとして大変満足度が高いばかりか、希少な経験をさせていただきました。
 次回も管弦楽曲ベースの曲を、敢えてのオーボエ属・ファゴットのみの演奏で聴きたいですね。

 アンコールに、津上さんのご子息の真音さんの編曲によるリベルタンゴ、次回は真音さん作曲の楽曲もプログラムに載せるそうで、これも楽しみです。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

傑作浮世絵揃い踏み ―平木コレクション― 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

傑作浮世絵揃い踏み ―平木コレクション―

岡山県立美術館
DSC_0640.JPG


 あれも、これも、それも、見たことがある浮世絵ばかりが一堂に会しています。有名な作品だからこそ、本物を見る価値がいっそう増します。
 会期初日の割には、客足がイマイチな印象でしたが、これこそ夏休み中のお子さんを連れて行くのにぴったりな展覧会は無いと思います。



--岡山県立美術館HPから---------------

「浮世絵」は江戸の町人社会を中心に、庶民の好みや流行に合わせ、木版画で量産され盛行しました。浮世絵で描かれる美人画・役者絵・風景画といった主題は、当時の時代の先端をいく風俗を表現したものです。印象派の画家たちに大きな影響を与えたことは有名ですが、現在も世界中に浮世絵ファンは多く、高い人気を誇っています。

その中で、わが国を代表する浮世絵コレクションの一つとして知られる平木コレクションは、作品数約6000点に及ぶ膨大なもので、本展はその中から選りすぐりの200点を出品します。歌川広重の代表作「保永堂版・東海道五十三次」シリーズ初摺全点をはじめ、菱川師宣・鈴木春信・喜多川歌麿・東洲斎写楽・葛飾北斎ら有名な浮世絵師たちの作品のほか、後に津山藩御用絵師となった北尾政美(鍬形蕙斎)「浮絵仮名手本忠臣蔵」全11枚、橋口五葉・川瀬巴水ら近代の版画家にいたるまで、多彩な作品群で浮世絵の魅力を余すところなく紹介します。重要美術品15点を含む、浮世絵の傑作の数々を存分にご堪能ください。

-----------------------------


 歌川広重の「東海道五十三次」の『初摺り』と「仮名手本忠臣蔵」がすべて見られ、富嶽三十六景の神奈川沖浦や、喜多川歌麿の美人画もいくつか展示。著名な近世浮世絵作家をほぼ網羅しており、浮世絵の技法を受け継ぐ明治期の版画も展示されており興味深いです。

 子供の頃、永谷園のお茶漬けに入っている「東海道五十三次」のカードを集めていたことがあって、当時の懐かしい思い出が思い出される一方で「ここまで細密にかかれていたのか」という新たな驚きもありました。

 あと、仮名手本忠臣蔵には、先日、「ブラタモリ」の祇園編で紹介された「一力茶屋」の場面も描かれており、興味をそそりました。

 歌川国芳の「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」はたいへん見応えがあり、昨年の「国芳・国貞展」を、やはり見ておくべきだったなあ(神戸でやってたんですよね)と後悔。


 これだけ一堂に会すればこそ、この中から自分のお気に入りの作家さんを見つめるのもいいかもしれません。僕は、断然、国芳です。でも、今回は点数が少なかった~
DSC_0641.JPG

続きを読む


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

岡山フィル第53回定期演奏会 指揮:三ツ橋敬子 Hr独奏:シュテファン・ドール [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第53回定期演奏会

ブラームス/悲劇的序曲

R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番
 ~ 休憩 ~
ブラームス/交響曲第3番

指揮:三ツ橋敬子
ホルン独奏:シュテファン・ドール
ゲストコンサートマスター:山本友重


 恐らく、この日のコンサートを聴いたほとんどの方は「シュテファン・ドールのホルン!!これに尽きる!!」そう言うでしょう。今回で2回目のドールのホルン、音が鳴った瞬間に思わずのけ反ってしまう凄い音!

 それも、コンチェルトだけでなく、後半プログラムの交響曲にまで1番ホルン奏者として演奏してくださり、その存在感は絶大でした。


 会場の入りは8割ぐらいでしょうか?3階席の様子は見てませんが、客席はかなり埋まっていたようです。編成はいずれの曲も12型のストコフスキー配置。1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、コントラバスは上手奥に6。シェレンベルガーはチェロをアウト側に配置しますが、三ツ橋さんはヴィオラをアウトに配置しています。


 1曲目の悲劇的序曲。1曲目とは思えない大変な熱演でした。あまりの熱演に拍手も大きかった。しかし、私には重厚ではあるが、少々力みの強い演奏に感じられた。音も大きな音が鳴っているようで、ここ最近の岡フィルのホールの空間全体を鳴らす、という感じには至らず・・・。三ツ橋さんのタクトはオーケストラをドライブする力が強いが、それが力みに繋がっていなければいいが・・・と危惧していました。


 2曲目は、ある意味本日のメインディッシュになってしまいそうな、「ホルン王」(初めて聴いたこの表現。今回のコンサートのチラシに載ってた(笑))シュテファン・ドールによるR.シュトラウスのホルン協奏曲第2番。2年前の岡フィルとアンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演の際に聴かせてくれた、ホルン協奏曲第1番の演奏が凄すぎて・・・。あのホルンをもう一回聴ける!嫁さんともども何日も前から楽しみにしていました。

 「パーンパーン、パパパパーン♪」という最初の1フレーズが聴こえた瞬間、やっぱり度肝を抜かれた。やっぱりこの人のホルンは別格だわ。第1番の親しみやすい曲想に比べると、ちょっと構成が複雑な分、この曲は馴染むのが難しい筈なんですが、ドールさんのホルンの音、その表現の引き出しの多彩さをただひたすら追うだけで充分な愉悦に浸ることが出来る。今回は、先週、ちょっとプレッシャーのかかる仕事の後で、疲労感と頭痛に悩まされていたのだが、そういったものをドールさんのホルンの音が本当に吹き飛ばしてしまった。聴き終わった後、明らかに頭がすっきりしているのだ。

 第3楽章のパッセージなんて、並のホルン奏者なら演奏不可能な超絶技巧が必要だと思うのだが、まるで体の一部のように軽々と吹いて見せる。マシュマロのように柔らかい音色から、パリッとしたドイツ独特の音色まで、変幻自在に音色を変化させる。特に最後のパリッと響かせた倍音は胸がすくような思いで気持ちよく聴いた。この第3楽章のホルンの音を聴いていて、不思議な感覚になった。この雄大に鳴るホルンの音は、本当にステージ上のホルン奏者が吹いているのだろうか?なぜなら、ホールそのものが鳴っているようにしか、僕の耳には聞こえなくなっていたから、ドールさんがこのホールで演奏するのは恐らく3回目の筈だが、このホールの響きを完全に掌握しているようだ。
 

 オーケストラの伴奏も安定していて、特に第1楽章での1番ホルン(読響の久永さん)との掛け合いは聴きものだった。久永さんは、後半にドールさんが1番に座った関係で、後半は降り番になってしまったが、天下のシュテファン・ドールのホルンを向こうに回しての朗々とした演奏、これだけで存在感を示してくれた。


 後半のブラームスの交響曲第3番。勇壮なファンファーレ調の冒頭から音が違った。1曲目の悲劇的序曲には力みを感じ、アンサンブルもやや平板な印象だったのに対し、このブラームスの3番ではアンサンブルに明らかに奥行きと深みがでて、奏者もいい具合に力が抜けて、ホールの隅々まで最近の好調時の岡フィルの音が響き渡った。1曲目では、あの響きはシェレンベルガーにしか引き出せないのか?と若干不安がよぎっただけに、安堵したというのが正直なところ。
 三ツ橋さんのオーケストラのドライブは見事だった。弱音部分での繊細さや、音楽が高揚する部分でのダイナミクスの持って生き方は流石の一言。

 そして何よりもシュテファン・ドールが入ったことによって、金管・木管にズバンと大きな柱が通り、彼の音に皆が引っ張られ、これまでの岡山フィルからは聴いたことが無いような音が聴こえる瞬間がたびたびあった。ドールさんは恐らくオーケストラに溶け込むことに腐心しておられ、あまり目立たないようにしておられたように思うが、なんにせよ一人だけ全然音が違うので、どうしても耳でドールさんのホルンの音を追ってしまう(笑)それはオーケストラの奏者も同じではなかっただろうか?特に管楽器は彼が基準に(あるいは到達点として)音を作っていった演奏ではなかったか。
 第1楽章の10分過ぎの冒頭のファンファーレ調の再現部では、ベルリン・フィルの首席ホルニストの音とはかくや!と思わせる強奏で、協奏曲に続いて会場の聴衆の度肝を抜いた。
 夢のような時間はそれだけではなく、第2楽章の木管との掛け合いの部分でも、心が洗われるようなホルンの音に涙が溢れそうになる。なんと切ない…なんと心の現れる音であることか…。そして、それに応じた木管陣の音も素晴らしかった。
 第3楽章の終盤のホルン・ソロでは、ブラームスの孤独感を切ないまでに表現。

 オーケストラもドールさんに引っ張られ、三ツ橋さんの躍動感のあるタクトにも導かれハリとツヤのある素晴らしい音を堪能させてもらった。三ツ橋さんは、第4楽章では両足をどっしりと構え、手を大きく広げ、音楽を手繰り寄せたり開放したりするように、ダイナミックな指揮でオーケストラを引っ張った。僕自身は、この曲に関して内省的な面にクローズアップされた演奏が好きなので、激情ほとばしるような今回の演奏は好みではないはずなのだが、三ツ橋&岡フィルの世界にどっぷりと浸かり、確かな手ごたえのある演奏に、気が付けば喝采を送っていた。
 終演後の拍手は「熱狂的」ともいえるもので、ドールさんに対する賛辞とともに、回を追うごとに音楽の高みを上りつつある岡山フィルへの賛辞もあったのではないかと思う。

 定期演奏会には珍しく、アンコールもありました。「どこかで聴いたことがあるよなあ…」と思っていたら、ブラームスのセレナーデ第1番より第5曲「スケルツォ」。そういやあ、カンマーフィルハーモニー広島で聴いたなあ。
 最後の最後までドールさんが大活躍で、正直「こんなに働かせてええんかいな!」と思ったほど。これだけ吹いても全くケロッとした笑顔で拍手を受けるドールさん、素敵すぎる!
 三ツ橋さん、もし今後も岡山フィルにご縁があるならば、定期的に振っていただきたいですね。


Point Blur_20170709_214728.jpg
 終演後、いつものように夕食を求めて表町商店街へ。普段は夕方になると閑散としている上之町のあたりが、コンサート帰りの人波でごった返している(手前から奥向かう人のほとんどが、コンサート帰りの客)。今後は10月、12月、1月、3月・・・と、ほぼ2カ月おきに岡山フィルの定期演奏会が続きますが、例えばコンサートの客に表町商店街で使えるクーポン券などを配って、経済波及効果などを計測してみてはどうだろう。幅広い世代・性別・職業の人々が集まるオーケストラのコンサートが、中心市街地のにぎわいを生み出す起爆剤になりうることが証明されると思う。

nice!(5)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

シュテファン・ドールが、岡山フィルの1日に限りの特別客演首席ホルン奏者!? [コンサート準備]

 明日の岡山フィルの定期演奏会。前半プログラムはシュテファン・ドールのホルンによる、R.シュトラウスのホルン協奏曲の第2番が演奏されるんですが、後半のブラームスの交響曲第3番の時にも、首席ホルンにドールが座るようです。



 明日は、三ツ橋敬子さんの指揮なのでシェレンベルガーは登場しないのですが、おそらくドールに「後半も乗ってくれないか?」と頼んだのはシェレンベルガー氏に違いなく、不在のコンサートでも存在感を放つ、我らが首席指揮者(笑)

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

過去1年の印象に残ったコンサート【自己紹介代わりに・・・】 [自己紹介]

 最近(過去1年間)聴きに行ったコンサートの中で、特に感動した・印象に残ったコンサートについて書いた感想をピックアップします。演奏の巧拙や周りの評価に関係なく、自分が感動したものだけをピックアップしています。自己紹介代わりになるかな。

続きを読む


nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

日本センチュリー響第217回定期演奏会(2日目) 指揮&Vn独奏:シトコヴェツキー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第217回定期演奏会(2日目公演)

アダムス/管弦楽のためのフォックストロット「議長は踊る」
コリリアーノ/「レッド・バイオリン」組曲
シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 

指揮・ヴァイオリン独奏/ドミトリー・シトコヴェツキー
コンサートマスター:後藤龍伸
2017年6月17日 ザ・シンフォニーホール
DSC_0629.JPG
   シューマンを偏愛している僕にとって、この日のセンチュリーのシューマン2番は非の打ち所の無い、どころか、生きてるうちにこの曲でここまでの演奏が聴けたことを神に感謝したい。そんな演奏でした。1日目よりもより音に艶が増し、オーケストラのパート間のコミュニケーションが豊富になっていました。東京のオーケストラにも伍していける、世界に対しても堂々と「日本センチュリー響、ここにあり」と出していける。
 今後、関西へのコンサート遠征はセンチュリーを中心に組みます。目下のところ、大阪のオーケストラの中ではぶっちぎりで抜けています。
 
 アダムスもコリリアーノも、良かった!必ず詳細は更新します。
センチュリー響!ブラボー!
****************************************************************
 2日目(土曜日)公演も空席が目立ち、5割・・・行ってないかも知れないです。でも、センチュリーはこの日も極めて質の高い音楽を聴かせてくれました。
 あるプロの演奏家の方にうかがったことに寄ると、ソワレのあとのマチネ公演は体力・集中力的にもかなりタフさが
求められるそうです。コンサートが終わって家に帰ると23時、遅い食事をとって寝るのは午前1時となる。コンサートの後はなかなか寝付けない奏者も多いのだそう。翌日は14時開演だと、10時か11時からゲネプロが始まる。前日に気になる箇所があれば、そこをさらっておかないと落ち着かない。そんなこんなでほとんど眠れずに土曜日のソワレを迎えることも・・・
 なるほどね、それで京響はソワレ→マチネの公演を組まないし、大フィルも金曜ソワレ→土曜マチネのパターンが減
ってきているのか・・・

 話が脱線しました。アダムスの「議長は踊る」。1日目は痺れるような緊張感が漂っていましたが、2日目は良い意
味でリラックスした演奏でした。特に緊張が強いられるパーカッション、特に最後まで音が残るサンドペーパーみたいな楽器の音が、この日は絶妙の余韻を残して終わった。
 ダイナミクスの抑揚も、1日目よりも自然。シトコヴェツキーも手応えを感じたようでした。2日目はサイドバルコ
ニー席に座ったためピアノの手元もよく見え、そしてチューバがコントラバスとともにずっと安定して低音を吹き続けていることに気づいた。シトコヴェツキーさんはこの日もチューバを立たせて讃えていた。この日は1曲目なのにブラボーが飛びました。

 次にコリリアーノの「レッド・ヴァイオリン」組曲ですが、1日目の厳しい・恐ろしい曲との印象が変わりました。
一度、生演奏で聴いて僕の『耳が慣れた』からだろうか、1日目のシトコヴェツキーの演奏も運命の鉄槌を下すような厳しいものから、2日目は運命に対する悲しみに寄り添うような演奏に聴こえ、前日とは全然印象が変わりました。シトコヴェツキーのソロの場面での、楽団員同士のアンサンブル感覚の鋭敏さは2回聴いても痺れる。

 後半のシューマンの第2番。前日も第1楽章から中欧のオーケストラ顔負けのクオリティの高い演奏だと思っていしたが、2日目になって、音のつやが一層輝きを増したように思う。1日目の演奏も、第3楽章あたりからつやと輝きが増して、最後は信じられないような美音の洪水となったが、その調子が2日目に続いているようだった。
 配置は対向配置で、1日目も1ndVnと2ndVnの掛け合いが見事だったが、バルコニー席に移ってのぞき込むように見て
みると、全てのパートが有機的にモチーフが受け渡され、まるで一つの生き物のような、つまり音楽そのものが意思を持って動いているような、隙の無い一体感が感じられた。
 何度も繰り返すが、これほどのクオリティで、大好きなシューマンの2番を聴ける、この喜び・快感に酔いしれた。
 目の前で起こる奇跡を噛み締めながら聴いていた。第1楽章の再現部から胸にこみ上げるものがあり、第3楽章では決壊しそうな涙腺の維持が大変だった。
 センチュリーが弦5部を何層にも絹織物を重ねたように、上品でつややかなテクスチャーでありつつ、これほどまで
に分厚いサウンドを聴かせるオーケストラだとは思っていませんでした。第4楽章の中間部でグリッサンドで弦の音を重ねて盛り上がっていく部分では、客席で圧迫感を感じるほどの迫力があった。木管も上品さを湛えつつ、全体のサウンドに音が埋もれることが無く、しっかりときこえてくる。とりわけ持丸さんのクラリネットの音色(内声に回る場面でも)印象に残った。

 大フィルが井上さんとの3年で「ラテン気質の大阪に合うオーケストラ」を標榜し、確かにサウンドが変わった。色
々評価はあるが、僕は大フィルの音が変わり果てていく事に寂寥感を感じていた。そして、何よりもこの「大阪はラテン」というのが本当にマジョリティの大阪らしさを表しているのか?よしもと的お笑い文化など浅薄なイメージに踊らされているのではないか?との疑問を持っていた。
 しかし、このセンチュリーのサウンドを聴いて、このオーケストラも大阪という街が背負ってきた歴史を体現していると感じた。大正時代の東洋の商都、世界に冠たる大大阪の歴史に裏打ちされた、気品と格調高い生き方。江戸時代以来の勤勉で明るく、人と人との繋がりを重んじ、コミュニケーションが豊富。仕事の腕を磨くことは自分の魂を磨くことと信じ自己研さんを怠らず、逆境にもしなやかに強い。そんな大阪の歴史が生み出したサウンドをセンチュリー響が持っている。
DSC_0628.JPG
 この日は、ザ・シンフォニーホールの目と鼻の先に建つ「関西将棋会館」で藤井四段の奇跡が続いていた(13:30からの大局)
 僕にとっては、偏愛するシューマンの交響曲第2番を、これほどの素晴らしい演奏で聴くことが出来たことも奇跡だった。
 これほどの演奏に接したとあっては、今後の大阪へのコンサート遠征はセンチュリーを軸から外せない、そう感じた
2日間でした。

nice!(2)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

日本センチュリー響第217回定期演奏会(1日目) 指揮&Vn:シトコヴェツキー [コンサート感想]

日本センチュリー交響楽団第217回定期演奏会(1日目公演)
DSC_0624.JPG


アダムス/管弦楽のためのフォックストロット「議長は踊る」
コリリアーノ/「レッド・バイオリン」組曲
シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 


指揮・ヴァイオリン独奏/ドミトリー・シトコヴェツキー
コンサートマスター:後藤龍伸


2017年6月16日 ザ・シンフォニーホール


三曲とも空前の名演!


アダムスはセンチュリーの超高性能オーケストラの実力を遺憾なく発揮。

「レッドヴァイオリン」組曲は、シトコヴェツキーのヴァイオリン独奏に度肝を抜かれ(シトコヴェツキーは、デュメイ級のソリスト、と言えば大阪の方には伝わるだろうか)、センチュリーの伴奏が神がかってます。奏者たちのアンサンブルのセンスが、ほんと、皆さん、半端ない。

 シューマンの二番、僕は第三楽章で泣きました。なんと美しく透明な音色!第四楽章はもはや神がかっていた。
 いや、ほんまに大袈裟な話やなくて、行ける人は明日、絶対聞きに行った方がいいです。満足できなければ、僕は坊主になってもいい。

 それを取り急ぎお伝えします。

 今日は勝利(?)の美酒に酔います!

*******************

 今日の編成は12型の編成、前半は通常配置だったが、後半のシューマンは対向配置。前半はピアノやチェレスタ、様々なパーカッションが居並ぶ。チューブラベルが1本しか無いのは2曲目のコリリアーノで1音のみたった1回だけ(すこぶる効果的に)使われるから。
 アダムスはいわゆる「ミニマル・ミュージック」で、ライヒらの第1世代の次の第2世代にあたるらしい。この曲からは実験音楽の雰囲気はほとんど感じられず、表現のための音楽となっている。同じモチーフがテンポも音階も徐々にズレていき、さながら瞬間瞬間、模様を代えていく万華鏡を音楽にしたよう。和音に調性感も感じられてとても聴きやすい。

 ピアノなどの鍵盤楽器でも同じ音を同じテンポで弾き続けるのは、実はたいへんな技術が必要のはず。ましてや木管・金管が同じ質感でタンギングを続けるのは驚異的な集中力というほかないです。それに加えて寄せては返す波のようにダイナミクスの変化を付けていく。技術と集中力が要求されるのに、誰かが突出してもいけないし誰かが不十分でもいけない。中間部でゆったりとした東洋風のモチーフに代わる場面もスムーズで(「江青」をイメージしているそう)、その瞬間に空気感が変わる。この色彩感、アンサンブルのセンス!ハイレベルな奏者が揃っているセンチュリーだからこそ堪能できた演奏だろうと思う。


 2曲目は、「レッド・ヴァイオリン」組曲。 NMLで2回ほど「予習」したんですが、とりあえず中間部のバスドラム+ティンパニの2発の音にビックリしないように気をつけなあかん(笑)ということしか分からなかったです。
 ところが、実演で聴いてみると、1曲目とはまた違った形で空間的な広がりのある曲で、様々な弦の特殊奏法が(特にフラジョレットでの倍音が)空間的な広がりを生み出し、ザ・シンフォニーホールの音響の良さを存分に生かし、スピリチュアルでデモーニッシュな世界を描き出していた。とにかくセンチュリーの伴奏が上手いのですよ!シトコヴェツキーがカデンツァ風の、ずっとソロ演奏が続く部分を演奏している最中でも、時々オーケストラが入ってくる場面があるんですが、そこの場面のキュー出しはシトコヴェツキーには不可能。でも、どのパートもドンピシャで入ってくる。ロマン派の楽曲のような一定の流れや、暗黙のテンポ感などは皆無の曲なのに・・・、これは凄い事をやっている。チェロの北口さんのソロも、シトコヴェツキーを向こうに回して一歩も引かない上手さ。何よりも、全体のバランス・アンサンブル感覚が素晴らしい!センチュリーの一人ひとりの奏者のアンサンブル・センスの高さが無ければ、なかなかこうは演奏できないと思う。


 シトコヴェツキーのソロも超絶技巧の連続で、そのテクニックに対してため息が漏れるのだけれど、それ以上に、なんと悲しみを湛えた音なんだろう、その胸が締め付けられるような音に聴き入ってしまう。「レッド・ヴァイオリン」という映画は見たことが無いが、そのヴァイオリンが様々な人間の手に渡る過程で、壮絶な出来事が起こっていただろうということが、音楽を聴くだけで想像できる。
 コリリアーノの楽曲が持つ、深い深い悲しみと闇、のぞき込むと、その深さに足に震えが来るような不気味な運命的なモチーフが、深く心に刻まれた。

 プログラムに、有栖川有栖さんがコラムで書かれていたとおり、「これは映画もみてみないとなあ」と思いました。

 終演後の拍手は、徐々にボルテージが上がっていき、4回目のカーテンコールが一番盛り上がった。アンコールはバッハの無伴奏パルティータ第2番からサラバンド。レッド・ヴァイオリンの雰囲気を引き継いだような非常に厳しい世界を描いていました。


 そして、後半はシューマンの交響曲第2番。僕にとっては特別な曲なんです。30代の前半のある時期、何をやっても上手くいかない時期があった。仕事がオーバーフロー状態になり、人間関係にも悩み、健康状態は最悪、深い信頼関係があると信じていた友人に裏切られ、大切な人を失ったり、これほど悪いことが重なるものなのか?というほど悪いことが重なり、体も心も壊れてしまった。
 過労で入院中に本当に憑きものが付いたように聴いたのが、このシューマンの交響曲第2番だった。この曲の第3楽章を聴くと、病院の窓から見えた大きな川に沈む夕日を思い出す。その時聴いていたのは バーンスタイン&ウィーン・フィルのもの。快活なようでいて、第2楽章の狂気・狂騒。第3楽章は自我が崩壊していくような病的な演奏、第4楽章はバラバラになりつつあった自我をすんでのところで維持し、自分を鼓舞していくような演奏。そんな演奏に没入した覚えがある。


 生演奏では7,8年前に大植さんが大フィルを振ったとき、初めてこの曲の生演奏を聴いた。やや躁鬱的な起伏はさすがに師匠譲りと感じたものの、磨き抜かれた大フィルの弦の音を中心に組み立て、全体的には生命肯定的で前向きな演奏だったように思う。僕もその頃には体も精神も健康を取り戻していたので、大いに感銘を受けた。

 この曲の録音はおそらく20枚は持っていると思うが、今は、一番バランスが取れているサヴァリッシュ&ドレスデン国立管、もしくは情熱的で壮大にドラマティックに描いた、ルイージ&ウィーン響の演奏を愛聴盤にしている。


 そして今回のシトコヴェツキー&センチュリーの演奏。センチュリー自身、十八番の曲と自認している曲のようで「レパートリー感」がベースにある確信を持った演奏。シトコヴェツキーのタクトは、さすがにヴァイオリニストだけあって、弦の音に厚みが有り、つやがあり磨き抜かれた輝きをセンチュリーから引き出していた。木管も大活躍するこの曲、精緻でニュアンスにとんだ木管はさすがにセンチュリー。シトコヴェツキーのタクトは純管弦楽曲として真面目に積み上げていく感じで、思い入れや感情移入を排した解釈。しかし、だからこそこの曲の持つ病的な執拗さと不安定さと死の予感、そして第2,4楽章におけるシューマンの激情を浮き彫りにした。

 第1楽章の途中から音楽がどんどん凝縮し高揚していき、この昂奮は生演奏でもCDでも経験したことが無い種類のものだった。一瞬、拍手が沸いたのも頷けるほどの熱演。第3楽章では弦5部が泣きに泣いて・・・ドレスデン・シュターツカペレやバンベルク交響楽団のような中欧のオーケストラでしか聴けないものだと思っていた音が、センチュリーで聴くことで来た。


 プログラムノートの小味淵さんの「苦悩から歓喜へという普遍的なプラン」による作曲された。引っ越しによって鬱病などの病状が回復した快気祝い、との解説があったが、僕は、どうしてもそうは思えないのである。最初にトランペットで弱弱しく提示されたド・ソの2音のモチーフは、この曲の間中、ずっと見え隠れする。それはベートーヴェンの5番のようにすっきりと解決されるものではなくて、中間の音が無い不安定なドとソの音が、曲中所々で顔を出し、サブリミナル効果として頭の中に刷り込まれてる。まるで幻聴や幻覚を見ているように、決して解決されることが無い。

 第4楽章の最後は和音で解決されて終わるかに見えるが、不安を掻き立てるドとソの音は頭の中に残り続ける。

 マーラーも病的な音楽世界を描いた人だったが、一方でちゃんと現実へ戻って来れる(色んな意味で)力のある人だった。しかし、シューマンはそこまで起用じゃなかったんだと思う。日常の自明性が崩れていく恐怖は想像を絶するものがある。

 この日のセンチュリーのシューマンの2番は、執拗に繰り返されるモチーフが完璧に表現されていた。互いのパートを聴き合い、アンサンブルを研ぎ澄ませて、鬱蒼としたシューマンのオーケストレーションを白日の下に描き出し、ありのまま」のシューマンを聴くことが出来た充実感がある。生きること、そのものが「病み」を内包してそれでも進んでいく・・・。強いメッセージを感じた。それはあたかもセンチュリーが置かれている状況=これほどのハイレベルな演奏を展開しているのに、もしかするとあと数年で終焉を迎えるかも知れない運命、その運命を受け入れて突き進んでいくような力強さを感じた演奏でした。


 終演後は5割程度しか埋まっていない客席から、まるで満席のように拍手とブラボーが飛びます。ああ、ここに集った人々、みなが称えるような名演奏だったのだなあ、と実感しました。
 しかし、「おか割」券で足を運んだ翌日の演奏会では、なお一層充実した演奏を聴くことが出来たのですが、これはまた次の記事に書きたいと思います。


 今回、阪急中津駅から徒歩でザ・シンフォニーホールに向かいました。

DSC_0620.JPG
 中津駅を降りて驚いた!ここだけ「昭和」で時間が止まっていました。


DSC_0621.JPG
 ガード下を抜けて、北梅田ヤードのそばの道路を通ります。丁度、グランフロント大阪のビル群を背後から見る感じ



 以外にも新梅田シティまで徒歩6分、ザ・シンフォニーホールまで徒歩15分と言ったところ。帰りは梅田から帰ると思いますが、往路は意外とこのルートは使えると感じました。 

nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団 姫路公演 [コンサート感想]

ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団 2017姫路公演
コネソン/フラメンシュリフト(炎の言葉)
ラヴェル/ピアノ協奏曲
 ~ 休 憩 ~
ドビュッシー/交響詩「海」
ラヴェル/ボレロ
指揮:ステファヌ・ドゥネーブ
ピアノ独奏:モナ=飛鳥
2017年6月15日 姫路市文化センター大ホール
DSC_0616.JPG
 会場となった姫路市文化センターは、私にとっては思い出の場所なのです。中学生の時にクラシック音楽に目覚め、元々クラシック音楽を聴く趣味があった親父に、色々なコンサートに連れて行ってもらった。
 その一つが姫路市文化センターで行われたチェコ・フィルのコンサートだった。確か、ノイマンとペシェク、ビエロフラーヴェクの3名を擁した大規模なツアーだったように記憶しているが、姫路公演の指揮者はビエロフラーヴェクで、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」だった。たぶん、ノイマンの登場する大阪公演よりも、電車賃を払っても御釣が出るぐらい、安かったのだと思う。
 少し前にロレンゼルス・フィルで海外オーケストラのパワーに圧倒されていた僕は、「今回は驚くことは無いだろう」と思って、会場に足を運んだが、今度はヨーロッパの楽団の官能的な響きに圧倒され、国によってオーケストラの音も変わることを勉強した。
 次に訪問したのが、これも20年近く前の大フィルの公演で、今回が久々の3回目の訪問になった。
DSC_0617.JPG
 
 会場の入りは6割程度か?市内の高校生にチケットが配られたようで、ロビーには高校生で溢れていました。編成は1曲目と後半は14型、1stVn14→2ndVn12→Va10→Vc8でコントラバスが上手奥。2曲目のラヴェルのコンチェルトは1stVn8→2ndVn8→Va6→Vc6でコントラバスが上手奥に4本。
 1曲目の演奏が始まる前に、ドゥネーブさんと女性の日本人奏者(ブリュッセル・フィルには3人所属しているそう)が登場。日本人奏者が「Ladys and gentleman,good evening!」、でドゥネーブさんが「みなさん、コンバンハ」とあいさつするというギャグをかましてくれました。これでやや緊張気味だった学生さんたちがほぐれていい感じに。
  1曲目はフランスの作曲家:コネソンの現代音楽。ドゥネーブさんの解説によると、ベートーヴェンの運命の「ダダダダーン」をはじめとした旋律を使って、変奏曲的に展開していく、というお話だったが、演奏が始まってみるとどれがベートーヴェンのモチーフなのかはわからなかった。断片的なモチーフを弦のオスティナートを駆使して展開させていく楽想は、オネゲルの影響が感じられ、このブリュッセル・フィルもこの曲のCDを出しているだけあって、引き締まった好演。

  ところが2曲目のラヴェルのコンチェルト、うむむ・・・、縦の線が全然合ってない?でも、木管金管のソロは全くはずさないんですよね、このオケ上手いの、そうでもない・・・の?、でも、第2楽章のオケのアンサンブルは絶品なんですよね、このブリュッセル・フィル、まるで19世紀のフランドル地方から飛び出してきたかのような、古色蒼然と、かつローカル色溢れるサウンドなんですよ。聴いていて気持ちがいい! そして、縦の線をビシッと合わせる、というような事には価値を置いていない、そう感じました。
  モナ=飛鳥さんのソロは、弱音部分の美しさが際立っていました。テクニックも万全。ただ、強い印象が残らなかったのは、このホールが音響的にも、容積もピアノ・ソロ向きとは言えないこともあるかな。岡山シンフォニーホールや、同じ姫路ならパルナソスホールで聴いてみたいですね。

  そして、今日のハイライトは間違いなく、ドビュッシーの「海」。音が煌めき、揺らぎ、そして臭い立つ19世紀のフランスの香り。決して音響は良くない姫路市文化センターに、音楽の歴史を変えた瞬間のパリの熱気をそのまま持ってきたようなドビュッシーのオーケストレーションの魔術で満たされ、心が震えた。木管陣がとにかくまろやかな音を奏でていたのが印象に残る。この曲は盛り上がったかと思ったら、最高潮になる寸前に音楽の波が収まったり、霧の中から出てくっる場面で合ったり、こういった表現はフランス語圏のオーケストラでなければ味わえないものがある。本当に見事な演奏だった。最期の窒息しそうな轟音の後の最期の一音の軽い着地が、何とも言えないエスプリが効いていた。ニクイ!
 
  ボレロはエリザベート王妃コンクールのホスト・オーケストラも務める、このオーケストラの実力を遺憾なく発揮。コンチェルトで一瞬、実力を疑ってごめんなさい(笑)
 単なるインテンポではなく、各部分のソロを受け持つ楽器の節回しにオーケストラがさりげなく寄り添っていく。ソロが終わった楽器のパートは他のメンバーと笑顔でアイコンタクトを取ったり、と、心から音楽を奏でることを楽しんでいる様子にも感銘を受けた。
 終演後には拍手が鳴りやまず、いわゆる「一般参賀」(楽団員が退場しても拍手がやまないので、指揮者が再登場して挨拶する様)まで見られた、たいへんの盛り上がったコンサートでした。
  
 会場は6割ぐらいの入りだったが、満員のような拍手に包まれる。アンコールはビゼーの「アルルの女」からファランドール。いやあ、姫路のお客さんもノリがいい!お祭り気質の播州人のノリで応えて(何を隠そう、ワタクシも播州人の血を引いている)、ドウネーブさんもご満悦でした。

 ブリュッセルと言えば、ベルギーの首都でありヨーロッパ連合の首都でもある。そんなヨーロッパの中心地で、琥珀のような、あるいは時代を感じさせる波うったガラスをとおして降り注ぐ七色の日光のような、何とも言えない味わいと輝きがありました。世界のオーケストラが個性を失いつつある、なんて言われる昨今。どうしてどうして、先月のフィンランドのタンペレ・フィルといい、このブリュッセル・フィルといい、個性的なオーケストラはたくさんある。世界は広い。
DSC_0607.JPG

nice!(1)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | -